朝鮮戦争は、民主主義国家と共産主義独裁国家との戦いではなく、共産主義独裁主義者と右翼独裁主義者の戦いだった。

 

 共産主義独裁国家は、ソ連一党独裁国家が支援したソ連製戦車約200台を擁して、南の右翼独裁主義者の支配する国に攻め込んだ。

 

 共産主義独裁国家は、1950年半ばに、南の独裁主義者イ・スンマンが北朝鮮に攻撃を仕掛けるという信頼に足る情報を入手した。だから、先制攻撃したのだ、と説明した。だから、この先制攻撃は、南の侵略を防ぐための先制攻撃だと国連に主張した。

 この時、韓国の独裁者イ・スンマンは、アメリカに北との国境に2万名の兵を配備できるだけのライフル銃を援助してほしい、さらには、十分な装備さえ手に入れれば、韓国軍を6週間以内に10万人規模の軍隊に編成して、北に攻入る事が可能だと手紙を出していた。イ・スンマンもまた、金日成と同様、戦争をする気満々だったのだが、先に準備を整えたのは、金日成だったのである。

 

 イ・スンマンは当面、アメリカの援助を受けながら、北からの攻撃を抑止して、韓国国内で独裁者としての甘い蜜を吸い続けるつもりだった事にとどまらない、韓国民衆が戦争の犠牲になる事をなんとも思わない戦争屋だった。

 

 イ・スンマンは戦後、自らの政治資金の調達と、私財を蓄える手段として、日本統治時代に成功して蓄財していた商人をそのまま支援して、そこから政治資金を吸い上げた。これは、韓国国内の社会主義共鳴勢力と貧困層にとって、資本主義的搾取をしてきた国内富裕層の保護を意味した。韓国国内の左翼は、イ・スンマンの反共政策から摘発されることから逃れつつ、イ・スンマンの権力を弱体化させるために、イ・スンマンの財閥保護政策は、「親日売国」政策だと非難して、保守層のゆさぶりをかけた。

 この保守ナショナリズム勢力の富裕層と貧困層の分裂を回避するために考え出されたのが、「独島領有権」主張であり、大東亜戦争の敗戦後、日本国内もまた、対外対立は二度としたくないという政治的トラウマになっていた日本の事情を見越して、イ・スンマンは、愛国者であって、「親日売国の財閥守護者ではない」というアリバイ作りのため、強気で日本漁労民を逮捕抑留して、韓国の保守貧困層に愛国大統領ぶりをアピールしてみせた。

 

 当時、ソ連一党独裁国家で世界革命を広める政治を本格化していたところだから、イ・スンマンの言うように、韓国側から戦争を仕掛ければ、ソ連中国が韓国の侵略行為を指弾し、口実にして参戦してくることは簡単に予想できたので、アメリカはイ・スンマンに対する軍事支援要請には応じなかった。

 

 このイ・スンマンの動きを察知した北朝鮮は、一気に韓国の右翼独裁勢力をつぶして、半島全域を共産主義独裁国家の支配勢力にしようと構想した。

 

 戦争の当初、半島の南を占領した北朝鮮軍は共産主義に参加しようとしない住民を、共産主義社会になればよい社会になると信じる住民の見守る中、後ろ出に縛って自由を奪った。

 その後、共産主義国ソ連、中国に支援された朝鮮の共産主義国家よりも、右翼独裁国家韓国のほうがまだましだ、という判断のもと、アメリカとアメリカと協調する国連軍は、韓国を支援して、半島全域が戦場になった。

 

 アメリカの民間放送局は、朝鮮戦争をテレビドキュメンタリーとして主として二度放送したが、一度目は「忘れられた戦争」二度目は「忘れられた戦争カラー版」と名づけられ、アメリカ社会において、朝鮮戦争は、ベトナム戦争とちがって、「すっかり忘れ去られた戦争」と何度強調してもしたりない戦争だという意識を題名にこめた。

