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大東亜戦争と日本の平和思想

「平和が絶対善」「戦争が絶対悪」というのは、日本人ならではの事なのだな、とわかって置いたほうがいい。
 南米のブラジルやペルーの荒れ野の開拓移民の日本人の中には、力つきて、亡くなった人々もいた。彼らにとって戦争のない状態である「平和」も十分地獄だった。
 空襲されたことのないアメリカ人のもっとも忌み嫌う記憶は、大恐慌下の失業と飢えの日々であって戦争ではない。

 北朝鮮の首都以外の人々は、60年も戦争がない平和の日々だが、毎年、飢餓を耐え忍ぶ。だからこそ、「コメ支援」という言葉が毎年のように飛び交う。

 アメリカという国家は、実に恐ろしい国である。
 ジェームス・ディーン、エリザベス・ティラー、ロック・ハドスン主演の名作映画「ジャイアンツ」は、何のことはない。メキシコ人を当たり前のように、召使いにしている。韓国ドラマに両班が奴婢の頭を足をこずく場面はあっても、日本人が在日朝鮮人を足でこずきまではしない。アメリカ映画に出てくる黒人やメキシコ人のように召使いのような立場の在日の人たちは、実際にはありはしない。

 日本人同士でも、意地の悪い者に嫌がらせをされる場面はいくらでも、世の中あるのだが、在日の(うちの)ひねくれた人々は、「朝鮮人だから」意地悪されたと思うが、実際には、日本人の田舎者もずいぶんいじめられるのである。

 アメリカが何が恐ろしいって、韓国人・中国人の日本に対する訴訟癖は、なにも、中国・韓国特有の訴訟癖ではなく、アメリカの真似をしている側面があるからだ。

 そして、
 1.1933年まで、中国は地方軍閥がそれぞれに、異なる党派が並立していた。
 江西省共産党軍。広東の軍閥満洲軍閥

 ヒトラーが政権を獲得するのは、1933年1月。政権を獲得する前のナチス党の進出期に、蒋介石は、1932年にかけて、さかんにドイツに支那人将校を留学させて、ドイツの顧問団を中国国民党に招いていた。

 ドイツの顧問団の一人は、「蒋介石閣下は、国家社会主義運動に大きな関心を示されています。」と報告した。

 1935年、蒋介石は「現時点で中国を救う方法は、ファシズムだ。中国のいまの危機的状況において、ファシズムは中国にぴったりの良薬であり、それを救う唯一の精神である」と言った。

ここで蒋介石が言っている「ファシズム」とは、何を指すのかというと、「国家の中で、特定の唯一の政党が、政治と社会の指導方針を構想し、これを支持する、全社会に張り巡らされた青年団体、婦人団体、商工団体、労働組合、医師組合などのあらゆる社会団体の協力によって、社会全体がひとつの指導方針の下、強力に改革を推し進めて行く体制の事を言う。

 たしかに、日本には、愛国婦人会などが、これに近い役割を果たした側面がある。
 また、朝日新聞は民間団体として、「欲しがりません勝つまでは」などの標語を募集したり、毎日新聞は、英雄のような兵士称揚記事を掲載して、青少年を奮い立たせた。

 しかし、その程度の民間協力は、英米にもあったのである。
 ファシズムの大きな特徴は、民間団体と行政府よりも上位に位置する政治党派が一致協力して強力な政治思想を推し進めていくことにある。だから、ファシズムを団結という。
 だが、日本の場合、どうしても、ファシズムだったとはいえないのは、皮肉にも、陸軍省海軍省内務省、陸軍参謀本部、海軍軍令部、首相、天皇側近、この7部門がすべて意志不統一だったということである。「軍部」としての合意さえないのが、日本の実態だった。これでは、軍国主義とさえ言えるかどうか怪しい。天皇。「海軍」「陸軍」「首相」が相取り相携えて侵略に邁進したかといえば、まったくそんなことはないのである。

