戦時中日本共産党と米国国務省・米海軍情報部(KGB工作員)の関係①

戦時中日本共産党と米国国務省・米海軍情報部(KGB工作員)の関係① 外交論文誌アメラジアン(海軍情報部高官の筆者アンドリュー・ロスは、後に機密漏洩容疑で逮捕される) 『延安の岡野、重慶の鹿地亘は、天皇から直接攻撃を受けている。岡野も言うように、…

8月13日ツィートの2

1.樺山紘一 東京大学教授 南京虐殺100万人説紹介者。現代用語の基礎知識1996年に、南京大虐殺の犠牲者数は100万人と記入。 NHK人間大学に出演 2.水島朝穂 早稲田大学教授 水際侵攻阻止のための、浮遊式地雷に反対。 攻撃ではなく、専守防衛でも反…

8月13日のツィート

GHQのソ連スパイハーバート・ノーマンはケンブリッジ大学留学中、共産主義に感化され、インド人学生に共産主義勧誘を行った。NHKはハーバート・ノーマンに関するドキュメンタリーから、ケンブリッジ大学のソ連スパイの件、ノーマンの親友はスペイン内戦に参…

China史ノート 2 高祖本紀 劉邦

「小名木 始皇帝」と動画サイトで検索すると、「始皇帝の一族は日本に来ていた」「始皇帝が目指した理想の国家」という動画が出てくる。 冗談ではない。暴虐の始皇帝が日本と関係があってたまるものか。 始皇帝は儒者を生き埋めにして殺し、書物を焚書。 酷…

China史ノート 1 列伝 3 趙 奢(ちょう しゃ)

参政党顧問の小名木氏は秦の始皇帝が 法治主義、項羽が自由主義、劉邦が人治主義で、以後Chinaは人治主義だという。 中国共産党一党独裁、そして中国人の国民性に低劣な点がある事実はともかく、 以上のような見方は間違いである。 史記列伝に言う、趙 奢(…

China史ノート 1 列伝 2 伍 子胥(ご ししょ)

起源前522年頃、楚の太子、建は、父に追われて鄭国に亡命した。鄭国は歓待したが、建は、晋に行った。 晋王は「建よ、鄭国はおまえを信用している。おまえはもう一度鄭国に行き、鄭国の政策に関与して、わが晋と呼応して動け。晋が鄭国に攻め入れば、鄭国…

China史ノート 1 列伝 管仲(かん ちゅう)と晏 嬰(あん えい)

司馬遷は管仲(かん ちゅう)と晏 嬰(あん えい)を人間像を比べる形で記述した。 管仲(かん ちゅう)は知恵者で浪費家、晏 嬰(あん えい)は人格者で倹約家と評価した。 しかし、この列伝の魅力は、管仲(かん ちゅう)の友人関係にある。 管仲(かん ち…

China史ノート 1 春秋の晋 6 趙朔 ちょうさく

暴虐の王、晋の霊公から亡命した義人趙 盾(ちょうとん)は、亡命後に、従兄弟が、霊公を殺害したので、戻ってきて、晋を再び支える。 この趙 盾(ちょうとん)の子が趙朔 ちょうさく。 王は代替わりして景公。景公の次が成公。 趙朔 (ちょうさく)は、晋の…

China史ノート 1 春秋の晋 5

紀元前600年、晋の霊公。 重耳が艱難の末、秦の援助を受けて晋の王「文公」になったのだが、高齢のため、在位は9年だった。 文公の跡継ぎ、襄公も即位7年で夭折。 ここで跡継ぎをどうしようかという話になった。 太子の夷皋が幼いので、正卿趙盾は晋国…

中国4千年の歴史のウソ

現在の中国共産党の漢民族のある程度の幸福を実現したのは、日米あってのこと。その決定的な理由。 北京の地、即ちChinaの皇帝の名前は、北条時宗の時代から、代々、 クビライ→チンキム→テムル→カイシャン→アユㇽバルワダ→シデバラ→イェストゴン・テムルであ…

韓国の「日本加害者」論はいつまで続くか

むしろ中国共産党政権・北朝鮮がなくならない限り、続く。 中国、北朝鮮があるからこそ、日米韓国に共産主義思想が絶えない。日米韓には金日成主義研究会があり、中国による南京大虐殺プロパガンダを受け入れるグループがあり、米国ポリコレ派・日本共産党・…

ロシア系米国人ユダヤ大富豪アーマンド・ハマー

レーニンはロシアの製造業生産力が未発達だったため、フォード車、トラクター組み立て工場の建設プラント、アメリカ製医薬品を輸入する必要があった。 ロシア革命当時19歳で、1924年にコロンビア大学医学部を卒業した青年の父親はアメリカの共産主義者…

China史ノート 1 春秋の晋 4

重耳の父、献公の26年、斉の桓公は、覇者の地位にあり、諸侯を大招集する。 周の官名で太宰たいさいは大臣のことだった。 太宰治はこの太宰をペンネームにしたのかもしれない。 周の太宰、孔氏は、晋の献公に「斉の桓公は傲慢な人物だから、あなたは行く必…

China史ノート 1 春秋の晋 3

【唇歯輔車】しんしほしゃ 春秋左氏伝 僖公きこう五年 「唇と歯」「頬骨と下顎」のように、お互いが助け合うことによって成り立つ関係 唇亡歯寒 こちらは春秋左氏伝 哀公8年 「唇くちびる亡ほろびて歯は寒さむし」 史記 唇亡則歯寒 献公の代 史記によると、…

