朴裕河著 帝国の慰安婦 書評 1

 朴裕河パクユハ 「帝国の慰安婦」2014年11月30日

  

 痛恨の歴史は、各国にある。いたましい暮らしを送り、つらい人生を生き抜いた人々の歴史は、どの国の国民にもある。  韓国人ばかりが辛いのではないが、韓国人には、なにやら、世界で最も辛い過酷な運命を負ったのは、自分たちだと言っているかに見える。

  1.1990年代に問題となって20年以上経過した。  

 2.植民地支配に対してに謝罪の気持ちを慰安婦問題に込めて、日本がその気持を示してほしい。国会決議が望ましい。  

 ※韓国政府は法的責任の受認と措置を求めているが、法的責任ではな、国会決議によって、謝罪するのがいい。

というのが、朴裕河パクユハの主張だが、これは、自民党が党として、謝罪を是認することを意味するので、ありえまい。その意味では朴裕河パクユハは、南北が和解してほしい、アホみたいに言うほどの非現実的な望みを平気で言っていることになる。

  

 3.1965年に作られた映画「サルビン江の夕焼け」は、元朝鮮人学徒兵が40代の頃(1965年)に作られた。40代の彼らは、当時の記憶を持っていたが、映画の中で、朝鮮人の将校は、朝鮮人慰安婦慰安所「自発的にきた」と思っている。

  

 「4.少なくとも、1960年代には、韓国人自身が、慰安婦は自発的なのもの、と考えていた事は事実だ。  

 5.(朴裕河は、非常におもしろい事を言っている。「朝鮮人慰安婦強制連行されたのではないし、だましたことがあっても、だましたのは、朝鮮人業者だった。しかし、連れてきた背景は、日本帝国主義、と。)

※ 日本帝国主義だというなら、大韓帝国帝国主義ではなかったのか。

そう、弱いから、帝国主義ではないのだが、では、大韓帝国は民主的な良き国だったのだろうか。もちろん、そんなことはない。

 朴裕河は、「慰安婦は自発的な動員だ」と明記する。

  その上で、朝鮮人兵士には、傷病補償があり、平等に靖国に祀られるのに、慰安婦には補償がなかった、という。

  

 ※わたしに言わせれば、大企業や国家公務員には、大きな退職金、年金、ボーナスがあるが、場末の出前持ちや工場の職人にはない、という事と同じ話で、気の毒といえば、気の毒なのだが、なにも、慰安婦に限った気の毒な境遇ではない。  

 6.朴裕河は、日本に対する法的責任を追及する筋目はないのだという。上記の認識から言っても、朴裕河のいうのは、思いやりの表明で、解決しよう、という主張と言っていい。ならばなにも、「国会決議などという無理な案」を出すべきではないだろう。

 なにしろ、悪いのは、だました、朝鮮人業者。売った朝鮮人の親。

  

 7.(朴裕河の認識はかなり正確な認識だと言っていい。しかし、その認識の精妙さを、残念ながら、多くの人々は理解できないのではなかろうか。というのも、朴裕河の言い分を理解した日本人が朴裕河の主旨のとおり、慰安婦のおばあさん、大変でしたでしょうとねぎらったとしても、韓国国民の多くは、20万人強制連行を認めるか、認めないかにこだわるのではないか。朴裕河は正しいのである。しかし、韓国人の多くが20万人説の誤りに気づく事はあるまい。

  

  朴裕河は言う。日本は、個人賠償にしようと言ったのに、韓国政府が代表して受け取ったと。業者が媒介したのであって、軍隊が強制したのではないことは、明記している。  

 8.朴裕河は、日本の左翼は、韓国女性の事を言う前に、日本人慰安婦の事をおもえ、という。これまた、真実ではないか。  

 9.朴裕河の主張は、そのすべてに賛成するとはいえないにしても、「慰安婦20万人」とか、「強制連行」などというウソと誇張のほとんどを明確に否定している点で、貴重なのであるが、まさに、韓国社会は、この朴裕河の著書を出版禁止という形で拒絶している  

 10。(慰安婦のおばあさんたちが、「挺身隊としてだまされて強制連行された、仲間は20万人いた」と言っているわけではなく、また、おばあさんが主観において、被害者意識を持ってもそれ自体、同情に価するのである。問題は、日本と韓国の左翼が、おばあさんたちの人生を利用している事なのだ。)  

 11.朴裕河の認識の中で、間違いを指摘しておかなければならない。  

吉田清治証言」は韓国人の多くは知らない、と言うのだが、韓国人の多くが知っているかどうかではなく、韓国の知識人、ジャーナリスト、作家、脚本家に吉田清治の著書は大きな影響をおよぼし、強制連行を確信した原因になった、という事が問題なのだ。そして、その吉田清治証言を後押ししたのが、朝日新聞なのである。  

 12.朴裕河の知る慰安婦のおばあさんは、日本を許したい。日本を非難したくないと言ったという。  

 13.韓国の慰安婦問題は、女性学者ユン・ジョンオク教授の「挺身隊取材記」によって、はじまった。ユン・ジョンオクが挺身隊対策協議会の初代会長になった。  

 出発当初から、工場労働の挺身隊と風俗売春業の一部を混同していた。  

 14.村山内閣は、「総理の手紙」と日本国民から募った「200万円のつぐない金」によって、謝罪の意を表そうとしたが、それでいいとする慰安婦のおばあさんを押しとどめて、支援団体は、「国会の法制定による賠償金を求めるとともに、国際戦犯法廷を開いて、天皇有罪判決を出す。」と、朴裕河  

