韓国の泣き所、汚辱の朝鮮史
韓国人の泣きどころ。
韓半島には、ひとりの福沢諭吉、勝海舟、西郷隆盛のような人物も生まれなかった。
また、岩崎弥太郎、渋沢栄一のような人物も、榎本武揚、島津斉彬、坂本龍馬に匹敵する人物も現れなかった。
さらにいえば、韓国では、安重根のような日本人暗殺が、ウサマ・ビンラディンのように、次々に反米革命闘争につながったように、後の親日武装闘争につながったかといえば、これも、さしたる継続性をみせなかった。
金玉均のような開化派も、ついに再評価されないままに終った。
日本では、国の最高権威。権力の源泉に位置する人物、が強制的に、武力によって廃位されるということは、基本にはなかった。
韓国では、これが何度もあるのである。
高句麗の王が廃位された。百済の王も廃位された。新羅の王も廃位された。後新羅、後百済、後高句麗の王も廃位された。これらは、半島内部のいまは消失した当時の少数民族同士の戦争と言っていい。また、高麗の場合は、一国の将軍イ・ソンゲが時の王を武力によって廃位させて、王を簒奪して、明国に服属をして朝鮮を建国した。
いわば、典型的な易姓革命によって、李氏朝鮮を軍人が建国したが、その李氏朝鮮時代も、王が繰り返して、武力によって、強制的に追放されたり、王位継承権者が謀略によって、暗殺されるという陰惨な権力抗争が果てしなく、何度も、繰り返された。
韓国では、国の最高権威の王族が、織田信長の青年時代や幕末の島津家のように、一族兄弟の争いを繰り返していた。
皮肉にも、王位継承権者が正常に(少なくとも三代)継承したのは、北朝鮮であり、韓国の場合は、朝鮮半島の政治権力の例の通り、李承晩は追放され、朴正煕は暗殺されるというように、制度的な権力移譲ではなく、しばしば、犯罪に類する卑劣な犯行によって、強制的に地位から退出を迫られたり、自身が収賄によって自滅するトップが引きも切らないのが、韓国だ。
ちなみに、李氏朝鮮時代に王位を強制的に追放された王、強制的に退けられた王位継承権者を次にあげてみよう。
1.第二代王には、八男が王位継承者に指名されていたが、これを武力によって奪いとったのが、五男のイ・バンウォンだった。これ自体が一種の軍事クーデターであった。
この時、建国の功労者の鄭道伝という儒学者も処刑された。
イ・バンウォンは自分が王位に就くのを見越して、果てしない一族の争いを恐れた初代イソンゲを強制的に退位させて、一家の次男を王位に就かせ、すぐさま、ひとつ上の兄と争って殺害した後、今度はバンウォン自身が王位についた。
そして、妻の兄弟たちを次々に粛清していった。ちょうど、現在の北朝鮮の金正恩が姉の夫や側近を処刑したように。
2.イ・バンウォンは太宗となり、次男の世宗に王位を譲ったが、軍の統帥権は譲らず、日本の対馬に攻撃命令を下した。朝鮮民族は、高麗時代はモンゴルの元に日本征伐を提案し、李氏朝鮮時代は、この時に、対馬侵略を行なっているのだが、一般に韓国人、朝鮮総連に属する知識人は、「朝鮮民族は他国に侵略したことがない」というのを常としている。
3.世宗の長男文宗の次王は、その長男、端宗が継いだが、端宗は叔父に脅迫されるようにして王位を奪われて、ついには、毒を飲まされて処刑される。
4.世祖とは、自分の兄の子を王を追放して王位を奪い取り、「甥を毒殺処刑」
した王である。世祖は「いまでいう帯状疱疹かなにかの皮膚病に罹患して、衰弱し、苦しんで、52歳で死亡した。
5.長男は病没。次男も即位後、まもなく、病没した。世祖の妻は、自分の実子がことごとく病没したため、亡き長男の遺児で、その次男(自分の孫)を13歳で王位継承権者にして、亡き長男の未亡人、インス大妃とふたりで協力して女二人で王家を支えた。
6.インス大妃は、息子の成宗の妻と嫁姑の仲が非常に悪かったと言われ、後に王位を継いだインス大妃の孫、ユン氏を、処刑して、後に、王位を継いだ孫にうらまれて、68歳の老祖母として孫に虐待されて、亡くなる。