 この不統一性はドイツのファシズムスターリンの独裁と異なるどころではなく、アメリカでさえ、大統領が陸海空三軍と国務省高官に強い指示を出していたが、当時日本で、誰か特定の地位についた者が主要な組織に強い指示を出しうる権限を持つものは実際にはいなかった。

 これは、強引に和平を決定する事ができる地位が存在しなかったという事でもある。
 ※たとえば、小泉純一郎首相が、郵政民営化を阻止された時、何がなんでも、郵政民営化をしてみせる、と解散総選挙に打って出て、民営化に反対する議員を落選させるように、人気のある対抗候補をわざと各選挙区に立たせたような制度が戦前の日本の首相にはなかったのだ。かといって、軍部もまた、海軍と陸軍の上に統括司令部はなく、アメリカのような統合参謀本部がなかった。
 日本の平和主義者は、日本がイケイケドンドンの侵略をしたと思いたいばかりに、日本のこのような欠陥を見たがらない

核の論理
 長崎の元市長本島等氏は、核は絶対悪ではなく、日本軍国主義を倒すためにはしかたがなかった、という主旨の事を何度も言っている。また、広島の平和運動家たちは、アメリカで核の悲惨を訴える時に、まず、真珠湾攻撃について謝罪するという。つまり、真珠湾攻撃がなければ、核は使用されなかった、というわけだ。

 マッカーサーは、韓国と国連軍の苦戦にたまりかねて、北朝鮮と中国に対して、原爆の使用を提言した。

 この場合、もし、原爆をしようしたら、38度線での停戦はなく、アメリカの完全勝利となり、中華人民共和国北朝鮮も崩壊し、この二国が、原爆を保有することはなかったろう。その後、アメリカは中国に対しては議論の余地なく、先制核攻撃だけは、行うことができなくなった。なぜなら、中国に先制核攻撃すれば、中国に長距離核ミサイルの報復をする口実を与えるからだ。

 中国の核保有は、中国・アメリカ両国民の核被害を救ったことになる。
 だが、中国・アメリカの核被害を救った中国の核保有は、日本に対しては非常に危険な存在になった事を意味する。なぜなら、日本は核を持っていないので、中国は日本に核先制攻撃をしても、報復される心配がない。したがって、マッカーザーが原爆使用を提言して、却下された時と同じ事を、中国の将軍が考えた場合に、中国政府が止める保証はないのである。中国は民主主義社会ではないからだ。

 これが、核の現実である。

 日本のマスコミ、とりわけテレビ朝日とTBSは、核弾頭の運搬を法文は否定していないが、実際は行わない、と答えた政府答弁を問題発言とし、かつまた、民主党の白議員は、「非人道兵器は運搬しない」と明記するべきだ、と言ったが、兵器というのは、皆、非人道的なのである。
 絶対に使わないと宣言する兵器、絶対にどんな弾頭も運搬しないと約束する国防になんの意味もない。敵国は、ああ、攻めても簡単に勝てるな、といよいよ、戦争を躊躇しなくなるのである。

宮台真司大塚英志は、日本を愚民社会という。トータルに日本社会を象徴するものは、いうまでもなく、テレビのニュースショーのありようだと言ってもいい。
 おかしいのは、日本のテレビニュースくらい、左翼的、無政府主義的で、日本の過去を他国に対して侵略と植民地支配によって中国・韓国を苦しめた、という歴史認識を不磨の歴史認識としているメディアはない。

 これでいったい、大塚英志に何が不満なのか。ただ、社民党共産党が政権を取らない事くらいが彼等左翼の不満の種で、基本的には、 日本の過去を他国に対して侵略と植民地支配によって中国・韓国を苦しめたという認識においては、盤石ではないのか。

 そして、わたしには、日本人に愚民の要素があるとすれば、この、他国を侵略したとされる歴史認識について、何の抵抗も感じないという事にある。
テレビのクイズ番組にレギュラー出演した事から、多くの日本人が知っているケント・ギルバートによると、「日本は料理・芸術・文化。治安、どれを取っても最高で、何よりも清潔だ」「信頼しても大丈夫という人であふれている国」という。

