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戦前日本はファシズムではなかった理由。

ファシズムの要件とは、宗教、または政治イデオロギーが新興的に結成されて「結社」「党」として形成され、これが広範な大衆の支持を得て、国家の上位に位置して、国家権力を掌握して、結社の構想する理想に向けて、強力に戦争や他民族、他宗教の圧迫に向けて動く事である。

 北一輝の226事件における国家社会主義革命、オウム真理教幸福の科学創価学会・・・これらが、広範かつ急激な国民の熱狂支持のもと、実際に国家権力を握った場合が、ファシズムなのである。

 これらの組織は常にファシズムの主役を目指すが、実際に実現するかどうかは、最初にあげた条件が実現するかどうか次第である。

 

 ところが、日本の戦前においては、日本人にとって皇室は「新興宗教」ではなく、また、なんらかの「天皇イデオロギー」の特定の結社が、日本政府の内閣、軍のそのまた上位に君臨するということがなかった。

 

 それを目指す勢力はあったことはたしかである。そのひとつが、田中智学の新興日蓮宗の八紘一宇で、天皇およびアジア人全体を日蓮宗徒にすることだったことは、忘れられている。

 これがもし、天皇に上奏するよりもなによりかにより、天皇の輔弼をする結社が、国家の司法・立法・行政三権すべての指導をしている場合が戦前戦中にあったのなら、ファシズムなのだが、日本は実際にはそうではなかった。

※朝鮮に神社を作ったのをかんちがいして、強制だと言う人がいるが、あれは日本にキリスト教の教会があると同じ意味で、特に神社参拝を絶対視して強制したわけではない。むしろ、儒教ファシズムを解体して、現在の日本人のように、宗教何でもありの状態にしたのが、併合期の朝鮮半島である。

 ドイツのナチズムとは、まさに、このファシズムの要件に該当するものであることだった事を確認してみるとよい。

 丸山真男をはじめとする戦後民主主義者が、日本について「天皇ファシズム」だったというのは、日本人が当時、現在の世界のカトリック教徒がバチカンの法王に大きな敬意を表すると似たような態度を皇室に持っていたことを、ファシズムの型に無理やりあてはめたにすぎない。

 天皇ファシズムというのが、危険なのは、現在の世界のカトリック教徒が法王を崇敬するのを見て、ファシズムだと言う事が途方も無い事だというと同じである。

 日本人は、親鸞空海日蓮に大きな敬意を払ってきたのと同じような意味あいで、平凡な一生活者とは違う尊い存在に敬意を表してきたのだろう。

 

 これを日本の左翼は、天皇に対する日本人の態度のみを、奇怪異様なものとして告発したが、親鸞空海日蓮に対して示した日本人の大きな尊敬にはいっさい関心を示さなかった。

 しかし、本当は日本人の心情の実態は、天皇親鸞空海日蓮に対する土俗的新興心情とたいして変わらない。

 こうした認識がいかにいい加減なものであるかは、活字媒体による戦前批判には、「天皇ファシズム」「天皇主権」という言葉はいくらでもあるが、彼らは、テレビの前では、けっして、このことに言及しない。「軍国主義」あるいは「中国に侵略したことはまちがいない」と繰り返す。

 

 姜尚中は、著書の中では、「日本は天皇の戦争責任を処理しなかった」と繰り返しているが、これをテレビで一言でも言ったことがあるか。

 無いのである。TBS,テレ朝、NHKも同じである。彼らが信奉する「戦後民主主義」は、元来「皇室の存在を否定しているのであるが、テレビでだけは、これをけっして公言しない。

 なぜか。言いだしっぺのテレビ局が、まっさきに世論の袋叩きにあうことを恐れているからだ。

 「軍国主義」あるいは「中国に侵略したことはまちがいない」という主張は、世論が猛然と反発することはないと安心していられるのだが、たとえ本音では思っていることでも、自己保身のために言わないのが、彼ら「戦後民主主義者」であり、自民党左派、民主党の連中の姑息なところである。

