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大東亜戦争と日本の戦後 歴史修正主義

承前

 それと同じことが、香港、マカオ、シンガポール、台湾のような独立戦争共産主義ゲリラの少ない国のその後と、ラオスカンボジアベトナム、フィリピンのような共産主義ゲリラによる闘争の激しかった地域の民衆の現在の生活を比べてみるがいいだろう。

 果たして植民地解放闘争が幸せをもたらしたか、香港、マカオのように、戦争によってではなく、暫時、独立に向かったほうが民衆にとって幸せか、結果を見て明らかだろう。

 戦後日本人は、そのうちの保守派は、日本の戦争は植民地独立のきっかけになった、と自画自賛し、左翼は後進国と先進国は、新たな植民地支配におかれている、と植民地にこだわる。

 

 が、繰り返すが、植民地とは、自己統治能力の欠如を長い歴史時間をかけて克服していくべきもので、激しい闘争で独立しても、その時点で大虐殺が起こり、結局、統治能力のない民族支配者が、庶民を地獄に陥れるだけなのである。

 

 ちょうど韓国・北朝鮮の「ヘル朝鮮化」のように。

 

 朝日・岩波・立花隆的なものの見方では、「軍部が日本を強圧的に支配して、有無を言わせぬ形を作り上げて、日中戦争の侵略を悪化させて、無謀な日米戦争に突入した」というとらえかたになる。

 

 しかし、近衛首相が、1937年7月11日、「北支派兵声明」を行い、翌年1月16日に「国民政府を対手とせず」声明を出した。

 軍に脅かされて言ったわけでもなんでもない。側近と相談したか、もしくは近衛自身で考えての事だった。

 

 この二つの声明の間には、10月に企画院が設置され、企画院が「国家総動員法案」を起草した。これもまた、軍部の指示ではなく、近衛の指示なくして始まらない話である。

 

 「国家総動員法案」は、4年前の1933年3月、ヒトラー全権委任法に真似た法律で、議会の承認の必要なく、政府が政令で政策を実行する範囲を大幅に拡大するもので、これ自体がまず、衆議院で承認されることは、ヒトラーのような人気がない以上、困難だった。

 

 この困難を乗り越えさせる方策が、日中戦争悪化情勢で、これを近衛の配下の朝日新聞、尾崎らが世論形成してやればよいということになる。

 

 それが、1月16日の「国民政府を対手とせず」声明である。

 これを出して、一週間後、23日にすかさず、「国家総動員法案」の要綱を公表。

 もちろん、軍部ではなく、近衛がやった。

 そして、2月19日には、衆議院に提出。

 こうして、朝日などの新聞には、「中国との紛争が決着しがたい。国内経済は、中国との紛争のあおりを受けて、悪化の一途」と尾崎秀実らに書かせて、戦争やむなしムードを作った上で、衆院貴族院を通過させる。

 

 こうして、「国家総動員法」と「電力国家管理法」の社会主義的法律の実施を中国との紛争にかこつけて、導入してしまうのである。

 

 ソ連もまた「国家統制計画経済」であり、建前が万国の労働者団結せよ、の理念を掲げているだけで、実態はモスクワ中心のナショナリズム全体主義国家である。

 

 つまり、アメリカ、イギリス、ソ連、ドイツ、日本はすべて国益優先の民族国家(米ソは連邦)なのだが、要は、計画統制経済を選択する友好国になりたいのが、近衛の日本とスターリンソ連で、同じ計画統制経済ではあるが、隣国であるために、ナショナリズムの面で対立したのが、ドイツとソ連である。

 

 政党を廃止してしまいたかった近衛、一党のみのドイツ、同じく一党のみのソ連、中国、北朝鮮、この五カ国の一党支配志向はまったく同一そのものである。

 

