大東亜戦争と日本の戦後 東條英機と石原莞爾

15年戦争

 石原莞爾東京裁判で裁かれなかったのは、おかしいとする説が、愛国者の中にはある。特に東條英機断罪に反発する立場から、素っ頓狂に石原莞爾こそ、戦犯、火付け人ではないか、というのである。

 むちゃくちゃである。

 民族派には、東京裁判自体、眉唾もの、という立場と、石原莞爾のほうが、東條よりも悪い、東條はただ、懸命に対処しただけ、という主張がある。

 

 日本は奈良時代一貫した国家意思が貫いているわけではないように、明治以来も、時々の為政者によって、国策は大きく変わっている。

 

 満州建国は、意図においても、結果においても、ロシアの権益拡張に大きく関わる。 

 満州国があったことによって、ソ連のアジア進出の障害になり、日本敗戦によって、満州という障害が消失したと同時に、中国共産党政権が膨張し、北朝鮮が生まれた。

 当時、このことを知る満州人もかなりいて、珍しいわけでもなかったと推察されるのは、鳴霞(めいか)という満州族出身の中国人ジャーナリストが、「自分の両親は、子供の自分に、日本軍は満州をロシアから守るために、何万人も戦死したんだよ、と日本軍に感謝していたのだという。

 

 この意図が日本の為政者から喪失して、満州国をほっぽり出したのが、シナ事変からである。

 ロシア国境から離れれば離れるほど、日本の「ロシアから満州を守るための進駐」の意味は漢民族に理解できるはずもなく、また、ある意味正しい。シナに日本軍が散らばれば、満州を守れるはずもない。

 

 これに対して、韓国の9割とも推定される知識人は、明治以来から敗戦までを一貫したシナ・朝鮮支配欲の継続と解釈し、日本共産党はこれに同調している。

 この韓国知識人の見方の前提になっているのは、ロシアが日本、朝鮮の開国当初、清国と日本よりもはるかに大きな強国だったという事を考えたくもない、面倒で仕方が無い、という態度である。

 

 日本共産党小池晃が、韓国の見方は日清、日露は日本の侵略、と強調してやまないのは、日本共産党お家芸が、国民の「みんな仲良く、さあ手を結んで」という意識に迎合するのが習い性になっているからで、史実もなにもまったくどうでもよいのが共産党

 

 朝鮮というのは、歴史上、一貫して、自国を外国から守るという強烈な意思を国家として、持続したことがない奇妙な国である。

 ※三別抄だけが、唯一の例外的な集団抵抗の例だが、高麗王を奉戴しての抵抗ではなかった。

 

 猪木正道をはじめ、旧民社党ブレーンは、「パリ条約違反」を根拠に満州事変を非難し、ロシアの南下脅威への関心を縮小する。

 同時に日本人は、狂った、とする。

 司馬遼太郎もそんなものである。

 たしかに、狂った、というのはあながち間違っているわけではないが、その狂った、という表現にふさわしいのは、東條英機の少将、近衛の貴族院副議長時代、木戸幸一の内大臣府秘書官長に、近衛の推薦で就任した頃から、昭和7年頃から、平泉澄きよしが陸軍士官学校で誇張した皇国思想を吹き込んだ事をきっかけに陸軍将校中心に「講和無き反英米心情がふくれあがる。

 

 昭和6年満州事変から昭和8年5月の塘沽(タンクー)協定あたりまでは、まだ正常だが、平泉澄きよしは、着々と陸軍の次世代将校を反英米派に向けて誘導中であった。

 

 日本共産党の支持者には、何の勘違いか不明だが、尾崎秀実は「大戦争を防ぐために必死で工作した」と言う見解が(ネット上の日本共産党の講演に出席した党員の感想)見受けられる。尾崎秀実は、日中戦争の悪化の世論誘導をした事、ソ連に日本が日中戦争にのめり込んで行って、ソ連に向かわない・ドイツのソ連戦に加勢しないという情報を流した事は紛れもない事実である。

 平和工作でもなんでもない。

 

 中国をもっとたたけ、とはっきり言っていたのが、尾崎秀実で、理由は、英米の権益と衝突させ、ソ連に対する関心を英米にむけさせ、日本を消耗させるためである。

 

 以上のような認識は、皮肉にも蒋介石国民党もまた、かなり中国民衆から嫌われる所行をなず、兵士だったこと、台湾に移っても蛮行を為した国民党軍だったために、あたかも、日本軍の中国における戦いが正義の戦いであったかのような印象も生じて、認識の混乱を生じさせた。さらには、武田泰淳竹内好らの親中派の文学者、作家が中国民衆の純朴制を基準に日本軍を非難したために、日本の侵略性に焦点が集まって、尾崎秀実、昭和研究会らの、日本軍を蒋介石にぶつけて英米に衝突させて壊滅させて、ソ連樺太、千島、満州朝鮮侵略をやりやすくしようという意図が、遠景に引いてしまった。

 

 ソ連のアジア進出によってこそ、中国共産党政権の確立は可能になるからである。

 そして、中国共産党政権、朝鮮労働党ソ連共産党の支援は、アメリカが遠慮すればするほど、日本の共産主義の政権獲得の寄与する。

 

 戦後日本に多数の北朝鮮派、従北韓国との提携派、親中国派が存在する現実は、このソ連の思惑は半分実現したことを意味する。

 ただし、ソ連共産党自体は崩壊して、ソ連の残した日本左派化計画は、親中国共産党派の日本人と反日半島人と提携する日本人勢力を定着することに寄与することになった。

 

 ソ連自身は崩壊したが、ソ連は日本に「80年殺し」を仕掛けた。

 ソ連の工作なしに、現在の親中派、親半島派日本人は存在しないからである。

 

 親中派、親半島派がなくなるためには、中国共産党政権が崩壊して、自由な選挙と自由な言論のある政党分立の小国家に分立すれば、それでいい。朝鮮半島は・・・どうなのだろうか。この半島の国がまともな国になることはあるのだろうか。

 

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