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大東亜戦争と日本の戦後 韓国光復70年

 近衛上奏文をもって、近衛は陸軍と官僚のアカ分子の策略にだまされていたという説になりがちだが、近衛は風見章が親マルクス主義者であること、昭和研究会三木清マルキストであることだけは、誰もが承知で、近衛も知っているのだから、しらなかったはずはない。実は、近衛側近がすべて親ソ反英米だということは知っていたにもかかわらず、近衛上奏文に、私自身が共産主義にかぶれていました、とは書いていないところがミソなのである。

 

 つまり、だまされたフリをして、自分自身が、主役だったのだ。

 近衛がなぜ自殺したかといえば、おそらく、尋問の過程で、いくらくそ度胸のある近衛も、口頭陳述では、近衛自身がかなり積極的に英米戦に向けて動いていたことが、証言を聞く、東條らから、何を嘘をついているのか、とバレるのを恐れたからだろう。しかも、近衛が死ぬことは、風見章を戦後に日ソ教友好協会の会長として生き延びさえる効果をもたらした。

 

 東條にしてみれば、自分も確かに中国撤兵を反対したが、近衛も中国派兵派だったじゃないか、ということになる。当然である。近衛の側近中の側近、尾崎秀実が新聞で中国国民党を徹底的にたたけと繰り返し、新聞に書いて、近衛もそれを読んで同意している状況なのだから。

 

 近衛は東條が陸軍幹部として、いったん歩を進めれば、撤退を指示するには、かなり明確な理由がなければ出来ない事を知りながら、サイゴン進出を決めて、そこで米英を緊張させておいて、そこから撤兵しがたい東條に首相の座を預けたのである。

 

 近衛が「上層文」を提出した狙いは、思惑通り、自分が戦争回避側だと周囲が信じ込んだ場合は、戦後、風見章とともに、「平和主義」の風潮のもとに、ソ連友好協会の会長にでも納まって、モスクワにいる、自分の息子をスターリンから返してもらおうと考えていた。しかし、東京裁判の被告に指定されるとわかって、もう、めんどくさくなったというところではないか。そのおかげで、風見章は、革新政党のヒーローとして生涯をまっとうすることができた。

 

 戦争犠牲を憎むはずの左翼人士こそが、せめて硫黄島敗北後、沖縄戦前に降伏してくれれば、その後の筆舌につくしがたい沖縄県民の犠牲は止められたのに、という言葉を発しない。

 

 なぜだろうか。

 このような仮定を考えることは、満州、朝鮮、樺太、千島列島の人々が引き上げるに際しての悲惨な体験が、社会主義国ソ連朝鮮人の性悪性によって引き起こされた事実に直面することになるからである。

 

 満州、朝鮮北部から引き上げるに際して、日本の婦女子が受けた性的暴行は、朝鮮人によるものだったことが、九州の救護にあたった行政当局の聞き取りによって明らかになっている。また、「竹林遙か遠く」もまた、そのことを記録している。

 

 植民地への抵抗とその解放戦争を共産主義の正当化の道具とするコミュニストにとって、日本による韓国併合は、是が非でも、極悪な植民地支配でないと、死をもって闘争するに足る敵にならないから、いやがおうにも、彼らは「性奴隷」「強制連行」「花のような乙女」と誇張してきた。

 

 しかし、心底女性の人権も、男性の人権も破壊してきたのは、「解放戦争」を起こした北朝鮮全体主義体制のほうである。

 

 1945年5月14日の時点、すなわちソ連満州侵攻、樺太侵攻はなく、広島長崎の原爆投下もない時点で、さらに、降伏を延期させた理由は、陸軍が鈴木貫太郎首相、米内光政海軍大臣、東郷外相などの降伏派を、ソ連仲介案で説得したからだ。

 

 対ソ仲介案は単なるソ連の善意にすがろうという姿勢ではない。スターリンとの交渉役の候補者だった近衛が作った案は、英米ではなく、ソ連に沖縄、小笠原諸島、北千島、樺太、台湾、朝鮮すべてソ連に献上するという露骨なソ連信頼の案だった。

 

 また、自らシベリアでの労働力供出を申し出るという異常な内容であった。

 ならば、はじめから米英にそう申し出ればよさそうなものだが、ソ連に対すると大盤振る舞いなのは、戦後の中国に対する態度に似ている。

 

