日本の戦争とは何だったのか 2

「広島の原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」について作者の広島大学教授雑賀忠義は「この過ちの主体は広島市民」「広島市民が軍国主義、戦争に加担するという過ちをして、反省し、死者に謝罪したのだ」と明言した。

 (日本を経済封鎖した米国ルーズベルト政権が日米戦争の責任者だというパール判事への反論として)

 この雑賀忠義の考えは間違っている。戦争責任というのは、政府最高決定会議の当事者にあるのであって、その国の国民が開戦責任を死者に反省するなどでたらめもはなはだしい。

 どんな戦争も一義的に「政府最高決定権力者」そこに大きな影響力を及ぼした諮問機関の知識人、マスメディアにあり、もし、広島に碑文が書かれるとすれば、ソ連に対抗することなく、シナに向けて軍事侵攻のかじを切ったメディアの主要メンバー、諮問機関の知識人、政府要人の名前を書き連ねるべきで、市民の名のもとに謝罪するなどとんでもない。

 むしろ、メディア、諮問機関知識人、政府要人の名をはっきり書いてこそ、末代まで過ちを刻印される責任のある仕事をしているのだという事を現代の政治家、知識人に自覚させることができるというべきなのだ。

 実際、広島市民が過ちを犯したというが、当時広島市民は原爆というものが世の中にあるという事実を知る由もなかった。雑賀教授の言う広島市民の過ちとは、戦争そのものに反対しなかったという責任になる。

 だが、当時、戦争に反対する政治党派は、共産党以外にはなかった。しかも、戦争に反対する理由は、ソ連を防衛するための、反戦であって、共産主義者ソ連に攻撃を仕掛けるのでなければ、仕掛けて日本が自滅するのを望んでいたから、日本国民のとるべき選択は、膺懲シナを叫ぶ朝日新聞を買わないという事くらいの事しかできなかったのが、実情である。

 そして、朝日新聞が膺懲シナを扇動するとき、それにだまされないことがどれほど至難のわざであることか、そんな至難の技ができなかったからといってそれを過ちだなどということはできない。

 当時最も重大な罪を犯した当事者は、近衛文麿、元マルクス解説者で、書記官長の風見章、ソ連と通謀した朝日新聞記者の三者だと言っても過言ではない。なぜなら、彼らは自分自身は身を痛める立場でないにも関わらず、多くの人々を死地に出し、その家族を塗炭の苦しみに追い込んだからである。

 日本のとるべき選択は、ドイツがソ連に侵攻した時、日本もソ連に侵攻してソ連共産主義を崩壊させ、ドイツに対しては英米に任せるべきだった。そして、アメリカのフィリピン独立の流れと同様、日本は徐々に朝鮮、台湾を自立させ、切り離しつつ、英米・欧州との貿易を持続させていくのが懸命だった。

 この時、朝鮮に王族を戻して大韓帝国に戻すように交渉して、英米日共同で韓国を支援するようにしてやれば、今のようにひねこびた民族主義親北朝鮮に領導された反日プロパガンダはなかった。

 1945年以降の日本人のゆがみは、米国の大半が共産主義への共感と決別したにもかかわらず、日本の知識人だけが、ソ連派、中国派、北朝鮮派という形で強い肩入れを行ったということにある。

 もうひとつは、英国、フランス、米国は、自国と利害の対立する外国に対して、謝罪、支援を行った例はないが、日本に限って、奇異にも「韓国という産業上の競争相手になる国」に巨額の援助を続け、法的便宜を図ったという事である。

 特に対韓関係で日本が犯した大きな過ちは、米国の場合、欧州からの移民受け入れは後に「米国国家」に総体として貢献する米国国民を形成することになったが、日本の在日韓国人知識人の場合、ロシア系米国人、ポーランド系米国人、ユダヤ系米国人とちがって、日本国家そのものの破壊イデオロギー、歴史ねつ造プロパガンダの発信者として猛威をふるったという事実である。

 たとえば在日韓国人映画脚本家の李相日は、米国映画「許されざる者」を曲解して日本版にリメイクして、「少数民族アイヌを虐待した」という物語をこしらえあげて誇張している。

 富岡幸一郎の「大東亜戦争の「義」とはなにか」によると、竹内好は「近代の超克」とは、「明治以来の日本の近代化=西洋化そのものがはらむ分裂と混乱を直視しようとする課題であることを主張しようとした」と言う。

 だが、そうだろうか。これが疑問であるのは、竹内好中国共産党共産主義になんら抵抗感を持たなかったという事である。

 富岡幸一郎大東亜戦争が西洋列強の植民地支配に対する抵抗だったというが、そういうなら、ロシアマルクス主義のレーニン・スターリン毛沢東金日成ホーチミンポルポトも、西洋列強の植民地支配体制を破壊しようとした、と言って言えなくもないから事態は単純ではない。

