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日韓合意と日韓両左翼の仲間割れ

和田春樹語録 2016年3月26日ハンギョレ新聞

 

1953年高校一年生のとき、久保田代表の発言に韓国代表が怒って、日韓会談が決裂した。そのとき、私は、日本の36年間の統治は「朝鮮を日本のドレイと 化し、あらゆる富を、財をしぼりあげたものであった」、「朝鮮人に対してその母国語を話すことを禁ずるという行為にまで及んだ」のであるから、日本側が 「昔のことは、すまなかったという気持」をもつかもたぬかが「日韓会談の基礎であり、根本である」と韓国側が言うのは正しいと考えた。それを初心というな ら、私は今日までこの初心を忘れたことはない。

 

第二ラウンドは2009年日本で政権交代がおこったときにはじまった。日本の運動体が「日本軍『慰安婦』問題解決のための全国行動2010」を組織して、 民主党政府に立法解決をもとめる運動を開始した。しかし、政権についた民主党はこの要望に応じず、立法解決の道が閉ざされた。このとき、2011年韓国憲 法裁判所が慰安婦問題での韓国政府の不作為憲法違反だと判決したことは、「天の助け」となった。同年12月挺対協の水曜デモは1000回に達し、日本大 使館前に少女像が設置された。その数日後の日韓首脳会談で李明博大統領は野田首相慰安婦問題の解決をもとめて強硬な申し入れを行った。これをみて、日本 の運動団体、「全国行動2010」は、2012年2月に花房俊雄共同代表の名で、政府間協議での政治決断による解決をもとめる、解決の内容は、(1)被害 者の心に響く謝罪、(2)政府資金による「償い金」の支給、(3)人道支援という考えの拒絶、の3項目である、ことを発表した。これは韓国挺対協の同意を えていない案であったが、この花房案が日韓両政府に伝えられ、12月28日、斎藤勁官房副長官と李大統領の特使李東官大使との間で解決案が合意された。 (1)日韓首脳会談で合意し、合意内容を首脳会談コミュニケで発表する。(2)首相のあたらしい謝罪文では、「道義的」という言葉を冠さず、「責任を認め る」と表現する、(3)駐韓大使が首相の謝罪文と国費からの謝罪金を被害者に届ける、(4)第三次日韓歴史共同研究委員会を立ち上げて、そこに慰安婦問題 小委員会をつくり、日韓共同で慰安婦問題の真相究明にあたる、というものであった。これを李明博大統領は承認したが、日本の野田首相が承認せず、流れてし まった。

 

 笑止千万。和田春樹は、「一国をドレイ化した」したと言っておきながら、被害国の運動体の同意も得ず、勝手に落としどころを決めてしまっていたのである。

 

 そのことを指摘して和田春樹に詰め寄った徐京植に対して和田春樹は、慰安婦のおばあさんの中で、合意を納得する人がいる場合、それを否定してはならない、と強弁した。

 

 だが、和田春樹がもともと、若き日に「韓国人の主張に同意したのは、慰安婦の被害のことではない。「朝鮮を日本のドレイと 化し、あらゆる富を、財をしぼりあげたものであった」、「朝鮮人に対してその母国語を話すことを禁ずるという行為にまで及んだ」という点についてである。

 この認識を挺身隊協議会が共有しているからこそ、謝罪を求めているのは、慰安婦のおばあさんにとどまらないということになる。

 

 <アメリカの介入があり、ついに2014年3月に安倍首相は河野談話を継承することを議会で明言するにいたった。この時点で、日本の運動団体、「全国行動」と韓国挺対協との協議の結果、慰安婦問題の新しい解決案がまとめられ、>と和田春樹は言うのだが、「解決案」という発想がおかしいのである。

 韓国側からすれば、慰安婦問題は、「解決すべき課題」ではなく、「謝罪と法的賠償をさせることによってのみ終わる問題」なのだから。

 

 「慰安婦問題に国会決議による謝罪と法的賠償以外の解決策がありうる」と考えたのは、和田春樹一派と日本政府と韓国政府だけだった。

 

