立花隆批判 「天皇と東大」を読む 9

立花隆著 天皇と東大 批判 第9の書

 

 英国の空軍大戦略、いわゆるバトルオブブリテンにより、ドイツ軍の英国上陸は阻止された。

 日本の左翼は国家総動員体制が日本のファシズムの結果であるように言うが、英国とて同じで、国民が一丸となって、祖国防衛にたちあがり、自ら率先して、軍事工場の動員に参加した。

 

 国民が危機意識を持って全員参加型の戦争体制に入った事と大東亜戦争が間違っていたという判断とはまったく別問題。

 

 国民が全員国を思って戦争に参加した事自体は間違ってはいない。

 ただ英米を敵としたのは、間違いだった。

 理由は、この記事の前半で述べたので繰り返さない。

 

 英国上陸に失敗したヒトラーは、ソ連を支配下に治めて上で、ソ連兵とともに、再度英国上陸を狙えば、英国を屈服させることが出来ると考えた。

 

 ソ連が農業国家で、工業的には、ドイツとの比較では遅れていたから勝利しうると考えたのだろう。もうひとつ、ドイツがソ連に侵攻した理由がある。

 侵略国家ソ連は、1940年6月27日、ルーマニア王国に圧力をかけて、ベッサラビアと北ブコビアを占領したのである。

 

 社会主義ソ連は国際条理を遵守する正義と公正の国でもなんでもなかったが、カマトトの戦後日本進歩的良心派知識人は、ソ連崩壊のその日まで、ソ連を褒めてやまなかった。

 

 朝日新聞スターリンが死亡すると、朝日新聞子ども欄にスターリンのおじさんが死にました、と書いたが、スターリンの基本方針は、ナチスと英国、フランスを戦わせて資本主義国を消耗させること、そして、日本と英国・アメリカをぶつからせて、資本主義国を弱らせることであり、決して「平和」を願ってなどいなかった。

 

 1941年6月、ドイツが独ソ不可侵条約を破棄した直後、日本はただちに、英米戦を辞さない南進策を本格的に国策として決定したのであって、まず、英米戦の腹づもりが生じ、その上で、南進を始めたから、日本の想定通りに、アメリカは強硬策に出てきて、英米戦争したい派は、このアメリカの強硬対応を口実に対米開戦に日本を引きずり込む事に成功した。

 「対英米戦争がしたい」派とは、誰か。スターリンの資本主義列強同士が戦争して消耗すれば、ソ連の得になるという、他国の戦争、他国人の兵士、国民の死は蜜の味という冷徹な共産主義新興国家のトップの思想に同調した者である。

 すなわち、昭和研究会尾崎秀実近衛文麿、風見章、牛場友彦大臣秘書官、日本中枢の共産主義オールスターたちだ。

 

 では、朝鮮戦争後、マッカーサーが上院公聴会で証言した日本の戦争は自存自衛の戦争だった」という言葉の意味は、なんのなのだろうか。

 もちろん、米国の経済制裁に対する、自衛という意味ではない。

 マッカーサーの言っている「自存自衛」とは、ソ連に対する自衛のために、日本は満州のプレゼンスが必要だったのであって、中国侵略のためではなかったと、私マッカーサーは理解するに至った、という意味である。

 

 マッカーサーは、蒋介石が日本の満州権益を認めなかったから、日本はシナ事変を拡大せざるを得なかったのであって、その満州権益は、ソ連の脅威に対抗するためのもので、アメリカが日本の中国におけるプレゼンスを侵略と解したのは、間違いだった、という意味である。

 しかし、マッカーサーの解釈は半ば正解、半ば間違いである。

 たしかに、満州満州事変でより強固に確保した後、日本がシナ大陸に入り込んでいったのは、中国共産党の挑発や通州事件などの日本人居留民の被害などが重なって、日本の世論が中国打つべしに傾いた事、満州を確保して、ソ連の南下を押さえるには、蒋介石を屈服させる必要があったという論理は成り立つ。しかし、実際は、日本軍が満州に軍を陣取った場合にそれを降伏させるだけの力量は蒋介石になかったし、逆に北側のソ連もまた、ソ連の側から満州に撃って出る力量はなかった。しかし、同時に、抑止力は必要だったのである。

 

 ところが、実際に日本がやったのは、満州を手薄にして、どんどん南下して、英米に角を突けていく行動だった。

 

 マッカーサーは、北朝鮮、中国と、両国を背後から支援するソ連の汚いやり口に驚きあきれて、中国、朝鮮、ロシアと長きにわたって対峙し続けてきた日本にいささか同情するとともに、日清、日露、満州事変の「自存自衛の正当性」を理解したのである。

 

 その後の日本南下の不合理性、なんだって太刀打ち可能なソ連ではなく、英米オランダに猛然と向かってあまりにも負担の大きな戦争を決意したのか、マッカーサーにも意味不明だったろう。

 日本人自身でさえ、「無謀戦争に突入した愚昧な軍国主義」「日本人の民族性の好戦性」と無理矢理解釈しているのが実際なのだから。

 だいいち、正しい解釈をすれば、戦後平和主義という日本の半分をおおうほとんど絶対的宗教と化した絶対平和イデオロギーの旗手たち自身、あるいはその先輩、師匠格の知識人自体が戦前、反英米の、戦争に訴えてでも、資本主義の牙城、アメリカに挑もうという思想を抱いていたのであって、平和主義とは、政府与党は戦争をしようとしている悪の党派で、社会党共産党は平和を愛する良き政党、という早く言えば、選挙対策に過ぎないことがばれてしまうのである。

 

