エンゲルス 「共産主義の諸原理」の悪魔性

現代左翼がなぜ敗北せざるをえないかというと、マルクスエンゲルスの認識がそもそも「ほとんどすべての労働部門が工場方式で運営されている」状態を普遍的な状態だと思い違いした上で、展開された思想だからである。

 

 そこで、マルクスエンゲルスの規定する「ブルジョワ階級」とは、大工場を所有する大資本家以外のなにものでもなかった。

 また、労働者とは、大規模工場労働者以外のなにものでもなかった。

 ところが、現代の先進国では、労働者とは、工場労働者ではなく、ましてや大資本家に雇われてもいない。

 

 「労働賃金の経済法則は、大工業がすべての労働部門を支配すればするほどますます厳密に貫徹されるだろう」

講談社学術文庫共産主義の諸原理」140ページ

というのだから、全社会における大工業労働者の割合がどんどん縮小していっている以上、この経済法則は貫徹しない、とエンゲルス自身が断言していることになる。

 

 エンゲルスにとって、資本主義の最終段階とは、「大工業とそこに従事する労働者」という構図が資本主義の最後の形態で、これ以外の構図は、自己崩壊するからあるはずのない資本主義だったのである。

 

 エンゲルスの考える労働者の自己解放とは、大資本家の権力、生命を奪って、労働者の代表が大資本なき社会の国家権力のもとに、社会の全生産手段を所有して、労働者に平等に労働を強制する社会を意味した。

 

 ところが、この理論に基づいて大資本家を追放した国々は、すべて全労働者が貧困に陥る結果を招いた。ソ連キューバベトナム、改革解放前の中国、エチオピアのメンギスツ政権、東ドイツポーランドがそれである。

 

 つまり、貧困にあえいだ諸国民が、大資本を追放したとき、そこに待っていたのは、共産党の支配と貧困以下の飢えと、反抗すれば死という収容所体制だった。

 

 マルクスエンゲルスがロシア人、キューバ人、エチオピア人、カンボジア人、ベトナム人、中国人、日本人をそそのかした結果、日本経由で、中国、韓国に共産主義が伝播して、共産党勝利した国々で、労働者、農民は餓死に追い込まれるはめになった。

 

 共産党宣言とは、「全体主義宣言」でもあった。

 講談社学術文庫共産党主義の諸原理」149ページ

「まったく新しい社会組織が必要とされる。その社会組織においては、もはやたがいに競争する個々の工場主ではなく、社会全体がひとつのしっかりした計画に応じて、すべてのものの欲望に応じて、工業生産を行うのだということである。」・・・すなわち全体主義である。

 

 エンゲルスは何を間違えたのか。

 党中央の知識人が統制する社会と、自生的な社会の未知な個人の自由な行動と思索から生じる発見との比較でどちらが優位になるかという観点をエンゲルスは持ち得なかったのである。

 これは、皮肉なことに、共産革命の成功した国と成功できない国の結末で判明した原理でもあった。

 

 そこで、中国、北朝鮮キューバカンボジアソ連などの共産革命の成功した国々は、例外なく、共産革命の成功しない国の達成する諸発明の果実に、例外なく、寄生、盗み取ることによって生き延びる事になった。そして、中国のように、大資本を国内に認めるいなや、大発展がはじまった。

 

 日本の社民主義者や日本共産党が「市民主義」を言い出したのは、農民も、小商工業事業主も、労働者も、ホワイトカラーである公務員も、皆、それぞれに立場がちがう少数派であり、これを包括的に「市民」と呼んで「市民」が政権奪取の主体になる、といわないかぎり、統一した多数派の意思を形成することが不可能だからである。

 

 これが、エンゲルスの生きていた時代には、工場で労働する労働者が、唯一革命主体の主人公に他ならなかったが、現代では、汗を流さない公務員があまりにも多いから、「市民」と呼ぶほかなくなったわけだ。

 

 共産主義の原理で決して見過ごし、忘れてはならない異様で、悪魔的そのものの原理がある。

 1.すべての児童を、彼らが母親の最初の世話から離れうるようになった瞬間から、「国民の施設で」「国民の費用」で教育すること。

日本では、共産党社民党民進党が盛んに保育園、高校の公教育を主張するが、共産主義の最終目標は、「家計への助力」という意味ではなく、家族解体と、女性の性からの速やかな国へのこどもの取り上げである。

 

 2.すべての粗悪な住居と市街地の取り壊し

 

 3.結婚によらないこどもに対しても、結婚によるこどもと同等の相続権。

つまり、結婚しないで子供を産むことの奨励。

 

 家族のない個人の奨励を意味する。

 

 なにゆえに、エンゲルスがこのような悪魔のような考えを抱き、家族の中にやすらぐ人間を廃止して、個人と国家と生物学的に産むだけの性にしようとしたかったかは不明。

 

 本当のところ、共産主義社会の条件として、なぜ<児童を、彼らが母親の最初の世話から離れうるようになった瞬間から、「国民の施設で」「国民の費用」で教育すること。>というけったいな綱領を設けたのか、その根拠は不明としか言いようがない。

 

 理由らしきものは、共産党宣言のなかの、親自身が資本主義イデオロギーに影響されているから、という些細に感じる理由しかあげていない。

 つまり、全体主義狂信者によるこどもの洗脳を国家が引きうける、と言っているのである。

 共産主義に反対するすべての人は、エンゲルス共産主義の原理」講談社学術文庫163ページに注意を向けるべきである。

 

 共産主義にとって、家族の幸福というのは、いっさい存在しない。

 夫婦とは、「私的所有を媒介とする妻の夫への従属」以外のなにものでもなく、

父子関係、母子関係は、「子供の親への従属」でしかない。

 したがって、うまれて、乳飲み子段階を過ぎれば、国家教育施設の保育園で育てるといっている。それはけっして、家族を前提とした家計補助なんかではない。