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併合前の皇帝のいた大韓帝国はどういう国だったか。2

皇帝のいた大韓帝国時代には、紙幣さえもなかったのである。

あったのは、現在の50円玉、5円玉のような形状の、穴あき銭を数百年使い続け。日本のような小判のようなものさえもない、ぞんざいな国柄であった。

高価なものの取引はいちいち馬に運ばせるしかなかったのが実情。

 

 大韓帝国の民衆は、関東大震災で日本人に殺されるよりも何よりかにより、韓国人の高利貸しに苦しめられたのである。

 

 大韓帝国の官吏、地主、高利貸しこそ、日本人どころではなく、朝鮮民族の民衆を苦しめ続けた。近代的金融機関が存在せず、ただ日本の第一銀行が明治11年釜山にできて、大韓帝国臣民は、高利貸し以外の金融業を知った。

 日本の財政顧問が韓国政府に教えてあげて、ようやく韓国人は韓国銀行を設立することができたのである。

 

 朝鮮がなぜそれほどまでに遅れたかといえば、「儒学の暗記」のみが成否を決める「科挙」が明治25年まであったから、京城の最高学府と言っても四校も、各郡の郷校、書堂もただ句読の暗唱と訓話だけで、日本のような医学、西洋語学、軍学などはまったくなく、西洋に留学できる素養もなかった。ここで日本と韓国に大きく差がついた。

 

 併合後、日本人は朝鮮半島の民衆の実業知識の普及のために、昭和9年までに、公立農業高校28,公立商業高校16,公立水産高校を3校作ってあげた。

 また、高等女学校は25、女子高等普通学校は17,実業学校は55と教育の普及に努めた。

 

 これは、イギリスのインド支配、フランスのベトナム支配、アメリカのフィリピン統治にはないことだった。

 この日本人の親身な貢献は、「関東大震災という未曾有の大災害のパニックと火事場泥棒化した不逞朝鮮人との自警団の戦いのなかで起きた事件はともかく、日本が半島の民衆に与えた多大な貢献といえた。

 

 併合後、日本が神道朝鮮人に押しつけたというのは、まったくのウソである。

 事実は、併合後に仏教キリスト教、が盛んになったのである。

 明治44年9月寺刹(じさつ)令により、僧侶の地位は保証されて、その財産の保有が確固としたものとなったのであり、神社神道を強要したというのは、捏造である。

 

 明治40年の日韓協約、そして併合まで、韓国では、行政庁たる郡守は司法権も兼ねていたので、つまりは、行政権力が司法権力も兼ねていた。

 

 これを考えても、いかに韓国人自身が韓国民衆を苦しめていたかがわかろう。

 これを日本が改革してあげて、韓国民衆は歓喜したので、関東大震災のチンピラ朝鮮人が死んだ騒ぎどころではなく、当時の朝鮮民衆は日本に感謝していた。

 

 大韓帝国の警察制度は、常に権門有力者の手先になって、民衆に圧伏を加えているばかりの恐怖政治の暴力装置そのものだった。

 これを公僕制度に変えたのが、日本の指導だった。

 これもやはり、明治37年、日本から派遣された警察顧問によって、韓国人は警察官のなんたるかをはじめて知ったのである。

 朝鮮宮中には、組織だった消防隊さえ、初めてできたのは、明治40年1月になってである。

 朝鮮がいかに衛生状態が悪かったかを示す事例として、コレラの流行がある。

 大正8年には、1万6千965人がコレラにより死亡。

 大正9年には、1万3千568人がコレラによって死亡した。

 こうした悲惨な状況は、韓国人が医学の普及に努めず、民間の占いに頼って、長く不衛生な暮らしを続けてきたからである。これに対して、日本は極力、コレラ予防の意識を持つよう、注意喚起をして、民衆を助けようと努力したのであるが、こうした努力は忘れられて、ただただ、「関東大震災虐殺」と言い立てるのが韓国人と日本左翼の低脳児の無知なところである。

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