 立花隆 「天皇と東大」文春文庫版 三巻 59ページには、次のように、滝川幸辰京大教授の治安維持法批判の論理が引用されている。

「仮に私有財産否認の否認を法律で制定したとしても何の問題もないはずだから、治安維持法で罰される結社は、私有財産の否認を目的とすると言うだけでは足りず、暴力等違法手段によって、それを実現することを目指す結社でなければならないというくだり、なるほどと思わせる。

 下線部分は、立花隆の論評である。

 戦後の日本人は、戦前が好戦的な軍国主義だったというイメージを持って、戦前の悪い点を克服した現在は、「平和主義だ」と思いがちだが、戦前の京都大学のその当時として、一流という学者が、こんなふうに平気で「私有財産の否定」を政治結社が言ってもいいとか、議会と政府が私有財産の否定を法的に決定をしてもそれはそれでいいんだ、という言い分がおおっぴらになされていた時代だとは考えていないにちがいない。

 しかし、これが事実なのである。

 

 立花隆は納得するらしい。

 実際、日本共産党社民党山本太郎の会などの政党、党派が仮にテレビの政治討論の場で、本当に「私有財産廃止は別にそれ自体悪い事じゃない」と、言えるだろうか。

 一般国民の指弾を覚悟して、発言できるか、ということである。

 滝川幸辰は、さらに「いくら、私有財産否定を唱えても明らかにそれを実現する力を持たなければ、「不能犯」になって、処罰の対象にならないという議論も、なるほどと思わせる。」下線は立花隆の論評

 

 ちっとも納得できない。極めて危険な「反自由」「権力によって、個人の財産を奪う全体主義の共鳴者を募ろう」という危険な結社のもくろみを擁護する詭弁にしか思えない。

 

 実際、裁判所は、目的実現の手段が合法的であっても、目的が私有財産制の否定ならば、有罪とした。また、目的実現の能力がないと言い切れないとした。

 それはそうであろう。目的実現の手段が合法的でも私有財産の否定も良いというのなら、「地球市民」「武力完全放棄」「財閥(大企業国営化)解体の思想が国民の間に6割になったなら、それはそれでかまわないということになる。

 そうだろうか。それは、まさにルソーの夢見た庶民の最高権力掌握の果てに訪れる全体主義の悪夢ではないのか。

 

 なぜ私有財産否定があってはならない目標であるかと言えば、かならず、私有財産を守ろうとするかなりな数の個人が現存するのであり、それらの人々の相続の自由、相続を受ける権利を否定し、また、自分が自分で節約して貯めたり、他人より汗を多くながしたり、ぜいたくを控えたり、あるいは運の良さで得た財産を国家権力が奪うという過程なしには、私有財産否定は実現不可能だからである。

 

 滝川幸辰は、内乱罪については、次のように語っている。

 「内乱罪に問われる者は、悪人というよりは、「勝てば官軍、負ければ賊軍」のルールで賊軍になったというだけのことに過ぎない」と。

 「内乱罪の行動の動機は崇高だ」

 

 北朝鮮という国が、単に貧乏ではあるが、また、いささか個人崇拝の度が過ぎてはいるが、人柄の良い純朴な、かつては日本人に植民地支配された人々の子どもたちの国だというイメージしか持たない人は、日本で内乱を起こして、北朝鮮謝罪と賠償をして、友好関係を結ぶことに違和感がないかもしれない。

 

 しかし、現在日本に大量の餓死者もなく、刑事訴訟法によって、無実の罪で逮捕起訴収監される人が極力少ない社会であるところを、北朝鮮のような監視と告発の社会、抵抗も出来ずに家族の罪を家族が連帯責任を負わされて強制労働と拷問を受けるような社会に変えようとするのは、悪人の所行でなくてなんであろう。

 

 現在の韓国極左新聞にも、戦前日本の滝川幸辰京大教授と似た論旨を語る筆者がいる。

 ロシア人韓国研究者でマルクス主義者のウラジミール・チコノフだ。

 

 チコノフは、「パク・ノジャ」というペンネームを使って、韓国人に極左思想を吹き込む。

 2017年2月20付けハンギョレ新聞寄稿

「韓国の民主主義は未熟だ。なぜなら、大統領候補の中に、誰一人として「財閥解体公有化」「失業全廃」を唱える者がいないからである。

 

 チコノフが言っているのは、要するに、企業を全面公有化して、失業者を割り振れと言っているに等しい。また、国家の強制力、警察力で反対する者を協力に押さえ込んで、財閥・個人・株主の所有権をすべて国家所有に接収してしまえ、また、そうしようとしないようでは、民主が実現できない、と言っているのである。

 

 実際、「財閥共和国の基本構造を本質的に変えようとする政治家が主流にならないようでは、民主主義とは言えない」とまで言っている。

 

 立花隆もチコノフも、私有財産を憎悪している。あるいは、私有財産制に価値を認めない。私有財産がなければ、気随気ままに旅行も読書も映画鑑賞もできまいし、ピーチパイも食べられんじゃないか。

 

 ちょうどこうした滝川幸辰京大教授を尊敬するような戦前日本の時代風潮の中で、京都大学の学生はシナの留学生とともに、満州事変への反対運動を起こしたのである。

 が、満州事変に反対する、とは、本当は、中国にとって、万里の長城以北の満州地域にロシア軍が駐留し、このロシアの影響のもとに、政治犯収容所の乱立する全体主義一党独裁国家がシナ大陸に出現する事態の秒読みが始まることを意味する。

 

 そして事実、日本陸軍は米英にぶつかっていった末に、ソ連軍が満州と朝鮮北部になだれ込み、やがては中国大陸と北朝鮮が、一党独裁国家になったことは、歴史の証明するとおり。

 

                            続く

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