憲法9条の基礎知識 憲法改正高市早苗試案
国防軍の組織および運用は、法律でこれを定める」
山谷えり子が、自民党議員として民主党政府時代に議員立法提案したが審議されなかった法案
「自衛隊法を改正して、北朝鮮に拉致された邦人の救出に自衛隊を派遣できるようにする。」
小沢一郎「普通の国とは、国際社会において当然とされている安全保障への貢献を自らの責任で行う国である。国際社会の圧力を理由にしかたなくやるような事はしない。」
読売新聞憲法改正試案 平成12年5月
「自衛隊を軍隊とする。軍隊は徴兵制としない。」
●●● ●●●
1.なぜ、憲法改正という正面突破ではなく、悪く言えば、解釈改憲、良い言い方で言えば、現実の変化に合わせた解釈の変更をするのか?
答え。 日本国憲法は占領下に施行された影響で、現在の世界のあらゆる憲法の中でも特に改憲・修正が困難な改正条項を持っている。なぜ困難なのか。左翼勢力が多すぎるからである。緊急情勢というのは、二ヶ月後、半年後に起こってもおかしいとはいえないものであり、現に、毎日、安穏な娯楽の享受と飢餓の無い日本の生活から推測して、20年先、40年先にゆっくり改憲しようというのは、平和ボケがもたらす思考の産物。
憲法改正が、そのあまりの高いハードルのために、改正出来ない以上、現実に合わせて解釈を変更するしかない。
2.日本の平和運動の底流には、非武装中立論が存在し続けてきた。
これが妄想や「昔の事」ではなく、現在でも、そうである証拠。
非武装、すなわち自衛隊否定論。そして、他国からの侵略の蓋然性は認めるものの、自衛隊による抵抗ではなく、市民が逃げることを理想とする意見の例。
A.「爆笑問題」という芸人と大学教授中沢新一の「憲法9条を世界遺産に」
「そうです。犠牲が出る可能性がある。覚悟のないところで平和論を唱えてもダメだし、軍隊を持つべきだという現実論にのみこまれて行きます。
多少の犠牲は覚悟しても、この憲法を守る価値はあるということを、どうみんなが納得するか」
※テレビで憲法の解釈変更を批判するキャスターたちは、まったくこのように、国民に犠牲の出る覚悟を言わない。
ちなみに、この犠牲の出る覚悟という考えは、東京大学総長の南原繁が、吉田茂政権時代に同じ事を主張していた。
「どんな国も、自分を守るために軍隊を持つことができる。けれども、わたしたちは、人間としての勇気をふるい起こして、その立場を捨てることにした。」
※どうだろう。昨今の安保法制報道で、批判する人々は、憲法を守る事は人間としての勇気をふるい起こすことを伴うものだと言っているだろうか。
実際には、日本国憲法を守るとは、解釈に反対するだけではなく、犠牲を覚悟する、そして、勇気をふるい起こして、自分を守る軍隊を放棄する事だと、井上ひさしは言っている。
※この考えをチベットやウィグル、シリアやパレスチナの人々に聞かせたらどうだろう。
掲載 中村哲医師
「武器を持ってしまったら、かならず傷つけあうことになるのですよ。」
※まぎれもない自衛隊否定論だ。実際には、シリア、イラクの住民が身を守るたあめに、武器を持っている。
E. 井上ひさし
「うちは全部オープンだ、無防備地域だと言っておくのが早いと思います。」
まぎれもない自衛隊否定である。
F. 森永卓郎
「私は善意を信じるので、どこかの国が日本を侵略してきた場合、他国は一緒にたちあがってくれると思う。自衛隊は縮小しながら、国際援助隊にすればいい。」
「まったく丸腰で「僕は平和主義です」と言ったって通用しない事はわかっているけれども、強い意思を持って、だからこそ、戦うのを(侵略に対する抵抗も)放棄するんだ。」
G. 漫画家の辛酸なめ子
「憲法改変によって、日本人の残虐性や攻撃性が呼び覚まされないか」
H. 吉永小百合
「武器ではなく、憲法9条こそが私たちを守ってくれます。」
※実際は、日本の武力は、通常兵器で世界2位。最新鋭レベル戦闘機200機を保有している。
「北朝鮮のミサイルの恐怖をあおるべきではありません。
百歩譲って、仮にそのような事態が動いたとしても、世界各国が外交によって、北朝鮮の攻撃を放置しないでしょう。」
J. 井筒和幸
「どこの国がなにをしようが、手をあげて、ウチはなにもしませんと、そういう姿勢をつらぬくのが一番やけどね」
「友達がコンビニでわけのわからん奴に襲われたらかばうでしょう。かまいにいったら、逆にあかんねんって。争いが大きくなるから。」
(以下は「みんなの9条」より)
「北朝鮮の拉致や侵入に対しては、大阪のおばちゃんを海岸線に並べて置くのがいい」
「海外で自衛隊が国際援助するなら、「○○の仲間」みたいに、弱そうな名前にするといい。大阪のおばちゃんは、自分たちが損な事は絶対しない。北朝鮮の工作員でも、相手を口で説得する。」
「自衛隊は国民を守るものじゃない。実際には、軍隊はそのときどきの権力を守り、国民を弾圧する。守るのは権力であって、国民じゃない。自衛隊は、政府の命令で国民に銃を向ける可能性がある。」
※これなどは、堂々とテレ朝報道ステーションでこう言ってもらいたいものだ。
-
大江健三郎 昭和33年発言
「ぼくは、防衛大学生を日本の若い世代のひとつの弱み、恥辱だと思っている」
では、このような日本の多くの平和主義の考えは、どこからはじまったのだろうか。
(戦争はいやだ、コリゴリだ、という庶民の感情ではなく、知識人のこのような発想はどこから、どのようにはじまったのだろうか。)
1.朝日新聞昭和25年5月20日社説「講和に対する態度」
「日本には武装せずという文字通りの平和国家の立場がある。」
「非武装国の安全を規定する新しい国際規約を制定することを望みたい」
※実際には、国際連合にまかせるのは、不可能なのである。なぜならば、国際連合の常任理事国は、中国、ロシアであり、彼らが日本の安全を保障するなんの義務もない。