 しかし、ケント・ギルバートもわたしも、同じ事を気にかけている。
 テレビメディアのニュースキャスターとその背後のディレクターたちが、「GHQの占領政策の言論統制下となんら変わらない罪の意識を持っている」ということだ。

 ※問題発言です。とシタリ顔で言う腹話術人形のようなアナウンサーたち。
 「非人道的兵器は運搬してはいけない」とすべきじゃないか、と民主党議員が言うのをテレビ局のアナウンサーはもっともらしく支持するのだが、そもそも、兵器は拳銃から核兵器まで、すべて、非人道的なのである。問題は核であろうと、拳銃であろうと、先制しないとするかどうかが、最重要であって、核弾頭を運搬する事自体に何の問題もない。
 他国が核を持たないのに、持つとか、先制攻撃も辞さないとか言うなら、はじめて問題発言なのであるが、日本のメディアは、「核弾頭を運搬する事は法文上可能」と言っただけで、問題発言とする。何が、問題なのか。

 万が一、中国、北朝鮮が核を先制するぞ、と脅した時、ならば、アメリカの核が報復される。日本はその運搬に協力する、と表明することになんら問題はなく、むしろ、そのほうが、事態の悪化、暴発を思いとどまらせることができる。

 報復がないと、確信したら、先制攻撃の歯止めがあるはずもない。
 ケント・ギルバートの指摘する日本の自己規制の例。
 1.森喜朗首相「日本は神の国
 ※ケント・ギルバートによると、日本に神社はいっぱいあるのだから、この発言のなにが悪いのか、さっぱりわからないという。

 答えは、GHQの出版放送禁止項目に、「神道肯定の禁止」があったからだ、という。

 2.GHQの出版放送禁止項目には、「愛国心を肯定してはならない」というのが、あった。
 なるほど、日本のテレビ局は実に繊細に愛国心を避ける。
 そして、アメリカの呼称「太平洋戦争」を使って、けっして「大東亜戦争」とは言わない。これでは、洗脳されたままではないのか、とケント・ギルバート

 事なかれ主義の腐った餓鬼が・・・、とわたし。

 3.ケント・ギルバートはもっと重要な事実を指摘している。
 TBSのワシントン支局長、山口敬之氏が取材した内容がTBSで放送されなかったので、山口氏は、世間に知らしめようと、週刊文春に情報を流した。すると、山口氏は、15日間の停職と営業部に左遷された。
 山口氏が入手して、TBSがボツにした内容とは、山口氏が2014年7月、「韓国軍による韓国兵専用慰安所」を米軍兵士が利用していたことをアメリカ海兵隊歩兵部隊長から証言を得る。これをTBS放送はにぎりつぶした上で、山口氏を報道部から営業部へ左遷したのだ。

 4.ケント・ギルバートは、毛沢東八路軍は、ゲリラに過ぎず、日本と毛沢東軍は戦争はしていない、という。この程度の区別も、ケント・ギルバートに指摘してもらわねばならないほど、日本のテレビ局はデタラメを振りまいているのである。
 リングの外から空き缶をなげつけるライセンスのない輩が毛沢東軍だったのだ、と。

 5.先の戦争で日本に勝ったのは、アメリカ軍だけで、英国も、オランダもフランスも、植民地からあっさり追い出され、ソ連は日本がふらふらになってから、入ってきた卑怯者だ。日本は強かったので、アメリカは、多くの戦時国際法違反をして、なりふりかまわず日本に勝ったのが真相だ。

 日本よ、しっかりせよ、とケント・ギルバートは言う。

 半藤一利は、「大東亜共栄圏では、イスラム教のほうが多かったが、日本はイスラム教を改宗させて神道に帰依させるつもりだったのだろうか」
 「インドネシアを東亜新秩序とかいって、領土にしようとしていたのですから」 
(2015年4月号文芸春秋
 果たしてそうだろうか?大東亜共栄圏というのは、大東亜をすべて神道にする事も含むものだったろうか。
 インドネシアを日本の領土にするという野心を日本は持っていたのだろうか。
 かなり、疑問だが、こういう言いっぱなしをしてしまうところに、日本の平和主義者の独善と倨傲があるのではないか。

