慰安婦問題の起源ノート

挺隊協創始者の尹 貞玉は1943年に梨花女子専門学校1年生。

1950年、朝鮮戦争中に米国に留学して帰国後、53年梨花女子大英文科講師に就任。この時代にこのような学費が可能だったとすれば、親日のかなり裕福な家の娘だった。尹 貞玉は、嘘をついて「裕福な独立運動家の牧師の娘」と言っている。

尹 貞玉は1945年、始めて慰安婦が存在した事に気付き、二年前、17歳だった時に「看護婦になりなさい」と奨められたことが、慰安婦にさせられそうだったのだと思ったと妄想を語っている。極めて裕福な家庭の娘、 貞玉は、この時点で半島に遊郭があることさえ知らない箱入り娘だったと考えられる。

 1980年55歳、朝鮮総連の仲介で沖縄在住の元慰安婦に会いに行く。

 「人が人に対してこんな仕打ちができるのか」と尹 貞玉は思ったと2013年に語るが、1980年、55歳の時点で尹 貞玉は、ソウルのはずれに遊郭があることを知らなかったのではないかと思われるふしがある。

 

 挺隊協には、創始者の尹 貞玉よりももっと大物がいる。

尹 貞玉より一歳年上の梨花女子大社会学科(講師後教授)の李効再(女)である。1945年梨花女子専門学校で出会い、先に李効再が米国に留学。1947年に米国で再会。二人とも梨花女子大に戻っている。李効再がマルクス主義フェミニズムのオーガナイザーになる。

 

 朴正熙政権、全斗煥政権と続いて米国、日本双方から強力な援助を取り付けて経済成長を続ける韓国に危機感を持った北朝鮮親北勢力は李効再が女性を糾合して反米基地闘争、基地村批判、政府運営のキーセン観光を批判するが、84年から徐々に朝鮮総連との連携を強めて、慰安婦問題に軸足を移して行った

1924年生まれの李効再(女)の弟子から、現在の反日女性政治家が多数輩出している。盧武鉉政権の女性家族省長官も、李効再(女)の生徒だった。

 盟友の金恵媛は尹 貞玉について「世間知らずの温室育ちに見えた」と言っている。貞玉をソウルオリンピック前に済州島YMCAで慰安婦研究を発表させる。

 

 現在、山口二郎が盛んに言っている「慰安婦の存在を否定する人がいる」説の起源は、挺隊協のイ・ナヨンが言う「1990年1月に駐韓大使館の小野参事官が、慰安婦動員の証拠はない」と回答したことを持って、「慰安婦の存在を否定した」と強弁している事を山口が鵜呑みにしたのではないか。

 

 1991年7月に挺身隊協議会、当時研究会は金学順を探し出すのだが、8月15日の解放記念日に合わせて、14日に記者会見する。

 このとき、金学順は「国民が日本にしがみつくのを見ていたら我慢ならない」という興味深い事を言っている。人権問題ではなく、(北朝鮮と対立する)韓国が日本に援助受けて成長するのが、ダメだ、と言っているのだ。

挺身隊問題協議会の第一世代が

1924年生まれ

李効再 (女)

1943年18歳

1925年生まれ

尹 貞玉(ユン・ジョンオク)

1943年17歳

金大中は1926年生まれなので、李効再 (女)尹 貞玉(ユン・ジョンオク)とほぼ同世代である。

 

 

二人とも、1943年には梨花女子専門学校に在学しており、ともに米国に留学しているので、親はかなり裕福な親日派資産家であったと思われる。

※本人は親は裕福な独立運動家と言っているが。

参考までに、

在日韓国人親北朝鮮派)の徐勝(ソ・スン)は、1945年生まれ

その兄弟徐俊植は、1948年生まれ

徐 京植(ソ・キョンシク)は1951年生まれ。

徐 京植が20歳、1971年は、金日成、朴正熙時代。

1972年米国ニクソン、訪中。

盧武鉉は1946年生まれで、ほぼ同世代である。

文在寅(ムン・ジェイン)は1953年生まれなので、親北朝鮮派在日韓国人

徐 京植とほぼ同世代である。

第二世代は、

1953年生まれ

鄭鎭星(チョン・ジンソン)

ソウル大学社会科学大学社会学科卒業、シカゴ大学にてPh‐D取得。徳成女子大学教授を経て、現在ソウル大学教授・同大学社会発展研究 所長。また国|連人権小委員会委員を経て、2008年8月より国連人権理事会諮問委員会委員(副議長)

しかしこの問題の解決のために積極的に活動して国民基金に反対する一番進歩的な日本人の多くが、結局は日本をより良い社会にするためだという同じ動機と理由で活動しているという点に注目する必要がある。軍慰安婦問題で一番進歩的な目標を持った一人であり、韓国の運動にも非常に親密なある知識人は「どうして日本の恥部に触れるこの問題にこれほど深く関与するのか」を問うた著者に対し、「日本を倫理的に一段高い社会にするため」という返事をすぐにしたことがある。

