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辻元清美議員と極左労働組合関西生コンの黒い関係

以下は、戸田 久和(とだ ひさよし大阪府門真市議会議員(革命21)。全日本建設運輸連帯労働組合連帯ユニオン近畿地方本部顧問。による解説。

1;関生(かんなま)は1965年に「全自運関西地区生コン支部」として出発した時から(その前史も含めて)  一貫して共産党員が委員長初めとする役員の大半を占める、共産党直系の労組でした。   現場叩き上げの生コン労働者が共産党から教育を受けて労働運動や政治運動に邁進し、共産党党員になって、  共産党の指導と指揮に従って労組活動をしてきました。     昨年10月の武委員長の講演の記録を見ると、共産党との分岐当時、関生には共産党員が500名くらいいた  とあります。   講演では「・・事実は関生党員みたいな性格が強かった。 共産党の攻撃の時には、その99%が共産党を脱  退しました。」ともあります。 2;関生労組は出発時点から職場のヤクザ支配と熾烈に闘わざるを得ない状況があり、現実に会社が雇ったヤク  ザに2人が殺されているし、武委員長も拉致監禁されるなど少なくとも5回は殺されかけています。ヤクザ  に暴行・脅迫された例は数え切れません。     そういう闘いを経て、やがては「山口組も手を出さない」ほどの闘争力と力関係を作りあげていきましたが、  それはまさに血と汗に色どられた苦闘の歴史です。 3;そういった修羅場を何度もくぐった労組ですから、公務員比率がどんどん高まった共産党労組の中では「最  も頼りになる実力部隊」であると同時に「異色の存在」でもありました。     特に武委員長の卓越した指導力・構想力はありきたりの共産党指導の枠に収まり切らず、共産党と武委員長  サイドとのあつれきが広がっていきました。 武委員長のカリスマ的指導力とそこへの多数の労組員の心服を  指して共産党は(外部の人も)「武一派」・「武一家」とも呼ぶほどでした。

4;生コンの労働運動の進め方では共産党とのあつれきが生じていたとは言え、イデオロギー的には「日本共産  党」のイデオロギーが正しいものと、関生役員(共産党党員)は長らく考えてきたわけですから、60年代後  半~70年の世界的激動期にあっても、関生は「新左翼」や「全共闘」とは全く無縁で、「あんな奴らはトロツ  キストの跳ね上がり分子だ」的にしか考えなかったわけで、例えて言うならばその時代にソ連東欧圏での民主  化運動弾圧に動員された「筋骨たくましい炭坑労働者」みたいな位置にあったでしょう。

5;共産党との分岐が決定的になったのは、関生労組の「ヨーロッパ型の産別労組」としての運動と組織が大前  進したことによって、中央財界にまで強烈な嫌悪と危機感を呼び起こしたことによる80年頃からの組織破壊  的な連続弾圧を受けてのことでした。     当初「弾圧糾弾」の姿勢だった運輸一般や共産党が、82年11月には運輸一般中央本部にガサ入れされたこ  とで、このままでは共産党本部にまでも弾圧が及び、共産党攻撃宣伝で総選挙対策上も非常にヤバイ!、と危  機感を強めて、「弾圧される側にも問題がある」、「社会的良識に反する、とかくの風聞がある」という対応に  変化して、「運輸一般中央本部12・17声明」なるものを当の運輸一般中央委員会で諮る前に「赤旗」紙上で  発表する、というほどの支離滅裂な引き回し(共産党お家芸!)を行ない、83年には共産党追随グループ  が関生の分裂デッチ上げ集会を強行し、双方の対立が猛烈に激化してこれに権力の介入弾圧も加わる(もちろ  ん共産党の告訴告発戦術による武委員長らの関生への不当弾圧で)という修羅場になっていきました。      対立の中で武委員長らの500人以上の共産党員が共産党から離脱しています。   また逆に共産党追随の分裂裏切り分子を関生労組から除名などもしています。     そうして84年3月の支部臨時大会で運輸一般と正式に決別し、組織名称を「関西地区生コン支部労働組  合」とし、9月には総評へも加盟した。       そして新たな全国組織の結成を模索して、「総評全日本建設産業労組」と関生、そして東京の大有生コンの  3者が合流して84年11月に「全日本建設運輸連帯労組」が結成され、翌85年1月(!)にはこの連帯労組  の近畿地本が結成された。   また3月には運輸一般東京地区生コン支部静岡県セメント生コン支部も連帯労組に合流した。

6:労働戦線の右翼統一たる「連合」の誕生については、全民労協を経て民間連合が結成されたのが87年、官  民を含めた連合が正式に発足したのが89年ですから、関生の共産党との分岐はそのはるか以前です。     また、千人を超える規模で(分裂時直前には3千人)労組が共産党から左分裂したのも異例だし、それが  ずっと「階級的労働運動」の旗を掲げる左翼でやっているのも、日本の歴史  においては超異例なことです。

