大東亜戦争と戦後日本の平和思想 戦後民主主義の知識人たち

 昭和22年有斐閣の法学選書横田喜三郎著「戦争犯罪論」は、当時の全国の大学の法学部の学生、弁護士、検察官、裁判官の必読書となったそうだ。

 その5ページには、

 「こんどの戦争で、日本は極端な侵略戦争を行い、その戦争中において、驚くべき暴虐行為を行った」と、まるで中国、ドイツ、アメリカ、オランダはまじめに紳士的にふるまったかのように書いた。

 6ページには、

「またも、極端な侵略戦争を行い、とくりかえして、もはや、新興宗教の経典のように同じ事を書き、条約を無視し、正義に挑戦し、驚くべき暴虐を行った。」と、東京大学法学部の中心的存在だった横田喜三郎には、「悪の帝国日本と正義の国英米オランダの戦い」のように見えていたその独特の妄想を、日本の戦後まもない青年たちに向かって、権威ある東大法学部の法律専門書という形で横田喜三郎は教えていたのである。

  横田喜三郎「天皇制」昭和24年7月15日

 

「戦争の正式な最高の責任者は天皇である。」268ページ

 「天皇の地位を廃することもできる」(国民の声によって)

 こういう横田喜三郎のような主張に賛成する姜尚中や保坂正康は、いつでも、NHKなり民放に呼ばれたら、「戦争の正式な最高の責任者は天皇である。」「天皇の地位を廃することもできる」(国民の声によって)と発言してほしいものだが、彼等はテレビに限っては、そうは言わない。

 

 横田喜三郎は、日本が高度経済成長して、東京大学名誉教授、最高裁長官になって、地位を極めると、自伝「わが人生」で、「日本国民の多数が望むならば、天皇制を維持することも、民主主義だ」と言ったが、天皇の戦争責任については、過去の自分の発言について、ホッカムリをきめこんだ。

 というのは、天皇に戦争責任はあるというなら、日本国民は、戦争責任ある者を容認していることになり、変な国民だと言っていることになるからだ。

 

 が、これに対して、(横田喜三郎を意識したわけではないが)

  大西洋横断を果たしたチャールズ・リンドバーグは、つぎのように書いている。

「わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投稿者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為がおおかたから大目に見られているのである。

  太平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張する理由がなくなる。日本人の道徳よりも高いとも言えない。」

 「リンドバーグ第二次大戦日記」

 

  2015年7月、産経新聞に投稿した元外務省の岡本行夫は、日本軍に捕らわれた英国・オランダの捕虜の死亡率はアメリカ軍に捕らわれた日本人捕虜の死亡率 よりもはるかに高かったと書いたが、実は、英国、オランダが持たなかった火炎放射器や最新鋭戦車をアメリカは保有して、日本人を捕虜にする前に殺してし まったのである。

 鄧小平

 「日本が蒋介石重慶まで押しのけてくれたから、われわれ共産党は日本軍の占領地域の後方にさがって、生き延びることができた。日本ばかりを責めるのは、不公平だ」

 CAウィロビー GHQ参謀第二部長

「息子を軍人にはしない。東京裁判は歴史上、最悪の偽善だ。

 アメリカも日本と同じ立場に置かれたら、同じことをしただろう。」

 ベルト・ファン・A。レーリンク東京裁判オランダ代表判事

「自ら正義の法理を適用しているかどうか、審査の機能も義務もない東京裁判国際法にとって、有害だ。」

 丸山真男は戦後に長らく残る「日本の戦争期は天皇ファシズムだった」という俗流解釈の基礎を作った大人物であり、今でも、「知の巨人」と言われる。

 丸山の昭和22年の「日本ファジズムの思想と運動」には、次のように、日本庶民への丸山真男のエリートとしての愚民侮蔑意識が露骨に表現されている。

 日本ファシズム運動の担い手は、「小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店店主、大工棟梁、小地主、ないし自作農、学校教員、小学校、青年学校の教員、村役場の官吏、一般の下級官吏、僧侶」だと名指しで職業名をあげている。

 日本共産党、日本のマスメディアは、丸山真男の言説に賛成するというなら、われわれは、丸山真男大先生のこの見方に賛成しているんですよと、これら職業のあとを継いだ人々に示してみてはどうなのか。

 丸山真男の日本ファシズム論は、現在の中国共産党、韓国の日本批判に、理論的根拠を与えて、中国の抗日戦争は、日本ファシズムとの戦いだったという主張につながっていったのだが、朝日新聞毎日新聞丸山真男を偉大な戦後民主主義の指導者としている。

 繰り返すが、朝日、毎日、テレ朝、TBSは、丸山のファシズム論が誰を批判しているのか、とっくりと解説するがいい。

 民主党の母体のひとつとなった社会党は、長い間、向坂逸郎(さきさかいつろう)という九州大学法学部教授が政治方針を指南し続けた。

 そして、この向坂逸郎は、どういう人物なのかを知るに都合のよい言葉が残されている。

 昭和52年7月「文芸春秋

 

