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民進党と中国共産党の現代史

 1984年から、社会党、すなわち後の民進党の源流は、石橋政嗣が、憲法学者小林直樹の「自衛隊違憲だが合法存在」論に依拠することとなった。

 

 小林直樹が「違憲にして合法は背理」と言ったものを社会党は、「違憲だが、合法」と言い切る形に変えてしまった。

 

 そこで、この理論を採用した後、防衛庁職員の給与引き上げに同意するように態度を変化させたのである。

 自民党政権が親米反共だとすれば、社会党は「親共・反米」すなわち、ソ連、中国、北朝鮮にやさしく、アメリカ批判に厳しい態度をとり続けた。

 この時、政権自民党に与しない右翼は、反共反米(得にユダヤ金融資本嫌い)が多く、極左社会党共産党の逃げの姿勢を憎みつつも、反自民党すなわち日米資本協調体制を憎んで、社会党共産党の嚮導する反自民の大衆運動を蔭で支え続けた。

 

 1994年になると、社会党村山富市が「自衛隊合憲」を打ち出して、これが「社会党」の独自性の消滅を決定的にして、共産党の支持を後押しする作用を及ぼす。

 しかし、凋落した社会党の残党たる福島瑞穂は極小化した社民党の牙城を守り、安部知子、有田芳生、辻本清美のような本来労農派マルクス主義の系譜に属する者たちは、民進党に潜入することに成功するのである。

 

 社会党のは、元来、共産主義イデオロギーへの親和性と他国他民族への侵略加害の贖罪意識の合成意識が政治家としてのアイデンティティーを形成したものが多い。

 そこで社会党党員の場合、

  • 北朝鮮擁護と在日朝鮮人差別に反対することに血道をあげるもの
  • 中国との友好に血道をあげて中国人強制労働、南京大虐殺などに集中するものなどに専門性が分化する傾向がうまれる。

いづれの場合も、ソ連に対する贖罪意識は薄いために、ソ連崩壊後、比較的簡単にロシアへの関心を失うことになった。

 

 しかし、朝日新聞毎日新聞岩波書店はその組織の中に親中国派と親北朝鮮派を擁して、親中国派は日本共産党共闘し、親北朝鮮派は社会党共闘していくようになる。

 

 この朝日、毎日、岩波書店文化人の対中国、北朝鮮観はその内部派閥が、それぞれ北朝鮮派は、社会党と絆を深め、中国派は日本共産党と絆を深める時、国民は親北朝鮮、親中国という社会党共産党を足して二で割ったような世界観を持つようになっていったのである。つまり、北朝鮮には、関心が薄く、中国には関心が強いのが、日本共産党であり、中国には関心が薄く、北朝鮮在日朝鮮人擁護には、関心が津いのが、社会党という棲み分けが1997年頃まではあったのが、次第に朝日新聞毎日新聞岩波書店、を解して、一般国民の左翼意識が「反米・親中・親朝鮮・親韓国・反原発反核反戦争・護憲・(自衛戦争も否定)・反天皇」というフルコースメニューを形成するようになるのである。

 

 これは朝日・毎日・岩波党の党員とでもいうような立ち位置の国民がきまぐれに時に民進党を支持し、時に日本共産党を支持し、また時に山本太郎を支持するというように、きまぐれに選ぶ行動様式が生まれて、確固たる決意で民進党を選ぶ意味も、共産党を必ず選ぶ意味も消失したことを意味する。

 

 これは必然的に共産党民進党社民党山本太郎の党はすべて、政策目標は完全一致しているのだから、(反米・親中・親朝鮮・親韓国・反原発反核反戦争・護憲・反天皇で完全一致)新党を結成していいはずなのだが、これができないのが、未練というもの、というしかない状況になっている。

 ここに、街頭デモ左翼が政治の主役化しつつある根拠がある。

 街頭デモ左翼は朝日・毎日。東京・神奈川新聞の支援を受けつつ、ただ「左派民進党共産党山本太郎の仲間のどれかひちつに投票すればそれでけっこう、自民党にさえいれなければ、結果は同じという流れを形成していると言っていい。

 

 この街頭デモ左翼の最大の弱点は、首都圏でしか運動を続けることが出来ないということである。ネット動画は、政治思想エンターティメントとして機能する範囲をけっして出ることはない。ネット動画の視聴者の過半は地方在住者で、永遠にデモに参加することはないからだ。

 