 たとえば、第二次世界大戦後、アメリカソ連第二次世界大戦後、それぞれ西側と東側に分かれて、対峙した。米ソは、それぞれ世界中にソ連の基地、アメリカの基地を布陣していたのであり、かならずしもそれは、米ソ二大超大国の領土というわけでもなかった。
 その時、西側には、仏教国もキリスト教国も含む軍事同盟が成立していた。
 半藤一利は一体なにを根拠に、日本の場合だけ、大東亜共栄圏とは、アジアの広大な地域をまるごと日本国の領土にしようとする試みだなどと言えるのだろう。

 わたしはなにも、当時の日本がオランダからインドネシアを独立させて、ただそれだけのことだとは思わない。アメリカが日本に基地をおきたがった、それくらいの事は日本はしたろう。ところが、半藤一利は、インドネシアイスラム教徒をすべて神道に変えさせて、インドネシアを日本領にしようとした、と考えている。
 
 1902年には、田中智学が、「天皇神道を放棄して、日蓮宗に帰依すべきだとし、日本の国教は神社ではなく、日蓮宗の仏寺を普及させて、天皇日蓮宗の頂点に立ち、「八紘一宇」、世界の盟主になるという思想を唱えた。

 これが、田中智学は、アメリカやソ連の脅威について無知だったが、日本の外務官僚は田中智学とは別に、もっと別な世界の見方をっしていた。

 日本の中心思想になるはずもない。
 現代日本に、統一原理協会やオウム真理教幸福の科学がブームになり、創価学会が一大ブームを保っていても、それが日本の主流とはいえない事を考えてみればいい。

 「八紘一宇」は、もともと、日本の戦争を動かしたイデオロギーでもなんでもない。
 石原莞爾が「八紘一宇」を信じていたとしても、石原莞爾は、満洲国を重視したものの、中国侵略は反対した。

 八紘一宇支那事変(続く日中戦争)とは、ほとんど関連性がないと考えるべきである。
 1932年に、小沼正、菱沼五郎が元蔵相井上準之助、三井の団琢磨を暗殺する。
 そういう数々の狂信者と日本の中国侵略戦争とはまた別の話なのである。

半藤一利の言う、「大東亜共栄圏では、イスラム教のほうが多かったが、日本はイスラム教を改宗させて神道に帰依させるつもりだったのだろうか」という
言い草がデマゴギー(嘘デタラメ)であるか、その反証がある。
 日本が、インドネシアからオランダを追い出して、ふたたび、オランダが入ってこないように、軍政を敷いて、そして、インドネシア人に祖国防衛義勇軍PETAを創設。
 これが、日本敗戦後も、インドネシア人自身によるオランダからの独立闘争につながり、PETAの一員だったスカルノが初代大統領になる。

 なんで、日本がインドネシアを征服し、領土にしようと思ったなら、抵抗するかもしれない人々に武器の使い方を教えるのか?また、「祖国を防衛する」という理念をわざわざ、インドネシアの人々に強調提起するのか。おかしいではないか。

 昭和52年1977年、インドネシ政府は、前田精海軍少将にインドネシア建国功労賞を授与した。半藤一利は、インドネシア人は、日本がインドネシアを日本の領土にするつもりだったその真意を知らずにだまされて、日本の行動を善意に解釈して、建国功労賞もまで授与した、と言っていることになる。アホか。

 田中智学の「八紘一宇」は、天皇日蓮宗の総帥として、その天皇をアジアの盟主とする異様な思想だったが、それは、現代日本の創価学会が所詮、日本の主流ではないように、当時としても、けっして、日本の指導者たちの多くは、八紘一宇をそのまま狂信したわけではなかった。当たり前だろう。日本の知識人。文化人。指導層には、共産主義思想への共鳴者もいれば、山本五十六吉田茂のように、英米留学経験者で、英米自由主義の価値を知る者など、さまざまな思想が並立していたのだから、「天皇日蓮宗の総帥とする」など、という宗教に固執する世界観は、大学知識人、新聞記者、外務省、内務省官僚など多くの分野において主流になるはずがなかったのである。

