大韓民国建国と日本人和田春樹

大韓民国建国と和田春樹

 

日本、8月15日、ポツダム宣言受諾

 

 この時、日本では、陸軍参謀本部内に本土決戦論がかなり強かったが、本土決戦派のクーデターは失敗して、失敗を見届けた阿南陸相は、クーデターは失敗の失意の中、降伏派の米内海軍大臣への怨みをこめて、部下に、「米内を切れ」と言って、自決。

 

 万一、降伏派が本土決戦派に押し切られて、陸軍参謀本部が権力を掌握した場合には、次のようになる手はずだった。

 

 阿南ら、反米、反資本主義思想グループは、ソ連に日本侵攻を依頼。ソ連に台湾、朝鮮全域、、樺太、千島の献上を約束した上で、ソ連と同盟する共産主義日本の建国を約束し、その上でアメリカの本土上陸を拒否。

 

 次に、アメリカとソ連、日本の間で、ドイツと似たような妥協がなされて、親ソ派陸軍は、福島を境に、東北、北海道をソ連共産圏とする日本列島分断国家が完成する。

 

 この場合、朝鮮半島全域はソ連の衛星国家となる。

 

 史実は、日本の降伏派が、親ソ本土決戦派を押さえ込んで、8月15日ポツダム宣言受諾は有効に機能したのである。

 

 韓国は8月15日を「光復記念日」とするが、9月9日まで、朝鮮の統治と治安の主体は、韓国の指導者たちの上海臨時政府から特派されたものたちの組織ではなく、朝鮮総督府であり、日章旗がかかげられていた。

 

 群衆蜂起も、キャンドルデモもなく、日章旗をひきずり下ろすわけでもなかった。

 

 日本人は、当然ながら、韓国人の書く本を読んだことのない人の法が多い。

 韓国人の書く本、新聞記事を読む日本人の常識では、韓国人、在日韓国人知識人のほとんどの人間の言い分は、「8月9日、ソ連の侵攻前に日本が降伏していれば、半島は分割していない、と言う考えをもっていることだ。

 

 だが、これは、統一の中味を問わない、統一ならなんでもいいはずだ、という発想なのである。

 まず、ソ連がもっと早く侵攻して、半島全域がソ連推薦の金日成支配の国家になった場合、もちろん、激しい地域差別と共産主義政治犯収容所と処刑、餓死の国になるだろう。

 

 アメリカが半島全域を占領して、親アメリカ政権ができた場合でも、史実としてのソ連派韓国人が消えてなくなるわけではないから、親アメリカ国家内部の共産主義者と親アメリカ派との間で、激しい抗争が起こることは免れない。

 

 日本のように(建前とはいえ)日本共産党が議会制民主主義の枠内で活動すると宣言した社会で生きてこそ、安定した統一がありうるかのように、夢想を語ることができるのである。

 

 朝鮮のように、頑強な共産主義がはびこる民族の場合、共産主義思想が廃滅しないかぎり、安定した統一はありえない。

 

 日本でさえ、政治の混乱の基底にあるものは、長らく、親ソ・親中国・親北朝鮮派と親英米派の確執が、基調として続いてきたほど、共産主義の悪影響は根強い。

 

 ※もちろん、アメリカにおいては、露骨なソ連北朝鮮中国共産党支持派はなかったわけだ。

 

 1945年5月15日、ベルリン陥落後、ソ連は一転、ヨーロッパの軍事力を極東の満州、朝鮮、樺太、千島に向けてシベリア鉄道で移動をはじめる。

 

 ソ連はできうることなら、半島全域、北海道、東北にまで入り込みたかった。

 その意欲を実現可能にする状況は、ただひとつ、阿南惟幾率いる陸軍大臣が権力を掌握して、ソ連を日本に引き入れて、日ソ同盟を確認した上で、ソ連を後ろ盾にした形の講和をした場合である。実はこの場合、戦後、全面講和を主張した東京大学の進歩的知識人、マルクス主義教授たちには、大歓迎なのである。

 

 この時、アメリカは、民主主義国家として、国民の息子たちの戦死は、ソ連・中国の10分の一でも、命の重みは大きく、政権に大打撃になるから、アメリカはソ連との大戦争だけは回避したかったから、かならず講和は可能。

 

 日本の社会党共産党支持者、労働組合員は大喜びして、陸軍に感謝したはずだ。

 