続く5月21日付け社説でも、朝日新聞は、
「永世中立は、武器を持って、自らを防衛する義務と権利を持つが、日本の場合は、非武装無防備というまったく新しい土台の上に成立する」とした。
※考えてもみればいい。テレ朝ニュースステーションは、政府見解の推移を並べてこう変わった、と非難するが、朝日新聞は、非武装中立論をいつのまに、どこをどう、どういうふうに変えて、どう変わった立場から、安保法制を批判しているのだろうか。
1994年7月21日参議院本会議になると、社会党党首で首相の村山富市は、
「国際的に冷戦構造の崩壊した今日、非武装中立論はその政策的役割を終えたと認識しております。」
※1984年の社会党委員長石橋政嗣83年刊行「非武装中立論」の末尾
「思い切って、降伏したほうがいい場合だって、あるのじゃないか」
なんとも、虫のいい話で、非武装中立論は「政策」なのだ、と社会党は言った。
ところが、この記事の最初に戻ってほしい。護憲派にとって非武装は政策ではない。
多少の犠牲は覚悟しても守るべきもの、と考えられており、問題は、彼らは、テレビではこれをけっして言わないということなのだ。
なぜ、常識なのか。大学の法学部の学生、司法試験の受験者がもっともよく読む憲法学の本に自衛隊違憲と書いてあるからだ。
芦部信喜「憲法」樋口陽一「憲法学」などが、日本の憲法学でもっともよく読まれている。
その芦部信喜「憲法」に、はっきりと、「現在の自衛隊は、その人員整備編成等の実態に則して判断すると、9条2項の「戦力」に該当する。」と書いてある。
そして、樋口陽一は、平成3年8月号「世界」で、「侵略の責任があいまいにされてきた根底には、天皇の戦争責任という問題があります。」と言っている。
だから、テレ朝報道ステーションやTBSNEWS23が、「憲法学者の多くが安保法制に反対」というのは、カマトト報道以外のなにものでもない。
彼らは、テレビで言うべきなのだ、これら憲法学者は、自衛隊も否定していますし、天皇の戦争責任も追及しております、と
「表現の自由を脅かすもの」著者ジョナサン・ローチ書評 2
「言論の自由の原理」は、女性、黒人、は知的世界、科学の世界に近づくことを長らく拒否されてきた。が、いまや、そういう事はない。
真相を暴こうと名乗り出る人たちを「レイシスト」「差別主義者」と罵倒することは、科学を政治的圧力に置き換えようとすることにほかならない。
スカリア判事の見解は次のようなものだった。
「レイシストの信念は苦痛を生じさせる。感情を傷つける。反ユダヤ主義、性差別・性的態度(同性愛・ゲイ・未婚・同棲)による差別、民族優越の表明・(黄色人種差別)・・・こうしたものは、苦痛が生じるのを許すな、という基準によって、価値ある信念から除外すべきである」
ジョナサン・ローチはこれは思いやり深いようで、大きな危険をはらむ考え方だという。
「傷つけよう、脅かそうというただそれだけの目的のために、苦痛を与えてはならない」のであって、結果としての「苦痛を生じさせてはならない」というのは、基準にするべきではない。
なぜなら、誰にも一切害を加えないようにする社会体制は、人間存在の衝動、欲望、抗争、敗者と勝者の帰結は不可避だという事に照らして不可能であって、これを無理に無くそうとすれば、結局、全体主義になるしかないからである。
※たとえば、2017年4月末に韓国のタレントが京都の飲食店を訪問して飲食店の先客にファッキンコリアと発言したことが話題になったが、これを二度とおこさせまいとすれば、結局、告発と監視と警察による検挙を強化するか、それともさらに長い時間をかけて良識を浸透させていくしかないだろう。だが実際には、自治体、警察が取り締まれ、店をネットにさらしてつぶしてしまえ、発言者を特定して謝罪させろ、つるしあげろという声がわき起こったのである。
自由主義社会が維持されるかぎりは、いつかは、検証に耐えた見解が優位になるのである。その時間に耐えることなくして自由社会は生き残る事ができず、原理主義、全体主義に道を譲ることになる。
実際には反レイシスト運動も宗教裁判の異端審問も、警察的であり、同時に極めて人道主義的動機に発する。
審問された異端者とは、「信仰者たちの信仰を危うくし、他人の考えに悪影響を与えることによって、永遠の地獄の苦しみに引きずり込もうとした」と者たちだったのである。社会のためを思い、隣人・友人のためを思って、審問官たちは、異端者を裁いた。
これは反レイシスト、カウンターと呼ばれる人たちの心情とまったく同じものと言ってよい。
しかし、この人道主義には、次のような危険が潜む。
レイシストという烙印を押してしまえば、何を言おうとすべては間違っていると断定してしまい、それは糾弾する側がすべての真理の産出者だと宣言しているに等しいからである。
事実、2017年2月から4月にかけて、盛んに行われた事は、「レイシストなるもの達の集団が一般に人に向けて公開講義をすることを妨害する行動であったが、これは彼ら「レイシスト」が何を発言してもすべて間違いだという決めつけであり、それを指弾する側は何を発言してもけっして間違わないと言っているようなものである。
気に障る事の中に参考になるかもしれない指摘があるかもしれないという態度はそこで消失している。まずは耳を傾け、批判的に検討してみようという社会の成員の態度に対して「反レイシスト」は人道主義の元に妨害しているのである。
「実際およそ大切な知識の多くは、誰かの気に障る言明として出発した。地球が宇宙の中心ではないという考えは、神への侮辱、ヘイトだったのである。」ジョナサン・ローチ
白人が他の人種に比べて優秀な知能の人種ではないと聞かされた時、最初は白人の多くは不愉快だった。
