日本と北朝鮮の関係 小史 1

日本・北朝鮮政治交渉 小史

 

1966年9月 「新潟県在日朝鮮人帰国協力会の帰国事業の帰国事業打ち切りに反対する声明」

※日本政府が閣議で帰国事業を打ち切る方針を決めたので、良心的な日本人たちが、北朝鮮に帰りたい人たちに支援して、もっと北朝鮮に帰りやすくしてあげろ、と日本政府に声をあげた。これには、かねて関東大震災朝鮮人虐殺6千人に謝罪したい心を持つ日本人は共感したにちがいない。

 こうして、彼ら朝鮮人へ謝罪を繰り返してやまない日本人は、北朝鮮へ送り出し続けたのである。

 

 この声明には、次のような文言がある。

在日朝鮮人の大部分は明治43年、日本が朝鮮を併合して以来、徴用・徴兵によって強制的に日本に連行され、40年も50年も日本で生活してきた人々であり」

 

 実際には、日本が併合したのは、「大韓帝国皇帝の国」であって、朝鮮ではない。

また、大部分は徴兵・徴用ではなく、単なる出稼ぎ・密航とその子息である。

 このような間違った歴史認識を主張した人々は、2017年現在、関東大震災朝鮮人虐殺6千人を強硬にし続ける人々の先輩にあたる、日本共産党員、旧社会党員たちであった。

 こうして彼らは、日本に出稼ぎに来て定着した朝鮮人を「醜女の深情け」で、北朝鮮に送り続けて、地獄を味合わせることになった。

 

 これに対する反省は一切なく、そんな罪悪を犯したことはなく、戦後一貫して在日朝鮮人とともに歩み続けたかのような顔をして、関東大震災朝鮮人虐殺6千人、これだけは本当だ、と言い続けているのである。

 

 敗戦直後の日本共産党の中央委員には、在日朝鮮人がいて、日本共産党反日本政府運動と「外国人となった在日朝鮮人」の反日本政府活動は一体のものとして継続された。

 戦前日本共産党がこの中央委員、金天海が共産主義者として大立て者になる機会を提供した源泉としての役割を果たし、そして、この金天海は日本共産党における地位を評価されて、北朝鮮の祖国統一民主主義戦線の最高幹部の一人となった。

 したがって、半島における北朝鮮という共産主義国家の権力確立に、日本共産党は重要な貢献をしたと言っていい。

 

 現在日本、米国に核攻撃、化学兵器攻撃の脅威をもたらしている北朝鮮の初期最高幹部は、青年期に日本で日本共産党の日本人と同士であり、中央委員だったのである。

 

 1959年5月号「婦人画報」に在日朝鮮民主女性中央常任委員長の金恩順が「平壌でお花見がしたい」という随筆を書いている。

この時点で在日朝鮮人は韓国・北朝鮮をどう見ていたか。

朝鮮民主主義人民共和国では、失業者はなく、学校教育も無料ということ」

「南の方は人民を圧迫するような法律が通って、人民の生活はかつての植民地以上に暗いことを知っています。」

「日本の生活保護を受けていることが苦しい」(日本人ではないのに、生活保護を申請していた)

「一日も早く祖国の平和的建設に参加したい」

「私たちは世界人権宣言に盛られた、国籍を選ぶ自由を実行する」

 

 1958年10月21日付けアカハタ

在日朝鮮人の帰国要求を全面的に支持する」

と題した論文を掲載。

 すなわち、この論文は、日本共産党北朝鮮在日朝鮮人を送り込んで北朝鮮の強制労働に従事させて、北朝鮮というならず者国家体制を在日朝鮮人の労働で作り上げた兆本人だという証拠である。

 また、在日朝鮮人を嘘の北朝鮮礼賛情報で、強制労働の地に行かせた、非人道的罪悪の犯罪行為の証拠である。

 

 さらにこの論文で、日本共産党は、「いま我が国に住んでいる朝鮮人の大部分は、かつて日本軍国主義者の手で強制的に徴兵・徴用され、侵略戦争遂行のために住み慣れた故国から無理矢理日本へ連れてこられた人々である」と書いた。

 つまり、戦後、朝鮮人は平気で嘘をつく、と日本の保守派の軽蔑された彼らの嘘歴史を教えたのは、日本共産党の日本人だったのである。

 

 アカハタの執筆者が書いたこの論文の「隆盛発展の一路をたどっている自分の祖国、朝鮮民主主義人民共和国に帰って、安定した生活を望むのは、極めて当然のことである。」という詐欺師の甘言にだまされて、帰国した朝鮮人の強制労働によって、北朝鮮政府はコストゼロで労働力を手にいれた。

