韓国大統領雑感

日本の敗戦とともに、棚からぼた餅式にもたらされた朝鮮半島の自立は、だがしかし、「汚辱」と「暗愚」の時代の出発でもあった。

 

 「汚辱」とは、李承晩時代の反共大虐殺事件の数々であり、「暗愚」とは、李承晩政権崩壊以後にはじまった1992年までの軍人クーデター首謀者の大統領執権という異常事態を国民の大多数がともに盛り立てたと事を指す。

 

 李承晩政権が12年続いたということ事態が、まず長すぎるという異常性があり、そして、李承晩政権は虐殺、処刑、拷問を多数行い、政権批判を赦さなかったという異常な時代だったが、これがすべて共産主義を防ぐという美名の元に、自己の国家最高権力者の地位にしがみつきたいという妄念の隠れ蓑につかわれた。

 

 また、李承晩は、自己の失政と親日資産家、官僚を温存する言い訳に本来無関係な日本との領土問題を作り上げて、国民の関心を政権批判からそらした。

 また、国民もまた、李承晩政権の策略に容易にのせられる暗愚性を持っており、これは後に、青年たちに糾弾されることになる。

 

 しかし、青年たちのおとな世代の暗愚性の表象であった李承晩長期政権への糾弾は、そのわずか一年にすぎない張勉政権を間にはさんで、朴正煕の軍事クーデター以後、なんと1992年まで、軍事クーデターの首謀者自身が大統領に就くという異常な事態が韓国では、約30年間も続く。

 

 朴正煕政権が18年間、全斗煥盧泰愚政権が合計で12年間である。

 

 ちなみに全斗煥政権時代に「反日独立記念館」が作られて、以後、韓国の小中学生が「反日独立記念館」をほぼかならず見るようになるが、ここでの拷問風景は、まさに李承晩時代に韓国の警察国家体制が無実の嫌疑者も含めて、拷問、虐殺したその現場をそのまま日本軍、日本の警察がやったことに、いけ図々しくも仕立てたあげたものにほかならない。

 

 李承晩自身は在米韓国人一世と言ってよい境遇で、両班出身、李氏朝鮮王朝の世宗の実兄の子孫であることを誇りにしていた。

 

 朝鮮における青年時代にアメリカの宣教師の影響を強く受けたという点では、中国蒋介石国民党の浙江財閥の創業者たちが、やはりアメリカの宣教師の薫陶を受けて、アメリカに留学したうえで、習得した英語を活用して商売をはじめて巨富をなしたのと似ている。

 

 大韓民国が初期におかした大きな過ちは、ジャーナリズムの未発達、国民の法規範意識の極端なまでの未熟、三権分立意識の希薄性、選挙の公正性に対する自覚の欠如などの重大な欠陥があるにもかかわらず、アメリカの大統領制を移入したために、アメリカの大統領制がようやく、掣肘しえている大統領の暴走を韓国の場合、止めるべくもなかったことだ。

 

 1987年6月に起きた全斗煥政権糾弾デモで政変が起きてもなお、全斗煥の右腕でクーデターの主要メンバーだった盧泰愚が大統領に就任することができたのは、25年以上にもおよぶ軍人独裁政権時代に恩恵を受けてきた財閥が、軍人クーデターのメンバーを多数決選挙の形式のもと、大統領に就かせようとしたからだった。

 

 その手段が、財閥の資金力にものを言わせた野党分断工作だった。

 1992年の金泳三政権でさえ、民主化を装っていたがあ、その実は、財閥「韓宝鉄鋼」が巨額政治資金を金泳三陣営に投じて賄賂選挙を繰り広げた。

 それにのる国民も国民だった。

 

 この時の無理な巨額資金拠出がたたって、韓宝鉄鋼は倒産し、これが引き金になって、1997年のIMF危機の引き金になった。

 

 金大中時代に、韓国のエリートサラリーマンとその候補生にとって、英会話は常識になる。しかし、英会話とは、いうまでもなく、英米ネイティブの子どもやチンピラでも自在に話せるという意味では同じであり、英会話ができても、教養、人間性の陶冶とはまったく無関係なのである。

 

 だが、韓国國民はこのことにまったく気づかず、高校卒業者の75%前後が大学進学するようになると、ひたすら英会話習得に執着するようになった。

 

 金大中政権の特徴は、労働組合に力を与えて、経営難の財閥を倒産させた。残った財閥

は巨大化し、巨大化した財閥の労働者は、日本の大企業労働者の平均賃金を上回るほどの高給を得る労働貴族となった。

 

 これが以降、韓国の極端な格差社会の遠因になった。

 

 金大中もまた権力の亡者であったことは、次のような不正を行なった事でも明らかだ。

 金大中政権が「産業銀行」に指示して「財閥の現代」に4000億ウォンを融資。

 この4000億ウォンを「現代」の任意の拠出という形をとりながら、北朝鮮に送金した。金大中がなぜそうしなければならなかったかというと、巨額の資金北朝鮮に贈呈してこそ、金正日との歴史的握手がテレビ中継されるからで、事実、このテレビ中継を見て、在日の学者、姜尚中は感涙にむせんだ。

 

