反嫌韓流の論理

 大阪市立大学教員(2006年当時)朴一氏は、「マンガ嫌韓流のここがデタラメ」の58ページに、「戦後の混乱の中で、解放された朝鮮人や台湾人が民族団体を結成する一方、闇市での利権をめぐって日本人と衝突するようになった」と書いている。

 

 興味深いのは、朴一氏は、「闇市での利権をめぐって日本人と衝突するようになった」というのは、デマだと言っているのではなく、史実として容認しているのである。

 

 他国に移民で来たものが、「敗戦で弱った国の國民の商売人に、「闇市の利権をめぐって対抗する事自体、顰蹙すべきものだ」と思うのだが、朴一氏はそのような粗暴な振る舞いに出た者たちを日本の商売人が嫌悪感を込めて、「三国人」と呼んだ事を、「差別」だと言うのである。

 

 これでは、「金貸しの取り立ての暴力恫喝代行」「脅迫行為」「賭博開帳」「売春仲介」「麻薬覚せい剤」売買といういかがわしい行為を行う集団を「やくざ」「チンピラ」と軽蔑的な意を込めた俗語で呼ぶのが「差別語」だからいけない「任侠人」「渡世人」と呼べというようなものだ。

 

 朴一氏はもうひとつ重要な事実をバラしてしまっている。

 強制連行なるものの定義は、金栄達氏の「朝鮮人強制連行の研究」にあるように、「いわゆるユダヤ人強制連行に見られたような貨車に銃剣を構えて載せて連れて行くようなイメージ」ではなく、「國民徴用令により朝鮮人が労働者として徴用されたこと」を「強制連行」と称している、と説明している。

 

 つまり、なんのことはない、「国語表現として、まずおかしい使い方をしている」としか言いようがあるまい。

 誤解して、ひったてられる情景を思い浮かべる人がなるべく多くいてほしいと願ってつけられた奇妙な表現が「強制連行」なる用語で、これを造語したのは、朴慶植だと、ちゃんと朴一氏は公開しているのである。

 

 そもそも、この問題を考える時に「強制連行」という用語を使う時に、どうしても「ひったてられる情景」が浮かばないほうが日本人の言語感覚としておかしい。

 それがわかっているはずの在日韓国人知識人があえて強制連行の定義を上記のように説明したうえで、さて、強制連行された人数の真偽はいかに、という言い方をする。

 

 だが、「強制連行」という表現自体が異常な誇張だという認識に立つのがまともな日本語感覚を持つ日本人であり、またその一人が鄭大均氏の「在日強制連行の神話」である。

 

 なぜ、鄭大均氏が、「強制連行の神話」というかといえば、「日本語で言う「強制連行」とは、武器によって引っ立てる情景を伴うもので、それに該当する実態はないという事実に着目しているというのが、前提なのである。

 

 これがわからないから、朴一氏は、いちいち強制連行にカッコつきの(労務動員)と付している。だが、労務動員なら、「連行」ではない。

 集団就職、東北農民の季節労働も、召集令状に基づく「応召」も、日本語の語感では、「連行された」とは言わない。

 

 いかに嫌々ながら、でもそれは「連行された」ことには、ならないのが、日本語の語感なのだが、朴一氏をはじめとして在日韓国・朝鮮人はあえて「強制連行」といいたがるのである。

 

 韓陽大学日本言語文化学科教授の鄭夏美チョンハミ氏は同書93ページで、日本人は「中国を中国や中華と呼ぶことさえ忌避し、「支那」と変えて呼んだ」とわけのわからない事を言っている。

 

 では、「隋」「唐」「宋」「元」「明」「清」はどうすればいいのだろう。これは中国なのか?江戸時代の日本人は以上の国々を「中国」とはイメージしなかったから、「支那」と呼んだし、それは欧米人も同じことだったから、「チャイナ」「チーナ」と呼んだから「支那」と呼んだのは、差別でも蔑視でもなんでもなく、単なる大陸の国の総称なんおである。清と呼んだのでは、それ以前の国を含めないことになるからだ。

 

 これを鄭夏美チョンハミ教授は曲解して、「中国を中国や中華と呼ぶことさえ忌避し、「支那」と変えて呼んだと言っている。これはある意味、日本人が差別主義者だという決め付けをするプロパガンダとも言える。日本人の言う「支那」とは、欧米の言う「チャイナ」「チーナ」と等価なのだから、故意に言っているという非難はあたらない。

 

 鄭雅英チョンアヨンという在日韓国人(雑誌「ほるもん文化」編集者)は、「日本の朝鮮史研究会が2003年に「日清戦争日露戦争後に、清國、ロシアともに、韓国に政治介入していない」と声明を出している、と書いている。

 

 この声明が間違っているのである。なぜなら、この声明の意図が不明なのだが、清國の敗北後に韓国人が「独立門」を建てて喜んだこと。高宗がロシア公使館に逃げ込んで、ロシアの属国化が進み、反清、反ロシア思想を持つ人々が絶対王政の王朝に弾圧逮捕された事実は、「朝鮮史研究会」の声明と矛盾することがわかる。

 