日本軍の性奴隷制度 鄭 鎭星 P.253

 

李効再、尹貞玉、そして約10歳年下の鄭 鎭星が会って、挺身隊問題研究会の責任者は鄭 鎭星が就任して、研究会責任者だった尹貞玉が韓国挺身隊問題対策協議会を立ち上げることになった。

韓国・挺身隊問題対策協議会、Korean council for women drafted for military sexual slavery by Japan

 

2000年、共同代表は、尹貞玉(ユン・ジョンオク)、金允玉(キム・ユノク)、池銀姫(チ・ウニ)

 

 

 

池銀姫

1947年生まれ

ソウルの徳成女子大学の学長

韓国の女性大臣(ジェンダー平等省)2003年~2005年盧武鉉政権

池銀姫は李効再の薫陶を受けた。

1999年に挺身隊問題対策協議会の共同代表として名を売った池銀姫は

2003年に盧武鉉政権でジェンダー平等省の長官に就任。

2006年には、ジェンダー平等省の長官で名を売って徳成女子大学の学長となって、法政大学と学術一般協定を締結した。

2006年に後の代表、尹美香が事務総長に就任している。

2006年5月、韓国左翼政権盧武鉉政権において女性省長官が陸海空軍大佐級以上の将校300名に男女平等教育を行っている。

 

1987年2月に結成した韓国女性団体連合の共同代表経験者、または政策委員経験者が、女性省の一代から三代までを占める。

韓明淑ハンミョンスク1944

池銀姫 1947

張夏真チャンハジン1951

 

第三世代は、

1964年生まれ

尹 美香(ユン・ミヒャン)

1984年に20歳。この時代、1980年には光州事件が起きている。

1983年、大韓航空機爆破事件、ラングーンテロ。1984年は、88年のソウルオリンピックが開催決定してから3年経過している。

1993年に夫とその妹がスパイ事件で摘発され有罪となった。

 

初代挺身隊問題対策協議会の代表の一年先輩で1924年生まれ、朝鮮戦争時に米国留学し終戦時に梨花女子大に戻ってきた韓国戦後フェミニズムの指導者李効再の生徒だった池銀姫が水曜デモを主導し、後に盧武鉉政権の女性家族省長官に就任。盧武鉉政権の最側近が文在寅。両親は脱北者北朝鮮人。

 

1992年10月に始まった水曜デモは、「韓国保守政権」が日本と本格対立すれば、経済破綻に陥ることを見越しての「日本と戦えない保守政権」を国民運動で倒閣しよう、(北朝鮮の言いなりになる政権を作ろう)という運動だった。親北金大中政権成立の6年前に始まった。もちろん、朝鮮総連も協力。

 

現代先進国の社会には、様々な差別が残存し、これをどんな左翼政権も保守政権も解決する方途を実は持たない。だが、少なくとも、保守政権が存続する限り、保守政権だから、差別があるのだと、批判する強力な武器にはなるのである。

たとえば中国も北朝鮮も実際には、激しい女性差別と身分差別が存在する。しかし、これを不問に伏して、複数政党国家の保守政権に、女性差別の未解消責任を激しく突きつけて、政権交代を迫る事は、女性票が大きい以上、十分な力を持つのである。

挺隊協の主張によると、慰安婦像のかかとが地面についていないのは、「韓国政府の無責任さ」を表している。無責任でない韓国政府とは、日本と全面対決して、経済破綻しても、日本に助けを求めるな、北朝鮮よりも発展するなどまかりならぬ、韓国も北朝鮮と同じ程度にまずしくなれという意味である。

野中広務小泉純一郎小沢一郎はそれぞれ犬猿の仲。加藤の乱野中広務は抑えた。だが、これらの人物、皆、9条護憲、親北朝鮮派ではないか。これで自民党改憲できたはずもない。改憲できない、国防軍のない日本が半島を敵に回すのは危険極まりないから、韓国を助けなければならない。アホな日本。

日本は韓国、北朝鮮を突きはなして、つまり貧乏にさせて、半島まるごと、貧困軍事国家として対峙するために、日本の国防軍創設が急務である。
そうしない限り、寄生され、世界にプロパガンダを広められても北朝鮮危機を気にして韓国を支援せざるを得なくなる。国防軍を持って韓国を日本から離すべき。

物事には順序というものがある。自衛隊国防軍にする事さえ日本の政治状勢では極めて大きな課題。これを達成する前に核を保有できるはずもない。自衛隊国防軍にすれば、それだけでも劇的にその後の進展が見込めるが、核武装のためにために是が非でも9条2項を廃止国防軍規定をと言わねばならない。