7.そして、この実母を処刑された恨みを祖母に向けて虐待した燕山君は、クーデターで追放される。燕山君自身、実母は最初の王妃が病没した後に王妃になり、王と喧嘩して王の顔をひっかいた罪で、28歳で処刑された事になっているので、最初の王妃さえ病没しなければ、幸せな側室とその子の立場だった。
燕山君は4年間は、まじめで、それ以後、急に放蕩な生活に陥った。それにつけこんで、チャン・ノクスというキーセン出身の側室を利用して、権力抗争が起きた。
8.この燕山君が、異母弟をかついだ武力クーデターによって強制的に排除されて、31歳で流刑地で死んだ。
9.この時、武力クーデターにかつがれて王位についた中宗の時代がまた、壮絶な内部抗争と暗殺の時代になる。特に中宗の跡継ぎを狙う複数の側室、最初の王妃の実子の面倒を見る継妻とその実子などの跡継ぎなどが複雑に入り乱れながら、暗殺が横行した。
また、継妻の兄弟が政権内の権力抗争で互いの派閥で暗殺をくりひろげた。
10.仁宗は幼少時に会った継母の後ろ盾を受けて、王位に就いたが、その継母の兄弟から、憎悪された。29歳で即位した仁宗はわずか9ヶ月後には病没したので、継母とその一族が毒を持ったのか、偶然か、謎とされる。
11.仁宗の早期死去のあと、継母、文定王后の実子が王位に就いた。(明宗)
12.明宗の後継は甥の宣祖が王位に就いた。
この宣祖は特に好色で、50際を越えてから、少女を妻に迎えた事、秀吉軍の攻撃の際に、民を捨てて、命を永らえるために、王宮一同、北方に批難しなことで有名である。
13.この宣祖の次男、光海君が王位継承するのだが、この光海君がまた、内部抗争によって、武力クーデターによって、王位を奪われる。
光海君は側室の息子だっため、政権基盤が弱く、政権基盤を強化するため、実兄、宣祖の老いてからの実子をいぶし殺して、殺害し父の若き後妻を幽閉した上で、反乱にあって、流刑追放された。しかし、外交では、慧眼があったといわれる。
この光海君をクーデターで、追放した仁宗がまた、王になってみると、女真族の後金との争いが本格化して、朝鮮は国力を見誤り、清国に宣戦布告。逆にたった5日間でソウルを占領されて、全面降伏するという失策をやらかす。
このあたりも、平和一途の国ではなく、交戦しては負け、準備不足では、逃走することの繰り返しの国柄だった。清のホンタイジに三跪九叩頭の礼を行なった屈辱は有名であり、この時、清國に大量の朝鮮人が強制連行されたが、この時の屈辱は、韓国人はすっかり忘れてしまっている。さらに、仁祖は、後に、長男と不和となり、長男を毒殺したか、あるいは、仁祖の意を受けて、宮廷内部の一派が毒殺したのではないか、という謎が残っている。(この謎の解釈は韓国の歴史フィクションで、何度も推論されている。)
14.以後、李氏朝鮮は、清國に面従腹背、腹の中では、清國を野蛮人と軽蔑して、清國に滅ぼされた明国から継承した中華文明の継承を自認して、非常にねじくれた、「
清に対する半属国状態を受けいれつつ、腹の中で文化的優位を確信する」という奇妙な精神性を持つことになった。
15.長男が毒殺を疑われる状態で、病死したので、仁祖の跡継ぎは、次男が継いだ。孝宗である。このあたりは、2015年の韓国ドラマ「華政」に描かれているが、韓国の歴史実録では、毒殺された場合でも、首謀者が誰なのか、謎である場合が多いこともあって、謀略自体がオリジナルのフィクションが多数創作されていて、フィクションが史実と錯覚されて國民に親炙している例が無数にあるようだ。
16.孝宗は、清のホンタイジへの復讐を目指して、軍事拡大を図ったので、やはりこのあたりも、現代の韓国人が「朝鮮人は平和一途の民族」というのに、反しており、むしろ、人並みに軍事反抗の意思のある国だった。
また、この孝宗の清國への攻撃計画を、2000年代前後に「傀儡王仁祖」の脚本家は、「北伐は朝鮮の悲願だった」と説明した。
実力はともかく、気持ちの上では、清國を滅ぼしたいのが、孝宗だった。