 日本共産党ならず者国家北朝鮮の発展の基礎に貢献したまぎれもない証拠である。

 しかも、詐欺、甘言による奴隷労働の提供によって。

 

 ※このアカハタの原文引用を自分の目で確認したい人は、文春文庫「帰国船」(1997年)に掲載されているので、確認されたい

 

 1958年11月17日 在日朝鮮人帰国協力会が超党派の政治家、文化人が参加を表明した。この北朝鮮帰国事業は、事実上、北朝鮮にとって、共産主義一党独裁政権の強制労働労働者を安価に調達して、北朝鮮の権力基盤を固めることに役立った。

 おだてられて行った朝鮮人は彼らの善意によって地獄を見たのである。

 主な賛同者の中で特に注目されるのは、次の人物たちだ。

 1.社会党国際局長 岡田宗司 非日本共産党系のマルクス主義者で、戦前にソ連共産党が日本の共産主義者に呼びかけた「日本共産党日本共産党以外のマルクス主義者は協力して日本政府を倒せ」という呼びかけに応じて、「私有財産制否定の運動」に関与して逮捕された。

 つまり、この時、社会党共産党は日本での社会主義政権確立の前段階として、北朝鮮に労働力を送り込んで隣国に確固とした共産主義国を作る工作をしたのである。

 2.浅沼稲次郎社会党委員長 現在の民進党の大部分をなす旧社会党勢力社民党の原点である。

 3.鳩山一郎

 4.宮本顕治

 5.風見章 この人物は日中戦争推し進めた近衛文麿の第一次内閣の書記官長であり、現在の官房長官にあたる。そして、風見章は、近衛文麿の側近になる前は、信濃毎日新聞の記者で、新聞にマルクス主義の解説を書くほどの、反米・日本資本主義批判者であった。そして、近衛文麿もまた、京都大学資本論翻訳者で、日本共産党に対する多額寄付者の河上肇の家に通って社会主義書物をもらうほどの社会主義で、資本主義の米国を憎悪する人物であった。

 近衛文麿も風見章も、2017年現在の朝鮮人差別に反対することをメインテーマとする辻元清美福島瑞穂有田芳生と同室の反米反資本主義者であった。

 近衛は一党独裁を目指して、大政翼賛会を作ったが、常任総務東亜局長を務めた永井柳太郎は、現在の反差別主義者とまったく同じように、朝鮮人に同情的で、強欲な米国資本主義を憎悪した。1923年12月の帝国議会衆議院議員・永井柳太郎は朝鮮人殺害に関して政府の責任を追及した。

 NHKはユニテリアンクリスチャンであった永井柳太郎が「内閣の出した流言飛語によって朝鮮人が虐殺された」と発言したことをもって、事実であるかのように、作為するが、実際には永井柳太郎の事実誤認である。

 実際は、「朝鮮人による暴動が起きるという噂があり、そして、実際に、多数の朝鮮人暴徒の騒乱もあった。どちらもあった。」これが事実であるのは、大杉栄殺害事件裁判の判決文に「噂があり、そして事実、騒乱もあった」と事実認定しているのである。

 ちなみに、日本人でも、朝鮮人でもなく、共産主義者でもない、米国人記者ノエル・F・ブッシュは生き残った数百名の人々とのインタビューと広汎な調査にもとづいて、執筆したが、民族的偏見の犠牲となった数百人の朝鮮人の悲惨。」と、「朝鮮人のうち、民族的偏見に関わる死者は数百人」と推定している。

ノエル・F・ブッシュは朝鮮と日本の関係を次のように考えていた。

http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/senkan/sinsai6.htm

受益者たる朝鮮側は、感謝してそれを受けるどころか、無愛想かつ強情な態度でそれに報い、ついには公然と敵意を示しはじめたのであった。

 「朝鮮統治は、日本にとって初めから頭痛の種であったが、第一次大戦のあといよいよ困難になっていった。
 問題は、国民性の相違によって、政治的な敵対性が強められていったことにあった

一九一九年の九月二日に、ときの総督と政務総監の水野練太郎なるものが、ソウルの“独立党”の党員によって爆弾を投げつけられる事件が起るに及んで、頂点に達した。
 総督は無事だったが、新聞記者二名が死に、水野錬太郎はかなりの重傷を負った。
」と、ノエル・ブッシュは公平にも関東大震災もののドキュメンタリーには、非情に珍しく、朝鮮人によるテロリズムによって、日本人が被害を受けていた背景を紹介している。