 財閥「現代」グループは経営難に苦しみ、金大中政権の裏工作に手を貸して、以後の韓国政府からの優遇措置を期待していたのである。

 いい面の皮は、韓国國民で、ただ金大中のええかっこしいの実現のために、国富から4000億ウォンが北朝鮮に贈呈され、韓国國民はそうとは知らず、金大中の大統領としての大きな度量によって実現した南北会談だと勘違いして、泣きながら、金大中を讃えた。

 

 金大中は、自分自身が韓国KCIAに拉致された体験を持ちながら、北朝鮮ではいっさい韓国の北朝鮮への拉致行方不明者の問題について触れなかった。

 金大中にとって大事なのは、テレビ放送で、金正日とにこやかに握手をする大物大統領ぶりを韓国國民にみせる事だけだった。

 

 さらに悪い事に、金大中は、自分を批判する新聞社を狙い撃ちして、脱税を摘発した。

 金大中政権は「民主的政権」を自称しながら、軍事独裁政権以来の相も変わらぬ地域出身派閥優遇(湖南出身)の要職独占、大統領親族、家族の収賄スキャンダルが続々と発覚した。

 

 次男、三男も事実、逮捕されたのである。

 

 日本で首相の家族が二人も逮捕されるなど聞いたことがない。

 金大中の政権基盤だった従北左派、労組系の民主党は、金大中に替わる大統領候補を、盧武鉉にした。これは、まるでテレビドラマのような奇策だった。

 盧武鉉は1988年に国会議員に当選した後、3回続けて落選していた「小物」議員だったからである。

 盧武鉉民主党が強く推したポイントは、批判の多かった湖南出身者ではなく、嶺南出身者であり、釜山の貧しい農家の生まれで、学歴は商業高校卒の独学の司法試験合格者で、いわゆる苦学立志伝中の人物で庶民の味方のイメージをアピールするのにぴったりいだった。実際には、非出身の湖南地域が盧武鉉に投票し、出身地の嶺南地区の人々は盧武鉉を支持しなかった。盧武鉉が湖南の金大中の後継者とわかっていたからだ。

 

 慢性的な就職難にあえぐ青年層は、庶民派の盧武鉉に期待を寄せて、絶大な支持をインターネットを通じて呼びかけた。

 

 盧武鉉政権の発足と前後して、民主党は解体して、盧武鉉サポート党たる「ウリ党」が従北左派労働組合系として新結成された。そして、反米政権であったので、米国との不協和音が嫌がおうにも高まった。

 

 この時代にサムスン電子は急成長。週休2日が導入された。しかし、一方でこの時代に韓国國民のクレジットカード負債が急増。400万人が信用不良者になっており、家計負債は2016年までどんどん増加の一途をたどっていった。

 

 また、盧武鉉政権の2003年に韓国の株式市場の40%以上を外国資本が保有した。

 これは同例ではメキシコくらいのものという極めて異例な状況で、こうして、盧武鉉時代に2016年にまで続く韓国の基本問題の端緒はほぼでそろったと言っていい。

 

 盧武鉉もまた、大統領任期終了後、不正疑惑が噴出して、自殺を遂げる。

 

 李明博もまた、四大河川事業が失敗して巨額な債務を韓国の次世代に残しただけで、とりたてて功績もないまま、任期を終える。

 

 嶺南出身者は朴正煕全斗煥盧泰愚で、嶺南とは、旧新羅地域だ。

 

 湖南とは、金大中出身地域。そして、旧百済にあたる。

 

 百済新羅にまず滅ぼされた地域である。

 

 高麗王朝成立の過程で高麗初期政権は後百済と抗争している。

 この時も、百済地域が政権からはじきだされいるので、湖南は歴代政権の中心からはずれてきたので、百済湖南地域は貧困層の代弁者政党が成立しやすいのである。

 

 嶺南地域もまた、李氏朝鮮時代の老論派(ノロン派)が優勢になった時代に、冷遇されるなど、韓国では地域差別が絶えることがなかった。

 

 日本の場合も、薩長閥批判が噴出したが、いつしか地域差別は霧消してしまった。

 

 嶺南軍閥全斗煥政権時代の光州事件の光州市は嶺南から蔑視された湖南地域だった。

 1998年の統計によると、韓国の一人あたり民事訴訟件数は、日本の60倍であり、韓国ドラマがなぜ「だましだまされ、裏切りと喧嘩沙汰」のテーマが果てしなく扱われるか、その一端がかいま見える現実だ。

 

 韓国の反日教育は李承晩以来一貫しているが、全斗煥政権にいたって、反日教育は韓国人に恐ろしいまでのとりかえしのつかない「反歴史意識」を現出させてしまった。

 

 李承晩時代の韓国国内の政治弾圧における虐殺、拷問、処刑の残虐性の記憶、金日成の虐殺、拷問、処刑、朝鮮戦争において韓国民衆うがどのような悲惨な境遇におかれたかについて韓国人が持つべき記憶と関心が全的に消滅して、「非人権的問題意識の対象が日本の過去史」に執着されるようになってしまったのである。

 

 おそらく、李承晩政権から続く歴代の韓国政治エリートたちも、まさか反日教育が韓国のジャーナリスト、文化人、知的國民のすべてに、韓国の歴史の恥部についての記憶消去という異常現象をもたらすとは、想像しなかったろう。

 

 今後、このことに気づいた韓国知識人は、気づいたその都度、背筋が寒くなる思いをするのではないか。