なぜ米国は原爆を使えなくなったか

広島、長崎の原爆投下、都市部無差別爆撃についての見方

 都市部無差別爆撃も原爆投下もほぼ同じ構図でとらえられていると言ってよい。

どんなふうにか。

 平成9年3月の本島等長崎市長が「広島は戦争の加害者」「広島の第五師団は狂暴なる殺人集団」「最重要軍事基地が最大の爆弾攻撃を受けるのは当然」という見解を表明したとき、産経新聞の平成16年9月号「正論」編集部は、これを日本が悪いという自虐史観だというようにとらえていた。

 

 しかし、この本島発言は、「日本が悪く、米国は悪くない。原爆はしかたがない、容認されるべきものである」という意味ではない。

 

 1.悲惨な戦争被害は日本政府が侵略を起こしたたために起きたのだから、恨むなら日本政府を恨めという意味。

 2.そして、当然原爆を投下した米国にうらみの矛先がまったくいかないわけもないから、そこで、その恨みを日米安保条約反対の意思にぶつけろという意味である。そこで、「最重要軍事基地は最大の爆弾攻撃を受ける」すなわち、「基地があるから、恐ろしい目にあうという刷り込みがなされる。つまり、これは現在の日米安保条約を推進する保守政権に対抗する反対勢力に選挙において投票せよ、勝たせよ、といっているのであって、単に「日本が悪いので、米国は正義だったのだ」という卑屈を言っているわけではない。

 米国が正義だというなら、かならず、立派な民主主義国家米国の基地を肯定しよう、正義ある米国との安保条約を尊重しよう、と主張しているはずだが、そうは言っていない。

 

 これは、日本共産党および日本共産党シンパの朝日新聞記者がまさにこういう考え方を持っている。

 日米戦争は、帝国主義戦争対帝国主義戦争の戦争。だから、中国に対して非道をした悪い日本が、世界制覇をもくろむ米国に恐ろしい攻撃を受けたというのである。

 

 この考え方の批判の対象で除外されているのが、非民主的な仕方で中国を統治する中国一党独裁政権、シベリアに日本人を60万人以上強制連行したソ連である。

 

 中国の人民日報が「広島、長崎への原爆投下は日本の侵略行為がもたらしたもので、自業自得」という場合は、とりあえず米国の評価はどうでもよく、とりあえず、「日本が侵略国だから、中国は被害者」防戦一方の被害者だから、大きな損害を受けたのであり、平和的な道徳的善意を持っていたのは中国人だ」と言いたいだけなのである。

 そこで、中国国民党が日本軍とたたかったのか、中国共産党なのかという問題は彼らにとってどうでもいいことなのである。

 

 岡義武「近衛文麿「運命」の政治家」は、広島原爆について「トルーマンは原爆投下を非情に迷ったが、鈴木首相がポツダム宣言を黙殺したために、トルーマンは早期終結させるために原爆を投下したのだ」という解釈をとる。

 

 当初米国は、敗戦から4か月後の12月9日からNHKラジオで「真相はこうだ」を放送。その中で「原爆は広島の軍事施設を狙い、軍事都市だから投下した」と説明した。

 これを日本共産党は利用して、日本米国資本主義国連合を推進する政府を、「軍事施設拡充」は悪という論拠に利用し、なおかつ原爆の残酷性を告発して、米国を非難する種にしたのである。

 

 原爆の開発を命じたルーズベルトは、原爆の開発途中で、スターリンに対日参戦を依頼した。原爆が完成できなかった場合でも、米国はそろそろ戦争づかれの状態を呈していたから、戦争終結を急ぐ必要があった。そこで、ソ連にドイツとの戦争が終わったらただちに対日参戦するように迫った。

 その後、ルーズベルトは原爆の完成を聞くこともなく、病死。トルーマンナチス降伏直前に大統領になり、ソ連の対日参戦の蓋然性が強まっていた。

 

 共産主義シンパのルーズベルトとちがって、トルーマンは、中国共産党が無視できない存在を示して、ソ連共闘しているのだから、ソ連社会主義革命が他国に飛び火して、ソ連の勢力圏が米国を圧迫する蓋然性を懸念していた。

 そこで、ルーズベルトの死後、急遽陸軍長官らから聞かされた原爆開発が、もし成功するなら、ソ連満州、朝鮮、北海道、日本本土侵攻前に、日本を一気に降伏させて東アジアの権益にソ連が入り込むことを制止できると考えて、原爆完成に期待をかけていた。

 もし、原爆が完成できず、したがって日本が降伏しなければ、ソ連満州、朝鮮、北海道、日本の東北部に侵攻するだろう。その場合は、日本を分割統治するのもやむを得ないかもしれないと考えていた。

 

 1945年7月16日、トルーマンは原爆の完成を知らされた。そして翌日7月17日、スターリンが8月15日にルーズベルトと約束した通り、対日参戦すると聞かされて、トルーマンはこれで日本の降伏は一年以内という事になろうと考えた。

 この時、トルーマンソ連参戦まで一か月あるから、それまでに原爆を使用するか否かを科学者、陸軍省国務省に検討させて、使用するとなればソ連が日本に侵攻する前に降伏させることができようし、それがあまりに強力な兵器ゆえに使用はできないとなれば、その場合は、ソ連とともに、日本を分割占領するしかないが、いずれの場合でも、日本降伏は確実だと考えた。

 

