北朝鮮問題年表

1959年 ソ連北朝鮮科学者に核技術を供与

      在日朝鮮人の帰国事業はじまる。

      共産党社会党朝日新聞が、強制連行された人々の子孫をふるさとへと言うが、強制労働の運命へ。

1961年 朴正熙政権 日韓協定で巨額資金入手へ

      産業の多様な分野で、日本の技術供与はじまる。在日韓国人商工人、在日韓国人科学者が韓国躍進にバックアップ

1965年 北朝鮮研究用原子炉完成 ソ連人が指導

      ※「二十歳の日本人」大江健三郎「ぼくはそこに希望にみちて自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。 日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない」

1970年 この頃、北朝鮮は韓国進軍へのトンネルを掘る。

1972年 朝鮮総連在日朝鮮人学生を北朝鮮で訓練させ、韓国に送り込む

      東京経済大学反日専門教授、徐京植の兄二人。

1977年 横田めぐみさん拉致される

      ※多くの拉致は、朝鮮総連会員の料理店、朝鮮総連幹部の手引きと北朝鮮工作員の連携によって犯行がなされた。

      同じ年、小田実が、北朝鮮は税金がないと絶賛。

1980年 錦繍山宮殿はベルサイユ宮殿ほどの豪華絢爛に。

1983年 韓国閣僚23人を一斉爆殺。和田春樹東大助教授は、あれは韓国内部の権力争いの暗殺だと、北朝鮮を擁護。

1985年 北朝鮮ソ連の指導で原子力発電を導入

1986年から、日本のパチンコ産業が巨大化、朝鮮総連の脱税指導を通じて北朝鮮へ流出。

この時点でソ連北朝鮮に、核知識を軍事に使うなと言明。

1988年 ソウルオリンピック 韓国との格差が開く

1989年 ルーマニア チャウシェスク処刑

      北朝鮮金正日、敵対階層人民の食料供給を減らし抵抗力を奪う

 

1990年 金丸田辺訪朝団 巨額援助約束するが、一ヶ月後、米国が日本政府に北朝鮮の核開発の深刻性を説明。二年後、金丸は脱税逮捕で失脚

1991年 ソ連からの食料援助激減する

1992年 北朝鮮、ロシアに対して借金を踏み倒して、関係悪化。

1993年 北朝鮮核拡散防止条約から脱退。ロシア、原発技術援助中止。

1994年 金正日は、クリントンに対して、核開発はやめるからと、軽水炉原発二基の米国からの供与と年間50万トンの重油供給を約束させる。

この約束は、米国の渡し損に終わり、核開発は続行された。

クリントン北朝鮮への空爆を断念。

その後、韓国の金泳三は、クリントンをしかりつけて戦争を止めたとホラをふく

1995年 食料配給一部停止起こる 50万人餓死

      ※食料危機を公表 日本から50万トン援助。しかし、被差別層に渡さない

1996年 敵対階層住居地区への食料供給停止 抵抗力を奪う

      100万人餓死

1997年 200万人 栄養失調と餓死 腸チフス流行

この数字の根拠は次のように算出した。

97年、98年の脱北難民1694人にインタビューして、家族数約9千人のうち、餓死者状況を聞き取り。28.7%の餓死率。

これを北朝鮮の被差別階層1300万人に掛ける仮定で、370万人になる。

北朝鮮には、法の下の平等は存在しない。

1998年 人口衛星と称してテポドン打ち上げ

※TBSのサンデーモーニングで、関口宏が「衛星だと思いますけどねえ」と発言

2002年 小泉純一郎田中均北朝鮮に巨額援助実施実現工作開始。

拉致問題の盛り上がりで、巨額援助、中止。

日朝友好議員連盟会長を務める自民党の中川正暉議員が、同議連会長と北朝鮮拉致疑惑救援議員連盟会長を辞任 中川正暉はしきりに北朝鮮ではなく、行方不明者だということにしょうと説得を続けていた。

2004年5月18日 朝日新聞北朝鮮帰国事業で、在日朝鮮人が強制労働させられたのは、日本政府が悪いと、記事に。

金正恩体制の最大の弱点は、欧米に留学生を大量に出して産業を近代化しようにも、それをやったとたん、体制中枢に破壊分子を抱え込むこと。

 

 

 

 

 

 

 

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