ソ連はですよ。日本とは比べ物にならない。ソ連人の教養は、日本人よりはるかに高いです。自由もね、日本とは比べ物にならないくらい自由です。思想の自由も日本とは比べ物にならないくらい自由です。」

 これに対して、これまた、日本以外の国では、ソ連に自由はないと考えていた。

 1937年のアンドレ・ジイド「ソ連滞在記 」著名な小説家

「今日、ソビエトでは、順応主義、服従の精神が強要されている。

満足の意を表しない者は、みな、反革命とみなされる」

 ※北朝鮮の人々はやたらに満足だー、満足だーと言う事は有名だ。

 東京大学経済学部教授の大塚久雄は、「大塚史学」、内村鑑三キリスト教徒門下生として、極めて良心的な態の知識人として、東京大学に大きな影響力を保った。

 彼もまた、丸山真男同様、日本の一般庶民を見下す事凄まじい内容の「名著」を書いた。

 「昭和23年刊行「近代化の人間的基礎」である。

 「わが国(日本の)民衆の示す人間類型は、アジア的・「近代以前のもの」である。」

「内面的自発性がない。」「市民社会特有の「公正性」の観念がない。」「近代科学に必要な合理思考がない」「「社会的関心が欠如している」

 いや、そうかもしれない。問題は、世界中、庶民とは、皆そんなものであるのに、大塚久雄は、それが日本人特有の欠点で、韓国人、中国人、アメリカ人、ロシア人など世界中の庶民は、これらの短所がないかのように、滔々と、日本国民はダメなんだと言いはったのである。

 大塚久雄もまた、横田喜三郎同様、文化勲章を受賞した。

 ベトナム平和運動、安保条約反対運動などの指導者のひとり、久野収は、昭和63年出版の「久野収対話史」で、「世界の近代国家で戦争中の日本みたいに、共産党を非合法にした国は、これは問題だ」と言った。

 

 だが、 カナダは1920年に、ドイツは1933年に、フランスは戦時中に、アメリカは1943年に解党している。だいいち、共産党は、歴然たる暴力革命路線を取 り、現にロシア共産党がロシアの旧体制の人々を処刑しているのだから、共産党は弾圧してもおかしくなく、現在、共産党の名を冠する政党が存続している事の ほうが奇怪なのである。

 鶴見俊輔もまた、日本の新聞、テレビの報道マンが、「戦後の知の巨人」「知の巨人」と賞賛し、ありがたがってコメントを求めるが、有名な次の表現がある。

 「シベリアに抑留された57万5000人の日本人捕虜のうち5万5000人が抑留中に死亡しました。これは、ソビエトが対日宣戦布告と日本の降伏の間に行なわれた8日間の戦闘に対して支払わねばならなかった代償だった」とまったく、戦争行為をやめようとしないソ連の非を問うていない。

  また、鶴見俊輔はその後、晩年になるまで、こうした見解を修正せず、最後まで、知の巨人でございという態度を通した。

 だが、この見解には、アメリカ側の知識人に、ソ連満洲侵攻は、日本への侵略であり、その侵略 の原因を作ったのは、アメリカとソ連のヤルタにおける密約、戦後、ソ連が参戦した場合は、北海道の千島、樺太ソ連に譲る、とアメリカが約束したことが原 因だ、また、アメリカは、ソ連がまさか、戦後も捕虜を拘束して強制労働させるとは予想していなかった、という見解とどちらが、まともな見方かを考えれば、 いかに鶴見俊輔がなにがなんでも、日本が悪いとしたかったかがわかろう。真実はどうでもよくて、日本が悪いとすれば、なにか意味があるとでも思っていたようなの だ。

 坂本義和は、昭和52年4月岩波書店「世界」で、「北朝鮮のはじめた戦争は、「侵略」ではなく、「解放戦争」と受け取って良い」と発言。

 坂本義和はその2年後、同じ岩波書店「世界」1月号で、「日本はアジアに対して経済的「侵略」を行なってきた」と発言。

 ところ が、東南アジアのシンガポールでは、2015年現在の閣僚、高官の多くは、青年時代、日本に留学して、日本の企業に学んで、いまでも、大事に「日本になに を学べるか」という本を保存しているのである。また、マレーシアのマハティール首相は、日本に学べ、ルック・イーストを唱えた。

 こうし て、日本国内のマスメディアの記者、編集者、ジャーナリスト、報道ディレクターの学んできた日本批判の理論的支柱の言論は、実はことごとく、外国人の知識 人によって反論されているのだが、日本批判をすることが、商売の種である日本のマスコミは、日本を非難する種がなくなると困るので、見ざる聞かざるを決め 込んで、日本民衆をだましてきたのである。