 ノエル・ブッシュは当事者ではないためか、殺されたのは、むしろ日本人が多く、そして、朝鮮人に間違われたのだという、非常に以外な説を成している。 

 殺された人たちの多くは、朝鮮人よりもむしろ日本人で、急に尋問されるためにびっくりしてしまって、舌が思うように廻らず、自警団員の思うつぼにはまったわけだ――自警団員たちは、獲物を見つけよう、見つけようとしていたのだから。 もっといい加減な理由で、朝鮮人ときめられてしまった者もいた。

 「大ざっぱに言って、朝鮮人の被害者は五百人と千人のあいだだと思われるが、しかし重要なのは、そうした数字よりも、そうした事態をひき起したことによる結果であろう。

 というノエル・ブッシュの見解は6千人説に立つ者には到底納得いくまい。

 「地震から三日目になると、朝鮮人騒ぎはおさまったが、この間に警察では市外にバラックを設けて、約一万人ほどの朝鮮人をここに収容し、救済と同時に、保護をしてやっていたのである。

朝鮮人に対するぞっとするようなヒステリー的行動は、その期間も短かく、範囲も二、三の地区に限られており、主としてごく少数の青年団員によってとられたものであった。

 非常に興味深いことに、ノエル・ブッシュは、日本人が朝鮮人に関する噂によって過剰反応を起こして悲劇が起きたのは事実だが、しかし、それはあくまでも、一部の極端な例なのだ、と言っている。

そして、注目を要するのは、市民の大部分がどういう態度をとったかということであって、それには、殆んどが震災で痛手を受けた人たちの、各種各様の行為が含まれていたのである。
 この大地震を体験した西欧の人たちは口を揃えて、災害に当面した一般日本人の模範的な勇気と沈着な行為を賞讃した。
 あわてふためいた場合は、極めてまれであった。

略奪行為は、非常に少なかった


 東京や横浜の公園で恐ろしい火災の最初の夜を過した大群衆の大部分は目立って規律ただしかった。 そうした極度の累張状態におかれながら、常には見られないような勇気を示し、常識を守った例は、枚挙するにいとまないほどであった。 公共機関のなかで、とくに目ざましかったのは東京市の病院で、その看護婦と医師たちは、殆んど不可能としか思えない状況のもとで、何千人という患者たちを救ったのである。」と書いている。

 いかに、戦後の日本人の書いた「朝鮮人虐殺本」が誇張と興奮に充ちたものであるかが思いやられる目の配りかたではないか。

最初の晩は、火事が心配であった。
 次の夜は、暴徒の侵入が恐ろしかった。
 道ひとつへだてた日比谷公園には、何千人という避難民がいたからだ。
 彼らは、食うものが手にはいらない場合、何をするだろうか? 
 また、もし雨が降ってきたら、どういうことになるだろう? 
 数日間、雨は降らなかった。まだ暑くて、そとで寝ることはできたのだが。
 ところで、地震の翌日には、市内でけんかや侵入事件があり、避難民が大挙して侵入してくるというこわい噂も流布されていたのであった。
 ある日本人の官吏が私にささやいたところによると、そうした暴徒たちは、わがホテル――いまや、経済と政治の中心となっていた――を目がけていた上に、東京駅を襲撃して交通をまひさせようとしているということであった。
 中には信ずべき報道もあった。
 私の友人の一人に、いわば日本のロビン・フッド(イギリスの12世紀ごろの伝説的英雄で義賊)がいて、ホテルを守るために配下のものをよこしてくれた。
 わがホテルには、数名の大使を含む多くの外国人がいたので、とくべつに警戒する必要があった。
 ホテルの使用人たちはめいめいに、あり合わせのもので武装して、その晩はひと晩じゅう警戒に当ったのであった。
 その晩、私は近衛部隊の隊員に手紙を書いて、ホテルに兵隊を派遣してくれるように要請した。 ところが、その返事は、軍隊は個人の要請によって出動するものではなくて、命令がなければ出動できない、軍当局がそれを必要と認めれば派遣するだろう、ということであった。
 そこで私は、自分で出かけていって、こういった。
 「では、必要であるという時期を当局はいったいどうしてきめるのです? 
 当局で認めたころには、もう手おくれですよ。
 国内問題だけなら、なんとかかくしておくこともできるでしょう、しかしことが外国関係となると、電信ですぐに伝わってしまいます。
 いまはその国際的な問題であるのに、どうしてあなたは兵隊を出さないのですか?

警衛ということは、私の仕事ではないのです」
 それでも、兵隊をよこしてはくれなかったので、私は翌朝外務省にいって話したところ、三十名あまりを派遣してくれ、さらにあとで増強してくれた。それで、 私は、その晩は眠ることができたのであった。

流言飛語(関東大震災6)

 

 続く

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