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民進党の源流

民進党旧民主党)の源流

 

 政治に関心を持ち始めた青年が心の片隅で思うのは、なぜ民進党旧民主党)も社民、共産党も皆、「反原発」「テロ防止法反対」「9条護憲」「沖縄基地反対」など主要論点で一致しているのに、ちがう党なのか、という疑問に思う人も少なくないのではなかろうか。

 

 日本政治のこの構図が生まれた根本は、昭和12年1937年12月の人民戦線事件を考えると把握することができる。

 

 この人民戦線事件は、およそ460人が治安維持法で検挙されたのだが、結果として3名を除いて全員が無罪になった。

 

 無罪になった理由も、民進党の本質を理解するために重要である。

 

 当初公安当局は、ソ連コミンテルンが、日本共産党の党員が公安当局に逮捕されて、共産主義暴力革命の活動を放棄しますという念書を書いて、無事、ふるさとに戻った者が多く、実質的に日本共産党組織の活動が極小になったことから、ソ連が、非共産党系の社会主義、貧困労働者のための社会政策を政府に要求する合法政党、合法労働組合ソ連の指導のもとに置くつもりになったのかと疑って検挙した。

 

 この時、ソ連の真意は、暴力的な内乱革命の覚悟のない者たちは、結局共産革命の宇あら義理者、障害物になるだけだと憎んでいたのだが、世界情勢の激変から、この方針を変更する必要に迫られた。

 

 すなわち、敵視していた非共産党系の「内乱・暴力のない体制内の合法選挙で議会に代表を送り込んでの労働者優先施策」を重視する人々と共闘したいと表明したのである。

 その理由となった世界情勢の変化とは、ソ連の隣国に世界共通の労働者革命を理想とするマルクス・レーニン主義に基づく国家を否定する「民族国家を最大限重視する社会主義計画経済国家」が出現した。その非共産主義の「民族国家重視の政府による計画統制経済重視の国家」は、ソ連を敵視し、その指導者を根絶やしにする懸念のある国家だった。

 

 当時、ソ連は万国の労働者すべての共通の利益と友愛心に基礎を置く人類の進歩と知恵の結晶として生まれた国家だと信じる人はかなりいたが、実際は、ロシア優先の民族国家の国益と覇権を目指す国家に過ぎなかった。

 

 世界各国には、日本も含めて、このソ連に理想を見いだして、我が国もソ連のようになりたいな、と思いながらも、そもそも、ソ連自体が、ロシアの皇帝一族を処刑したり、大地主、大商人をつるしあげ、死刑にする内乱の上で、成立した国だから、各国は、ソ連にあおこがれてはいても、本当にソ連のようになるための実行に踏み切るとなると、現存の体制下の内乱罪に該当して、逮捕、拘留の上、場合によっては死刑、そこまでいかない寛容な国、日本の場合でも、逮捕されて親を悲しませ、失業して収入が激減するリスクがあった。

 それでも、奮い立って、自らの暮らしが崩壊する危険を承知で、非合法組織に入って党員を増やす基盤作りをする者もいたが、こうした逮捕拘留の恐れを回避しつつ、ソ連への共感を捨てたくもないという欺瞞的な人々が世界中にいた。

 

 日本の場合のそれが、人民戦線事件で逮捕された非共産党党員のマルクス主義学者たちである。

 

 ソ連としては、彼らがソ連に共感しつつも、暴力は回避して、保身しつつ体制内の大学の授業でマルクスレーニン思想を教えたり、議会に席を占めて、労働者のための施策を政府に要求していることは知っていたが、彼らに共闘をよびかけたかったのは、彼ら体制内に発言権を維持する者たちに平和運動をしてもらいたいということだった。

 

 なぜ、平和運動をしてもらいたいのかというと、日本やドイツが、内乱革命を成功しない状態で、ソ連の指導者を斬首する戦争を仕掛けてくるのが怖いからである。

 世界中の国民は基本的に夫や息子を戦場を死なせたくないし、敵国が自国よりも強い場合には、上陸、占領されて、殺されたり、樹林されるかもしれないので、どの国の民衆も戦争を嫌う。この根本的な平和への願いを利用して、ソ連指導層は、自分自身がロシア支配層を処刑してつかんだ権力と富と自分の命を守ろうとしたのである。

 