 「西洋近代の超克」も、「大東亜の戦い」も、「自存自衛」、「アジアの解放のための義戦」これらすべては、スターリン毛沢東金日成らのアジアの共産主義者の言い分にあてはめてあてはめることは不可能ではない。

 富岡幸一郎は何のことはない、竹内好のいう「日本侵略論」に同意して、「(大東亜共栄圏が)アジア諸国民のナショナリズムを承認した上での理念とはならなかったことを思えば、(多少とも、良心的な植民地支配ではあったにしても)竹内好のいう「大東亜戦争の二重構造」は否定できない、という。

 富岡幸一郎は「あの戦争がアジアの民としての日本人がどうしても戦う必要のあった戦争であった」というが、それを言うなら、やはり、ロシア人、シナ仁、朝鮮人ベトナム人カンボジア人他、各国の共産主義戦争もそういう事になってしまわざるを得ないと言える。

 富岡幸一郎は一見、反自虐史観派であり、チャンネル桜に頻繁に出演し、また産経新聞正論紙上に論文が掲載されているので、「謝罪派ではない」かのようであるが、実際は「近代日本のアジア戦略が帝国主義植民地主義に傾き、統治と戦火によって多大な苦難と被害を与えたことをはっきりと謝罪すべきであろう」と書いている。

 ※平成18年10月別冊正論大東亜戦争日本の主張

 これは非常に奇妙な主張である。なぜなら、「富岡幸一郎は戦いの義を語って同時に謝罪すべきであろう」と言うのだが、そんな芸当がありうるだろうか。

 富岡幸一郎の言うとおりにすれば、次のような矛盾が生じる。

  • 実は「国家」「国民」が他国あるいは、自国の国民に「苦難」と「被害」を与えたことのない「国家」「国民」は世界各国をさがして、ほとんど無きに等しい。強すぎ、そして、薄情であることにおいて、逆に弱すぎ、ふがいないことにおいて、自国の弱い者を見捨てたり、他国の弱い者を蹂躙したことにない国は指摘することは不可能に近いのである。

 それは、朝鮮人といえども例外ではない。朝鮮人が戦争を起こしたために、中国の兵士、国連軍各国の兵士がどれほど地獄の体験をしたことか。また、その後、韓国は国内の共産主義者狩りの過程でただ反政府的傾向のある者とその家族をも殺害したし、北朝鮮もまた、反政府的傾向のある者を処刑し、餓死させた。

 要するにこの世界で、無辜の民衆に謝罪しなくて済む無罪の国家など存在しないのである。

 実際には世界中の国家がそれぞれの国の罪業について自覚して、苦難を与えた人々に(仕方がなかったとか、一縷の「義」もあった、という説明とともに、)「謝罪する」などということはありえない。

 にもかかわらず、富岡幸一郎の言うように日本が謝罪するならば、結局はそれは、世界中が、日本の過誤、謝罪事実を深く、はっきりと認識はするが、彼ら自身の過ちは意識しないという結果にしかならない。なぜなら、世界各国に各国それぞれの過ちを教え、謝罪を推奨するなどということは馬鹿げた徒労だからだ。

 少なくとも、日本人がアジア諸民族に対して謝罪するべきだというなら、その時、謝罪されたアジア諸民族は、何者かに対して謝罪するべき罪業はあるのか、ないのかという問題に言及しなければなにも言ったことにならない。

 宣戦の詔書の「今や不幸にして米英両国とキンタンを開くに至る。洵(まこと)にやむを得ざるものあり、あに朕の志ならんや」という一節は、富岡幸一郎は「この言葉によって昭和天皇は消極的だったが、軍人が無謀な戦争に突入したという見方がある」と言うが、そんなことはない。事実は、「軍人」「新聞記者・文学者・民間文学者・学者などの知識人」「非軍人の政府要人」「政党人」などの政治活動総体が戦争責任の主体なのであって、昭和天皇が「あに朕の志ならんや」と言ったから「軍人が悪い」などということにはならない。

「あに朕の志ならんや」などは、常に戦争は「本当はやりたくないけれども、やむをえない」と立憲君主ならずとも、古今東西誰もが言うものなので、この一節に重い意味を持たせるべきではない。

 富岡幸一郎は戦争責任を「日本人自らが問うべき」という言い方をしている。

 が、大事なのは、「天皇の戦争責任」とか、「軍部・軍国主義の過ち」「日本人自ら」ととらえるのではなく、知識人としての「軍人」「新聞記者」「作家」「帝大教授」「政党政治家」「宗教団体指導者」の相互影響力。

