人権派は、亡くなった被害者を徹底的に無視し、殺人者を捕縛し、死刑に処する社会に異を唱える

2017年5月24日、「昭和49年から翌年にかけて三菱重工の本社などを連続爆破して、罪のない生活者の生命を多数奪った殺人者大道寺将司死刑囚が、多発性骨髄腫のため東京拘置所で死亡した。

 

 これについて、作家の辺見庸は、同年5月28日のブログに、

◎夏深し魂消る声の残りける

「『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版)26頁。1997年。
詞書に「東京拘置所永山則夫君ら二人の処刑があった朝」
とある。「魂消(たまぎ)る声」は、朝、とつぜんに刑場に
連行される永山のすさまじい絶叫であった。大道寺はそれを
聞いてふるえた。永山の声を耳にのこし、大道寺は逝った」

と、書いた。

この永山則夫君とは、

第1の殺人事件
1968年10月11日東京東京プリンスホテル綜合警備保障(現愛称:ALSOK)に勤務する27歳のガードマンに対し2発撃って射殺した。
第2の殺人事件
1968年10月14日京都八坂神社境内で69歳の守衛員に対し6発撃って射殺した。
第3の殺人事件
1968年10月26日函館で31歳のタクシー運転手に対し2発撃って射殺した。
第4の殺人事件
1968年11月5日名古屋で22歳のタクシー運転手に対し4発撃って射殺した。
まぎれもない、殺人者である。

このような、大道寺将司や永山則夫のような殺人者を哀悼するということは、殺人者の被害者をの非命の人生を哀悼しないという事である。

 なぜこのように、人権派マルクス主義者が、常にこのように、無辜の生活人の命を奪った殺人者の命を哀悼しても、被害者の事は哀悼しないかといえば、理由は明確である。生存絶対視、生者優先で、死んでしまった者には、毛ほども関心が向かず、ただただ悪逆非道の者に同情を寄せる倒錯者だからだ。

以下のように、有田芳生もまた、辺見庸に共感を寄せて、生ける殺人者に哀悼の意を表している、倒錯者の一人である。

  2 時間2 時間前

辺見庸◎夏深し魂消る声の残りける『棺一基 大道寺将司全句集』。詞書に「東京拘置所永山則夫君ら二人の処刑があった朝」とある。「魂消(たまぎ)る声」は、朝、とつぜんに刑場に連行される永山のすさまじい絶叫であった。大道寺はそれを聞いてふるえた。永山の声を耳にのこし、大道寺は逝った。

 
 
 
 
 
 
 

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