韓国の奇習 病身舞

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この動画は韓国の奇習、「病身舞」である。 身体障害者の真似をして踊る事をなぜか、韓国人は好む。そう、「なぜか」日本人には、理解不能だから。 「なぜか」というしかない。こういう意味だろうか、と察しさえつかない。ただただ下品というしかない。 下のドラマは、韓国国営放送KBSの2010年、ドラマ大賞、作品賞を取った、韓国国内としては、最高レベルのつもりのドラマである。その一場面がこれだ。  なんとあくどいことよ。えげつないことよ。    どこまでも、身障をおおまじめに取り上げて、しゃれ(なるわけないか)にも芸術にもなっていないのに、平気でこういう描き方をするその阿呆には心底驚くしかない。     どの面下げて、「被害者の人権と名誉回復、平和を望む市民の意志を込めたい。悲しい歴史が繰り返されないよう、生きた歴史教育の現場として活用されるよう少女像を建立する」なのか。カマトトも度を越している。  

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韓国国営放送は、李氏朝鮮建国の功臣を韓国史上最高の偉人という。 しかし、李氏朝鮮とは、両班と奴婢の国家なのである。奴隷国家を設計した現代のスターリン金正日に似た人物を偉人というとは、さすが韓国国営放送KBS 45日の抗戦の後、降伏を決意した仁祖は1637年1月30日、漢江南岸の三田渡にある清軍本営に出向き、ホンタイジが天子であることを跪いて認めるという屈辱的な城下の盟を余儀なくされた。このときの土下座は三跪九叩頭(さんき・きゅう・こうとう)の礼によっておこなわれた。 これ以後、近代に至るまで、朝鮮は清の冊封国となる。しかも仁祖の長男、昭顕世子は人質として清に抑留された。今も三田渡(現・ソウル市松坡区石村洞)にはホンタイジが立てた盟約碑(三田渡碑)が残る。清軍は50万の朝鮮人捕虜を引き連れて満州に帰還した。この戦争によって朝鮮が受けた損害は計り知れない。

 

 以後、朝鮮は清国の属国になり、毎年、迎恩門で清国の使者を王族が出迎えた。

 独立したのは、自力ではなく、日清戦争によってであり、朝鮮は、独立して、「大韓帝国」をなのった。「大」「帝国」を名のり、皇帝と皇后が生まれた。日本のおかげで。

 明治天皇は、朝鮮人に配慮して、王族の血筋を残すよう、努めて、厚遇したが、なんと、李承晩初代大統領は、日本から王族を迎えようともしなかった。