「私が傷つけられた」と言って自己の尊厳のために主張する個人が出てきた。
※これは、まさに政治活動家の辛淑玉氏が、2017年2月「ニュース女子」とおうテレビ番組で批判されて、「睡眠障害になった・吐き気に襲われた」と主張したが、公開討論には応じなかった事実にあてはまるだろう。
我々は誰しもが自己の信念に対する批判的検討者たちによって、信念を縦横から批判されることを甘受し、無礼、非道に耐えなければならないものなのである。
人を傷つけるのは良くない。しかし、傷つけ合いなしの社会は知識なしの社会である。金正恩に皆が忠誠を誓えば、その時、相互に論争することからくる傷つけ合いはなくなる。金正恩が判定してくれるからだ。
ジョナサン・ローチによれば、日本人が1901年から1980年の間、ノーベル賞受賞者が、ドイツの10分の一、アメリカの28分の一にとどまったのは、日本人の悪習、「公開討論ができない」ということにある、という。
批判されることは傷つく。しかし、傷つけ合いのない社会は、知的創意を生まなくなるという代償を払うことになる。
※宮沢首相の「近隣国条項」もそのひとつで、これは議論、論争よりも相手国の気持ちを優先したのであり、これによって、日本人はいよいよ、歴史を考える気力が失せていまった。
正しいか正しくないかよりも、相手の気に入るかどうかが重要ならば、およそ検証する意味がない。
ジョナサン・ローチ
「ホロコーストを否定する大学教師を、「ユダヤ人を傷つけた」という理由で解雇するのは間違いである。どんな少数者も冒涜を受けないで済ます権利はなく、時に史実によって不愉快になる場合もある。
ただ学問の水準からしてあまりに明白な誤りを主張しているという教師不適格者としてなら、解雇もありうる。」
傷つけられたと言う人には、くじけずに生きていってほしいというしかない。それ以上の何も得をさせてはならない。
「人を傷つけること」はやめなければいけないという考えはまったく間違っている。言葉は言葉であり、銃弾は銃弾、拳は拳なのだ。
「人を傷つける言葉は銃弾である。拳と同じである」となれば、人は罵倒されれば、ナイフで返していいことになる。
サルマン・ラシュディは死刑を宣告され、日本の翻訳者は44歳で実際に暗殺された。だが、サルマン・ラシュディも日本の翻訳者も、確かにイスラム教徒をひどく不愉快にし、傷つけたろうが、それは言葉であって、テロではなかったが、殺された日本の学者を暗殺したのは、ナイフだった。
もし言葉は暴力だというなら、科学上の学説を批判されると味わう苦痛は暴力だということになり、気の毒だから批判を控えようということになる。
それを罰して人が傷つくのを防止するには、結局「審問官」が設定されるほかない。
しかしながらこの自由社会の重要な原則、「言葉によって傷つくことを恐れてはならない」がいまや、危機に陥っている。
1989年頃から、次の大学で続々と「ヘイトスピーチ」を防止する規則が懲戒されるようになってきた。
ウィスコンシン大学、ペンシルバニア大学、タフツ大学、コネチカット大学、ラトガス大学、ハーバード大学、UCLA、スタンフォード等々。
誰かが、「頑迷な・迷妄な・非人道的な・差別主義な・人を傷つける・意見は禁止されるべきだ」と言うとき、彼は自分自身が、社会の幸福の守護人だと宣言しているに等しい。つまり、プラトンの「国家」における賢明な哲学者の支配する社会における哲学者は自分だと言っているのである。
ある発言が、「嫌な」「耳障りな」「イライラする」のは、受け取る側の心が広かったり、別な問題で関心がいっぱいだとすると、問題にならないが、常に待ち構えていると、大問題になることになる。
生物の先生が進化論を講義して、敬虔なクリスチャンがわっと泣いて立ち去ったら「それはずたずたに傷つけれたということのなのか」
人道主義者たちは「ヘイトスピーチかそうでないか。言葉で人を傷つけるかそうでないか」に注意を傾けるべきではなく、「気に障る言葉か、警棒、ナイフ、刑務所か」と言うように区別するべきなのである。
ここで忘れられているのは、「気を動転させるような批判を人々が免れている環境があってこそ、人は学問をなしうると考えていることである。
実際には、人を動転させるような言論、思想を圧殺すればするほど、皆「自由」になる。とすると、「自由」な体制とは、他者への批判をしない、させない機構を持つ社会ということになる。
「差別撤廃委員会」というものは、右翼がのしあがれば、右翼にとって不愉快な言辞はヘイトになり、左翼がのし上がれば左翼にとって不愉快な言辞がヘイトとして注目される。実際には嫌がらせの言語の取り締まりの当局者が中立ということはありえない。
- 作者: ジョナサンローチ,Jonathan Rauch,飯坂良明
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1996/09
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「表現の自由を脅かすもの」著者ジョナサン・ローチ書評 2
「言論の自由の原理」は、女性、黒人、は知的世界、科学の世界に近づくことを長らく拒否されてきた。が、いまや、そういう事はない。
真相を暴こうと名乗り出る人たちを「レイシスト」「差別主義者」と罵倒することは、科学を政治的圧力に置き換えようとすることにほかならない。
スカリア判事の見解は次のようなものだった。
「レイシストの信念は苦痛を生じさせる。感情を傷つける。反ユダヤ主義、性差別・性的態度(同性愛・ゲイ・未婚・同棲)による差別、民族優越の表明・(黄色人種差別)・・・こうしたものは、苦痛が生じるのを許すな、という基準によって、価値ある信念から除外すべきである」
