麗羅著「体験的朝鮮戦争論」2

1947年の7月19日、呂運享が拳銃で狙撃され、暗殺された。
 南朝鮮労働党慶尚南道委員会の秘密会議にその知らせが入ると、道委員会の委員は、党員に「同士諸君、素晴らしいニュースがもたらされた。あの呂運亨のやつが、今日の昼間、ソウルの路上でくたばった」と会心の笑みを浮かべた。

 左翼陣営の指導者の死を得意満面に語り、またそれを聞くのが、南朝鮮労働党の実態だった。
 新生大韓民国の警察と、民族青年団、そして北から南に移動してきた反共主義の青年組織は韓国国内の左翼を見つけ出しては、苛酷、凄惨を極める弾圧をした。

 と、朝鮮人自身である、ペンネーム麗羅が、「体験的朝鮮戦争」113ページに書いている。

 逮捕してはならない者のリストだけを持って、片端から逮捕したので、留置場、武道場、講堂がいっぱいになった。

 「それは日本の警察が朝鮮独立運動者に施した以上の苛酷な拷問だった。」

 ならば、韓国は独立記念館に、韓国人が韓国人に行なった、日本人以上の拷問を博物館に参考陳列すればいいはずだが、そうはしない。

 韓国では、朴正煕暗殺事件の関係者に対する尋問でも、全斗煥政権下の反対制運動家に対する取り調べでも、激しい拷問を行なっている事は、韓国人自身が公然と書いている。

 拷問は、日本の警察よりも、むしろ韓国の専売特許なのである。

 

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朝鮮民族朝鮮半島の分断と分割の責任は、第一にはアメリカとソ連の両国、二番目には日本に帰すべきだが、同時に朝鮮民族自身はそれら三国よりもっと大きい責任を負わねばならない。」
 悲しいほど、頭が悪い。三国よりもっと大きい責任が朝鮮民族自身にあるなら、第一に掲げるべきは、当然、朝鮮民族であろう。

 姜尚中は、朝鮮半島分断は、日本の降伏が遅く、ソ連侵攻を招いたからだ、と言ったが、

 「解放後の朝鮮民族の左右両極の指導者が、アメリカとソ連の指導者を利用して、自己と自派の利益を増大確立しようとしたこと。

 なによりも、流行の共産主義にかぶれた者が多数いて、反共主義者と暴力的に抗争したことが、朝鮮分断の真因であって、日本のせいでもなんでもない。