 また、鄭雅英チョンアヨンは「朝鮮史研究会」が、「日韓併合時、帝国主義列強が併合を黙認しただけで、正当化できない」というが、これでは、「帝国主義列強」の結んだ「

国際条約はすべて「列強」だったことを罪としてすべて否定されることになってしまう。

 

 第一、この論法は、国際条規を尊重し、学ぶ努力をしてきた日本はダメで、国際外交をかたくなに拒否して、その一方で列強に財政補填のための借金だけは重ねてきた朝鮮を全肯定することになってしまうという、まるで、万引き高校生を、かわいそうだね、かわいそうだねと同情するような意味になってしまうのである。

 

 1957年生まれの東京外大卒業の朝鮮語講師、呉文叔オ・ムンスクもまことに奇怪な事を言っている。

 

 韓国併合後、大隈重信が韓国人一般について「野卑陰険怠惰なる一千万の國民」と書いた事を引用して、「当初から朝鮮を侮蔑していた」と言う。

 

 しかし、「野卑陰険怠惰なる一千万の國民」ではなかった、とどうして確信できるのか、その心境が不可解ではないか。

 

 当時、イザベラ・バードをはじめ、多くの欧米人が朝鮮半島をまわって記録する時、おおおよそ似たような感慨と嫌悪を記しているのも間違いないのである。

 

 少なくとも、まったく「言われる覚えがない」という態度がおかしい。というのも、李氏朝鮮は500年以上も、両班、奴婢体制を続けてきたからだ。両班は怠惰、奴婢は野卑と言っても当たらずとも遠からずだったのである。

 

 藤永壮(1959年生まれ 大阪産業大学教授)は、「植民地支配は絶対に悪である」という理由を「本来対等であるはずの人間と人間の関係を、民族という基準で不平等にしているからだ」と書いている。

 

 とぼけているのか、本気なのか、どちらなのかわからないが、とんでもなくまちがってうる。藤永の基本的論点は、「本来対等である人間が○○という基準で不平等になる」のが、絶対悪だと言っているのだが、この○○に「労働契約」を入れても、雇用関係は、絶対悪になってしまうのではないか。

 

 実際、きわめて多くの労使関係では、被雇用者はおうおうにして、ペコペコし、言い訳を難詰される場合があるのだから、絶対悪と言えないこともない。

 

 事実、韓国では「甲」と「乙」の間柄と言って、まちがいなく、経営者、管理職に対して平の職員は屈辱的な意識を持って職業生活を送っていることが知られている。

 日本もまた、ある程度はそうだろう。

 

 ただ、この「人間間の不平等性のもととなる制度の絶対悪」は、合意があったかなかったかで悪の程度が変わってくる。

 

 黒人の奴隷制はまさしくまったくの非合意と強制であったがゆえに、日本のブラック企業の不当性とはまたケタ違いの悪なのである。

 

 しかし、こうした程度問題があある事自体を、 藤永壮は「絶対悪」のもとに、およそ「不平等」の原因になる関係はすべて「絶対悪」と主張する。

 

 日本人が「韓国併合」は合法だった、国際社会が容認していたと主張するから、これを封殺したいがゆえの無理な論法なのである。

 

 藤永の言っているのは、合法だろうと、国際社会が容認しようと、とにかく、結果的に「植民地の一種ならば、問答無用、それは人間不平等の原因なのだから、絶対悪だ」と言っているのである。

 

 だが、おかしいだろう。藤永は「どんなに努力しても勝ち組と負け組をひっくり返すことができないのが植民地」というが、植民地ではない国、地域に「勝ち組と負け組」を固定する社会制度はないとでも思っているのだろうか。

 

 藤永は韓国が清國の属国で、両班、奴婢の制度で固定化される社会について、「植民地じゃないんだから、平等だよね」と判断するのだろうか。

 

 藤永は「植民地支配」が一人の人間として許せない、と言う。

 ならば、藤永は「両班=奴婢」制度を「一人の人間として許せない」という気持ちにはならないのか、どうか。

 

 藤永は1894年に朝鮮の身分制度は廃止された、最下層身分の賤民もこの時、解放された、と事もなげに書いている。

 どういうつもりなのか。朝鮮の身分制度廃止が藤永にとってこんなに軽いなら、日本のい植民地支配は敗戦で終了したの一言で終わりではないか。

 なぜ、両班=奴婢制度は「人間として許せない。朝鮮両版の子孫は、末代まで、奴婢出身の子孫に謝罪しろ」と言わないのか。

 

 藤永は185ページで「売春をさせることを目的とした女性売買や、女性への詐欺、誘拐事件」の多発は、日本文化の影響だと書いている。

 この見方は、韓国人でさえ、驚くのではないか。

 なぜなら、朝鮮の性的なエロ絵画は、李氏朝鮮時代のキーセンと両班の性描写が題材であり、新羅高麗李氏朝鮮を通じて、貧困社会では、女性が身を売って生き延びなければならない悲惨な境遇があったことは、いくらなんでも韓国人も知っており、なんぼなんでも、それさえも、日本の影響だとは考えまい。

 

 韓国人の味方になろうとするあまり、藤永は李氏朝鮮時代の朝鮮人が品行方正、道義を守って立派な暮らしをしていたが、日本によって汚染されたと考えているらしいのだ。