ジョナサン・ローチはこれは思いやり深いようで、大きな危険をはらむ考え方だという。
「傷つけよう、脅かそうというただそれだけの目的のために、苦痛を与えてはならない」のであって、結果としての「苦痛を生じさせてはならない」というのは、基準にするべきではない。
なぜなら、誰にも一切害を加えないようにする社会体制は、人間存在の衝動、欲望、抗争、敗者と勝者の帰結は不可避だという事に照らして不可能であって、これを無理に無くそうとすれば、結局、全体主義になるしかないからである。
※たとえば、2017年4月末に韓国のタレントが京都の飲食店を訪問して飲食店の先客にファッキンコリアと発言したことが話題になったが、これを二度とおこさせまいとすれば、結局、告発と監視と警察による検挙を強化するか、それともさらに長い時間をかけて良識を浸透させていくしかないだろう。だが実際には、自治体、警察が取り締まれ、店をネットにさらしてつぶしてしまえ、発言者を特定して謝罪させろ、つるしあげろという声がわき起こったのである。
自由主義社会が維持されるかぎりは、いつかは、検証に耐えた見解が優位になるのである。その時間に耐えることなくして自由社会は生き残る事ができず、原理主義、全体主義に道を譲ることになる。
実際には反レイシスト運動も宗教裁判の異端審問も、警察的であり、同時に極めて人道主義的動機に発する。
審問された異端者とは、「信仰者たちの信仰を危うくし、他人の考えに悪影響を与えることによって、永遠の地獄の苦しみに引きずり込もうとした」と者たちだったのである。社会のためを思い、隣人・友人のためを思って、審問官たちは、異端者を裁いた。
これは反レイシスト、カウンターと呼ばれる人たちの心情とまったく同じものと言ってよい。
しかし、この人道主義には、次のような危険が潜む。
レイシストという烙印を押してしまえば、何を言おうとすべては間違っていると断定してしまい、それは糾弾する側がすべての真理の産出者だと宣言しているに等しいからである。
事実、2017年2月から4月にかけて、盛んに行われた事は、「レイシストなるもの達の集団が一般に人に向けて公開講義をすることを妨害する行動であったが、これは彼ら「レイシスト」が何を発言してもすべて間違いだという決めつけであり、それを指弾する側は何を発言してもけっして間違わないと言っているようなものである。
気に障る事の中に参考になるかもしれない指摘があるかもしれないという態度はそこで消失している。まずは耳を傾け、批判的に検討してみようという社会の成員の態度に対して「反レイシスト」は人道主義の元に妨害しているのである。
「実際およそ大切な知識の多くは、誰かの気に障る言明として出発した。地球が宇宙の中心ではないという考えは、神への侮辱、ヘイトだったのである。」ジョナサン・ローチ
白人が他の人種に比べて優秀な知能の人種ではないと聞かされた時、最初は白人の多くは不愉快だった。
「私が傷つけれた」と言って自己の尊厳のために主張する個人が出てきた。
※これは、まさに政治活動家の辛淑玉氏が、2017年2月「ニュース女子」とおうテレビ番組で批判されて、「睡眠障害になった・吐き気に襲われた」と主張したが、公開討論には応じなかった事実にあてはまるだろう。
我々は誰しもが自己の信念に対する批判的検討者たちによって、信念を縦横から批判されることを甘受し、無礼、非道に耐えなければならないものなのである。
人を傷つけるのは良くない。しかし、傷つけ合いなしの社会は知識なしの社会である。金正恩に皆が忠誠を誓えば、その時、相互に論争することからくる傷つけ合いはなくなる。金正恩が判定してくれるからだ。
ジョナサン・ローチによれば、日本人が1901年から1980年の間、ノーベル賞受賞者が、ドイツの10分の一、アメリカの28分の一にとどまったのは、日本人の悪習、「公開討論ができない」ということにある、という。
批判されることは傷つく。しかし、傷つけ合いのない社会は、知的創意を生まなくなるという代償を払うことになる。
※宮沢首相の「近隣国条項」もそのひとつで、これは議論、論争よりも相手国の気持ちを優先したのであり、これによって、日本人はいよいよ、歴史を考える気力が失せていまった。
正しいか正しくないかよりも、相手の気に入るかどうかが重要ならば、およそ検証する意味がない。
ジョナサン・ローチ
「ホロコーストを否定する大学教師を、「ユダヤ人を傷つけた」という理由で解雇するのは間違いである。どんな少数者も冒涜を受けないで済ます権利はなく、時に史実によって不愉快になる場合もある。
ただ学問の水準からしてあまりに明白な誤りを主張しているという教師不適格者としてなら、解雇もありうる。」
傷つけられたと言う人には、くじけずに生きていってほしいというしかない。それ以上の何も得にをさせてはならない。
「人を傷つけること」はやめなければいけないという考えはまったく間違っている。言葉は言葉であり、銃弾は銃弾、拳は拳なのだ。
「人を傷つける言葉は銃弾である。拳と同じである」となれば、人は罵倒されれば、ナイフで返していいことになる。
サルマン・ラシュディは死刑を宣告され、日本の翻訳者は44歳で実際に暗殺された。だが、サルマン・ラシュディも日本の翻訳者も、確かにイスラム教徒をひどく不愉快にし、傷つけたろうが、それは言葉であって、テロではなかったが、殺された日本の学者を暗殺したのは、ナイフだった。
もし言葉は暴力だというなら、科学上の学説を批判されると味わう苦痛は暴力だということになり、気の毒だから批判を控えようということになる。
それを罰して人が傷つくのを防止するには、結局「審問官」が設定されるほかない。