 この観点が見えなくなったのは、戦後丸山真男らが、ファシズム日本、ファシズムドイツを強調して、ソ連北朝鮮、中国が一党しかないことをまったく問題にしなかったことである。最初から、大政翼賛会の政党否定とソ連北朝鮮中国共産党政権、ナチスドイツの政体は同じもの、とすべきだったが、戦後日本人の多くは、区分を間違えて、ソ連北朝鮮、中国を貧乏人救済の善良国家と区分し、日本、ドイツを軍国主義国家と区分した。

 

 正しくは、五カ国すべてが、貧乏人救済指向を標榜する少数強権支配の権力集中国家である。そして、日本の場合、その主役は、軍部ではなく、朝日、岩波・中央公論、東大・京大の親マルクス主義知識人であった。

 

 戦後、彼ら朝日、岩波・中央公論、東大・京大の親マルクス主義知識人は、この真実を隠蔽して、社会党のシンパ、応援団におさまったのである。

 

 近衛はスターリンと友誼を結びたく、市場経済で貧困と格差、(悪質な)植民地肯定の英米を憎悪したのである。近衛はこの内心を側近および昭和研究会朝日新聞幹部と共有してはいたが、一般国民と軍部には秘密にしていた。

 近衛はここで成立させた計画経済の社会主義施策が、マルクスエンゲルス的な社会主義への下準備だと考えていたのである。

 これこそ、立花隆と戦後の朝日の新入社員が知らない朝日新聞の戦時中の真の姿である。

 これは見方によっては、朝日こそ、一貫して、貧乏人のため、日本を社会主義に変えようと懸命に画策した非常に良心的な人たちだったとも言える。

 反日とは、貧乏人のため、心底つくす人たちが、貧乏人にとって都合の悪いこの日本を批判し、貧乏人のための国家、中国、北朝鮮を応援した事を「反日」と言いならわされてきたのである。

 

 日本の政治思想は、林房雄に代表されるような、英米の繁栄に対する引け目と反発を常に胸に秘めてきた。その同じ情念が、天皇親政での、米英に対する自立心に向かう場合を右翼というとすれば、ヨーロッパのフランス革命・ドイツ革命・ロシア革命などの皇帝・王制廃止と貧乏人救済思想を日本に取り入れて、英国とその派性態としての強国アメリカに対抗したいというのが、日本のアナキスト共産主義者の思いだった。

 左右ともに、要するに、金持ちが国家社会を牛耳り、貧乏人が貧困にあえぐ状態を憎んだのである。「天皇を愛する、国を愛する」右翼、「国を憎悪する反日」と言う見方をすると実態をつかめない。

 これは2017年になっても、まったく同じで、要するに貧乏人を救済したいから、アメリカの格差、国際金融資本が富をストックして、極貧層を救済しない事を糾弾したくなるのである。反日が他国の貧乏国家に同情し、愛国者が自国の中小零細企業の親父とその雇われ人の暮らしを心配して、原発を肯定してる相違に現われているだけで、根は同じ「金持ちユダヤ嫌い」「反福祉のアメリカ嫌い」では、同じなのである。

 

 同じだという嫌な事実に直面したくないから、互いに、日本国内で、中国・韓国・北朝鮮・三国の擁護と否定の激論のパフォーマンスをしているとも言える。彼らはきっかけさえあれば、同じ事を言い出す、いわく、ユダヤ金融資本が悪い、世界の格差が問題、金もうけ至上主義が悪いと。

 

 近衛がナチスドイツ・ソ連中国共産党政権・北朝鮮型政権と同一の政権を作り上げたのは、1940年6月の「近衛新体制」声明によってである。

 

 この近衛が成し遂げた体制革新は、北一輝がしようとして、挫折したものを、近衛が、摂家生まれという立場を利用して、簡単に首相になれた事から、可能になった。

 

 戦後日本の白地的なジャーナリストたちは、226事件に多大な紙数を裂いて論じるが、その目的とした「政党廃止」が、近衛の合法手順によって成し遂げられた事に何の関心ももたない。

 

