戦後日本と韓国 カラスの飼育

カラスの飼育という言葉がある。

カラスを飼育して、世話をすれば、目を突かれて失明することになる。

日本には、カラスの飼育という言葉がなかったから、この用心は日本民族に基本的にはない。他人の世話をすれば、親愛が生まれると、日本人は思っている。


韓国の元大統領、金大中は、大統領の時、韓国国民に向けて、「韓民族が南と北に分断し、そして朝鮮戦争が起きたのは、日本のせいだ」と言った。

 

 日本の在日韓国・朝鮮人姜尚中もまた、同じ事を言った人物として、わたしたちは明確に記憶すべきだ。

 

 この「朝鮮戦争」日本原因説の起源は、1919年に上海で組織され、中華民国の支援を受けて独立運動を行なっていた、金九主席が、当時南朝鮮労働党の青年指導者だった朴甲東に語った話にある。

 

 中国の諜報部が、金九に次のように説明した。

 

 戦争中、朝鮮半島近辺には、満洲関東軍と朝鮮19師団と、20師団の三つの師団があった。

 

 アメリカとソ連は、ヤルタ会談で、関東軍ソ連武装解除して、アメリカが朝鮮軍を武装解除すると、密約した。

 

 日本敗戦直前までに、関東軍が38度線まで、南下したから、日本降伏後、ソ連朝鮮半島の北半分に侵攻することになった。

 

 だから、南と北の分断は、日本のせいなのだ、と。

 

 1945年8月9日にソ連が対日参戦するから、それより前に日本が降伏していれば、朝鮮は分断されなかった、とこういうのである。

 

 しかし、南朝鮮労働党のリーダー、朴甲東は、日本の早稲田大学卒業生で、在学中、1936年に日本の社会大衆党の加藤勘十に心酔している。早稲田の弁論部で、マルクス主義に感化され、そこで「朝鮮共産党ボルシェビキ化のために」という発禁本を手にする。

 

高田馬場の書店街は、当時、マルクス主義の本であふれており、朴甲東はあ、日本の知的環境に後押しされて、マルクス主義を身につけていった。

 

 ならば、姜尚中もそうだが、朴甲東も、日本が朝鮮人青年を大学に受入れ、そして、マルクス主義を勉強する十分な環境がなかったならば、後に、金日成政権や朴正煕政権を批判する視野を持つことはなかったことになる。

 

 これは、金大中にも同じ事が言える。金大中自身も、社会主義を学んだのは、日本においてなのだ。

 

 彼等は、日本のおかげで知的に成長しながら、その事は忘れて、朝鮮戦争の原因、分断の原因は、日本にあると主張する。

 

 朝鮮民族韓民族の「落ち度」は思い浮かばず、常に悪いのは他国なのである。

 

 一週間前に降伏していれば、ソ連軍は、朝鮮の北に入らなかった。一週間前に降伏していれば、満洲、朝鮮の日本人はソ連にひどい目にあわなかったというが、おかしいのは、分断の責任を日本に帰したいために、「一週間早いか遅いか」を強調して、彼等はけっして、ソ連が、日本敗北が決定的になってから、参戦した事や自分たち自身の共産主義かぶれが分断を作った事の責任は問わない。

 

 また、アメリカが日本の朝鮮統治を認めて、その代わりにアメリカのフィリピン統治を日本に認めさせて、民族独立支援を行なわなかったアメリカに対しては、「分断はアメリカのせいだ」とは言わないのが、韓国。 

 北朝鮮は、南朝鮮労働党北朝鮮労働党の合同政府だった。

 

 そして、南朝鮮労働党の一部が韓国に残って、アメリカの韓国からの撤退を画策して、その暁に、平和統一することを夢想していたが、金日成は、朝鮮労働党南朝鮮労働党出身者を粛清したうえで、軍事侵攻したので、韓国側の南朝鮮労働党幹部は、極左冒険主義の裏切りと受け止めた。

 

 朴甲東にせよ、姜尚中にせよ、基本は民族主義マルクス主義の融合思想であることに変わりない。

 
 

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