大東亜戦争と朝日新聞 その1

1945年まで毎日新聞編集主幹であった高田元三郎は、「奥村信太朗ー日本近代新聞の先駆者」の中で、次のように述べている。

「ひとたび戦争になった以上戦争に協力することが国民の義務であって、責任を問われるべきことだとは思わなかったが」

 こうした戦時中第一線の記者の言い分は、「会社」と従業員の生活を優先して国家の運命、国民の犠牲を軽んじるものだった、と1943年生まれの元毎日新聞記者、前坂俊之記者に評された。だが、ここで隠蔽されているのは、当時の新聞記者が、英米資本主義、英米植民地主義を憎悪し、ソ連に親しみを感じていたのか、そうでなかったのかという事が不問に付されていることである。

 

 当時、新聞紙法第23条は、「内務大臣は新聞紙掲載の事項にして、安寧の秩序をみだし、又は風俗を害するものと認めた時はその発売を禁止し、必要な場合はこれを差し押さえることができる」と規定していた。

 掲載禁止事項には、ロシア革命を意識して、「政体を変改し朝憲を紊乱する事項」という項目があり、「共産主義、無政府主義の戦術戦略を宣伝し、その運動の実行を扇動すること」という項目もあった。

 

 東大新人会でマルクス・レーニン主義に共鳴した者は、英米資本主義、英米植民地主義を憎悪するとともに、日本の政財界一体の特権と社会悪を憎み、ソ連にひそかな憧憬を覚えながら、新聞記者になった者が多数あった。

 

 彼らは、自らの身を守るために、日本共産党とは周到に距離をおきながらも、心情的にはソ連を憧憬していた。こうした共産主義新聞人と当時の共産主義シンパの知識人が取った巧妙な迂回作戦は大枠として、次なようなもであった。

 1.陸軍内部の反ソ連派と反英米・植民地解放派のうち、世論を反英米派に誘導して、陸軍を反英米派優勢にして、社会主義の祖国ソ連を守る。

 2.在米華僑財閥と組む中国の新興資本主義軍閥蒋介石政権を打倒して、中国の毛沢東共産党を支援する。

 3.そのために、東南アジアの資源を確保して、英米の支援する蒋介石国民党との対決の実力をつける。

 4.上記の戦術に平行して、英国、フランス植民地下の東南アジア諸国南洋諸島を植民地から独立させて、日本との友好関係を結び、あわよくばともに英米に対抗し、中国共産党ソ連との広大なアジア社会主義ブロックを形成する。

 5.この戦略に対して米国が強い抵抗を示した場合は、米国との国力差は強大であるから、日本は人的、経済的に大きな損害を被る恐れがある。しかし、その場合には、かえって、大日本帝国天皇制下の帝国主義金融資本体制を転覆させる千載一遇のチャンスでもある。

 さらには、大日本帝国軍人の捨て身の戦いと国民の献身によって、帝国主義米国も大きな痛手を被ることになる。

 その後、相対的に力をつけて漁夫の利を得たソ連に日本の旧領土を献上して、ソ連軍を進駐させて、ソ連とともに、日本の共産主義者政権を誕生させて、疲弊した米国を排除して、日ソ・中国。東南アジアの広大な共産主義共栄圏を確立する。

 