 これは、日本国内においては、単に平和運動としてしか現われない。つまり、暴力内乱を目的とした結社ではない。だから、治安維持法では、結局無罪になった。

 

 ここで注意すべきは、彼らはソ連共闘しようと呼びかけて、平和運動を依頼されたとき、決してソ連指導者のエゴイズムが動機だとは思わず、ソ連指導者の善意を信じていたという事である。

 それでいて、自分たち自身の、体制転覆思想であるマルクス主義を、大学の講壇でのうのうとしゃべってはいい給料をもらう生活を享受するというその矛盾は考えないことにしていた。

 これが、当時人民戦線事件で逮捕された者たちの脳天気な本質だったが、いけずうずうしい事に逮捕されたことがさらに勲章意識、プライドになって彼ら、革命するつもりのない革命思想への共鳴者の立場が、進歩的知識人として祭り上げられていくことになった。

 ところで一方、日本共産党もなんだかうさんくささがぷんぷんする、その臭いの元がどこから来るのかを突き止めるに、興味深い人物が二人いる。

 平野義太郎と林房雄である。

 

 基本的に、現在の日本の社民党民主党党内の旧社会党)の党創設者は、当初から、暴力内乱を否定してはいたが、ソ連に共感していた人、と見ていいし、日本共産党の創設者は、暴力、内乱なしに民衆の幸せは結局実現できないと思っていた人たちだと言ってよい。

 そういう区別でよい。

 平野義太郎と林房雄は、暴力と内乱、金持ち処刑、政治犯収容拷問死刑を積極的に肯定することなしに貧乏人の悲惨な生活を解放できないと考えた人々に属する。

 

 大正時代を通して日本は北朝鮮なんかとはちがって、政府と独立した労働者の自主的な労働環境改善のための研究機関、団体が結成される自由な側面があった。

 

 こうした団体には、暴力革命肯定の思想を持つ人間、暴力革命は肯定しないが、暫時、議会の立法過程に働きかけてすこしづつ労働者、貧困層の生活改善に寄与しようという者が入り乱れて参加していた。

 日本政府は労働組合を合法団体として認めていあたので、日本労働総同盟が組合員からの組合費を拠出して「産業労働調査所」などを設立したりした。

 平野義太郎(よしたろう)という人はどういう人かというと、大学卒業後、この「産業労働調査所」の研究員になって、かたわら、暴力革命を目的とする日本共産党に荷担して、治安維持法で検挙され、やさしく悠長な日本官憲によって、執行猶予判決を受ける。

 北朝鮮や中国、ロシア、韓国軍事独裁政権なら、現体制に反抗すれば、拷問死刑、だろうけれども。

 

 戦後、平野義太郎は何をしたかというと、中国共産党北朝鮮、そしてソ連を守って日本から守ってあげたのである。

 どうやって守ってあげたかというと、日本で平和運動をするということは、日本とアメリカの軍事協力体制の足を引っ張るという事を意味する。

 すなわち、北朝鮮が建国まもなくの頃は、ソ連がお父さん、中国共産党は長兄、その下に東欧と朝鮮労働党の小さい弟分がどんぐりの背比べでソ連の援助を受けているという構図だった。

 

 韓国、日本も共産主義国にしたい思惑を持っていたソ連中国共産党としては、北朝鮮と韓国の戦争では、」ぜひとも北朝鮮に勝たせて、統一させてあげたかったが、その邪魔、大きな障害物が、日本とアメリカの軍事協力体制だった。

 彼らにしてみれば、理想は日本の武力完全放棄、諜報組織なんかもちろん平和主義のもと、作らせない、米軍も出ていかせたい。そして、韓国の軍事支援、産業支援を極限まで縮小して、韓国を弱くさせて北朝鮮に勝たせる。そして、つぎには朝鮮。韓国全体に日本人への憎悪感情を醸成して、朝鮮半島から日本に向けてミサイルを構えた状態で、日本海ソ連海軍の通行を自由自在にする、そうした上で、太平洋から南シナ海、インド洋を制圧して、アメリカを排除したかった。

 

 これは、日本国内においては、共産党社会党の革新共闘平和運動は、日本国民には、戦争はもうこりごり、絶対何が何でも話し合い第一にして、という平和への願いに響くとともに、ソ連、中国、北朝鮮の利益にも合致すり平和運動とともなった。

                           続く

 

 

 

 

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