そして、首相、書記官長、外務大臣、 海軍大臣陸軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部長と言った政府組織の指揮権、意思決定権者の責任が問われるべきなのであって、「日本人自ら」などという架空うの責任を問うても意味がない。

 なぜなら、意思決定権者でもなければ、命令権者でもない国民は結局のところ、なぜ戦争するのか、本当のところ理解できぬまま、ただ招集されたそのあとに無理にでも理由を自己自身に納得させたというのが実態だったからである。

 だが、現に影響力のあった新聞に実際に執筆していた新聞記者は自分の記事がどのような影響力を持つのか、また、大学教授は論壇で発表する主張がどのような影響を社会に与えるのか、熟考する責任も、結果に対する倫理的責任もあった。

 これは「国民が戦争の犠牲者」だという意味とは違う。

 「国民が戦争の犠牲者で、為政者が加害者だ」という見方は、次のような陥穽がある。

  • 「政府および政府の一機関である陸軍、海軍という為政者」以外の国民、すなわち「アカデミズムおよびジャーナリズムひいては作家などの文化人」こそが、政府と陸軍、海軍を使嗾して、戦争に誘導していった場合がある。その場合は、戦後思想が、「政府権力を監視すれば、国民の被害を回避できる」という発想は無効であることは言うまでもない、ということである。

  • もうひとつ、政府権力に対抗する政治党派が外国の国家権力と連携して、当該国家の戦争計画に誘導介入する場合がある。

たとえば、日本の場合、コミンテルン共産党と非公然の日本共産党とまったく独立した行動をしていた共産主義者がスパイとして日本政府中枢に入り込んで重要情報をゾルゲに流していたわけだが、こうした国内の政府要人とは、別の一民間マスメディアの記者が外国の国家権力と通謀して、諜報活動によって、日本を戦争に向けて誘導したという事実がある。

 この場合も、言うまでもなく、マスメディアの役割は、現在の国家権力政府与党の不正を監視し、告発することが国民の利益になる、という発想は無効ということになる。

  • むしろ、反政府権力の政治党派とその意図的誘導こそが、国民を苦難のどん底に陥れた真の犯罪者であったとすると、その真実が理解されておらず、政府と軍部が凶悪であった、と思い違いしているのなら、ますます同じ悲劇が繰り返されることになる。

  • すなわち、「政府権力を監視する」という名のもとに、当該国家の防衛を妨害し、他国の侵略を誘致して、国民を苦難のどん底に陥れるということである。

 大東亜戦争において、ソ連は「日本共産党」と「非コミンテルン系の労農派マルクス主義者」の二大共産党党派が存在し、ソ連は時に人民戦線戦術を指導して、両派の共闘を指令していた。が、実はその後の歴史は、この二大共産主義政治党派に属さないし、一切の党派的活動もしていないがしかし、まぎれもない超一流の共産主義知識人で新聞記者という立場で、秘密裡にソ連と交渉していた者がいたことがわかっている。

 そうした尾崎秀美のような人物が、長年、公安当局に捕縛されないまま、風見章、近衛文麿の方針に強く関与し、なおかつ新聞記事を通して世論形成に重要な役割を果たしていた。

 現代もまた、一般国民がその正体を知りえぬ立場、まさかあの人物がという人間が、政府要人に対して新聞の誤情報、プロパガンダによって自分たちに都合のいい政策に誘導し、あるいは都合の悪い政策は中止するよう、誘導して、国民の利益を害していないとどうして言えよう。

 大東亜戦争の際は、ソ連への攻撃は回避し、シナ膺懲が共産主義者によって、世論が誘導され、政治家、軍部の南進派がこれにのって増長した。

 間違いなく、大東亜戦争の下手人は、マスメディアの中の優秀な共産主義知識人記者だった。それなら、現在も、北朝鮮、中国から国民の目をそらさせて、反米主義を煽り立てて、有力野党議員に力を与えているのは、マスメディアかもしれないのである。

 この懐疑を失わせるものこそ、「政府権力=国家悪説」であり、「軍存在悪説」「国民全体の責任」の三つである。

 歴史上、まちがいなく存在した事実であるにもかかわらず、忘れられている事実とは、「新聞記者と外国国家権力のエージェントが通謀して、意図的に記事を書き、政府要人、軍人、国民世論を誘導した」という事であり、海軍軍令部のウソ発表を新聞が鵜呑みして発表したなどというのは、ある狡猾な意図を持った共産主義知識人の隠された意図から見れば軍部は手のひらで踊らされていたにすぎないのである。