 馬鹿なのは、そこに暴力が介在しているかどうかにばかり注目して、「一党独裁」という恐ろしい事態のは、「中国」「北朝鮮」「近衛新体制」のそれに無関心なのである。日教組にしてからが、子どもに一党独裁の恐ろしさを教えず、北朝鮮の人と仲良くしましょう、と教えてきた。

 

 また、近衛の「新体制声明」に各政党議員が同調して、政党を放棄したことこそが、問題であることに、立花隆は着目することがなく、天皇と軍部二着目する。

 この近衛新体制声明の時点で、軍人でもなんでもない松岡洋右もまた、日本を全体主義国家にする流れになんの抵抗も示さなかった阿呆のひとりだった。

 「(226や515事件とちがって、ひとりをも刺殺せず、いちプリンス(貴族の御曹司)近衛文麿公の出馬により、政党が解消したのは、20世紀の、いな、人類史上の最大奇蹟である」と、素っ頓狂に、一党独裁政治の日本定着を希望とみて、喜んだのである。

 

 戦後の「平和主義」は、「それでも日本は戦争を選んだ」と、「戦争悪をなした戦前を憎むが、政党を廃止したことは、無関心なのである。

 

 これは、けっして、祖国防衛上、必要だから、政党を廃止したいと言う意味ではない、未来永劫、北朝鮮みたいに、一党でい、という意味だったのである。

 

 大政翼賛会は、実際には、強力な一党には、成長しなかったが、近衛の意図は明白。中国共産党朝鮮労働党のようになりたかったのである。まさに、重大局面だった。が、こrにピンと来ないのが、日本人。また、ぴんとこないからこそ、かなり北朝鮮に同情的な態度もとりうる。野中広務のように。

 

 立花隆や朝日・岩波知識人は昭和天皇は、その大権のもと、日本を戦争の悲惨に導いた責任者であるとするが、間抜けなのは、昭和天皇が、226事件を断固拒絶して、議会制民主主義制度を保守しようとした事実の重要性には、まったく関心が向かない。

 

 「反日」「反日」「左まき」という言葉に非常に違和感をかんじざるを得ないのは、問題は、大企業憎悪、大企業、巨大金融資本のストックした富を福祉に回さないことへの不満が根になっている限り、右も左も誤謬だという本質がはずされてしまって、日本敵視の貧乏国の誇張と不正に着目するか、貧乏国に対する同情を重視して、日本国民の落ち度を重視するかの問題にすりかわる皮肉な状況に陥る事態に、この「反日」ワードは寄与していると言える。

 

 これはどういう事かというと、貧困と格差は、一党独裁のほうが、他党制よりも極大化するという大原則を弁えるか否かが重要であって、この弁えがないなら、他国との協調も排撃もどっちでもいいくらいのものなのだ。

 他国を排撃しても、政党分立の自由があれば、長期的には、破滅に向かわないが、他国に対する寛容、協調、話し合いを優先しても、一党独裁に親和的なら、長期的に非常に危険、自己破滅化する。すなわち、平和というご立派な状態のまま、北朝鮮のように、陥没していくのである。

 

 日本の積極的平和論があほらしいのは、平和がいかに何十年続こうと、北朝鮮の平和も平和だというこちに気づかない事だ。

 

 このような近衛という貴族の社会主義一党独裁化政策の猛烈な手話にそれこそ「軍部」は舌を巻き、小躍りするようにして歓迎したのだが、戦後、立花隆や朝日岩波・文春・NHK文化人は日本の文民・政府は軍人にどんどん引っ張れて口だしできなかったと絵図を書いたし、そう思い込んだ。

 

 1937年6月、近衛は五・一五、二・二六、血盟団事件などにかくテロリストたちを恩赦して解き放とうとするが、この真意は、要するに、政党政治、議会主義の枠組みに反対する勢力の言論を社会にあふれさせたかったのである。

 