 このような底意を持って、世論を誘導した共産主義者は少なからずいたはずである。

 彼らは次のように思惑がはずれた。

  • ソ連北朝鮮制圧、満州侵攻に続いて北海道本州へのソ連侵攻を期待し、それまで本土決戦を決行して時間稼ぎをしようとしたが、親ソ連ルーズベルト死後、米国の対ソ警戒の巻き返しが急激にはじまり、ソ連に対する核示威とソ連の日本侵攻前に日本全土を米国単独で制圧するために急いだ広島、長崎への核攻撃によって陸軍参謀本部の親ソ派の本土決戦方針は敗北した。
  • ソ連侵攻がかなわなくなり、日ソ連合対米国という構図での講和が不可能になった日本の社会主義者たちは次のように転換せざるをえなくなった。
  • 米国の多党制自由主義重視政策と米国の日本に対する誤解(反資本主義親ソ連の思惑を持った植民地解放を、天皇制軍国ファシズムと誤解)を利用する。
  • 満州・朝鮮・樺太からの引き上げ時にソ連軍から受けた残虐な仕打ち、シベリア強制連行に対する日本人の反感、戦前からの日本国民大衆の共産主義への懐疑心に配慮して、社会主義およびソ連との協調を正面から打ち出すことを当面避ける。
  • 「戦争は二度とごめんだ」という日本大衆の平和への切なる願いを利用し、戦前戦中の日本の過ちは、「軍国主義ファシズム」だったと(米国の対日誤解を利用して)国民に宣伝。戦時中の陸軍参謀本部の親ソ派、近衛、書記官長風見章、昭和研究会朝日新聞記者らの敗戦革命の意図を隠蔽して、共産主義は平和の思想というイメージへ国民を誘導。
  • 米国の民主化政策を利用して、ゼネラルストライキから一気に人民の支持による社会主義政権の樹立を企図するが、GHQに中止を命じられて断念。
  • 風見章は日中友好協会会長に就任。近衛文麿GHQの尋問によって、敗戦革命の意図を自白する恐れがあるから、その前に自殺に誘導。
  • サンフランシスコ講和後は、延々と、ソ連、中国・北朝鮮を礼賛、米国の暗黒面を喧伝して、日米安保を廃棄することに努め、その間、ソ連、中国の社会主義体制が発展して、米国、日本の国力を上回り、日本国民が米国・英国よりもソ連、共産中国・北朝鮮に対して愛着と強い共感を持つようになり、日本もまた共産政権になることを願った。
  • だが、現実はこの期待を裏切り続け、ソ連の経済は崩壊し、経済的な失敗ばかりか、政治犯収容所、言論弾圧、他国への軍事侵略、軍備増強、その裏で起こった何百万人という餓死など、あらゆる点でソ連への信頼感は消え失せ、中国、北朝鮮ベトナムカンボジアと次々に礼賛の矛先を変えたが、時が経過するにつれて共産国の極悪非道な結末が明るみになってきた。
  • その間、朝日新聞記者たちは、必死に、日本軍国主義天皇制狂信ファシズムの犯した反動国家に随伴する非道な行為を言い立て、ウソと誇張で国民に宣伝してきた。

 しかし、これら朝日新聞岩波書店のウソ宣伝は、2000年頃から全面的に新しい世代の保守層から激しい抵抗を受けて真相をあばかれつつある。

 

 ただし、現状では、この保守層の青年たちは、ともすれば、林房雄の「大東亜戦争肯定論」式の、欧米植民地主義批判、GHQ(米国)の対日属国化戦略批判に重点がおかれ、自由と全体主義の関係に対する考察が乏しいという弱点がある。

 

 そして、彼ら保守層の新世代の日本人も、まさか戦前戦中が陸軍高級軍人、共産主義シンパ知識人、新聞記者の中の共産主義シンパがソ連との協調を目指して戦争を主導したとまでは思い及ばず、欧米の植民地体制を打破して、植民地支配に苦しむアジアの人々を解放する正義の戦争だったというところに認識が止まっている者が多い。

 

 共産党、旧社会党もまた、日本国民に「共産党は平和の党」「旧社会党」は「共産党のように一党独裁は目指さないが、平和と福祉の党」という主張をするにとどまっている。

 

 そこには、日本国民に世界史に連動する共産主義席巻によって起こされた戦争の真相を開示する思想の力を政治は持ち得ていないと言ってよい。

 

 以上のような大枠の敗戦革命の企図にとって、中国国民党軍閥馬賊の起こした通州事件済南事件などの残虐事件は、日本をして、英米および中国国民党に衝突して、ソ連を守る方向に突き進むに好都合な事件でもあった。また、朝鮮人の手前勝手な嘘つき癖も日支関係悪化に油をそそいだ。

