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ソフトな左翼、シールズ、ママの会、女将さんの会

2006年12月16日、京都大学法学部一年生だった和賀南海子みなこさんは、
インターネットホームページに

ありがたいことに、伊吹文科大臣は「改正案は、自民党憲法草案とも整合している」と暴露してくれました(拍手!)。自民党憲法草案は「現憲法改正案」ではなく「新憲法」です。つまり、自民党は一種のクーデターをやろうとしているとも言えるのですが、この草案自体は違憲であり、これと整合している教基法「改正」案も違憲なのです。
 新教基法は旧教基法とまるっきり異なり、国と国民の関係を転覆させた内容になっています。(自民党憲法草案もその色合いがかなり強いです)こんな法案に拘束力はあってはいけません。「絶対に従わない!教基法を取り戻す!」ということを国会裏で誓いました。
と、書く。

 その前日には、和賀南海子みなこさんは、国会議事堂前で、

 
「日本は戦争してみんなが死んで、いいことなんてなんにもなかったのに」
どうしてまたおんなじ事を繰りけそうとするんでしょうか」と言いながら、泣き叫んだ。

 この時の、「自民党憲法草案」への怒りが、すなわち、それから9年後、結婚して子どもを持って姓を西郷と変えた南海子さんが、2015年9月9日BSフジプライムニュースで、司会者に答えた「わたしが政治を考えるきっかけになったのは、自民党憲法草案を見てからです」という部分に当たっているようだ。

 わたしたちは、このような市民団体の登場をどう考えればよいのだろうか?

 これはたとえば、アメリカのカルト教団やブラックパンサーのようなマイノリティ集団とかんがえるべきなのだろうか?

 おそらくこれは、議会制民主主義が、ヒーローとしての職業政治家をある限定された人数の枠内にしか収めきれないにかかわらず、自分もまた一個の此の世に生まれた唯一の価値ある人間として、何者かでありたいという願望が底にある。

 「反原発」「反集団安保」という目的を、既存の議会制民主主義内政党がすでに表明しているのに、屋上屋を重ねる形で市民運動を繰り広げる理由の根底にあるのは、彼等の必死の自己主張のあがきだ。

 差別された黒人の白人社会に抗議する運動体の場合、現実の悲惨な生活と汚辱の体験に基づく怒りが根拠になっているのだが、彼等昭和後期生まれの反政府運動体のリーダーたちは、自らが被害の当事者ではありえなかったがゆえに、29歳ともなれば、その容貌は、セレブ化して「かあちゃん」でもなければ、「おかあさん」でもない「ママたち」になっていく。





では、「民主」「社民」「共産」「生活が第一」などは、なぜ「反原発」「反安保」という点でまったく同じ政策を持っているのにもかかわらず、アメリカの民主党のように巨大政党にはなろうとしないのだろうか。

 なんのことはない。「民主」「社民」「共産」「生活が第一」には、それぞれに党首がおり、三役がいるので、もし、これらの政党が統合すれば、4人の党首は一人になり、各政党の三役か吸収された政党の党首三役が格下扱いをされるのが嫌だから、別れているにすぎない。

 彼等はすでに、理念的には、なんら差異はないといっていい。

 そして、かれら野党に差異がないからこそ、反国家思想、反権力思想を持つ者たちにとって、「民主」「社民」「共産」「生活が第一」が、どのような比率で連立政権を成立させようとまったく等価なのである。

 「民主」「社民」「共産」「生活が第一」が、「革命政党」ではない点でも、「反原発」「反安保」「反格差」を掲げる点でも まったく同じなのだ。

 この場合、「革命政党」というのがなにを意味するかといえば、いったん、政権を奪取したら、二度と政権を手放さい手立てを講じるということを意味する。
 ちょうど、ソ連が崩壊するまでは、ソ連共産党一党独裁で在り続け、北朝鮮、中国が建国以来ただの一度も、政権交替をしたことがないように、「反国家市民団体」の本音は、いったん自らの理念を実現する政党が政権を掌握したら、二度と政権を奪われないような法制を実現したいということなので、それが「革命」の本質なのだ。

 なぜ「民主」は、「民主」を支援するが、「共産」は支援しないという市民を望まないのだろうか。

 また、「共産党」は、なぜ「共産党」は支持するが「民主」は支持しないという市民を望まないのだろうか。
 それは、政治に無関心な「ママたち」は、「ママたち」の名のもとに、あるいは「ラッパー」の名のもとに、政治を聞かされれば、耳を傾けるのであり、その聞いた内容が、「反自民」であれば、彼等「政治的無関心層」が、きまぐれに投票しようという気を起こした時、選択肢として、まず、反自民という選択肢を取ることは確かで、あとは選挙戦術の上で、みずからの党に投票させれば党益になるからだ。

 こうした状況をどうみるべきなのだろうか。
 「民主」「社民」「共産」「生活が第一」(公明党も)は、「国軍を持とうとはしない」という意味で、北朝鮮、中国、ロシアはもちろん、欧米のあらゆる国とも価値観を共有していないのである。

 ヨーロッパは、NATO北大西洋条約機構という軍事同盟を結んでいる。
 これは、なにを意味するかというと、もし、日本が日米安保条約という軍事同盟を廃棄した場合、日本は、軍事同盟を結ばないという点で、中国、北朝鮮に類似の国になり、国軍を持たない点で、世界のどこにも類似の国のない、極めて特異で、かつ共産主義国家に近い国のかたちを選択することになるのである。

 なんとも変わった国になるのだ。それこそ、不安定なのではないか。変わった国なのだから。

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