 また、街頭右翼もまた、結局は、保守の受け皿を自民党にしか見いだすことが出来ないが、彼ら街頭右翼の本音は「国際金融資本への憎悪」なので、永久に「議会制民主主義の本流にその思想を託すことは不可能。

 

 結句、死ぬまで不満をかこつしかないのが、反米国際金融資本右翼の行く末である。

 

 なぜ社会党民進党も凋落したのだろうか。それは結局、国民大衆が求めるものは、「国際金融資本打倒だとか、財閥・天皇制打倒、あるいは国内の民族差別などというものはどうでもよく、(第一、差別に胸を痛める体験をしていない国民が圧倒的多数である)自分の給与があがるか、職さがしに苦労しないですむか、その思いに答えてくれるのはどこか、という観点で政党を選択するからである。

 

 社会党が150議席前後まで議席を伸ばした時代があったのは、本質的に労働組合運動によって、給与と厚生の待遇があがると思い込めた時代があったからで、反米・親中・親北朝鮮の贖罪意識の正しさは、進歩的知識人の頭の中を出て、大衆を動かす原動力には遂になりえない事がわかった。

 

 社会党の「いかなる国の核実験にも反対」論は、「いかなる国」といいながら、米国、日本には核を反対し、中国、ソ連には沈黙するという内弁慶の反核に陥らざるをえない欠陥を持っていた。そして、共産党は、ソ連、中国に核保有は、帝国主義の侵略から身を守るために必要だと肯定する点で、「日本人滅亡」の思想と言われてもしかたのないものであった。

 この1964年の時点で知的な青年たちは、日本共産党を選ぶべきか、社会党を選ぶべきか、その判断基準を持っていた。

 なぜなら、日本共産党は、中国、ソ連の核を肯定し、社会党は、中国・ソ連の核を否定するゆえに、米英ソ核保有国の部分核実験停止条約をの国会承認を、社会党は承認。日本共産党は全面拒否した。(核実験したい中国を応援したかったのが、日本共産党である。)

 この歴史は朝日新聞がその後、二度と話題にすることなく、日本共産党は平和の党ということになっているが、中国の核保有に賛成したのが、日本共産党であった。

 

 このような、日共と民進党の区別がまったくつけられない時代に突入したのが、国民の半分、すべて進歩主義時代である。それは朝日・毎日党であって、民進党共産党もまたどちらでもよくなったということでもある。

 

 1964年時点で社会党共産党は、中国の核を擁護するかどうかで意見を異にしていたが、社会党の内部では、ソ連派と中国派の対立が中ソ対立を反映して先鋭化していた。

 こうした際立つ異論も現在の民進党内部、民進党共産党にも対立点はないと言っていい。

 社会党成田知巳は、訪中の際に、中国の核実験に反対。佐々木更三は「日中共同の敵はアメリカとその属国化を進める政府」とした。

 

 日本社会党は1966年の「文化大革命」に深い敬意を表明し、核実験には反対するという具合であった。

 

 ところが、社会党にとって、最大の思想陥没状態が訪れる。米中接近であり、日米安保条約のあるままの日本との国交回復である。これでは、「日中共同の敵はアメリカとその属国化を進める政府」という社会党の見解ははしごをはずされたも同然だった。

 

 アメリカが恐れたものは、中国の政権が失脚して、ソ連の傀儡政権になった場合の、アメリカとソ連の軍事バランスが一気にソ連優位に傾くということだった。

 そこで、中ソが対立して、中国をソ連の属国とさせないために、中ソ国境紛争が激化する前に、中国を支援する必要に駆られたのである。結果、社会党の「社会主義陣営が米帝国主義と対立しているという世界観が瓦解した。

 実はこの中ソ対立たけなわの頃、社会党は、中国から「反日米安保」「反自衛隊」を批判されてひどくとまどっていた。

 中国はソ連を牽制するためには、日本地域の対ソ軍事力が弱体化することは不都合だったのである。

 

 ※日本共産党は1966年まで中国寄り。1966年から1998年まで、反中だった。

 中ソ論争以後、中国共産党社会党内の親ソ連派を嫌悪して、公明党に中国との友好の白羽の矢を立てた。

 

 竹入義勝公明党委員長を操って、公明党に台湾は中国の一部と認めさせたのである。

 そして、竹入に日中国交回復の青写真をつくらせて、田中角栄への仲介を依頼する。

 田中角栄は、竹入との会談を通じて、日中交渉の肝は、ひとつの中国を日本が認めることだ、と知る。

 

 この時点で中国は、親ソ連観を捨てない社会党を軽蔑していた。

 

 

 

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