 現地の「朝鮮日報」が「中国人が朝鮮人農民を襲撃し、多数の死傷者が出た」と誤報し、これをきっかけに朝鮮人(当時は日本人)が中国人に報復して、127人を殺害、日支の関係が悪化した。

 

 満州国独立論のころは、朝日新聞主筆緒方竹虎は大いに日本の言論の自由が存在する社会の中で、軍部批判をおおっぴらにやっていた。つまりはファシズムでも軍国主義でもない。そして、緒方竹虎のような進歩派が満州国独立構想を嫌うのは当然のことで、それは、ソ連の南下を日本陸軍のプレゼンスが障害物になるからである。

 

 1931年昭和6年、中村大尉殺害事件が起きると、8月18日大阪朝日新聞は、「わが将校殺害事件ー暴虐の罪をただせ」と見出しにして、「今回のシナ側には一点の容赦すべきところはない。わが当局が断固として、シナ側暴虐の罪を正さんこと、これ吾人衷心よりの願望である。」と書いて、読者国民を感奮させ、関東軍司令官本庄繁は、快哉を日記に記した。

 

 これはけっして、新聞紙法を恐れて書いたわけでもなく、軍部の圧力に迎合したわけでもない。新聞記者自身が、政府、陸軍、国民の意識を対シナ強硬路線に言論で論理を与え、誘導したのである。

 

 朝日新聞の戦中の主筆で戦後に国会議員となった緒方竹虎は、敗戦後10年経って、1955年電通出版の「五十人の言論人」の中で、

「軍のほうからいうと、新聞が一緒になって抵抗しないかということが終始大きな脅威であった。今から多少残念に思うし、責任を感ぜざるを得ない」と書いて、その当時、新聞人たち自身が英米・在米財閥を背景とする蒋介石政権に同情したのか憎悪していたのか、またソ連に好感を持っていたか嫌悪していたかは、避けて話している。

 

 そして、この時、緒方竹虎の回想(伝記緒方竹虎)に登場するGHQのインボーデン中佐(新聞課長)は、ナイーブにも当時の日本の実態を強権軍人のファシズムと誤解したうえで、緒方に対して「なぜ日本の新聞はこうもやすやすと政府、軍に屈服したのか」「新聞が政府を正したならば」「米国は日本を挑発してもいないのだから」「東條を新聞が諫めていれば、東條は卑怯な手で米国を攻撃することはなかったはず」と言った、というエピソードがある。

 

1952年中央公論一月号に「言論逼塞(ひっそく)時代の回想」で緒方竹虎は「(新聞は)一回の発売禁止によって数万円の損をかもす。米国とちがって(日本の新聞人は軍人の)暴力に弱い。狡猾な暴力団(軍人)は、朝日新聞から広告をボイコットさせようとした。重役会はここにたっては無条件降伏である。」

 この緒方竹虎の言いぐさが馬鹿げているのは、記者自身が満州国ソ連社会主義、米英フランス植民地、米英資本主義についてどういう考えを持っていたか、ということがまったく関係ないかのように語っていることである。

 

 インボーデン中佐は、ハルノートと日本の関係を知る由もない立場にあった。

 また、当時パールハーバー奇襲は、通告のない卑劣な奇襲と考えられていた。

 そして、インボーデンの知る限りでは、戦争突入に向けて引くに引けない状態に誘導したのは、石原莞爾でも東條英機でもなく、昭和研究会近衛文麿、書記官長の風見章、朝日新聞共産主義シンパらがお膳建てしたことを知る由もなかったのである。

 