 わたしは、韓国が対北朝鮮向けの小型ミサイルを発射する訓練をしているのを見ると、いつも、背筋が寒くなる。この連中、いつこのミサイルを日本に向けるか、知れたものではない、と。

 これが、けっして、杞憂とも言えないのは、1992年「日韓誤解の深淵」西岡力著に、次のような韓国人青年の言葉が紹介されているからだ。
「(日本人はそんなに謝罪しなくてもよい。)我々が弱かったから、侵略されたのだ。
 謝ってもらうべきことではない。国際社会はパワーがすべてだ。僕が今、日本語を勉強しているのも、もし、将来、日本戦争になった場合、相手の無線を聞いて、作戦を立てられるようにするためだ。」

 日本の青年には、「謝る必要はない。日本が強く、韓国が弱かっただけなのだ」という人がいる。だが、問題は、韓国の青年に臥薪嘗胆の気構えがあり、日本には、ただ仲良くすれば仲良くなれるというにやついた態度が主流になっているということで、これが恐ろしい。いまや、日本はまさに、ドラえもんのび太のようなお人好しになろうとしているのである。韓国が植民地を勘違いして、日本にやられた、と被害者意識を持っているかぎり、謝罪どころか、日本を追い越し、はるかに凌駕して、泣かせて見せるところまで行かないと気が済むまい、と考えるのが自然なのである。
 日本がつねに、韓国の上を行く保証がどこにもない以上、韓国軍の演習は、大きな不安の種だ。

 この韓国の青年を「気高き愛国主義」と言ったが、気高いどころではない、恐ろしい。

 日本が世界市民になりましょう、と言い、韓国の青年がいつか見返してやると決意するコントラストが恐ろしい。

 

 

 




ところで本年8月7日付け新聞各紙に掲載された戦後70年談話懇談会報告書について、ひとこと書いて置きたいと思う。

 1928年にケロッグ・ブリアン条約という不戦条約が結ばれるのだが、これは、第一次世界大戦がヨーロッパにとって非常に悲惨な戦死・戦傷者を生んだため、厭戦思想が盛り上がった事、現代の平和の願いと変わりない。第二次世界大戦が終わり、戦争は二度とあってはならない、と日本人が思ってさえ、なお朝鮮戦争があり、ベトナム戦争に韓国軍が参戦し、中国とベトナムは戦争し、ソ連と中国が国教紛争をして、交戦したように、・・・あいかわらず、世界は絶対平和を堅持はしなかっように、ケロッグ・ブリアン協定以後も、ソ連フィンランドに侵攻したのである。

 そして、アメリカも、イギリスも不戦条約を調印しながらも、いつでも、起こりうる戦争に備えて、海軍力を維持していたのである。

 いかに、アメリカが当時から自国だけは、国土防衛のフリーハンドを得たいとよっきゅうのもとに、わかままな国でるあったかを示すものとして、アメリカの国連非加盟を捉えておくべきなのである。

 戦後、日本が国連脱退した局面を捉えて、日本のNHKをはじめ、日本の孤立化のはじめと騒ぎ立てるが、そもそも、アメリカはその国際連盟には入ろうともせず、国連の世界的機能を弱めていたのは、アメリカに大きな責任があった。

 また、ドイツや日本が経済的苦境に陥った、その震源地は、とりもなおさず、アメリカ人の阿呆な経済政策と株式投機の加熱、保護貿易政策というアメリカ発の世界恐慌だった。

 また、第一次世界大戦戦勝国が、その傲慢から」、ドイツの巨額の賠償負担を追わせた事も、ヒトラーの出現を招いた。

 また、日本の満洲進出は、元来、ロシアが進出していた地域に、アメリカ、の仲介のもとで、日本が交代的に開発を担当したのであり、当初、アメリカは日本に共同開発を提案したほど、日本の満洲開発それ自体は、いわばアメリカ公認のもであり、そこは、万里の長城の外側でえあった。

