自由の本当の意味とは。そして、自由と平等は両立しない事を理解できない日本人

 保守主義とは、反日と愛国日本、日本国益の対立の問題ではなく、「自由主義」と「反差別」「平等主義思想」との激しい政治思想闘争の問題である。

 この問題が意識された前提での自分自身の暮らす国の国益重視を考えるのが、当然の感覚なのであって、まず「自由主義」と「反差別」「平等主義思想」との激しいイデオロギー対立が根底にあると考えるべきものである。

 自由と平等は両立しない。

 格差を解消しようとしたり、問題視するべきではない。

 結局、格差を解消できるとすれば、貧困者の道徳と努力、知恵によって克服するしかない。下層にない者が、下層にある者を救おうとして、再配分強化政策を選択すれば、結果として、下層社会の人口が増加するだけである。

 なぜならば、再配分強化による下層社会の救済は、モラルハザードの危険性が、倹約、勤勉、篤実、という道徳の向上と努力、知恵、工夫という徳目の向上を上回るからだ。

 ただし、この原則は、私有財産制と起業、競争化の職業選択の自由が十分に保証された社会でのことであって、全体主義社会では、通用しない。

 そして、自由社会では、道徳ある富者がかならず存在するので、自主的な再配分措置はかならずとられるから、過度に理念的、平等主義的に、強度の配分政策をとって、道徳ある富者の存在しない、道徳ある中産階級だけにしようとすると、かえって、自由社会の道徳は破壊されて、謀略とつぶし合いのみの陰惨な不道徳な行為に満ちた社会になる。

 その典型が、官僚社会である。

 

 全体主義社会における富者とは、すべては、反対者の抑圧と殺戮の結果であって、道徳性ある富者は存在しえない。習近平金正恩はじめ、一党独裁制言論統制社会の富者は例外なく、反道徳の亜人間として富者になるほかない。

 

 日米両国国内の帝国主義批判者、金儲け批判者の言うこととは逆に、日米両国のほうが、他のどんな国よりも、アイディアと道徳性を保持しつつ多額の私有財産保有している者の人口が多い国はないし、歴史上もその例がない。

 

 そもそも全体主義社会では、人間の自由が窒息し、道徳は無意味と化する。

 全体主義社会では、道徳ある人間は、精神の自由を剥奪され、餓死に追い込まれるだけである。短命を強いられるか、収容所で一生を終えるしかない。

 

 能力を開花させることそのものが、「人間の「自由」という概念そのものである。

この能力の開花には、遺伝、環境、親の育て方、運、努力、という個性、財産相続などが関わるから、社会的平等は、これらの自由の条件を阻害することになるため、自由と平等は両立しないのである。

 

 では、自由社会とは、平等を否定する不正な社会なのかと言えば、そうではない。

自由こそ人間の本質であるが、平等を追求するとき、この人間の本質である能力開花を本質とする「自由」を侵害、阻害することは避けられない。そこで、平等を否定して自由を保全するのが、「自由」社会なのだ。

 

 「自由社会」は格差を必然とする。しかし、発達した豊かな「自由社会」は、貧困層に属する個々の人間が、努力と着実な蓄財によって、かなり大きな自由を開花させる可能性を持つのである。

 

 ところが、これに対して、「自由・平等・博愛」のフランス革命の理念を継承する「平等」を最重要価値として、王族貴族優位社会からのくびきからの脱出という意味の「自由」を奉ずる「全体主義」の計画平等社会は、最高指導権力の「党」に近い者が「自由」(才能の開花)を享受し、「党」に反抗する者は、「政治犯収容所に収容される」「財産を奪われる」「強制洗脳教育される」「職業を割り当て、強制される」「党のコネがあるかどうか」で差別される」などして(才能開花という自由」を侵害・阻害されるのである。

 

 自由社会では、政府批判の思想を込めた芸術そのものが、「才能の開花たる自由」として保証されるが、全体主義社会では、「全体主義社会の強化に役立つ芸術」しか優遇されない。

 

 では、自由社会の「才能」とは、「巧みな悪事」も「才能の開花」として許容されるのか、と言えば、この「才能の開花」には、「悪事を行う才能の開花」も含まれる、という大きな陥穽を見据えるところに、保守主義の真骨頂がある。

 

 それが、バーク、ハイエクのいう慣習、道徳と結びついた(才能の開花)を自由とする「美徳ある自由」である。

 

 その好例が、ハッカーの自由とハッカーに対抗する意志を行使する技術者の「自由な精神」の対立であり。金儲け主義の医師と、コストと患者の利益のバランスを慎重に追求する医師の対立の問題であり、後者の医師が、思春期から青年期を経て、まっとうな道徳と医学知識、技術を調和させつつ、自己の研鑽と子孫へ財産を残しうる自由を行使する・・・それが「自由社会」の価値である。

 こうした「自由」の理念をはっきりと自覚して文明社会に向けて残したのが、「バーク・トクヴィルハイエク」である。そして、アメリカ合衆国という結果的に中産階級を最も多く作り出す事に成功することになる「自由社会原理」を設計したのが、「フェデラリスト