 実際は、以下記すような朝日新聞の親ソ連思想が、敗戦後に突然脳裡に浮かぶはずもなく、戦前から腹蔵されていたものだった。

 それを示す明らかな証拠となる戦後朝日新聞社説が三つ存在する。

 その前に昭和20年8月15日朝日新聞社説の一節に興味深いことばがある。

「被抑圧民族の解放、搾取なく隷従なき民族国家の再建を目指した大東亜宣言」

「搾取なく」とは、マルクス主義の資本主義批判から由来したものだろう。

 朝日新聞の本音が現れ始めるのが9月22日である。

「遂に国民を大戦争の渦中に投じた我が国指導者の責任こそ、この際、十分に糾明されてしかるべきだろう」

 本当は我が国指導層の一翼を担っていたのは、まさに近衛文麿の執務室のすぐそばに部屋を持っていた朝日新聞記者尾崎秀美をはじめ共産主義シンパの風見章書記官長、近衛文麿自身、そして昭和研究会の面々なのだが、あたかも陸海軍部と政府を指して、新聞記者は糾弾側に立ち、戦後の役割を自ら任じたかのように書いた。

 

 11月7日「国民とともに立たん」宣言で、その後延々と続く日本のNHK、民放のすべて、反日ジャーナリスト青木理などを貫く反日思想のスタンスの一端がここで垣間見える。

「国民とは、(いま現に支配された境遇にいるのであり)支配者層と判然区別せられたる国民でなければならない。それは一言にして言えば、工場に、職場に、農山村に働く国民のいい(意味)である。」

 

 「新聞のになうべき究極の使命は、働く国民の間から生まれるべき日本民主主義戦線の機関たることでなければならない」(これは戦前コミンテルンの指令による共産党と非共産党社会主義労働組合共闘を意味する人民戦線の言い換えである)

 

 この論説の筆者は、毛沢東礼賛の森恭三にほかならない。

 

 こうしたまだそれでもソフトな共産主義思想の形跡が、さらに明白な戦後メディアの基本スタンスのモデルとも言える思想の型が表明されるのが、次の三つの社説である。

 昭和21年4月29日、東京裁判の起訴状が事前回付され、その翌日30日の社説で、朝日新聞は「反動主義者への鉄槌」という社説を掲げた。

 「起訴状には侵略戦争というコトバのみが用いられているが、世界史的な意義においては、日本、ドイツ、イタリアの三枢軸が行った戦争は「反動戦争」であると定義すべきである。」

 

 この朝日新聞の解釈は、米国の考えをはるかに超えて、完全に「マルクス主義」の進歩史観に立っている。

 米国思想には、「多党制」「市場重視」「言論の自由」「権力分立」「法の支配」はあっても、「歴史の法則」における「進歩」と「反動」の観念はない。

 朝日新聞は早くも米国思想から自立して、ロシア・マルクス主義に立って、「歴史の法則」における「進歩」と「反動」の観念を最高の価値基準にしているのである。

 この「進歩」と「反動」には、もっとも「進歩」している社会が「ソ連」で、やや進歩しているのが「米国」もっとも遅れているのが、天皇という古い歴史存在を克服できない日本という妄念があった。(英国の事を忘れたか、英国と日本がともに遅れていると考えたのだろう)

「反動戦争が本質であり、侵略はその最も不吉な現象形体であったのである。(と、勝手に解釈している。当時の米国の解釈は、軍国強権の過剰な膨張)」

「そしてかかる侵略戦争にともなって惹起されたあらゆる非人道的行為は、反動戦争が常に随伴する罪悪の現れなのである。」

 この思想を礎として、その後朝日新聞NHK民間放送局は戦後70年以上、営々と大東亜戦争を含む明治以後の日本人、日本政府を「反動政府」とそれを支える「反動国民」の為す残虐性としてこれを証明するために、あきることなく、スクープを続けた。

 それが、関東大震災朝鮮人虐殺6千人であり、南京大虐殺30万人、従軍慰安婦20万人強制連行、性奴隷説、毒ガス遺棄、731生体実験、三光作戦である。

 

 おそそらくここには、大東亜戦争中、米英を憎悪し、敗戦革命を企図して失敗した朝日新聞幹部の憎き米国に対する意地が秘められている。米国の民主主義理念にとどまらず、米国をも発展途上と相対化するマルクス主義に立って語ってみせたのである。

 

 

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