 歴史修正主義者を非難する彼らが、では、自らの信じる歴史であるところに、日本は「天皇ファシズムで、昭和天皇に責任がある」という歴史認識は秘匿するだけで、あれは間違いだったとは、決して考えない、それが彼らのいやらしいところだ。

 ※吉本隆明西尾幹二のふたりは、この「天皇ファシズム」という認識を概念としておかしいと明瞭に指摘している。(吉本の場合、著書で言っているかどうか、不明だが、講演で日本はファシズムではなかったと明言している。吉本にとって、戦争悪は、日本特有の問題でもなんでもなかったのである。)

 内閣参与(日本の世界遺産ユネスコ登録担当)加藤康子ニューズウィークへの寄稿

 

「韓国の代表は、「ドイツと日本は同じような歴史背景を持っているのです」と繰り返し、アウシュビッツを引き合いに出した。

 戦時徴用というのは、戦時中に国民が協力するというもので、これとアウシュビッツはまったく関係ありませんよ、と反論すると、議長国ドイツの担当者は、「あの写真を見た?(日本の世界遺産のひとつ軍艦島のこと)そんなきれいなことばかりじゃないでしょ」といきり立った。」

ナチスファシズムとは、

1.ユダヤ抹殺のあとには、ロシア民族抹殺というように、次々に極端な他民族抹殺イデオロギーを構築していった。

(日本に他民族を抹殺するなどという発想はまったくなかった。)

 

韓国併合は過ちだったのだが、それは、アメリカのハワイ併合を考えれば、そう極悪なものともいえない。事実、

2.国軍と別に、親衛隊(SS)のように、ヒトラー直属の武装集団を保持していた。

 (日本に天皇の直接指揮する武装組織はなかった)

3.ナチスは心臓疾患者、身体障害者の結婚を禁止し、子孫を残せないように、断種措置を取った。日本が朝鮮人に断種などをするわけがない。

この民族浄化思想を、外部に向けて発展させたのが、ホロコーストであり、日本とまるで異質なもので、ドイツは謝罪したが、日本は謝罪していないなどと引き合いに出されるようなものではなかった。

4.1992年7月、日本弁護士連盟のシンポジウムが、次のように言った。

 

「日本はインドネシアに国家賠償をしたが、個人補償をしていないが、ドイツは個人補償をしている。だから、日本は個人補償を慰安婦にするべきだ」

 

 このとき、日本人も韓国人も、ドイツは誠実に国家賠償の上に個人補償をしたのだと思い込んだ。

 そして、戦争相手ではない韓国人も、個人補償を要求できるもんだ、と思い込んだ。

 しかし、実際には、ドイツは「国家賠償」をしてはいない。

 最近、ギリシャが国家賠償を言い出したのは、国家賠償がすんでおらず、しかも、ドイツの侵略行為の事実関係が明白だからであるが、日本の慰安婦問題は、「金銭のやりとりのある風俗営業の一種なのか、奴隷狩りのような強制連行なのか」いまだに不明瞭な問題だという違いがある。

 ドイツは国家賠償という集団責任を回避して、ナチス党員の責任だとしたかったので、ユダヤ人に対して個人補償した。(戦争講和の賠償とは関係なく、しかも、日本は朝鮮人に対してホロコーストをしたわけでもない。)

 これが、混同されて、日本とドイツを並べて論じたがる風潮が、池上彰をはじめとして、一向に消えない。

 ドイツの論理では、戦後ドイツ国民は、ナチスから解放された国民なので、ナチスの罪を謝罪する必要がないのである。

 だが、韓国人が日本人に、ドイツは謝罪している、と主張すると、そうか、日本も謝罪しようと勘違いしてしまう。

 実際には、ナチス国家社会主義党の党員は、1200万人。成年男子のふたりに一人だった。

 これをごまかして、ナチスから解放された、とドイツは称した。

 むしろ、日本こそ、そのようなイデオロギー政党自体が存在しなかったし、日本の庶民が政党の党員だったということもなかった。このことは、アメリカ国民がなにかの政党の党員ではなかったと同じことだった。

 ※大政翼賛会は新興の国民が参加する「党」の設立を目指したのであるが、失敗した「看板だおれ」に終わったのである。

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