しかしながらこの自由社会の重要な原則、「言葉によって傷つくことを恐れてはならない」がいまや、危機に陥っている。
1989年頃から、次の大学で続々と「ヘイトスピーチ」を防止する規則が懲戒されるようになってきた。
ウィスコンシン大学、ペンシルバニア大学、タフツ大学、コネチカット大学、ラトガス大学、ハーバード大学、UCLA、スタンフォード等々。
誰かが、「頑迷な・迷妄な・非人道的な・差別主義な・人を傷つける・違憲は禁止されるべきだ」と言うとき、彼は自分自身が社会の幸福の守護人だと宣言しているに等しい。つまり、プラトンの「国家」における賢明な哲学者の支配する社会における哲学者は自分だと言っているのである。
「嫌な」「耳障りな」「イライラする」となると、受け取る側の心が広かったり、別な問題で関心がいっぱいだとすると、問題にならないが、常に待ち構えていると、大問題になることになる。
生物の先生が進化論を講義して、敬虔なクリスチャンがわっと泣いて立ち去ったら「それはずたずたに傷つけれたということのなのか」
人道主義者たちは「ヘイトスピーチかそうでないか。言葉で人を傷つけるかそうでないか」に注意を傾けるべきではなく、「気に障る言葉か、警棒、ナイフ、刑務所か」と言うように区別するべきなのである。
ここで忘れられているのは、「気を動転させるような批判を人々が免れている環境があってこそ、人は学問をなしうると考えていることである。
実際には、人を動転させるような言論、思想を圧殺すればするほど、皆「自由」になる。とすると、「自由」な体制とは、他者への批判をしない、させない機構を持つ社会ということになる。
「差別撤廃委員会」というものは、右翼がのしあがれば、右翼にとって不愉快な言辞はヘイトになり、左翼がのし上がれば左翼にとって不愉快な言辞がヘイトとして注目される。実際には嫌がらせの言語の取り締まりの当局者が中立ということはありえない。
- 作者: ジョナサンローチ,Jonathan Rauch,飯坂良明
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「表現の自由を脅かすもの」著者ジョナサン・ローチ
すべての人は意見、信念によって罰せられるということはない。
間違った信念は犯罪ではないからである。
どんなに不愉快でも、不愉快にねるという作用と暴力とは異なる。
「言葉の暴力」などというものはない。
「人を傷つける言葉」「「言葉で苦しめる」という事を拒否するべきではない。
「言葉で傷つけられたと主張する人々に、報酬を与えてはならない。
さもないと、痛めつけられたと主張することで何かがもらえるということを知るだろう。
拒否するべきは、暴力行使、犯罪行使、破壊行為の実行の表明である。
我々は面の皮を厚くするという道徳的義務を負っている。
批判するか軽蔑するyかに心を決めて、加害者へ処罰するよう求めたり、賠償を要求することはおもいとどまらなければならぬ。
相手を黙らせたり、追い出したり、失職するように、仕向けたりするべきではない。
※ところで2015年頃から、興味深い現象が始まった。
一般的に街頭デモ行進や街頭演説は、社会に対する意見表明だから、騒音や場所柄をわきまえさえすれば、どのようなものでも許容されるべきである。ある意見を持つ集団が意見表明するとき、異なる意見を持つ集団が同じ場所に言って介入するべきではないのだが、この間違いが盛んに行われるようになったのが、2015年から2017年にかけての日本だった。(お互い、別な場所、(あるいは同じ場所でも別な時に)相反する意見表明をするべきなのである。これは、後から、割り込んである意見を止めようという行動するほうが間違っている。
前者がもし間違った意見なら、やがて民衆は足をとめなくなるだろう。
だから、介入する必要は本当はないのである。
「彼を罰したところで効果はない。抑圧するだけではいかなる仮説も完全に埋葬されることはない。」
2017年4月の末に「京都観光に来た韓国人に対して「ファッキンコリア」と悪罵を投げつけた「韓国嫌い」の人物の行動が動画に流された。
※言われた韓国人は、不愉快そうに立ち去った。
これに対してたとえば次のような反応があった。京都市と京都観光協会に対して「ラーメン店に指導するよう、要求」
京都市は、「店員ではなく、お客の行為なので、店に指導する意味がない」と返答。
この返答を受けて、「市役所の担当者は、税金泥棒だ」と言うのだが、店員とか店長のしたことでもないものを、まさか店に対して他民族を侮辱するなと言っても無意味だと理解できないらしい。いや、それどころか、こうした店員なのかお客なのかも区別しない段階で騒いで、店を処罰、指導しようと扇動することは、無実の者(この場合その店)を安易に罰してもかまわないという精神の現れに他ならない。
自由主義社会における「言論表現の自由」とは、「たとえ人を傷つけ、害し、怒らせ、不快にさせる事があっても、互いに意見と意見を戦わせて勝ち残っていくものが社会的に通用するという社会の原理である。
参考書籍
「原題 お節介な審問者たち」
邦題「表現の自由を脅かすもの」著者ジョナサン・ローチ
訳 飯坂良明1996年角川選書
汚辱の朝鮮史 ヘンドリック・ハメル「朝鮮幽囚記」書評
ヘンドリック・ハメル「朝鮮幽囚記」より
1655年、日本は徳川幕府四代家綱、李氏朝鮮は孝宗(ヒョジョン)の時代。
父、仁祖は現代韓国では傀儡王とも非難される。清国に跪いて臣下の礼を取らされたのが、孝宗(ヒョジョン)の父である。
この時代にオランダ人ヘンドリック・ハメルら36名が済州島で難破して漂着。彼らオランダ人は帰国を望んだが、なぜか、(非人道的だったからだろう)朝鮮王朝は彼らに帰国の許可を与えることはなく、ソウルに連行して、宮廷守備の訓練都監(フンリョントガム)なる名称の部署に配属した。