 このように、ドイツファシズムにせよ、日本の満洲事変にせよ、平和を断固追求する各国の善意をあえてぶち破った悪魔の所業というものではなく、フランス。英国のエゴがドイツ国民を追い詰めてヒトラー出現につながり、日本の満洲開発をソ連共産主義勃興やアメリカの経済的失策から始まる大恐慌が日本経済を窮地に追い込んで日本を焦らせたという面がある。

 つまり、アメリカのフィリピン植民地支配、ハワイ併合、黒人奴隷などの歴史をそれぞれ、一貫した「有色人種侵略史」と、言ってもいいがあえてそうは言う事を自制するならば、日清戦争日露戦争はそれぞれ、アメリカ、イギリスが資金を出したという事情も含めて、別物なのであり、単純に日中戦争を「完全なる侵略」とも言い切れないのは、日中戦争とは、まさに、日露戦争にアメリカが資金を出したごとく、史実として、日中戦争では、アメリカは日本に支援はしない事はもちろん、では、中立だったかといえば、戦闘機、および資金を中国国民党に援助して、日中戦争を長引かせた張本人でもあった事を忘れるべきではない。

 つまり、第一次世界大戦後、先進国の国民は、皆こぞって平和を願いながらも、実際は、侵略に邁進したように、第二次大戦も、日本、ドイツの内発的な単独責任ではなく、当時の先進国が少しずつ過ちをわけ持って、対立の火種を作ったのが、真実である以上、日本一国がいかに反省しょうと、世界に戦争がなくなるわけがないのだ。

 日本の左翼はまるで、日本とドイツさえ反省すれば世界から戦争の種は根絶するみたいに勘違いを70年続けてきて、最近は、「巻き込まれ」論を言い出してきた。
 最初は、日本が反省さえすれば、世界から戦争は根絶されると考えたのが、最近では、「反省しないから、他国の戦争に巻き込まれる」論に変わって着ているが、一貫しているのは、北朝鮮、中国、韓国、日本の中で一番危険なのは、日本だという思い込みだけを彼ら日本の平和主義者は後生大事に手放さい。

 だからこそ、日本とは、まるで関係のない場所で、朝鮮戦争が起こり、ベトナム戦争が起こり、湾岸戦争イラク戦争が起こった。
 何度でも、はっきり言っておかねばならないが、朝鮮戦争と日本はまったく関係ない。
 朝鮮戦争は、もし、韓国人が戦争を忌避したければ、共産主義軍に黙って降伏していれば起こらない事だった。あれは、韓国軍が抵抗したからこそ、国連軍に正当性が生じたのである。それこそ、日本の「侵略されたら、逃げましょう」派のように、韓国がすぐに、手をあげていれば起こらない戦争だった。したがって、日本と朝鮮戦争はまったく関係ない。単に、共産主義北朝鮮が資本主義韓国を潰そうと思ったか思わないかが、朝鮮戦争の原因の本質なのである。そこにまた、共産主義の暴力の本質がある。

 その事をわきまえないどあほうがいつまでも、未練に、朝鮮戦争は日本のせいだと言いはる在日韓国人の日本の大学に籍を置いていい給料を取る二流学者が絶えない。

私達は、教科書の記述風に、「北朝鮮が韓国に侵攻したから、応戦した」と当然のように思っているが、これは、つまりは、韓国人がなぜ、必死で抵抗したかというと、愛国心とか、民族愛ではありえない。では、どういう動機の抵抗なのかというと、北地域の人々に南地域の人々が全財産を没収された上、下働きに甘んじるそういう極端な地域差別社会が始まるのを、死に物狂いで、(しかも、アメリカを中心とする国連軍のちからを借りて、)逃れようとした、その結果の戦争なのである。