ところが、皮肉にもこうして、清國に対抗して拡張した軍事力を清國に対して使う前に、清國のロシア攻撃に利用されて、ロシア征伐の軍事参加を強要されて、断れなかったのは、、現代のベトナム戦争参加、イラク戦争参加と同じだった。
17.この孝宗の長男が、顕宗で、ドラマ「馬医」の時代である。まるでこの時代から、扁桃腺切除のような困難な外科手術が行なわれていたかのようなとんでもない内容の話で、韓国國民を愚弄した「時代考証」放棄のあきれたドラマだった。
18.その子が粛宗で、その側室が、韓国の歴史スキャンダルで有名なチャン・ヒビン、そしてドラマ「同伊トンイ」に「物語化」される。
「トンイ」は、「チャン・ヒビン」の側室スキャンダルを素材に、現代韓国の「女性の社会進出、聡明で自立心旺盛、そして、不遇な環境にへこたれず、職業と恋愛を成就させ、なおかつ、息子をたくましく育てる」という日本の大ヒットドラマ「おしん」を韓国宮廷時代に移し替えたようなドラマだが、東南アジアの視聴者に絶賛された。
19.「同伊トンイ」にも描かれたように、チャン・ヒビンの息子が景宗になり、水汲み出身の「淑嬪・チェ氏」の息子が英祖になる。ドラマでは、水汲み出身の母親が、立派に息子が王になる道筋をつけたようにハッピーエンドに描かれるが、史実では、水汲み出身の母親が亡くなった後、英祖は、実母の出自に肩身の狭い思いをし、また、異母兄景宗派と抗争を続ける。
異母兄景宗は、子どもができず、韓国の俗伝では、母親チャン・ヒビンが、他人と口喧嘩をしていた勢いで、子どもの陰嚢を強く握った事が原因だろう、と云い伝えられている。
20.英祖は、自分の長男を大きな米びつに閉じ込めて、今で言う、熱中症、エコノミークラス症候群の類で殺してしまっている。非常に陰惨で、暗愚である。
21.この米びつで殺された長男の息子が、日本の第二次韓国ドラマブームの頂点「イ・サン」の正祖で、正祖は、英祖の若い後妻の一派に何度も暗殺を仕掛けられた。
また、この時代は、史実としては、当時の学者が、いかに朝鮮の農民が虐げられているかを記録に残した「牧民心書」が有名なのだが、日本の韓国ドラマ紹介雑誌の編集者は、正祖の時代を「古き良き時代」ととんでもない嘘を言った。「古き良き時代」だったのではなく、「古き良き時代だったかのように、美しく描いたイ・サン」だった。
ただ、このドラマは、特筆すべき長所を持っている。
登場人物の正祖の側近「ホン・グギョン」という実在の人物を作者は、青春時代は、大志を持つ有能な人物で、権力を得ると、ご都合主義の嘘つきになってしまい、自滅する人物」という視点で描いている。
その点、同じ作者の「華政」の「仁祖」の描き方も、作者は、「青春時代は大志をいだき、権力を握るとすぐに無能、狡猾の本性をさらけ出して、自己自身に幻滅する人間」として描いている。
実はこの人間観は、現代韓国の立志伝中の財閥オーナー、大統領などに共通する、地位を得たあとに、ぐずぐずの失策に陥って、自殺、失脚に陥るパターンをうまく韓国の大物に見られる普遍人間像の型として、極めてうまくとらえているのである。
韓国ドラマ「イ・サン」も、「トンイ」も、「馬医」も、「六流が飛ぶ」の太宗も、「善徳女王」も、苦労を乗り越えて、何事かを成し遂げた偉大な人物であるかのように描かれるのだが、事実は、すべて、その人物の死後は、まさに竜頭蛇尾そのもので、実際には、後日譚を付け加えるなら、目を当てられないような惨憺たる時代が、次に時代に待っている、というその繰り返しなのである。たとえば、善徳女王の時代がドラマ化されると、「三韓統一という大業」がテーマとしてでてくる。しかし、実際には、新羅が百済、高句麗を滅ぼしたあと、新羅が自滅崩壊して、ふたたび、三分裂したことを思えば、まるで「三一運動」で、「独立という大業」を目指した、なんて韓国人は独立心旺盛なんだろう、と言いながら、朝鮮戦争をはじめて、国家を分裂させて、テロの恐怖に神経をとがらせて、世界の顰蹙を買う時代になった事と相似で、なにを「大望」としようと、大望のあとには、自滅と内訌の惨憺たる現実がやってきたのが、韓国の現実なのである。