併合前の皇帝のいた大韓帝国はどういう国だったか。

 

明治40年。1907年。すなわち、併合3年前で、すでに大韓帝国が、シナより安価な塩を作ることができず、困っていたので、日本は親切に塩業試験場を設置指導してあげた。

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 朝鮮の農民にとって朝鮮人参はシナ向けの輸出ができたので、貴重な作物だったが、明治41年の時点で、病害虫が蔓延して、壊滅に瀕していた。これを救ったのが、日本の三宅駿一博士。ボルドー液による害虫駆除法を発見して、朝鮮人参の耕作放棄を救い出した。

 

皇帝のいた大韓帝国時代は、土木行政に関する法整備がなかっために、道路、河川等公有物の荒廃が甚だしく、朝鮮の人々は日本人の教示によってはじめて、道路河川の維持管理の方法を学ぶことができたのである。

明治38年に朝鮮人の電話加入者254人。昭和8年には、朝鮮人加入者が7353人になって、豊かな朝鮮人が増加した。

併合前に、皇帝のいる国、大韓帝国には、郵便局がなかった。 韓国に郵便局ができたのは、明治9年、日本が釜山に郵便局を開いたのが最初で、明治22年になってようやく韓国は、日本に習って郵便制度を布いた。

 

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