立花隆批判 「天皇と東大」を読む 10

立花隆天皇と東大」 立花隆批判 第10の書

 立花隆著「天皇と東大」文春文庫版3巻 72ページには、日本人の歴史意識を混乱させるばかげた大嘘説明が書かれている。

昭和15年ころの日本は、

天皇制が単に一つの政治的社会制度として機能していた時代から、神がかり的にすべての国民のすべての生活を(外面的内面的に)支配する超国家的神聖宗教的制度として機能するように変わっていったのである。」

 

 立花隆はこういう大嘘を、もし、意図的に書いて、日本国民に嘘の昭和15年のイメージを吹き込みたいのだとすると、その動機はなんだろうか。

 

 ここで立花隆が故意か、あるいは単なる間抜けの結果か、書いていない本当の事とは、「超国家的神聖宗教」ではなく、「十字軍の心情によく似た「反英米に特化した好戦宗教になった」という事であって、単に「超国家」ということではない。

 またそれは、陸軍将兵の一部にのみ成立した宗教であって、決して全国民に浸透したものではない。

 

 立花の昭和15年規定は、大嘘であるがゆえに、次のような事実と大きく矛盾することになる。

 昭和15年 太宰治 「駆け込み訴え」「走れメロス」「女の決闘」

       田中英光オリンポスの果実

       織田作之助夫婦善哉

 昭和16年 太宰治 「東京八景」「新ハムレット

 昭和17年 中島敦 「山月記」「光と風と夢」

このような作品を日本の読書人は好んで読んでいたことになる。

 これでどうして全国民が国家主義に内面を覆われていたといえるのか。

 要するにこれは、太宰治のように、特段軍人とつきあいのない人間が、平泉澄きよし流の超反米親ソ「平等主義」に飲み込まれなくて良かったという事でもある。

 小林秀雄は講演会の中で、青年に「天皇についてどう考えればよいか」と質問されて、「どうしてそんな本当のところ、たいして関心もないことについて聞こうとするかなあ。だって本当に心から天皇陛下の事に強い関心を持っているのは、よほどの例外を除けば、宮中の人たちだけで、普通は、本当のところ、天皇について強い関心を持って生きてはいないんだよ。」と言ったことがある。

 そんなものなのだ。

 立花隆の言うような「日本国民のすべてを外面から内面まで神がかりの天皇主義国家主義がおおったなんてことはない。

 おそらく、北朝鮮でさえ、金正恩将軍さまーと心底崇拝している民衆は平壌をのぞいて地方に行けば行くほど、それどころじゃない、食べるだけで精一杯というのが本当だろう。

 いったい、そう簡単に全国民が洗脳されるということはない。

 そう簡単に全国民が洗脳されるなら、ソ連、中国、北朝鮮強制収容所がある必要もない。

 実際にあったのは、全国民への天皇ファシズムの浸透ではない。陸軍将校(海軍もある程度含むが、陸軍のほうがもっと悪質)の主流派のカルト宗教化であり、そのカルト宗教の中味は、反米親ソの本土決戦も辞さない講和なき破滅戦争の思想である。

 ※海軍の悪質性は本土決戦思想よりも、海軍の個々の会戦敗北を隠蔽したところにある。

 

 立花隆は箕田胸喜という孤独な反共産主義の闘士が、○○分○病で○つり自殺した○ガイだった、と書く。

 だが、実際には、箕田胸喜は、「「人麻呂、実朝、親鸞正岡子規、岩野泡鳴を日本人の代表とした。このどこが、超国家主義の狂いの兆候があるのか。

遺族は立花隆の説に反論して、鬱病の末の自殺で死んだのあって、狂死などは事実無根だと抗議したが、立花隆はどうしても箕田胸喜が狂っているように見えてしかたがないらしい。立花隆が反共産主義者に嫌悪感が強いから狂っているように感じるのである。

 

立花隆のような人物が少なくないからこそ、戦後日本は中国に謝罪し、朝鮮・韓国に謝罪したがる人間が少なくないのだとも言えよう。

 

昭和15年頃から日本に起きた事は、立花隆の言うような「超国家主義の内面化」ではない。反共産主義の喪失と反英米の狂気化の陸軍将校への蔓延である。

天皇国粋主義の反米が、社会主義支持の反米と癒着して、ただ反共産主義の意識のみが限りなく縮小していったのである。

 

もし日本の治安維持法満州事変を起こした反ソ連勢力が日本内部の権力闘争で敗れることなく、毛沢東共産党蒋介石国民党をよく見分けて、常に毛沢東国民党をターゲットにすることが出来ていれば、日本の「戦争の悲劇」は史実に刻まれることはなかった。

 

また、自虐史観と「地球市民」の意識もうまれなかったのである。

日教組の委員長が、ソ連の傀儡国家として誕生した北朝鮮金日成首席の銅像建立に寄付していること、日本の戦後左翼が、北朝鮮の拉致犯罪をなかった、と言い続けたことお思えば、ソ連に立ち向かうことなく、米英に完膚なきまでにたたかれて弱り切った後にソ連に侵略された日本がいかに偏狭な人間観、世界観に陥ったかを思えばこの害毒性がwかろう。

 

日米戦争は日本人を地獄に突き落とした。

 地獄でなかった者がいるとすれば、荒木貞夫平泉澄きよし、風見章のような日米戦争に火をつけておいてほっかむりして戦後をぬくぬくと生き抜いた、戦中時代の要人たちである。

箕田胸喜は、そういう地獄の体験を押しとどめようとして志し半ばで反米主義者の氾濫に敗れたのである。

箕田胸喜の故郷、竜北村の村史には、晩年の箕田胸喜が、昭和20年10月頃、「私が戦ってきた共産主義が実際に行われているのを見て、何も言うことはありません」と言ったという記録が残っているという。

 

 箕田はけっして「天皇国粋主義が栄えてよかった」とは言わなかった。

箕田みのだはなぜ共産主義が実際に行われている、と言ったのだろうか。

日ソ中立条約などというソ連を信用して、最後に裏切られて侵略されるということは、米英に負けたら、気息奄々たる日本にどうぞ攻め込んでくれ、という日本の共産主義者の遠謀と言えないこともないからだ。

 

 これに比べて平泉澄きよしの場合は、確信犯であることを明かす発言がある。

「全世界に号令をかけるがごとき傲慢無礼な態度を取っておりました英米を粉砕し」

ソ連ではなく、英米が殊更、皇国の敵になっているのである。

 

続く

 

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