 15.2006年にいたって、韓国政府が個人補償の分を韓国政府が受け取っていたことが明らかになり、この年から、韓国政府から、慰安婦のかたがたに補償をすることになった、と朴裕河  

 16.その後も、謝罪の国会決議と法的賠償措置の要求が続くが、朴裕河自身は、「謝罪の国会決疑」だけでいいという。(私自身は、謝罪の国会決疑はいらないと思う。なぜなら、近現代の地方の貧困生活にしろ、現在の貧困国の悲惨な飢餓状況にしても、謝罪の問題だとは思えない。経済政策の失敗の結果を謝罪したからといって、失業がなくなるわけではないのである。)  

 17.朴裕河は、きわめて適切にも慰安婦問題の起源を1973年の「千田夏光従軍慰安婦声なき女8万人の告発」だとしている。 

 ここで、まず、「従軍」という言葉が付加され、造語された。「従軍看護婦」や「従軍記者」は史実だが、「従軍慰安婦」は、史実ではない。

 18.朴裕河は、千田夏光も、朴裕河自身も、慰安婦とは、愛国者だったのだ、という。  

 (その通り。当時、朝鮮の人々も、日本人も愛国者であった。それは、慰安婦に限らない。多くの職業人が、愛国者だった。国が滅びるかもしれず、同胞が戦死していたからである。このことは、風俗業であることと矛盾しない。食堂のおばさんでさえ、当時、ご武運を、と言っていたはずであるが、食堂のおばさんが、空襲で焼け出される場合の補償を、愛国者のもとに、単なる食堂のおばちゃんではない、と言い張り、軍人同様、補償せよ、というのも、どこかずれている。それと同じ錯覚を千田夏光朴裕河もしている。慰安婦とは、単に売春婦なのではなく、ともに国を思った愛国者なのだ、と。だから、補償されるに価するというのは、飛躍している。  

 19.朴裕河は書く。朝鮮人業者が、「ヒマの日は、君たちがちゃんと働かないからだと容赦なくぶんなぐった」と。(この記述は、朝鮮人業者の気質を証しており、仮に日本人が朝鮮半島にかかわらなくても、朝鮮では鮮の金持ちをもてなせと、朝鮮の女性がなぐられていただろうことを容易に想像させる。頬を打ち、足で蹴り、と言うのだが、韓国ドラマ「名家の娘ソヒ」では、両班小作人を足でこづく場面がある。日本で、使用人の頭を足でこづくなど、聞いたことも見たこともない。)  

 20.朴裕河は、当時の朝鮮半島の新聞を引用して、朝鮮人は、幼い少女をだまして連れて行っては、人身売買したと書く。それなら、朝鮮の人々は、日本帝国主義にのっかって、抵抗することもなく、やりたい放題の事を同じ朝鮮の子どもたちに、していたことになる。  

 21.日本に行けば、よい暮らしがある、と云われて、行った日本には、朝鮮人夫婦がいて、女郎に売られた、というのだ。これで、朴裕河は、日本帝国主義に抵抗しなかった朝鮮民族自身の道徳的責任に気がつかないのだから、残念千万だ。  

 もしかすると、朴裕河は、全面的に、日本無罪論を展開すれば、とうてい韓国社会が受け入れない事を察するゆえに、中身は史実としての日本弁護を書き、拒絶されないように、「日本帝国主義」が原因を作ったと書いたのではないか、と思われるフシさえある。  

 22.朴裕河は、日本の責任は、「強制」ではなく、「黙認」にある、と言う。わたしもそれには、賛成だ。そして、この理解が共通理解になる時、アメリカも、韓国(朝鮮戦争ベトナム戦争)も、ヨーロッパ諸国も、皆同じか、それ以上の罪を犯しているという認識に立つことができる。したがって、朴裕河の認識が韓国で理解されればどんなによいか、と思う。

 だが同時に朴裕河は、「日本の責任が黙認にあるとすれば、他国も罪を免れないか、もっとひどい事をやった」というべきではないのか。

  

 23.朴裕河は、軍の需要に応じた朝鮮の風俗業者が、悪質に朝鮮人女性をだました事を許すことはできない、と言う。「糾弾すべきは、朝鮮人業者だ」朴裕河32ページ。  

 24.日本帝国主義の犯したのは、「倫理的な罪」だが、朝鮮人業者の犯したのは、「違法な犯罪」だという。だが、違法なばかりではなく、道徳的にも大罪であろう。  

 25.朴裕河は、日露戦争以降、日本の地方の貧しい家の女性たちが、からゆきさんとして、東南アジア、朝鮮、満洲身売りしていった事を書くが、そうした悲惨な境涯は、アメリカ、中国、インド、ヨーロッパ、中東、アフリカ各国にあったことも忘れてはならない。アジア以外の諸国が家父長制にしばられていないために、女性の人権が守られていたと考えたら、大間違いなのである。

続く

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