 実際、米国の科学者たちは、原爆使用は民間人にあまりにも大きな犠牲が出るから、使用するにしても、日本政府に通告したうえで、無人島で爆発させて、警告を与えるだけで、降伏させることが可能だから、都市部に投下するべきではないという諮問結果が出ていた。また、あまりにひどい結果になれば、戦後の米国人の宗教的道義心に傷がつく懸念があった。しかし、トルーマン、バーンズ国務長官らは、ソ連中国共産党の膨張を警戒。

 ソ連の動きを封じ込めるために、広島、長崎に投下。実際に都市部に原爆を投下すればどうなるかを仮想敵国ソ連中国共産党に見せつけ、同時にソ連が日本本土に侵攻する前に降伏させて、日本を資本主義圏にとどめるという選択をした。

 国務長官バーンズは対ソ連強硬派で、ソ連を牽制し、ソ連の膨張を止めるために、満州、朝鮮、日本にソ連が侵攻する前に原爆を完成させて、日本を早期降伏させ、旧日本領土を米国が制圧するべきだと考えていた。

 一方、陸軍長官、海軍長官、国務次官の三人は、原爆投下がなくても、日本に「天皇の地位を保障して交渉するべきだ」という考えだったが、バーンズ国務長官は原爆によってソ連に対する牽制を行う必要性を重視した事。日本が天皇の地位を保障したとしても、軍部の意思に圧されて日本政府は降伏を決断できまいと判断して、原爆使用を撤回することはなかった。

 

 トルーマン自身は「広島が軍事施設主体の場所」で、一般的な生活の営まれる都市でもあるという事実を知らなかった、日本は貧しい田舎だと思い込んでいたという説もある。

 そして、マンハッタン計画の責任者レスリー・グローブス自身が積極的投下論者だった。

 投下が決定すると、陸軍部内では、「軍事施設周辺の労働者住宅を攻撃するという名目のもと、「残虐」な結果もやむなし」という方向に進んでいった。

 

 7月24日、投下命令書発令の前日、スチムソン陸軍長官が書いた日記を見るかぎり、当時の米国の最高意思決定層では、まずなによりもソ連の急速な台頭に対してどう対処するかがもっとも気がかりで、対日政策はソ連問題の従属関数だったと思われる。

 特に、日本がすでに壊滅状態になり、ソ連がドイツに勝利してヨーロッパでソ連よりも強国と言える国はどこにもないという情勢になっていた段階では。

 少なくとも、原爆投下を本格的に考慮していた段階の米国はすでにソ連に対する盟友意識はまったくなく、日本、ドイツ占領後には、ソ連がその支配圏を拡大するために動くのであって、決して第二次大戦終了をもって、平和のはじまりにならないであろうことを意識していた。

「京都を除外しなければ、残酷な事態は日本人を米国と和解させることが困難になり、満州ソ連が侵攻した場合に、日本が米国に降伏することが(原爆投下をもってしても)なくなって、むしろ日本がソ連に就くという事態がありうる。」

 つまり、スチムソンは、日本陸軍ソ連と協調して、日ソ共産主義人民解放軍となって、米国に敵対する悪夢を想定していた。

 

 7月25日に米軍の起草した原爆投下指令書が発令された。

 この決定にアイゼンハワー将軍、科学者の諮問機関らが反対してはいた。

 8月6日 広島に原爆投下。8月9日 長崎に原爆投下。

 

 スチムソンの懸念は杞憂ではなく、本当に本土決戦を主張した陸軍指導層がソ連を領土に引き入れ、一気にアジア全体の共産圏化のためにソ連に従属しつつ、米国の排除に撃って出ようとしたのではないかという疑いはぬぐいきれない。

 おそらくナチスが勝利しても、ヨーロッパでは、ナチスと米国の冷戦になり、結局はナチス全体主義ソ連全体主義同様いずれ破綻しただろう。しかし、そうはならずソ連ナチスに勝利したのは、スターリンナチスに決して屈服せず、国民が何百万人死のうとも降伏しない、これまた異常な国家だったからである。

 

 米国は原爆の効果に内心目を瞠り、原爆をもう一度ソ連北朝鮮)に使用できるほど非情になれなかった。

 マッカーサーが原爆の使用を本国に進言しても許可しなかったのは、日本への使用の結果が、予想をやや超えるほどの残酷な結果を見たたために、米国の一般国民にやがて政府が糾弾されることを恐れたともえる。

 以後、使えない原爆に対してソ連は巧みに米国との直接対決を避けながら、新興共産主義革命国に戦争の口火を切らせて、米国を消耗させていった。

 

 米国は原爆を使えないまま、北朝鮮との対決を長引かせ、ベトナムとの対決を長引かせる羽目に陥った。

 

 そして、北朝鮮を倒すことも、ベトナム共産主義を倒す事にも失敗したのは、原爆を実際には使えないことを見越したソ連に見透かされたからである。

 また、米国の場合、テレビニュースショーが夕方に放送されて、ベトナムの悲惨な現実を米国の家庭にまともに届けたし、これに触発されて政府を批判する者たちを強制収容所に入れるわけにもいかなかった。原爆を使えばベトナム共産主義者を押さえ込めたが、使えば確実に米国の良心を破壊し、政権は崩壊することが予想された。

北朝鮮を倒せなかった影響はやがて、米国に韓国駐留経費、日本駐留経費の莫大な負担を背負う結果になり、日本の政治情勢は、北朝鮮朝鮮総連の影響によって、反米思想が常態化することになり、左翼勢力によって9条を修正できない日本は、米国がいつまで待っても、同盟国としての国軍を持とうしない結果になった。

 

 そこで、駐留経費の負担を日本に求めることで、妥協を図ることになった。

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