 この仮定が非現実に感じるのは、日本がソ連にまったく抵抗せず、日ソ同盟を作る気で引き込んだ場合にはソ連侵攻のすべてが猛烈に早くなることに気づかないからである。

 

 だいいち、ソ連軍が日本に侵攻することそのものは、ヤルタ会談ルーズベルトがおすみつきを与えている。日本本土にまでも入ってきても、ソ連がなんらアメリカに非難される筋あいはない。日本本土に入ってしまえば、後は、米ソが妥協して、日本を分割することになる。

 

 その場合、朝鮮半島は、めでたい統一国家ではあるが、共産主義国家になる。

 

 現実には、朝鮮現地の日本人は、朝鮮の政治指導者、ソン・ジヌとヨ・ウニョンに統治権を渡すから、独立政権を作れ、と言った。

 ところが、なんと、二人は喧嘩を始めたのである。

 

 李承晩と金九は国外亡命中だった。

 

 なぜ喧嘩したのか。日本から、もらったという形ではダメだ、とソ・ジヌ宋鎮禹がいうのである。

 これで、どんどん日延べされた。

 この日延べも、分断の要因である。

 

 宋鎮禹は参加しないで、ヨ・ウニョン呂運亭派が一派だけで、建国準備委員会を作った。

 

 こうして、太極旗が多くの建物にはじめて翻った。

 

 ルーズベルト政権の構想は、格好をつけて「朝鮮を奴隷状態から解放する」と言ったものの、一方、朝鮮の指導者が安定した統治能力を持っていると信用してはいなかった。

 そこで、8月16日、アメリカは朝鮮総督府の日本人に、まだそのまま、統治していろ、と命じて、わざわざ、太極旗を降ろさせて、日章旗をあげさせた。

 

 つまり、日本支配から、アメリカ支配に替わった、とも簡単には言えない。

 

 これらは、朝鮮人の意向とはまったく関係なく、行われた。

 

 朝鮮の人々からすれば、太極旗がかかげられて、また、おろされたのを見て唖然としたろが、これまた、三一運動ほどにも大騒ぎにならなかった。

 

 ポーランド人、フランス人の場合は、ドイツ降伏と同時に猛烈にドイツ人をつるしあげたが、朝鮮人のやったことは、ソ連から逃避する日本の婦女子を襲ったことくらいで、日本の総督府に襲いかかると言うことは無かった。

 

 朝鮮半島島津斉彬坂本龍馬江藤新平高杉晋作のような人物はいなかったのである。両班の出の大地主は結構いたのに。

 

 ポーランド人はさながら、ローマ帝国に抵抗して全滅したユダヤ人のごとく、決死の戦いを挑んで、何千人もが、ナチスに挑み、全滅したが、後にこれをポーランド人は、10月10日を自由ポーランドの日とする。

 

 韓国人が1919年三一運動を大韓民国建国の年としたがる一派が、(一部根強い)のは、8月15日には、戦っておらず、三一運動では、7千人が殺されたと伝えられているということもあるだろう。

 

 三一運動の指導者は独立に失敗して重慶に臨時政府を作った金九である。

 金九の政府は日本に対して大東亜戦争勃発時に宣戦布告はしたが、連合軍は、口先だけであることを確認、まるで気にも止めなかった。

 

 しかし、韓国人にしてみれば、いつもの都合のよい思考態度で、これを根拠に「戦勝国」と認めてくれ、とアメリカに懇願するが拒否される。

 

 韓国のNHKスペシャルに似た番組は、盛んに「光復軍」を準備していたが、間に合わなかった、と強調するのだが。

 

 明治43年2月9日の安重根伊藤博文殺害公判最終意見

「日本の天皇陛下の聖旨は、韓国の独立を強固にすることであります。」

「「わたしは日本4千万、韓国二千万同胞のため、かつ日本天皇陛下および韓国皇帝陛下に忠義を尽くさんために、今回の挙に出たのです。」

 伊藤博文が朝鮮統監を拝命したのは、「日本天皇陛下に対する逆賊行為である」というのであった。

 実際、当時、韓国人の多くは、安重根も含めて、日露戦争を大歓迎。韓国の独立のためだと思っていた。

 

 安重根は、伊藤の暗殺されるに値する罪を「孝明天皇を暗殺したのはおまえだろう」と考えていた。日清日露戦争の戦死者は韓国の独立のために死んだ英霊なのに、おまえが統監になったら、英霊への裏切りだというのである。