 坂本義 和は、「真珠湾攻撃は日本の侵略だが、ヒロシマナガサキは国家的敵対の意味を超えた人類史的象徴的意味を持つ」意味不明の言葉を書いた。(平成三年岩波書店刊行「地球時代に生き る日本」)

 こうした数々の坂本義和の論理は、広島・長崎の原爆の悲惨をアメリカ国民に知らせる運動の当事者たちに深く刻みつけられた事は想像に難 くない。

 彼等広島・長崎の原爆の悲惨をアメリカ国民の知らせる運動家たちは、かならず、「真珠湾攻撃」の侵略性についてアメリカ人に謝罪してから、原爆の悲惨について語る事をならわしにしていると言っている。

 だが、ジョン・トーランド著「真珠湾攻撃」、ハミルトン・フィッシュ「太平洋戦争の真実」によると、アメリカの議会証言のレベルで、すでに、真珠湾攻撃は、ルーズベルトが故意に真珠湾の防備を薄くして、日本を呼び込んだものだという事が明らかになっている。

 太平洋 艦隊司令長官キンメルは、1946年1月、上下両院合同委員会で、「情報さえ与えられていれば、ハワイの太平洋艦隊を失うことはなかった」といい、また、 下院の有力長老議員、ハミルトン・フィッシュは、傍受情報を政府が故意に止めたのであり、ハワイ司令部が警戒していれば、日本は真珠湾を攻撃できず、奇襲 はなかった、と言った。

ハミルトン・フィッシュ著「日米開戦の悲劇」

 さらに、決定的なのは、1945年12月の上下両院合同委員会で、日米開戦前から、すでに、アメリカ軍人が民間飛行機会社のフライングタイガー社員として中国に行って、中国人を偽装して、日本軍を攻撃していたことを、マーシャル参謀総長が明かした。

 これは、その後、1991年に、国防総省が、事実であることを認めた。アメリカ軍人295名がすでに、中国軍機に搭乗して、日本を攻撃していた。

 マレーシア外務大臣タンスリー・ガザリー・シャフェーは、広島の原爆資料館で日本の教師が、「これは日本が悪い事をした事の記念碑だ」と言ったのを聞いて、驚き呆れて、日本人がみるものではなく、アメリカ人が見るべきものだろう、と言った。

 

 もっと呆れるのは、タンスリー・ガザリー・シャフェー氏によると、広島市長らは、シャフェー氏の意見に同意しておいて、日本のこどもにあいかわらず、同じ言い方で教育させていることだ。反論もせず、同意して、そして、同意内容に反する事を続けているのである。

平成6年1月号「祖国と青年」

 では、このような坂本義和丸山真男大塚久雄久野収等々の百戦錬磨の進歩的文化人に論文発表の場を提供して、日本の中学・高校教師、労働組合の役員の屁理屈の見本を提供してきた、岩波書店「世界」の編集長、安江良介は、どんな事を言った人物なのだろうか。

 (北朝鮮の人々は口々に言った。)「瓦の屋根の家に住み、絹の着物を着て、白米を食べるというのが、長年のわたしたちの憧れだった。この三つとも手にしている。国家の保証によって大学にまでも、無料で行ける。」この言葉に嘘はないと私には思えた。

  とこう、岩波書店「世界」の編集長、安江良介は言ってのけた。

 

 ノーベ ル文学賞受賞歴から、日本の高校生から多大な尊敬を集める大江健三郎は、昭和40年刊行の「厳粛な綱渡り」の中で、「北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と 握手している写真があった。それにしても、あの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望に満ちて自分および自分の民族の未来に関わった生き方を始めようとし ている青年をはっきりみた。」

 当時、大江健三郎は、日本人、在日朝鮮人青年の知的ヒーローで、今で言えば村上春樹のような存在だったろう。大江の発言が朝鮮総連の力になったことはまちがいない。

 産経新聞平成7年4月30日付け「大江健三郎ワシントン講演」

自衛隊違憲であるから、自衛隊は全廃しなければいけない。

 

 憲法は、米国の民主主義を愛する人達が作ったものだから、あくまで擁護する」

 同じ頃、ニューヨークタイムスには、「天皇制廃止論」を唱える。

 日本は言論の自由があるのだから、大江健三郎は、日本の高校生への講演の機会があったら、そう言えばよい。そして朝日新聞も、その皇室廃止論を掲載すればよい。

ところが、それは書かないのが朝日新聞だ。

 平成15年2月号の岩波書店「世界」では、井上ひさしが、案の定、丸山真男に影響されたことを公言して、「戦争を本当に支えたのは、神主さん、商店街のおじさんたちで、彼等が最も戦争に熱中していた」と新聞広告にのせたほうがいいような名言を吐いた

 福田恆存氏の「日米両国民に訴える」の一節

 

「平和を維持しようとする必死の努力を他人まかせにし、もっぱら、絶対平和の合唱隊員として平和を浪費する事しか知らぬあなたがたこそ、喉元までこみあげている「戦争」を一気に吐き出させる役割を演じているのではないか」

 

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