China史ノート 1 春秋の晋 2

驪姫(りき)は、晋の献公の寵姫であった。 最初、側室となったことに怯えていたが、だんだん増長。 ついに、太子を罠にかけて自死に追い込んだ。 「太子さま、殿様はあなたの母上の夢を見ましたよ。 母上の御霊をお祭りしてあげなさい」 と言い、太子が母を…

China史ノート 1 春秋の晋 1

司馬遷は、人間を怨念によって動く者としてとらえた。 周王十代の王が、暴虐であった。 臣下たちはクーデターを起こし、王は逃亡し、大臣たちだけで政治を行って、年号を「共和」とした。 周の十二代の王は愛人の褒姒(ほうじ)を溺愛した。 褒姒(ほうじ)…

ヘンドリック・ハメル朝鮮幽囚記と韓国人

ヘンドリック・ハメル朝鮮幽囚記は朝鮮に漂流したオランダ人による朝鮮についての事情を紹介する報告書である。 「彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等に…

ディープステートはあるか。

米国も日本もディープステートがあると思っている人が多い。 なぜそういう発想になる人が米国、日本に多いかというと、端的に言えば、米国と日本の映画・文学には、商人富豪が相互に争うという発想がないからだ。 実際には人間というのは、商人富豪はその家…

源頼朝の源氏の由来

源経基が源の最初 清和天皇→貞順親王→源経基→満仲→大和・河内に分かれる。→頼信 平忠常の乱 追討使に平直方と中原成通が選ばれるが、彼らが失敗したことから、河内源氏が台頭する契機が生まれる。 降伏させることに成功した頼信と頼義親子。 頼信までは度量…

承前 奥州藤原四代と鎌倉幕府

俵藤太=秀郷 何代か後、 ↓ 藤原経清つねきよ 奥州藤原氏 初代藤原清衡 基衡 秀衡 義経をかばう 泰衡 義経討伐の命を受ける の時、滅亡 蝦夷えみし出自の 出羽の清原氏・陸奥の阿部氏が並立。 多賀城が出羽・陸奥を管理。 そこへ、藤原経清つねきよが多賀城…

「安心・安全」「ウエルビーィング」という言葉の流行の意味するもの

菅(すが)を典型とする政治家はじめ行政官、企業広報担当者がスパイ防止法も国軍も核抑止力もない日本において「安心・安全」と平気で言う心理的背景。 世間一般の人間が、総じて安定した所得、安定した家族生活、楽しい消費生活、職業生活への満足に浸り、…

源義仲(木曾義仲)と巴御前

一騎当千の女武者、巴御前は、源義仲の妾とも側室とも云われる。 源平盛衰記によると巴の父は中原兼遠かねとお。 巴は当て字であり、正しい漢字は不明であり、本当の名も不明。 平家物語では「便女」(召使の女)とされた。 平家物語木曾の最期の冒頭にとも…

源頼朝について 2

源頼朝と北条らの決起 以仁王令旨の後、以仁王と後白河上皇側の源頼政が宇治平等院の戦で平氏に敗死する。 続いて頼朝は 信頼を寄せていた土肥実平、岡崎義実、天野遠景、工藤茂光、加藤景廉、佐々木盛綱らをひとりずつ呼び寄せ、それぞれにおまえを一番信頼…

作家 西村賢太追悼

西村賢太氏を「破滅型」と評するべきではない。 西村氏は中卒で家出して以後、職を転々として、劣悪な職業環境、人間関係において辛酸を嘗めた。特に17歳から29歳までの間、それはひどいものだった。 この時期を題材にした小説を書いたころの西村賢太氏…

現代人の流行語「安心・安全」「分断はダメ論」の不愉快

地方議会議員、首長、政治家、企業役員まで、いつのまにか「安心・安全」とやたらに云うようになった。 しかし、日本は国防軍がない。核抑止力がない。 スパイ防止法がない。 「安心・安全」などありようもないのである。 だから、「安心・安全」を期するな…

韓国はなぜ日本よりも発展できないか。

韓国が日本よりも発展できない理由は、大きく差が出た時代の契機は、徳川時代の大名制度だろう。 これで日本は各藩の独立した自助発展・自助努力の余地ができた。 朝鮮半島にはこれがなかったのが、日朝に大きな差が出た。 藩が独自に産業を興す、独自に藩校…

平清盛と源頼朝の時代

平正盛が白河上皇に土地を寄進して取りいっていた。 そうしたところへ、源義親の素行不良が目立ち始めた。 朝廷は父の源義家に討伐を命じたが、義家は老齢で動けなかった。 平正盛が義親を殺し、朝廷の評判が高くなった。 白河上皇の後押しが強くなり、正盛…

人間の多様性と寛容について

人間の多様性とは、数学に没頭する者もいれば、スポーツ、旅、昆虫に没頭する者もいるという事であって、弱者・被侮蔑者が堂々と容認されるようになるという意味ではない。自由の擁護は格差を伴うのである。 何者にも干渉しないことが「寛容」なので、「融和…

ルソーの「人間不平等起源論」と「反自由」

結果平等を目指すルソー以来の左翼思想(北一輝の純正社会主義もそれ)は「反自由」に帰着する。 なぜなら、結果平等を達成するには、権力によって、遺伝・脂質・努力好き・趣味嗜好・親から与えられる恩恵などを剥奪することなしに、実現することは不可能だ…

慰安婦問題 何がどう影響を与えたか。

1970年8月14日付ソウル新聞に「1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓日二つの国の女性は全部で20万人。そのうち、韓国女性は5万人から7万人」(慰安婦とは書いておらず、工場動員のつもりだったのか、慰安婦のつもりだったのか、…