 いまだって、韓国内部で激しい地域差別があることは韓国人はよく知っている。
 もし、北朝鮮が勝っていれば、それは共産主義による半島統一にとどまらず、半島の南側の人々に対する、北側の人々が赴任支配する強烈な地域差別国家になったこというまでもない。

 そして、韓国と北朝鮮が統一する日がもしくるとすれば、必ずや、韓国人は北朝鮮の人々をグズでのろまな連中と、地域的レッテル貼りをして差別しはじめる事はもう確実である。

 いまでさえ、大企業正社員は甲、契約社員は人間的に劣る「乙」と、どうしても、露骨にかろんじたがる性癖を克服できないのだから。
 もちろん日本人にも、「お高く止まる」という表現はあるが、韓国人のように、軽自動車にはセレブは乗らない、とか「金持ちは自転車に乗らない、」とか、「重役と平社員が同じエレベーターに乗らない」というほどの執着は、日本人にはない。

 ちがう、というなら、まず、お尋ねしたい。在日の韓国人学者は、韓国本土の学者と、韓国半万年の檀君神話は本気か否か、論争する覚悟はあるのか?と。
なぜ、そういうのか、というと、韓国で教育を受けたニューカマーの韓国人の多くは、韓国半万年の歴史を大真面目に信じている人は多いが、日本で育った韓国人は本音の部分で、中国4千年、韓国5千年を信じてはいないからだ。

在日韓国人姜尚中は、「日本がもっと早く降伏していれば、ソ連が南下せず、北朝鮮ソ連の影響下に置かれなかった」と奇妙な屁理屈を言う。

 しかし、それなら、日本がもっともっと、早く降伏したり、アメリカがもっと早く日本bと講和する気になれば、早期講和ゆえに、韓国は今でも日本領土だった事になる。
 仮に、朝鮮戦争が起きなかったとすれば、日本は、日韓協定で巨額の経済援助をする事はなかっただろう。なぜなら、日韓協定を日本が結んだ理由の大部分は、北朝鮮の脅威を懸念して、なんとしても韓国と協調しなければならず、無理にでも理由をつけて韓国と国交を結んだからである。その流れで、数々の技術供与、経済援助が行われた。

 北朝鮮の脅威という懸念なしには、韓国は日本にとっていまよりもずっと疎遠な国であり続けた可能性が高いのである。

 それは、なぜなら、日本は、社会主義北朝鮮に好感を持っていた人間が多かったところを北朝鮮の脅威を感じた保守派が韓国をあえてかばって、技術供与政策を取った。したがって、非社会主義の半島を仮定すると、日本の社会主義共鳴者たちは、一貫して、朝鮮半島を嫌悪し、保守派もまた、北朝鮮の脅威がないゆえに、韓国をいたわる理由がなかったことになる。そうなれば、韓国は、おそらく、40年ないし50年は停滞したろう。

倉本聡の脚本になる「北の国から」でわたしに、深い感銘を与えた場面は、主人公の少年が友達のしょう吉と山小屋で遊んでいて、後始末を怠って山木屋を火事にしてしまう。

 少年は、自分の愚かさを恥じて、父親にしょう吉が悪いんだ、と言う。
 父親は、息子に、「しょう吉だな、みんなしょう吉が悪いんだな」と問いかける。

 また、それから十数年後、少年が青年になり、ガールフレンドを妊娠させるかそんな事があり、たぶん、彼女が自分で中絶してしまったような事件が起きる。
 すると、主人公の父親が相手の娘の親のもとに行って、謝罪して、「誠意を持って・・・そのぅ・・」と口ごもる。

 相手が、「誠意って、何かね?」と問いかける。

 主人公の父親は、事態にとまどい、言葉を失い、自分を失い、決まり文句に頼ってしまった自分を思い知る。

 日本のマスコミが、「国民の声を」とか、「謝罪と反省を」とかいう言葉を繰り返す時、もはや言っている当人に、「そこまで深い意味もなく」番組の時間を埋める埋草として語っていることを、おそらく日本人のだれもが気づいているのではなかろうか。気づきながらの戦後70年、80年、・・おそらく100年後にも変わらないと思える。