そして、宗主国清国の使者が来ると、朝鮮王朝は彼らの存在を隠して拘束していたが、帰国を望んでやまないオランダ人のうちの二名が拘束を逃れて、清国の使者にすがって、帰国を嘆願すると、朝鮮王朝は卑劣にも、清国の役人に多額の賄賂を渡して、黙認するよう求めた。
訴え出たオランダ人二名は、なんとも残酷なことに、朝鮮王朝の手で処刑されてしまったという。
この時点で生存者は33名になっていた。
朝鮮王朝は、彼らオランダに帰国を望む者たちの願いを聞き入れることなく、現在のソウル、から全羅道に移送して兵役に従事させていたが、その待遇は劣悪で、時に物乞いをして飢えをしのぐような有り様だったという。
漂着から二年後に清国の役人に取りすがり、それからさらに、全羅道で過酷な幽囚の日々を強いられたオランダ人たちは、10年後の1666年には、生存者が16名になっていた。多くの者は自殺したり、病死したのであろう。
この年、16名のうち、8名が脱出に成功して、8月、日本の五島列島にたどりついて、江戸幕府は彼らを長崎奉行所に送って事情を聞き、オランダ人たちが帰国を望んでいることを知った。
ここで江戸幕府は、朝鮮王朝とはちがって、オランダ人の帰国の願いを了解してはや、11月には、ハメルたちは、バタビヤに到着したのである。
さらに幕府は、ハメルたちが、まだ朝鮮には8名がとらわれている、というのを聞いて、残るオランダ人たちがさぞ故郷に帰りたかろうに、と朝鮮王朝に対して引き渡しを要求。
おそらく、朝鮮王朝は事を荒立てては宗主国清朝に知られてなにゆえにそういった事を隠して勝手な事をしているのか、と譴責されることを恐れたのだろう、江戸幕府の要求を受け入れて釜山に移送。幕府は長崎の出島にあるオランダ商館に渡して休息を与えた後に帰国させたのである。
この時のオランダ人のうち、ハメルという人物が朝鮮について手記を残していた。
それによると、なんと朝鮮人は、すでに徳川綱吉の時点で、オランダ人に対して「朝鮮が貧しいのは、日本や清国の侵略のせいだと、自国の貧しさの理由を他国のせいにしていた」という意味の事を語っていた。
彼らオランダ人が漂着して、朝鮮に幽囚されていた頃は、1653年頃だから、文禄・慶長の役が1592年から5年間なので、約35年前の5年間のことについて、朝鮮の貧しさを日本のせいにしていたことになる。
ハメルは朝鮮滞在中に、朝鮮人の悪習を目撃して衝撃を受けている。
何らかの理由、酒乱かなにかで夫の暴力にたえかねてか、ある女が夫を殺害して捕らえられた。
その女は、多くの人の通行する道ばたに肩から下を土に埋められて首から上を出した格好にさせられて、傍らにはのこぎりが置かれてあり、通る人は、おそらく見せしめなのでしょう。のこぎりでひくことを強要されるのだという。
今の北朝鮮が公開処刑の際に死刑を見ることを強要されるのに通じる残虐性があります。
ハメルが聞いたところによると、殺した側が夫であった場合には、納得のいく理由があれば、無罪放免になるというのですが、どんな理由なら、無罪で、妻殺しが許されるのかわかりません。浮気、不倫、他の男にてごめにされた場合も強殺されてそれきりだったのかもしれません。
そういった当時の正当な理由というものがなく、夫が妻を殺害した場合には、罪人に大量に水を無理矢理のませるのですが、その水は、死体を洗ったあとの汚く、くさい水なのだそうです。そしてこれを大量に飲ませたあと、腹を思いきりたたいて、胃を破裂させて死にいたらしめる。
また、盗人については、これは非常に多く、足のうらを執拗にたたいて苦痛でさいなんだ末に死にいたらしめる。
朝鮮人の男性は妻をどれいのごとく扱い、ささいなことで妻を追い出すが、ほとんどの場合、子供は妻に連れていかせる。そして後妻にまた子供を産ませるので、人口が多いのだろうとハメルは推測している。
ハメルは朝鮮人の国民性として、非常に「盗み」「ウソをつく」「人をだます」者が多く、他人に損害を与えることは、むしろ手柄、自慢のたねであり、朝鮮人を信用してはいけない、と書いている。
現代に通じるものがあることに驚きます。
ただハメルはこう言っている。
朝鮮はタルタル人(女真人・清国のこと)が朝鮮の主人になるまでは、非常に豊かで楽しい国だったと聞いているが、日本人(豊臣秀吉)とタルタル人に国土を荒らされてしまって、極貧になったらしい、と。
これなどは、現在の欧米のマスコミが日本の「従軍慰安婦20万人強制連行」を鵜呑みに信じていることに似て、ハメルは、朝鮮人の説明を信じて、昔は豊かだったのか、この国はと信じていたことになる。
台頭する反ヘイト 反差別原理主義と言論の自由の危機
環境原理主義、女権拡張原理主義、反植民地原理主義、反グローバリズム原理主義、反ユダヤ国際金融資本原理主義、反市場原理主義、反大企業原理主義
日本ではこれを「週刊金曜日」が「買ってはいけない特集」で模倣。
アラブ人同士の戦争、貧困は西欧と欧米の政策が遠因である。
政府のやることは、何でも、国民を貧困と生命の危機に陥れる誤った政策なので、政府は何もしなくてよく、ただひたすら辞職を願うという人々。
原理主義者だからといって、すべて間違っているとは言えないのだが・・・。
ただ原理主義者と非原理主義者を区別するものは、どんな確信もチェックしなければならないという姿勢のあるなしである。
チェックすることに興味を示さない態度というものは確かにある。
日本共産党の中央委員会集中制、一党独裁制の原理とは、「真理を知る人々」が「誰の意見が正しいのか」を決めるという原理。
証拠がないということこそ、その証明だという論法
- 日本共産党の公式見解によると、慰安婦の「強制連行の証拠はないが、それは犯罪者が証拠を抹殺したがるのは、当然だから、強制連行はあったにちがいない。証拠はなくても」とする。