 中西輝政はこれがわからないから、近衛の「英米本位の平和を排す」を「日本の大陸権益が閉め出される不満」と解釈した。(文春新書「二十世紀日本の戦争56ページ)そうではない。近衛の言う「英米本位の平和」とは、資本主義金融資本を中核とする国が支配する平和に反対」という意味であるから、日本を非資本主義、非財閥の国にしたいという意味である。

 なぜこういうふうに近衛の日本政党政治消滅への画策が歴史から忘却されたかというと、日本人の関心がすべて、戦争の悲惨に集中して、一党独裁の悲惨には関心が向かなかったからである。

 それもそのはず、もし、戦争がソ連との提携にまで到達して、日本の半分が北朝鮮化すれば、そのまま日本は一党独裁のひずみを思う存分味わい尽くして、一党独裁の恐怖を嫌というほど痛感したはずであるが、幸いにも、そうはならず、悲惨な戦争に関心が向くという結末になった。

 それはある意味で北朝鮮や中国のような全体主義国家に生きずに済んだ

ということでもあり、同時に日本人を「自由」の意味を深く考えない、安易に北朝鮮、中国に同情し、ただ平和でありさえすれば、それで万歳という白痴化をもたらした。

 

 あるいは、隣国の嘘誇張、軍事侵略、プロパガンダに対抗する事が一番重要という白痴化をもたらした。

 

 近衛の「大政翼賛会」の本質は、戦時総力戦のための臨時編成と解釈すると間違える。「一国一党が理想」と考えたとんでもない議会制民主主義否定の思想なのである。

 

 2017年の中国共産党政府のホームページに「反ファズム戦争勝利」とかかげられてこれにロシアが賛同しているのが、笑止なのは、ソ連。ロシア、中国自身が議会制民主主義の普通選挙も議会も機能していないからだ。

 

 この理念の日本国への実施を戦争よりもなによりもいかに近衛らが本気で考えていたかを証拠立てるのが、風見章書記官長が紙面広告の資金を出して「頭山満黒龍会に出させた「全国民に告ぐ」宣言で、1937年12月5日、各紙夕刊。これがまず、議会制民主主義、多党政治は「西洋の余毒」と批判したのである。

 

 つまり、近衛は、日米戦争をして混乱の中、労働者に革命させたくもあったが、その前に日本を一党制にしたかったのである。

 ます、それ自体、英国、米国とはちがって、ソ連の仲間入りの選択だった。

 そうはなかなか見えないのは、ソ連派の共産党が弾圧されている戦前と、とこう解釈されるからである。

 

 だが、日本共産党が弾圧されていても、別組織、別グループが日本共産党のやりたかったことを別な方法でやればいいわけだ。それが、近衛新体制である。

 

 風見章、尾崎秀実、松本重治、笠信太郎三木清木戸幸一ら、ソ連共感派

が、右翼天皇親政の頭山満黒龍会からする一党独裁派の勢いを利用したと言える。要するに、右翼国家社会主義者の側は、風見、尾崎、近衛グループがマルクス・レーニン主義を腹に隠し持っているとはわからず、西洋の余毒、議会制民主主義を否定する同士だと勘違いしていたのである。

 

 また、東條英機らは、近衛、風見らが、日本軍が愛国のために獅子奮迅する心情を後押ししているのであって、どうせ敗北して、その果てに天皇は処刑・あるいは退位に追い込まれるはずと考えているとは、想像もせず、純真に米英に負けてたまるものか、と気を張っていた。

 

 毛沢東周恩来、レーニン、スターリン金日成ヒトラーは、英米式議会制民主主義を完全否定する一国一党制を成し遂げたが、近衛はどうだったろうか。近衛が彼らのように強力な一国一党制を成し遂げるために、障害物となったのが、明治憲法立憲君主たらんとする昭和天皇の存在だった。

 これが天皇親政を是とする天皇であれば、もっとうまく、強権政治に移行できたのである。

 