 日本の侵略と植民地支配の罪悪を言い立てることに、利益を見出す者達は、次のように多岐にわたり、かつまた、その理由も違っている。

 1.ドイツの場合
 人類史上最悪の愚行、他国、多民族への加害をなしたのは、ドイツばかりではなく、日本もそうである。日本も悪いばかりではなく、ドイツは深く国家の罪悪の自覚の表明をし、謝罪をしたが、日本はいまだに、他国から、「謝罪していない」と指摘を受け続けている。
 日本はドイツよりもはるかに、悪い。
 2.中国共産党の場合
 中国共産党は、日本帝国主義軍国主義と命をかけて戦って、中国人民の自立を勝ち取った偉大な党である。
 3.韓国・北朝鮮の場合
 朝鮮民族は、北朝鮮、韓国それぞれに、世界史に例のない凶悪な日本帝国主義李氏朝鮮末期以来延々と武断的に強圧占領され、必死に抵抗運動を続けてきた。
 そして、中国共産党の抗日闘争に参加し、ソ連の極東軍とともに、抗日闘争を戦うなど、命を賭して戦い続けたのだが、日本によって押し付けられた小国の悲哀ゆえに、戦勝国としての立場を主張するも、これを列強に認めさせることが、ついにかなわなかった。

 4.アメリカの場合。
 アメリカには、北アメリカ原住民のインディアンをジェノサイドしたとか、黒人奴隷を使役したとか、ヒスパニックや黄色人種を人種差別したとか、ハワイ王朝を消滅させ、フィリピン人を20万人餓死させた過失があり、また、とかく独善的だという非難をあびせられる。

 しかし、アメリカ政府およびアメリカ軍人は、あの戦争によって、まぎれもなく、悪逆非道で、かつ他国を侵略してやまない日本軍国主義をこの世界から消滅させ、日本人に「男女平等と個人の人権を大切にする精神と平和を守るという至高の価値」を与えたのだ。
※英国・ソ連もアメリカ型

 5.朝日・毎日・岩波・共産党・沖縄の地元紙二紙・旧社会党(現民主党)および自民党左派
 ちなみに、、三島由紀夫は、自民党共産党も、同じ穴のムジナと言った。
 また、沖縄タイムス琉球新報は、政府批判を競う事が同時にシェア獲得競争という営業競争に直結しているという強烈な自覚があるのだろう。

 日本メディアとカウンターパーティ(抵抗党)(通常、経済的指南力が弱いという決定的弱点によって、ほぼ、つねに、政権与党にならない)の場合、大きくふたつの、是が非でも、「侵略」と「植民地支配の罪悪」を認めさたい、あるいは、認めせる勇姿を国民に見せたいという動機がある。

 ひとつは、「侵略を認めさせる」勇姿が、クォリティーペーパー、国民の声を代弁する放送局としての自己証明と信じられていること。また、その姿勢が強ければ強いほど、多数のメディアの並立する購読者数、視聴率の競争の中で、「国民の信頼」を勝ち得る王道だと考えられていること。すなわち、資本主義社会で彼等自身の企業的繁栄と高給の維持の基本条件なのでもある。

 これは、政治家についてもほぼ同様に考えることができる。

 以上のように、こうした「各国の指導層のうぬぼれ鏡のごとき思惑」によって恣意的解釈を受ける「歴史」は、現代人にとって、「虚偽と空虚」の中を生き続け、ニセであり、虚飾であり、うわつらだけのバカ騒ぎを演じ続けて、ついには、死にいたる、トルストイの「イワン・イリイッチの死」が普遍化されつつあると予感せざるをえないのである。

 人間は、自己保身のために、左翼になる場合もあれば、保守になる場合もある。
 ただ、個人だけが、自分自身の心に、「悪いのは、しょう吉だけなのか」と問い続け、大江健三郎のように、原発事故を見て、来るべきアジアの核戦争を予感したなどと、芝居じみた事を言うまい、考えまいと自分自身に言い聞かせる事による自己の魂への責任がある。
 
 

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