 つまり、わたしたちは、反権力か否かを真理の基準とするのではなく、「権力を奪取しうる位置にある野党勢力と、これを教導する知識人の全体主義思想」と、「現に与党である政府権力の担当者を教導する知識人の思想」の両方を常に懐疑的に見続ける必要があって、現行の政府与党に影響を与える知識人も、現行の野党政治家に影響を与える政治家も、どちらであっても、外国の全体主義勢力と通謀している場合がありうることを考慮しなければならない。

 だからこそ、現実に日本の戦後史では、三木、宮沢喜一海部俊樹小沢一郎河野洋平小泉純一郎鳩山由紀夫細川護熙羽田孜(つとむ)、加藤紘一野中広務二階俊博といった改憲を党是とする自民党国会議員の有力者こそが、中国共産党という一党独裁反自由義体制を擁護する外交政策、談話を繰り返してきたのである。

 近代国家のイデオロギーは紛れもなく、以下のような人々によって社会は誘導されていると言ってよいだろう。

  • 大手新聞社の新聞主幹・編集委員・記者・特派員記者(大手テレビメディア報道番組制作会社のプロデューサー・ディレクター・記者)

  • メディア担当者に理論的基礎を与える外国思想の輸入者である東大・京大の大学教授

  • メディアが選択するコメンテーターの発言に影響を受けた世論

(コメンテーター自身は、新聞主幹・編集委員・大学知識人の見解の焼き直し)

D.世論とメディアをバランスよくピックアップして、反体制派につくか、体制派につくかをうかがう政治家

 この四者こそが、思想の主人公で、これらの思想の主人公によって国民世論は誘導されているに過ぎないといえる。

 国民それぞれは、自分個人の「人生の主人公」ではあるが、「社会の主人公」ではない。社会の主人公の条件とは、自己の社会的見解の表明が、他者に影響を及ぼしうる手段を保持し、実行しているかどうかにかかっている。

 たとえば、佐藤優創価学会の機関紙、印刷物にコメントを求められ、創価学会メディアの広告に掲載されて、会員の多くが読む著書を公表して、創価学会会員にある見解を持たせることで、社会の中で、他の個人よりも多くの影響力を行使しているのだ。

 富岡幸一郎は中国が日中国交回復の際に主張した論法「戦争責任は一部の軍国主義者、A級戦犯、にあり、日本の一般国民に罪はなかった」という論理が、その後、A級戦犯の合祀された靖国神社への首相の参拝に中国が介入する論拠になったが、この中国の論理は、米国のGHQが占領下の日本人にすり込んだものと同じもので、中国の論理と日本人の論理、GHQの論理は一致して、「戦争責任は一部の軍国主義者、A級戦犯、にあり、日本の一般国民に罪はなかった」ということになる、と言う。

 だが、この富岡幸一郎の主張は、韓国知識人が自分自身の力ではいっこうに「慰安婦を売ったのは、慰安婦の親であり、慰安婦をだましたのは、かなり多くの朝鮮人慰安婦だが、にもかかわらず、日本人にすべての責任を押しつけててんとして恥じない無能」と同様、米国GHQに対して、事態の真相にたどり着けぬみずからの不明をなするつけている。

 米国のせいにしようと誰のせいにしようと、富岡幸一郎があの戦争の真の責任者をこれと名指しできないで、「国民すべて」「国家の体勢」(徳富蘇峰の引用)としか言えないのだから、何のこたえにもならない。

 陸軍参謀本部の高級将校たちに戦争の論理を与えたのは、北一輝であり、大川周明であり、そうでなければ、密かに読まれた河上肇マルクス共産党宣言で、それは英米の植民地支配を暗に批判する意味内容を持っていた。

 そして、近衛文麿木戸幸一、風見章、三木清らもまた、日本共産党に入党しなかったり、転向しながらも、つまるところは、マルクスに共鳴するか、河上肇を通して共産主義に共鳴し、大資本家を擁する欧米資本主義国家を憎悪していたことにかわりはない。

 その根は、日本主義でもなんでもなく、ヨーロッパの時の先端思想であったマルクス主義にほかならなかった。

 日本の戦争の真の下手人は、北一輝大川周明という二人のマルクス主義の日本版の思想家の影響を受けた軍人、そして河上肇というマルクス翻訳家の薫陶を受けた政府中枢の近衛文麿、風見章。そして、昭和研究会日本共産党転向組だが、共産主義を否定する論理を持たないゆえに、英米資本主義への対抗心旺盛な当代第一級の知識人。そして、異才の孤立した共産主義者朝日新聞の敏腕記者尾崎秀実らが、八面六臂の活躍で日本の最高指導機関を戦争決定へと誘導していったのである。

 

 

 

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