 保坂正康は明治憲法天皇主権の悪の憲法と言ったが、明治憲法が近衛の一党独裁制構想を阻んだのも、間違いなかった。明治憲法もまた、間違いなく、法治主義であり、人治主義ではない事を証拠だてるのが、1941年貴族院議員岩田富造の大政翼賛会批判で、この批判を含む様々な批判によって、近衛は、大政翼賛会から、新党の一党独裁化への移行を断念した。

 逆に言うと、大政翼賛会は不発の独裁であって、ファシズム断行の証拠でもなんでもない。

 

 「統治を行う機関、いわゆる政治を行う権限もその行使の方法も、すべて憲法の規定によってのみ行うことが憲法政治の根本原則であると信じる。憲法のみとめない、政治の機関や政治の運営は絶対に憲法の容認せざるところである。」

 

 保坂正康流の「明治憲法天皇主権」という表現は国民をして、あたかも、明治憲法下、天皇が自由自在に政治運営をして、憲法の規制を受けずに政治運営できたかのようなイメージを与える悪質な表現である。

 あまつさえ、戦後日本人は憲法は国民を縛るものではない。主権者は国民だから、主権者は憲法に縛られない、と思っている人が多いから、ますます、主権が天皇ならば、天皇の自由自在という印象になる。

 しかし、明治時代、憲法の認めない政治運営は不可能だったのである。

 

 岩波書店「世界」は、日本、アメリカ、英国、フランスの植民地を70年、口を極めてののしってきた。

 

 しかし、アメリカが手放したフィリピンはいまだに極貧であり、同時にフィリピンはアメリカの影響が色濃い分、暫時自由化しつつある。

 日本に親和性を持つ台湾はすくすくと育ちつつあるが、日本を敵視する北朝鮮と韓国は、混乱がとどまることのない不正政治の続出と売春輸出大国の汚名を払拭できない。

 英国と親和性を持つ、香港マカオもすくすくと発展しつつある。

 

つまり、議会制民主主義国家による植民地とは、長い長い月日をかけて、独立戦争などなしに、少しずつ成長していくべきものなのである。

 

 岩波知識人がもたらしたもの、肯定してきたものは、独立と解放という名の戦争による凄惨な死と難民の悲惨な人生の容認である。

 

 そして、従軍慰安婦謝罪と賠償という名による貧困家庭に生まれた女性を政治に利用するという残個性、非人間的状況が、岩波知識人がもたらした後進国の先進国に対する謝罪要求運動である。

 

 沖縄の独立運動家の主張する「沖縄は日本の植民地、アメリカの植民地」という言い分は、もし、これが通って、その日米の植民地を脱する時、沖縄はまさに、中国という全体主義国家の植民地になって、沖縄県民は自由を文字通り奪われ、強制収容所に送られるか、だまるしかなくなるだろう。

 

日本の保守知識人は自虐史観への反発からか、日本の戦争が植民地解放につながった、という。しかし、それは、血塗られた戦死(日本のではなく、独立解放戦争の)を通しての独立であった。

 

 また、善意あふれる左翼の学者は、「アメリカがフィリピンを独立させてあげた」と言うが、「独立させてあげ」ずに、ハワイ。グアムのように、アメリカ領なら、確実にフィリピンの人々は今よりはるかに幸せに寿命をまっとうできることはまちがいない。日本の善意あふれる左翼学者が、フィリピンの人々よ、独立国になってよかったね、というのは、当人が、大学教授の地位を得て、豊かだから言えることで、フィリピンの人々にとってみれば、アメリカの一部であったほうがいいに決まっている。

 

 アメリカのアフリカ系アメリカ人も、フランスのアフリカ系フランス人も長い惨苦を乗り越えて、今は健康で文化的な生活を享受している人々が多数いるが、アフリカの人々に飢えと病気で短命に死ぬ人は多い。

 在日韓国・朝鮮人もまぎれもなく、半島で暮らす人々よりも豊かな文化と衣食住を享受している。

 

 善意あふれる左翼は植民地をやめろ、独立させろといいながら、後進国の人々を非文明に追い込み、内戦に追い込むことしかできない。

 