 テレビ朝日「妻と飛んだ特攻兵」で陸軍がソ連と戦わず、民間人を置いて武装解除してしまったのは、命令絶対の陸軍において、参謀本部が、金銭の亡者ではない貧乏人のためを思う正義の国、ソ連の浸食を誘導してあげるためであって、そのために、多数の民間婦女子が地獄の体験をすることになった。

 

 立花隆満州建国で味をしめた軍部が日本国全部をコントロールしにかかった、と「天皇と東大」に書いたが、とんでもない間違いである。

 近衛内閣は、どんどん軍事予算を拡大計上し、7月7日盧溝橋事件の一か月以内には、増税案を出す積極さで、陸軍反英米派の尻をたたき、反ソ連派の居場所をなくさせた。反ソ派を縮小させるべく、政策を整えて反英米派に増長させてあげたのは、近衛のほうである。

 

 近衛自身が故意に自分の意思で「国民党政府を対手とせず」と方針を出して、陸軍首脳の口から蒋介石との和平案を言い出しにくい状況を作った。この時点では、陸軍はまだ、反ソ、対シナ和平派優勢。

 

 近衛は7月7日、盧溝橋事件があり、四日後(7月11日)に、停戦協定が調印されたのに、これにおっかぶせて、(停戦の朝刊発表前に)「北支派兵」を発表。世論を、日中紛争悪化は既定事実化に思わせた。

 

 立花隆はこういう軍ではない、文民の側の動きをすっとばして、軍部という広域暴力団かなにかが、抽象的な「戦争悪」がしたかったかのように主張する。

 根にある「資本主義=帝国主義」の植民地支配体制への破壊というソ連への共感に基づく反英米突撃と、国内革命の妄想があったことを立花隆は「日本軍国主義天皇ファシズム」に帰する。

 

 立花が軍が国をコントロールしたというまとめ方をするのが、がいかに嘘かと言えば、朝日新聞は、盧溝橋事件停戦のその日、7月11日付けで「日支全面衝突の危機」と停戦事実と逆の、関係悪化観測を流して世論を中国許すまじの方向へ誘導した事でわかる。

  対支不拡大派の石原莞爾が9月末に参謀本部作戦部長を解任されたのは、この「軍」ではなく、「政府」の紛争拡大にのめりこむ動きに抵抗したからである。

 

 立花の言うような戦争したい軍部が国をコントロールしたというなら、停戦協定を現地司令官が結ぶまい。

 

 この後に、いわゆる南京攻略があるが、皮肉なことに、大虐殺があったか、なかったか、日本軍がそんな卑劣なはずがない、いや、日本民族の悪性を反省しなければ(大江健三郎ら)という論争になっているが、問題は、日中戦争エスカレートは、英米との激突の始まり、日本の疲弊化、ソ連のアジアへの道を大きく開ける事態の始まりという事がそっちのけで、中国が正しいか日本の父祖の名誉が真実かという話に集中している。

 

 たしかに南京プロパガンダを覆すのは、是非とも必要であるが、その先に、日本は天皇ファシズムでも、行儀の良く、礼儀正しい皇軍だったという点で終わらせてはならない。

 

 戦争目的は、なにもアジア植民地支配を終わらせる正義の抵抗戦争ではない。

 アジアの植民地支配をアジア全域を破壊して共産革命をアジア全域に誘導するための、勝てるはずのない相手への特攻戦争を企てた日本のコミュニスト指導者が、残酷にも、篤実な民衆を徴兵して、飢えさせ、被弾させ、殺したということなのである。

 東條英機はこの策謀にはめらた、といえる。

 東條は「魔法使いの弟子」として平泉澄きよしという悪魔を推薦し、石原莞爾に冷や飯を食わせたが、近衛に比べると、何も知らずにあやつられたと言えるから、靖国に祀られて「問題だ」というほどの悪人でもない。

 

  「反植民地主義」派に根本的に欠落している視点は、韓国併合に典型的に見られるように、教育、治安、衛生、災害防止、インフラその他あらゆる国民福祉実施に常につきまとう失政のリスクをすべて統治の側に預けて、自分がやっていれば、もっとうまく立派にやれたはず、という都合のよい考え方のおかしさである。

 

 つまり、韓国・北朝鮮の「光復」の結果が、今の韓国の「ヘル朝鮮」北朝鮮民衆の相互監視と処刑と餓死、栄養失調の世界なのである。

 

 もはや、光復後、70年も経っているのだから、現状の不備を日本のせいにすることもできまい。

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