- ユダヤ人は世界経済を支配している。証拠がないのは、巧妙に証拠を消しているからだ。
- 911同時多発テロはアメリカの自作自演である。証拠がないのは、巧妙に隠しているからである。疑わしい事実は多数ある。
※これは極左も、自称保守もこう言っている。
忘れららがちだが、ある種の社会では、意見の相違を原因として多数の人間が収容所に入れられた。あるいは今でも収容されている。
「合衆国憲法はクリスチャンの人民による自治を是としているのである」
大統領候補パット・ロバートソン
「合衆国憲法は聖書に基礎を置く。人民の移り気に基礎を置いてはいない」
日本人
「憲法は国家を縛るものである。他国からの侵略に抗する武力など、わが国家には持たせない」
「イスラムはあらゆるものを内包し、イスラムはすべてのものを包摂する。イスラムはすべてである。」
「日蓮大聖人の教えは・・・」
「法華経は・・・」
(朝鮮民主主義人民共和国の)「首領様は・・・」
「日本共産党党委員長は獄中○年非転向をつらぬいた・・・」
「マルクス・レーニン主義は・・・」
「日本共産党は唯一の・・・・」
「韓国は世界に例を見ない・・・・」
「正しい考えの人々の確かな存在」がるのであれば、当然、「意見の相違の判定者が誰かは自明であろう」
「悲歌や軽快で陽気な音楽は禁止するべきである。」
「強いられた仕事に従事する人を鼓舞する音楽はよい」
ホメイニ
「精神を高揚させる音楽、青年を前進させる音楽、自分の国を愛することに役立つ音楽がよい」「バッハ、ベートーベン、ベルディは禁止するべきだ」
明らかな真理を否定するものは罰せられるべきだという原理主義者の道徳。
2017年、東京MXテレビという放送局が「沖縄県の基地反対闘争の一部には、県外から日当を支給されて来ている者がいる」というレポートに対して、そこに出演していた司会者格のひとりが所属する新聞社に対して解雇するように迫った。
ソ連のアンドレイ・アマリークは、1960年、「スラブ人同様、ノルマン人も初期ロシア文化に影響を及ぼしたと論文に書いたばかりに、収容所に入れられた。
日本の香山リカという、テレビ出演したがゆえに有名な精神科医は「原発再稼働派は精神に異常がある」と主張。これは原発再稼働賛成からすると、意外な反応だった。
原発容認派は、原発否定派を精神異常とは考えていなかったからである。
戦後左翼の源流 日本共産党「転向」の実相と現代
「転向」についてウィキペディアを確認したところ、到底、本質をとらえる説明をしているとは言いがたいので、ここにまとめて起きたいと思う。
戦前の日本共産党に起きた「転向」の雪崩現象にはふたつの類型があり、その二つの類型はそれぞれに大きな意味を持っている。
一つ目の転向とは、刑務所生活という活動を禁止された状態の中で、自己の思想信条を再点検してみた結果、自分のよって立っていた思想信条のうちの大きな部分の間違いを自覚するという場合である。
もう一つは、思想信条は間違いだとは思わないのだが、死刑ないしは長期の懲役拘束という状況がもたらす集団生活の拘束感、あるいは肉親の被る貧困や社会的指弾に絶え得ないから、刑を免れるために、反省と改悛の念を述べて解放されることを願う、というもので、その場合、再犯すれば、刑は重くなるから、二度と政治活動はするまいと考えているのである。そして内心、生ける屍のような意識を持つことになる。
前者の自己批判はかつての自分の考えの浅さの反省と自己の属していた反体制政治思想団体への非難という形を取るが、後者は、転向しない者に対する謝罪という形を取る。
これに対して転向しない者たちは、前者の転向に対しては、怒り、憎悪、軽蔑という感情を持って対抗するのだが、後者の転向に対しては、軽蔑と憐憫に始まって無視に至る。
獄中にあった共産党元中央委員佐野学は、1932年10月頃から日本共産党の基本方針、ソ連共産党、コミンテルンのありかたについて内省しはじめて、2ヶ月後、検事に心境の変化を告白。検事はもうひとりの大物共産党中央委員の鍋山正親と話し合う機会を提供して、共産党の活動について、なにが間違っていたかを話合わせる。
ふたりは様々な点で自分たちが当時自覚しなかったが今では明瞭に自覚する共産党組織の誤りを指摘してこれを根拠に、二度と共産党に復帰しないことを確約した。
そして1933年6月に転向声明を出す。
この佐野学と鍋山正親の転向声明の内容に共鳴する者はおそらくそう多くはなく、実際は、これをきっかけに多数の後者のタイプの転向が雪崩を打って生じた。
見落とされがちだが、現在の民進党の源流に位置する「左翼社会民主主義者」は、治安維持法の対象ではなく、彼らはソ連のコミンテルンと直接の指導関係にはなく、合法的な議会制民主主義下での労働運動を目指しており、ソ連コミンテルンの指導を受けて日本の労働者を暴力革命に引き込もうとする日本共産党を苦々しく見ていた。
1936年の統計で、受刑者438人のうち、324人が転向して、釈放され、1943年に223人の受刑者のうち、非転向のまま受刑し続けたのは36人。
執行猶予、起訴猶予で獄外におり、政治活動を禁じられていた者があらためて転向を宣言した者は、1940年の時点で4183名のうち、およそ300人程度を残してほとんどが転向した。
河上肇の場合、佐野学の転向声明の一ヶ月後に転向声明を出すのであるが、この転向は、佐野とはまったく意味の違う転向で、「政治活動はやめました。自分は生ける屍として生き続けたいが、党は正しい」というものだった。
このタイプの転向者は戦後に復党するのであるが、獄中非転向組に頭があがらなくなるのである。その典型が詩人の壺井繁治。