 

 韓国を植民地にすれば、いずれ、日本は、世界から包囲されて滅ぶぞ。

 明治天皇の御意志も、日清日露戦争の死者の意思もちがうぞ、というのであった。

 

 日本人のやること、竜頭蛇尾、たしかに、朝鮮統治も満州建国も、朝鮮併合は「対等合邦」満州は「五族協和」だったが、日本人の税金の持ち出しのほうが多く、イギリス、フランスに比べて、遙かにやさしい統治ではあったが、言うほど、対等ではなかった。

 石原莞爾自身が、満州人に対して申し訳ない、これでは、日本人が出しゃばりすぎている、こんなはずじゃなかった、と言った。

 

 そこで、知日派のグルー元駐日大使でさえ、「日本人の驚嘆すべき自己欺瞞能力」とあきれたが、実のところ、政治家、皆、建前がすごい。アメリカの民主主義、ソ連の労働者の国家、「大」韓民国、朝鮮「民主主義」人民共和国。・・・だから、きれい事は日本ばかりではない。

 

 日本は聖人君子ではなく、凡人なのだから、韓国を併合はせず、占領に止めて、満州日露戦争の後のハリマンの申し出に応じて、アメリカと満州を共同経営にしておけば、満州に近い日本と満州から遠いアメリカに間で国力バランスがとれて、日米二国で、ソ連の南下意欲を制することができた。

 

 ところが、韓国併合満州の日本一国支配は、アメリカの急速な工業力の発展に対して、日本の無理な国力浪費をまねく結果になった。なにしろ、日本は、韓国、満州を日本国民の税金で開発して、回収する当てがないまま、国内のマルクスレーニン主義への思想感染がはじまって、亡国の反英米路線の舵を切ってしまうのである。

 

 その結果、アジアの植民地解放と日本の貧困農民の解放を夢見ながら、結果としてソ連をアジアに引き込んで、アジア各国の共産主義者に力を貸した結果になって、「大躍進」の4千万飢餓、北朝鮮の飢餓、カンボジアのキリング・フィールドが現出してしまうのである。これは、反ソの戦略は正しかったが英米との協力の元での反ロシア・反ソという戦略を放棄した日本保守派の戦略的誤りと河上肇の弟子世代からはじまる、日本の良心派はソ連共産主義にかぶれるという悲劇からはじまった、現代のカタストロフィーだったといえる。

 

 日本左翼はいまだに、この自分たちの先輩たちの過ちに気づかずにいて、アメリカ発の格差、アメリカ発の戦争に荷担するな、アメリカ、アメリカと連呼するのは、戦前の親ソ社会主義者とまったく変わらないのである。

 日本人も韓国人も、いまだに、左翼は、帝国主義と植民地、右翼は「国際金融資本」「グローバリズムの金儲け主義」への嫌悪を語る。これは、過去100年間まったく同じである。

 

 三一運動の実態は、天道教キリスト教仏教の指導者たちが主体で、「独立宣言をよみあげて万歳」をするというパフォーマンスは、後に重慶大韓民国臨時政府が、「日本に宣戦布告だけして、実際には、ゲリラ戦もしなかった」と同じ、パフォーマンスだけのもだった。

 

 しかし、これが朴殷植の「独立運動血史」が伝聞情報であるとして、軍隊、警察に鎮圧されたもの7500人としており、これを韓国の保守系知識人を含めて事実と考える人がほとんどである。

 

 この三・一運動7500人犠牲者説こそ、韓国の反日宿痾の根本である韓国人の歴史脳破壊の原因である。その史上まれに見る大罪人三人が、朴殷植(ウンシク)、朴慶植キョンシク)、和田春樹の三人である。朴殷植(ウンシク)は、日本の皇国思想の凶人平泉澄きよしに似た韓国の民族史凶人。朴慶植キョンシク)、和田春樹は、マルクス・レーニン主義者である。詳しくは、別稿で。

 端的に言えば、朴殷植(ウンシク)の無根拠の数字7500人犠牲者を朴慶植キョンシク)、和田春樹が日本人と在日韓国・朝鮮人に二人三脚で宣伝頒布して、これが、日韓で共鳴作用を生んで、「韓国五千年」並の真実として定着した。

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