大東亜戦争の学者たち 河合栄治郎と蓑田胸喜

大東亜戦争の学者たち

  私たちは現在の知見では、孫文の妻と蒋介石の妻が姉妹だったこと、その姉妹の弟と父は当時のアメリカの有数の華僑財閥宋ファミリーで、宋ファミリーはアメリカの議会に中国国民党を支援させる方向でロビー活動をするだけの力量を持っていたことを知っているが、戦時中の陸軍も、東京大学の教授、そして大方の日本のジャーナリストも、そうした背景を知らずに国策の賛否を侃々諤々語っていたと思われる。

  それだけテレビもインターネットも無い、情報疎通の劣悪な環境の中での試行錯誤だった。また、当時の時代状況では、国際関係学、地政学を知悉する知識人は,極東の,帝国大学創立後の歴史も浅い日本では、まだ皆無に等しかったという事も、冷徹な日本不利の分析を、潤沢、かつ早めに提示することがかなわなかった、という悲劇もあった。

 

 企画院や軍の分析班がシミュレーションで日本敗北を予想しても、それが国民一般に知らされるようなマスコミの普及という条件も無かった。

 日中戦争前後、思想上の暗闘を繰り広げていた知識人として、代表的な大学教授としては、河合栄治郎、箕田胸喜。大内兵衛平泉澄きよしなどが特に目立つ活動をしている。

  河合栄治郎なども典型的に、圧倒的に不足する国際関係学の経験不足を押して、手探りで政府批判をしている。今なら、新聞の投書欄に一般人が書きそうなレベルの低い政治情勢論を、当代最高のインテリのつもりで書いているのである。河合は1934年に出版した「ファシズム批判」に、「アジア諸国は独立を回復することを熱望することは確かである。しかし、日本の力を借りることには賛成しない。英米を排して日本を代わりに引き込むよりは、むしろ彼らは英米をえらぶだろう。」と書いた。

 

 むちゃくちゃな主張である。これでは、植民地解放戦争の論理を破れるはずがない。

 当代最高の知識人という地位の幻想におぼれたおごりがこういう馬鹿げた文章を発表させたのだろうか。

 

 独立をなぜ熱望するのか。熱望するとすれば、英米・フランスの支配が過酷だからではないのか。事実、フィリピンでは、アメリカ軍がゲリラ弾圧の過程で民間人20万人を餓死させてしまった、とアメリカは、戦後痛恨の調査結果を出した。

 にもかかわらず、日本に扶けてもらうくらいなら、米英をアジアは選ぶだろう、などとピントのはずれたことを言う。

 今なら、アジアの植民地など、英米に勝てるならともかく、いい話をするな、いかに植民地の人々が呻吟しようと、彼らは彼らにまかせておけ。日本人は満州五族協和に専念して、ロシアの南下の脅威から北東アジア諸民族と日本人を守るべきだとでも言うのが正しい。

  だが、河合栄治郎は、被植民地のアジア人は、日本よりも英米につくなどというくだらない論理を主張して、日中戦争肯定論者をいらだたせただけで、河合栄治郎の思想は、ソ連満州侵攻の危険性にはその洞察力はとどかなかったのである。

 社会民主主義者の河合にかみつき、マルクス主義の学者には、もっと凶暴にかみついたのが箕田胸喜という反共産主義の闘士だが、箕田胸喜もまた、河合同様、そもそも、当時の日本に英米自由主義思想の神髄を学べるだけの盛んな留学環境も、英書。米書の輸入は豊かだと言えない中での奮闘をして、反共と皇国思想にすがった。

 ※ただし、蓑田の皇国思想は当時としてそう狂ったものではない。平泉澄きよしの皇国思想は故意かと疑われるほど、大仰で、きちがいじみた皇国思想だった。

 

 簑田胸喜は、なけなしの研究環境で、それでも、ソ連全体主義と革命の非人間性、道徳の破壊に気づいて、必至で、満州事変その反ソ連を意識しての戦略の正しさを理解しない意見を言う者を目の敵にした。

 

 箕田のソ連共産主義への危機意識は東京大学京都大学に蔓延するマルクス主義系の経済、法律、の勢力のあまりの多さ、そしてそこから、ジャーナリスト、労働組合、政府官僚に共産主義者が入っていくことへのいたたまれなさから、そうぞうしいまでのアカ狩りに狂奔するが、それは、黒沢明の映画作品「生きものの記録」の主人公の老人が、核戦争の予想をひしひしと感じて、脂汗を流しながら、財産を売り払って家族皆で引っ越そうと言い出すと、家族からお父さんは頭がおかしくなったのだろうか、とかわいそうになるほど、必死なものだった。

 箕田胸喜の反ソ連、反共産主義は、戦後、マルキスト戦後民主主義者の評論家に憎悪と侮蔑を持って回想されたが、箕田胸喜を批判できるのは、日本が一党独裁国家の共産主義国家になったことがないからにすぎない。

 箕田胸喜の心配そのものは正しかったのである。

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