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崔昌華の一円訴訟 韓国人がでっちあげた人権問題。

現在、マスコミで、韓国人の名前を読む時、現地語に近い読み方をしている。

韓国でも、日本人の名は、日本語の読み方に近い読みにしているそうだよ。

そもそも、漢字を読める人が少ないということもあってそうしたらしい。

 ところで、現在のようになるまでに、変わった経緯として、在日大韓基督教白銀教会の牧師をしていた崔昌華氏が、わしの名は「さいしょうか」ではない、と言って一円訴訟をしたのが影響しているといわれているそうだ。

 この在日韓国人の起こした裁判は、以下のようになった。

  1988年最高裁は『人は他人からその氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を有する』

在日韓国人の氏名を日本語読みによって呼称する慣用的な方法が是認されていた社会的状況の下では違法とはいえない』 損害賠償請求裁判は敗訴となった。

 

 だが、これはこの韓国人の被害妄想から、最高裁まで行く騒ぎになったのである。

 日本人だって、九十九という名字の人が、くじゅうくさん、と別件で裁判所で呼ばれたら、いえ、私の名は、つくもです、あっそうか、失礼、で終わりだろう。

 

 御手洗(みたらい)という名字があるが、これも、おてあらいさん、と呼ばれたら、裁判起こすか?

 現在、韓国語読みに近い、カタカナをあてて読む慣行が定着しつつあるのは、日韓関係が貿易、文化、観光面で密になって、ああ、この漢字はこう読むんだな、という人が増えてきたのが、前提で、人権問題でもなんでもない。

 

 読めないから、崔昌華は、さいしょうかで、いいかな?くらいにしか考えなかったのが人権侵害だとうなら、九十九をくじゅうくと読むのも、人権侵害になってしまう。

 

 わたしは、むしろ、現地読みが可能なら、現地読みでいいと思う。

 というのは、朝鮮日報の記者には、

韓三熙(ハン・サムヒ)

姜天錫(カン・チョンソク)という人がいる。

これ、日本語読みで読めるか?「かんさんぴ」「かんさんき」なのか、迷うだろう。

姜天錫も、「きょうてん」までは、無理に読めるが、「錫」の字、なんと読むかわかるまい。実際は、韓国人の名前、日本語読みの不可能な日本人にとって、見たことのない漢字もかなり多いのだ。

 

 そうかといって、韓国語読みもわかるはずがない。

 結局は、無理矢理、てきとー読みするか、現地語の読み方を知っているひとに聞いて、韓三熙(ハン・サムヒ)をハン・サンヒ、となるべく、現地語に近づけるのが合理的で、少なくとも、デタラメ読みにはならない。

 

 その前提に、韓国語を解する人間が国内に非常に多くなったということがある。

 そういう便宜の問題にしかすぎないものを意固地な韓国人が、人権問題に仕立てたのが、崔昌華の一円訴訟なるもので、さいしょうか、チェ・チャンファは、人権問題を日本に問題提起したつもりになって大まじめになっていたのである。

 

 ちなみに、崔だって、現地読みでは、チォエチャンホアらしい。しかし、冗談じゃない、そこまで、正確に発音しろと言われても、無理。そこで、なるべく近い読みで、チェ・チャンファと読む場合もあるだろう。少なくとも、通訳から読み方を聞く機会のあるマスコミは。そして、マスコミが言っているのを聞いた日本人は、ああ、そうか、「朴」は、パクなのか、とわかっていくわけだ。人権問題でもなんでもない。

 

 外国語の知識の問題なのだ。それを韓国人の変わり者が人権問題にする。