 これは、韓国においても、同じで韓国のマスコミは、朝鮮戦争以後、ただひたすら「日帝36年の植民地支配」と「従軍慰安婦という戦争犯罪」を二大テーマとして、韓国国民に語り続け、北朝鮮のテロ、韓国人の拉致被害、イ・スンマン独裁体制時代の韓国独裁政府から受けた一般市民の犠牲者、北朝鮮が起こした戦争によってはじまった離散家族の苦難については、はげしい運動を起こしてこなかった。

 

 そして、もっぱら、北朝鮮にとって脅威となる米軍基地の存在する日本がいかに、同盟国たりえぬ「戦争犯罪従軍慰安婦問題を謝罪しない国」であることを強調してきた。

 

 韓国の市民団体、マスコミは、朝鮮戦争後、北朝鮮の思想工作にからめとられて、親北左派が支配するようになり、強力かつ巧妙に「民主主義イコール市民運動の尊重」を建前に押し出して、北朝鮮と融和的政策を取る左翼政党を政権につけるよう、営々として努力し続けてきたのである。

 

 朝鮮戦争当時、「日本軍国主義」はもう韓国人が見ても壊滅したはずだった。それなら、朝鮮戦争という戦争は誰が起こしたのか。

 少なくとも、アメリカはイ・スンマンの言う「武器をくれ。北朝鮮に攻め込めるから」という申し出に乗らなかった。そして、北朝鮮金日成もまた、ソ連に武器の供与を申し入れ、これはソ連が申し出をのんだ。朝鮮戦争自体に日本の責任はない。

 というのは、分断それ自体は、戦争にむすびつかないのは、東ドイツと西ドイツをみればわかるように、分断国家は必ず戦争するわけではない。

 

 朝鮮戦争の惨禍とそこで行われた韓国人に対する拷問、殺戮、飢餓、虐殺、貧困、家族離散の責任は、イ・スンマンと金日成にある。韓国人は、イ・スンマンと金日成を糾弾して当然なのだ。ところが、韓国人はそうはせず、ひたすら、子供たちに日本の殖民地支配と「慰安婦性奴隷説」を広報することにかまけてきた。

 

 日本の企業が在日米軍に物資を供給しなければ、戦火は拡大しなかった、という在日の学者カンサンジュンの言い分がある。しかし、戦火が拡大しないということは、当初優勢だった北朝鮮が半島全体を統一して「一党独裁の収容所国家」を樹立するだけのことだった。

 

 「これは朝鮮人が始めた戦争」しかし、韓国はアメリカと国連軍に支援されなければ、北朝鮮に確実に敗北し、北朝鮮は、中国に支援されなければ、確実に敗北するのだった。

 これに比べれば日本は他国に依存して戦争したわけではない。

 アメリカは砂に頭を突っ込んで朝鮮半島に関わらなければ、アメリカ人の青年の命を3万人犠牲にすることはなかった。

 しかし、もし本当にアメリカが北朝鮮の侵略を容認していれば、今頃、朝鮮半島は中国のような政治犯収容所のある言論統制国家になっていただろう。

 

 一方、中国もまた、半島に共産主義国家が存続することを渇望した。

 だから、朝鮮戦争の結末は、戦争以前の状態、共産主義国家と資本主義国家の並存に戻った、その間、多くの人命が失われ、半島の民衆は、家族離散、飢餓、暴行被害を受けることになった。

 このときの被害は、忘れられて、ただ「慰安婦」の賠償と謝罪だけが社会の主要な関心をひくようになっていった。

 

 国連軍とは、トルコ、イギリス、オーストラリア、オランダ軍だった。

 これに対して、北朝鮮にはソ連が武器を供与し、そして中国が北に加勢した。

 スターリン朝鮮戦争が長引けば、アメリカの国力が消耗するとみて、戦争の膠着を望んでいたが、スターリンの死後、ソ連朝鮮戦争から手を引く事を考慮するようになる。

 

 イ・スンマンは1960年まで、独裁者として大統領の地位に居座った末に、民衆に追われた。