 たる政治哲学をもった「ハミルトン」である。

 「連邦の国家権力」とは、無政府状態による人間の自由破壊(それは私有財産の犯罪者による否定という形で現われる。)を権力によって抑制することを目的に企図された。

 

 現代日本人は、アメリカと、日本というアメリカの影響を最も強く受けた国がなぜ世界の中で突出して中産階級」が多くなったか、そして、日本よりも米国のほうがさらに大国であり続けているかを思い違いして、ユダヤ国際金融資本だの、アメリカの世界支配戦略に理由を見いだしている。

 

 だが、そうではない。「米国」発展の真の理由は、軍事支配や経済支配にあるのではなく、「言論表現という能力の開花」を保証する「自由社会」だからである。

 そこには、平等を目指す「全体主義」には無い、「反平等」の仕組みが多数ある。

 私有財産否定の政権を目指す「共産主義排除法」。

 「特許権」「著作権」の私有財産制、「競争市場原理のルール」は、格差を生み、不平等を必然とするが、まさにこの「反平等」の制度こそが、「自由社会」の国民の福利を底上げし、「自由」を享受しうる経済的条件を向上させ得た核心の仕掛けであった。

 

 ※ソ連崩壊後に現われた「新党さきがけ」の党綱領には、「自由・平等・博愛」という「平等」を最重要価値として、王族・貴族という持てる者のくびきを否定する意味の「自由」を特筆大書している。そして、貧困者救済を「博愛」として、「平等」を追求しようというのである。

 

 自由主義社会で「格差を埋めて平等化を求める方策」として、経済成長の否定を選択するのは、過ちである。なぜなら、経済成長のみが、自由主義社会でより数多くの自由な生活と長寿を享受する国民が増えたのであり、経済成長の低下は、ただ自由な生活を享受する国民の絶対数の低下と福利の劣悪化に帰結するしかないのである。

 

 これがわからないのが、「緑の党」他「環境主義者(エコロジスト)」である。

 人類は神が作ったものではないのはもちろんの事、歴史的な発展法則があるわけでもない。ただ、より秩序の安定と経済成長の可能な社会体制は、私有財産制、多党制、言論表現の自由職業選択の自由が保証された社会制度、直接参加を否定する政治制度が経験則上、相対的にもっとも、有益な制度だというだけのことなのだ。

 

 これに対抗する新説は、現在のところ、「反差別」「反格差」「反経済成長」という「平等」を求める富者の私有財産貧困層に再配分する総量を多くするという方策しか提案されていないのである。

 

 それは、ただ、全社会のインフラの崩壊、医療の崩壊、芸術・スポーツ・技芸が非常にl限られた国家エリートのみが享受しうる社会が訪れる未来しかない。(中国、北朝鮮のように。)

 

 国際金融資本の謀略やら、ユダヤ金融資本の世界支配が、仮にあるとして、そしてそれの息の根を止めたからとして、それで日本が豊かになるわけでもないし、後進国が豊かになるわけでもない。それは、ただ国際金融資本の支配の終わりを意味するだけで日本の発展とも、アジア・アフリカの貧困の解消と何の関係もない。

 

 何らかの勢力の搾取が終わったからと言って、それが発展を約束する条件であるという何の根拠もない。

 

 たとえば、米国が韓国から手をひけば、朝鮮半島が豊かになるなどと本気で思っている人があるだろうか。米国がプレゼンスがあろうとなかろうと、朝鮮の生産物の品質は良ければ、世界が買い、品質が悪ければ、世界は朝鮮の生産物を買わない、ただそれだけで、アメリカの搾取、支配と朝鮮半島の人々の自由と幸福は何の関係もない。

 

 以上ような考えから出てくる現代日本の政治思想は、日本対米ロ、中国・北朝鮮・韓国の問題でもなければ、日本対中国・韓国・北朝鮮売国日本人の問題でもない。

 

 日本皇室の存在を強く尊重する米国保守主義者、英国王室を強く保守する英国保守主義者の「自由主義」と日本の伝統的な道徳と自由の結びついた皇室を保守しようとする日本の保守主義者。この三カ国の保守主義自由主義と、フランス革命由来の「自由・平等・博愛」を基礎とする共産主義から環境主義緑の党)までの、世界に蔓延した人民主権論の激しい戦いである。

 

 韓国の場合、明らかに朴槿恵を倒したものは、人民(国民主権幻想)の暴走である。

 

 アメリカは議会の立法を違憲立法審査権で制約し、英国は国王と国民の長い歴史的紐帯を保守するとともに、古来の慣習法を法の上位に置いている。

 日本が、三カ国でもっとも、自由主義の繁栄を達成しつつも、危機にひんしているのである。「アメリカとちがって、共産主義者社会主義者に常に政権を揺さぶられ、皇室を女系天皇に向けて揺さぶられることによって、真の自由主義が揺さぶられている。

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