 日本、アメリカ、英国と近く、友好であればあるほど、文明化し、福祉に守られて、飢えを免れ、情緒豊かな文化を享受する生活に近くなるが、ソ連中国共産党に近ければ近いほど、北朝鮮のような、暗殺、公開処刑、賄賂、飢餓に直面する民衆の割合が高くなるのである。

 

 もちろん、人類は神が作ったわけではないから、完全国家も完全社会もないが、言論の自由度が劣る国、共産主義の親和性の高い国ほど、道徳が劣化が甚だしく、停滞著しく、議会制民主主義と法治の国は、間違いと失敗を犯しながらも、少しずつ幸せになる人間が増加する社会である。

 

 そういう社会を保守する国家は、一党独裁国家の暴走から主権をまもらなければならない。そのために、あらゆる手立てを尽くして、ロシア、北朝鮮、中国の軍事力を押さえ込む国防の整備を、他党制の自由主義国家の英国、米国、オーストラリアと協力して行う必要がある。

 

 また、日本、フランス、アメリカの旧帝国主義国こそ、協力して、原子力発電技術のより安全な設計に取り組んでこそ、後進国の人々の貧困の改善に貢献できるのであって、先進国の技術放棄は、後進国の助力なき、内戦にしかつながらない。

 

 日本の右翼民族派はアメリカのグローバリズムを非難する。そして、左翼はアメリカと日本を新植民地主義と批判する。

 

 だが、事実は、日本・アメリカ・フランス・英国のような旧植民地領有国と関与の低い国、上記四国の一カ国に、敵対的な教育をしている国、上記四国のいずれかと戦争をして独立した国・・・以上の条件のあてはまる国は、皆人権侵害事犯多発で、極貧にあえぐ者の割合が高い国である。

 

 日本・アメリカ・フランス・英国は、事実を直視すれば、映画・文学・音楽からわかるように、その国民性に極めて道徳的な側面を、間違いなく持つ。しかも、文学・と映画・音楽の伝統を継承することによってきめこまかく、豊かなのだ。アメリカはけっして大衆文化に安住せず、古典文化の継承に努めてきたのは周知の通り。

 

 単純に左翼が言うような「侵略国家」「帝国主義国家」という既定づけでかたづくものではない。

 戦後思想におけるマルクス主義の隆盛は、この先進国こそ、勇敢かつ強い道徳性を持って、世界の災害、紛争、病気に対して立ち向う人々を輩出する国であり、またそれだけの人的余裕のある国であるという事実を無視する負の影響を与えた。

 

 つまり、アメリカのグローバリズムを否定して、アメリカの関与を否定すれば、それだけで、その国の発展ポテンシャリティは低下する。

 

 議会制民主主義他党制で権力分立制度を持つ法治国家が、協力体制をとって、一党独裁国家北朝鮮、そして、日本の歴史を嘘と誇張で偽造したイメージを慰安婦像で世界にふりまいて、日本・ドイツ・フランス・英国・アメリカの協調体制を崩そうとする韓国に断固として、反批判を加えるべきなのである。

 

 なぜなら、日本・ドイツ・フランス・英国・アメリカの協調体制こそ、人類の迷妄から落ち込む極貧、紛争によって苦しむ罪無き民衆を救う具体的手段であるノウハウと資金を所有しており、相互の信頼関係がさらに後進国への貢献のパワーになるからだ。

 

 したがって、現在の東アジアは、自称「人権擁護先進国」だが、人権擁護と道徳性を実行する能力の無い「ヘル朝鮮」韓国。自称反ファシズム戦争に勝利した人民民主の国だが、実態は、言論統制政治犯収容所の国家、北朝鮮という近隣国にミサイル発射して罪無き民衆を殺戮しかねない国、拉致被害者を解放させない国と日本は対峙している。

 

 日本は世界の後進国の緊急事態における支援の力をつねに鍛錬しながら、、アメリカと協力しつつ、絶え間ない努力を続けているのである。

 

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