7:共産党系以外との交流を実質的には禁じられていた関生を総評・社会党ブロックとの仲介の労を執ったのは、  共産党中国派を出自とする「日本労働党http://www.jlp.net/ でした。     労働党と関生はずっと友好関係にあり、各種集会では「政党」として挨拶してもらうし、同党がお膳立てし  た「自主・平和・民主のための広範な国民連合」  http://www.kokuminrengo.net/ には設立当初から役  員・会員を送り共同しています。  (ちなみに戸田も「国民連合」設立当初の93年からの会員)

8;共産党との分裂、総評ブロックへの加入以来、新左翼業界、反・非共産党市民運動業界等々との付き合い  も始まった。反戦平和運動的には新左翼の反中核ブロックとの付き合いがずっと多い。     それというのは、83年三里塚闘争分裂で中核が「熱田派」へのゲバ襲撃をやって大衆運動的に嫌われ者に  なり、もともと中核系大衆運動が微弱な関西ではノンセクト系やインター・プロ青年系、総評左派系大衆運動  (労組含む)との付き合いが必然的に多くなるからである。   だから中核系との付き合いは、関生・全金港合同・動労千葉のいわゆる「三労組共闘」と最近の反戦運動な  どで有る程度であって、関東圏の人が「三労組共闘」の宣伝を見て「関生・ 連帯は中核系か」と思った、と  言う話は中核にとっては「嬉しい誤解」かもしれないが、我々にとっては苦笑するしかない。   関生・連帯はあくまで独自の左翼勢力である。     全金港合同も大和田さんという卓越した指導力を持った独自左翼リーダーの下で発展してきた労組であり、  中核の活動家が労組員の中にちょこっとはいるが、これ自体が中核系では全然ない。

9:政党との付き合いで言えば、共産党が敵対を続ける限りでは共産党と対決しつつ、「反自民の共存外交」が  基本。公明党自民党との連立を組むまではずっと招待してきた。     社民党新社会党を強く支援しつつ民主党にも「市民派」にも選挙支援を行なっている。   また例えば首長選挙で、連帯と長年友好関係の深い社民党の人から支援を頼まれ、一方共産 党候補側から  は当然ながら支援要請などない、・・・そんな場合は自公民社候補を押す場合もある。   戸田個人としては、自治首長選挙社民党が自民公明と共同することには大反対で、「革新共闘」を追及  すべき、と思っていますが・・・・。   これとは別に、守口市長選や門真守口合併反対運動の時などは、社民党市民派保守系共産党ととも  に共闘したりもしています。これは地元の戸田や三浦さんからの提起を受けてで す。

10;客観的に見れば、連帯近畿・関生は組織力闘争力・財政力のある左派大衆団体だから、左翼党派の絶好の  加入相手であるはずだが、84年頃から関生・連帯を知っている戸田が見ていていも不思議なほど、党派活動  家が全然入ってこない。   たまにちょっと色つき的な人が入っても連帯労組員として変容していくか、連帯を去っていくかでしかない。   きっと連帯・関生というそれ自体の独自性と磁場が強烈で、武委員長らの指導力も強いし日々の活動・闘争  の忙しさがハンパじゃなくて、左翼党派が内部に入ってどうこうすることができないのだろうと思う。     左翼党派の側もそれを認知しているから、外部団体として交流する方にメリットを見出しているのだろう。

11:武委員長らの共産党員体験のある古参幹部だけでなく、共産党体験のない中堅・若手幹部も新左翼業界の  あれこれをほとんど知らないし興味も持っていない。     みな「労働者民衆の生活向上のために左翼・革新・平和勢力は四の五の言わずにみんな協力共同したらいい  じゃないか」、とシンプル素朴に思っているだけである。     反権力で一致すれば場合によっては右翼的と目される勢力とすら共闘する(暴対法・組対法・盗聴法などで  の反対運動の例)     また、あまり付き合いのない団体からでも「右翼暴力団の襲撃がありそうなので支援して欲しい」と頼まれ  れば、「堅気の衆を守るために」体を張って出張っていく。     「内ゲバはいかん」とは思うし、今の運動の中でそんなことをする輩は許さないが、だからといって「昔内  ゲバをしたことを今全面謝罪しない限り共闘なんてしない!」というような話に引き回されるつもりはない。   連帯・関生はそんな労組である。

12;近年、韓国の労働運動との共同共闘を重ねるにつけて、連帯・関生の中に韓国の民主労働党のような、戦  闘的労働運動を土台とした「我々労働者の政治勢力」の結成を望む気運も出てきている。世間を見渡してみて、  これという頼りになる所がないのなら自分らでまず始めてみようか、ということになるかもしれない。                          とりあえず、以上。      (05年1/27の記述)

 

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