 この三者の中でもっとも悪質なのは、和田春樹一派である。

 なぜなら、和田春樹こそが、「朝鮮を日本のドレイと 化し、あらゆる富を、財をしぼりあげたものであった」、「朝鮮人に対してその母国語を話すことを禁ずるという行為にまで及んだ」と考えているくせに、最大限の謝罪と賠償なしでもよいと思い込む事ができたからだ。

 

 <運動団体として、生存被害者がおられるいまが問題解決の最後のときだという思いから、日本政府が受け入れうるはずの形を考えて、要求を表現し直したものである。>と、和田春樹は言うのだが、韓国の左翼にとって、生存者が存命かどうかなどはまったく問題にならない。

 

 これは当たり前の話で、妥協して許すよりも、徹底的に謝罪させますからと誓って、墓前に良い知らせを報告するほうがいいに決まっている。

 

 徐京植をはじめ、韓国の左翼反日団体は何年かかろうと、たとえ慰安婦のおばあさんが全員鬼籍に入ろうと、日本の国会に謝罪決議をさせ、特別立法で慰安婦のおばあさんの親類縁者への賠償金支払と徹底した公教育をさせたかった。

 

 和田春樹はそこまでは必要だと考えなかったまでなのである。

「朝鮮を日本のドレイと 化し、あらゆる富を、財をしぼりあげたものであった」、「朝鮮人に対してその母国語を話すことを禁ずるという行為にまで及んだ」と信じているくせにだ。悪質ではないか。

 

 <日韓合意が発表されると、日本の運動体は苦しみながら、現実的な態度をとった。日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は12月29日に声明を出した。まず「日 本政府は、ようやく国家の責任を認めた。安倍政権がこれを認めたことは、四半世紀もの間、屈することなくたたかって来た日本軍「慰安婦」被害者と市民運動 が勝ち取った成果である」と評価した

 

 ばかばかしい。日本政府が責任を認めても、国会決議で認めなければ真に認めたことにはならないのだ。ましてや、公教育で「強制連行」についての教育が義務かされなければ、謝ったうちにはいるか。

 

 筆者自身は、「朝鮮を日本のドレイと 化し、あらゆる富を、財をしぼりあげたものであった」、「朝鮮人に対してその母国語を話すことを禁ずるという行為にまで及んだ」などは、まったくの歴史捏造のいいがかりであり、したがって、日本はいっさい謝罪する必要は無いと思う。

 

 しかし、和田春樹一派と徐京植ハンギョレ新聞、挺身隊問題協議会の対立は明らかに和田春樹の側の負けである。和田春樹のように、日本が謝罪するべき悪逆非道をした、と信じている前提では、日韓合意の日本政府の謝罪は不十分であるに決まっている。

 

 また、被害者たる韓国側が、急いで許さねばならぬ理由はなにもない。

 徹底謝罪という悲願を達成して、墓前に報告しさえすればいいのだから。 

 

<1989年1月、昭和天皇が亡くなった。1月31日、私は、鶴見俊輔、旗田巍、日高六郎氏らとともに、声明を発表した。「歴史の清算がなされないまま、昭 和という時代の幕は下りたのだ」、朝鮮民族に対して、「私たちの国家は植民地支配の清算を果たしていない」と指摘し、植民地支配が軍事力によって強制され たものであると認め、それが朝鮮民族に「計り知れない苦痛」をあたえたことを謝罪するという国会決議を採択するように求めたのである。ハンギョレ新聞は、 2月8日の社説「日本国会は植民罪科を謝罪せよーー知識人たちの『謝罪決議』要求は正当だ」で、私たちの呼びかけを支持してくれた。3月1日には、私たち は、「朝鮮植民地支配の謝罪、清算とあたらしい日朝関係を求める三・一宣言集会」を開き、国会決議をもとめる国民署名運動のスタートを宣言するのである。>

 という大望を和田春樹は放棄して、どうしたのかというと、「不可逆的合意をして、国会謝罪は、とりあえず「無し」にした上で、韓国の国民からの協力を信じて、日本国民の意識を変えるために努力を続けることーーそれが私たちの進むべき道なのである。

・・・・と、言うことに落としどころをつけたのである。

 ちょうしがいいではないか、和田春樹よ。

 もっと責任を感じて、もだえ苦しめばいいではないか。