戦後日本共産党とは、30人かそこらの獄中非転向組が組織内の貴族、他は心情的な奴隷としての位置に立った上で、後進の指導にあたり、そこに新世代が流入していったのである。
そしてこの大転向時代に最も「転向か非転向か」という迷いの点で無傷だったのが、宮本顕治だった。
北朝鮮に労働党員・抗日戦士・パルチザン・栄誉軍人の子孫が優位であり、独立農民・脱南者の出身家系は下位であるように、戦後初期の日本共産党組織では、この「転向組」「非転向組」が非常に大きな意味を持つことになった。
いったん、転向したが、共産主義を捨てきれず、政治活動に復帰して逮捕された者。
意図的に当局をだまして偽装転向して活動に復帰して、そのまま当局の逮捕を逃れることができた者もあったが、このような場合でも、「非転向組」、とりわけ宮本顕治は「あれは転向者」だと下に見ようとするくらいだった。
本当は転向者なのだが、「非転向組」として通っており、しかも「非転向組」の中でそれを知る者が黙認していることに、内心びくびくしている者もいた。それが蔵原惟人。
自分は非転向組だと優越心の塊になっていた典型が宮本顕治と袴田。
転向したことを恥じて、献身的、まじめに働くタイプが春日正一、紺野与次郎だった。
宮本から見れば、尋問中に当局の調べに応じて共産党の主張を開陳したような者、徳田球一、志賀なども転向という解釈になった。
一般的には、小林多喜二、宮本顕治、蔵原惟人が典型的な非転向共産党員としてまつりあげられている。
ところで、コミンテルンと日本共産党の世界共産主義革命論への批判をして、日本共産党と決別した転向者たちのほうは、なにも「反共資本主義肯定論者」になったわけではなく、鍋山正親ら転向者一同が「これからは一国社会主義だ」と意気盛んなありさまだった。
また、元武装共産党時代の委員長田中清玄は、「将来、日本の赤色艦隊を率いてアメリカの艦隊を撃滅しよう」と鍋山に手紙をしたためた。
これは忘れられがちなのであるが、当時治安維持法の取りしまり側としては、「社会主義」を禁じていたわけではなかった。あくまでも「皇室制度」「天皇による統治権の総攬」の破壊者としての組織が問題されたということである。
※もうひとつの焦点は私有財産の否定。
日本共産党の転向者といえば、社会主義思想自体を放棄したとも受け取られるが、そうではなく、当局が「転向」と歓迎した佐野学、鍋山正親の主張とは、「一国社会主義を選挙によって、実現して、天皇の消極的な裁可を受ける形にする」というものだった。
そして、私有財産は非常に制限したものにならざるをえない、と陳述したので、これは治安維持法に引っかかった。
こうして、実際には、佐野学と鍋山正親は求刑15年の判決を受けているのである。結局二人は、刑務所から逃れたいから、転向したというのではなく、まさに考えが変わったという事を表明したわけだが、それは当時の日本共産党とは相容れないものでもあったというだけのことで、左翼が左翼でなくなったというわけではなかったのだ。
二人は1943年まで、3年減刑を含んで、12年服役した。
ただこの判決から服役の過程で興味深いことが起きているのも見過ごせない。
佐野学は転向声明を出した時点では、実はソ連コミンテルンと日本共産党の基本方針を批判したのであって、社会主義自体を放棄したわけではなかった。
いわば皇室と私有財産制の制限と計画経済の社会主義制度の導入を協調させようというところまでが「転向」の実態だったが、その後の服役中に佐野学は、記紀、万葉、ヘーゲル、ニーチェ、清朝史を読みふける。つまり、刑務所は彼に読書の時間を提供したのである。1940年までこれらの本に没頭し、次に親鸞にのめり込んでいく。その果てに、佐野学は天皇という絶対者の恩寵によって生かされていると考え始める。
つまり、日本共産党の中央委員佐野学は、まず治安維持法によって検挙収監され、沈思黙考の機会を得て、日本共産党とコミンテルンに疑問を持つようになり、そこで転向したが、その転向は「一国社会主義の私有財産制否定論であったゆえに、懲役刑になって、それが読書の機会を提供することになり、さらに大きく考えが変わっていったのである。
鍋山正親も「転向」時点では「これからは一国社会主義だ」と意気揚々としていたのが、その後の長い服役中にまずマルクス主義の文献を読み直し、これはデタラメではないのか、社会主義自体がおかしいのではないか、と考えが変わり、武士道にのめり込んでいくのである。
皮肉なことに、刑務所生活が規則的な生活と読書環境を保証して、佐野と鍋山の人生観を変えるほどの体験が起こったことを意味する。
鍋山は武士道研究の果てに、「資本主義の物質至上主義も卑しいがよく考えると、階級闘争の心底には、資本主義よりもさらに徹底した物質至上観念があり、なおさら卑しい」「武士ならばこういう卑しい思想を世にまき散らしたなどという恥辱に絶えられず潔く死ぬべきものではないのか」と苦悩するにいたる。
鍋山はこうした苦悩のまっただ中で天皇による「三年減刑の恩赦」の告知を受けてこれをきっかけに、天皇帰一の精神にいたる。
興味深いのは、もちろん、天皇帰一の精神が正しいというのではなく、佐野にしても鍋山にしても服役中に必死の思いで書物に没頭して、考えを次々に変えていっているという事実である。
現代人の生活はどうだろうか。刑務所に入る機会はない。かといって娑婆では、実際は人は人生観が変わるほど切迫感を持って読書に没頭することはない。収入を得るために仕事があり、読書時間はわずかであり、娯楽に興じる自由もあるのだから。
こうなると、左翼といい、保守といい、いずれにせよ、それはもしかすると、佐野学や鍋山正親が収監される前の「刑務所の中で読書に没頭する体験」を持たないで、日本共産党の活動をしていた状態にあたるのかもしれない。