関東大震災で虐殺された朝鮮人の戦後の姿
1945年への道 @wayto1945
※以下のグラフのように、大震災の虐殺事件以後も、どんどん朝鮮人は日本に移民し続けています。ホロコーストのあとの欧州、ソ連のユダヤ人が逃げ出してアメリカに移民したのとは、まったく逆の行動をしたんですね。大虐殺のあった場所に向かっていったんです。
1920年の在日朝鮮人人口は4000人だったから3年後の関東大震災で6000人も殺される筈がない、という言い訳が都庁方面とおぼしき方角から聞こえてきたので、1923年の在日朝鮮人人口を見てみましょう。
関東大震災とその時代 序説
テロリズムとは、政治思想上の動機によって行われる特定政府および特定国民に対する暴行、殺害、財産略取、強奪、財物破壊等の凶悪犯罪である。
一般に日本人は「革命」を良いものというイメージを持ちがちだが、共産革命とは、テロリストが権力掌握に勝利して政治権力を掌握して体制を確立した場合なのであり、当然、政治犯収容所の設置を必要とする。
事実、共産主義革命がなされなかった国には、政治犯収容所はなく、共産主義政権には、かならず政治犯収容所がある。
関東大震災の起こった時代は、日本における未曾有の共産主義者によるテロリズム横行の時代であった。そのテロリズムの主体は、日本人と朝鮮人の両共産主義者の共犯関係によって連綿と戦後に引き継がれた。
たとえばこんな具合に。
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1922年大正11年、すなわち、関東大震災の前年に日本共産党がソ連共産党の支援によって誕生。ソ連共産党はその4年前に、ロシア皇帝ニコライ2世の家族一家を銃殺処刑にして、日本共産党には、日本皇室を廃止せよ、と指導していた。
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一方、日本共産党は、1922年の創立当初から、朝鮮独立支援を綱領に掲げたので、半島出身の朝鮮人は日本共産党の多数入党していた。
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そこで、朝鮮人共産主義者は、単独で朝鮮共産党を結成せず、在日朝鮮人共産主義者は日本共産党員でもあった。
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1931年時点の日本労働組合全国協議会の組合員は3万人で、その3割が朝鮮人であった。そして、当時、1918年のロシア革命にいたる前兆として、ロシアでは、5年連続で毎年平均二千件におよぶストライキが行われていた。
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戦後日本共産党の再建資金の多くは、在日組織である朝連(在日本朝鮮人連盟)が提供したのだが、日本共産党はこの史実を隠蔽した。