 2012年挺身隊問題対策協議会は「ナビ(蝶々)基金」を始めた。

これは全世界のあらゆる女性が差別と抑圧(貧困を含む)、暴力から解放されて、蝶々のように羽ばたくと言うことを意味する。

 しかし、よく考えてみると、これを現実に実行するには、これを可能にする政権が成立するか、あるいは、そのような政権は現実に存在しないという前提のもと、(つまり実現しないとわかりつつ)理想を訴え続けるかの二つにひとつである。いまだかつてマルクスレーニン主義政権がこれを実現した例はないし、フェミニズムを完全実施する政権は保守政権ではあり得ないし、マルクスレーニン主義政権でも、フェミニズム完全実施の例はない。

 あるのは、もし共産党が政権をとれば、フェミニズムを完全実施しますよ、という空手形だけなのだ。

 「韓国社会がハルモニ達に対してきちんとした態度を取るようにしなければならない」(尹 美香(ユン・ミヒャン)

とは、「韓国人すべてが、「日本と戦おうとしない政府を否定し、日本と戦う政党を支持するようなる」という意味である。・それは当然、経済危機には、日本に救ってもらうな、という事を意味し、北朝鮮が日本と貿易してもいないのに、韓国が日本と貿易をするな、北朝鮮を見下すほど、発展してはならぬ、という事を意味する。

 すべてはこの本音を隠すために、「平和への願い」=「日本との不仲覚悟で日本に謝らせろ」があり、「戦争と女性の人権確立の願い」=「日本との不仲覚悟で日本に謝らせろ」がある。

 「慰安婦の女性の苦痛を治癒させよ」=「日本との不仲覚悟で日本に謝らせろ」という意味なのである。

 「日本軍慰安婦問題解決運動の主要課題は「責任の帰属」を明らかにする作業だ。」挺身隊問題対策協議会 イ・ナヨン

 国際連帯活動により認めさせる、ということは日本の保守勢力を国際包囲網で追い詰め、日本の北朝鮮、韓国双方への贖罪派を政権につかせて、反北朝鮮反韓国勢力の動きを抑えさせて、北朝鮮との融和姿勢を取る韓国に資金提供させるという意味である。

 国際包囲網の具体例

  • 全世界に慰安婦像を建設して、各国良識派市民団体の対日謝罪要求を強める。

  • 国連の対日批判を強める。

  • 著名な人権活動家と連帯する。

  • 以上によって、日本人の多数派を謝罪贖罪派の政党を支持する世論に誘導する。

  • 親北朝鮮派韓国を支持し、反北朝鮮派韓国を支持しない日本に誘導する。

2016年10月から翌年11月まで岩波書店が韓国人挺隊協のイ・ナヨンに長期連載させ、在日の梁澄子に日本語訳させた「慰安婦問題の歴史」は、「あくまでも日本政府に責任を帰属させるのだ」「80年代まで運動が無かったのは、韓国保守政権のせいだ」と言っている。責任は韓国人遊郭と親にある。

挺隊協のイ・ナヨンが岩波「世界」で言っていた。
慰安婦運動支援者に「何のために慰安婦抗議に参加するのか」と聞いたら、「日本をいい国にするため」と異口同音に言う。違う、被害者の痛苦を癒やすためだ、と喧嘩する。だから、日本に合意賛成派が多いのだという。
TBSサンモニもその手の「いい国」派か

「日本は悪い国だったが、いい国に変わらねばならない」としたのが、俗流左翼の根本である。マスメディアの姿勢がそれ。だがそうではない。近隣国にマルクス・レーニン主義民族主義、絶対国民情緒に毒された国があって、日本人の国益を脅かしていることに備えがはなはだ不足していることが問題なのだ。

韓国人は朝鮮民族は善玉、日本民族は悪玉という観念が国民に全面的に浸透している。だから、北朝鮮と融和しうる感覚、核は韓国向けではないと信じる感覚が生じる。将来にわたって非常に危険な連中である。

前から、韓国は日本に来るべきじゃなかったし、これからも来させないのが正しい。思えば盧武鉉が来日したときは、正直、俺は無知だった。盧武鉉は挺隊対協幹部を女性省長官にしていたのだが、まるで無知だった。

統一原理教会は、韓国民族をイスラエルとしている。 なぜ統一原理教会が日本の保守政治家に反共運動をアピールしたかというと、親北団体の挺隊協と左派政党、労働組合がいかに反日を騒ぎ立てても、韓国に対する経済・技術援助を反共の名のもとに、やめさせないためである。これにひっかかたのが中曽根

「純粋デモクラシーは、歴史を紐解けば、これほど政治における偽りは他に類をみない。古代デモクラシーでは市民自身が議会に参加するが決して良き政府を持ったことがない。その性格は専制であり、その姿は奇形である」(ハミルトン)

1993年、挺隊協(その総本山は梨花女子大)のマルクス主義フェミニズム理論家たちは、マニラ会議に30人の女性活動家を送り込み、東アジア女性フォーラムを組織しようと提案。そこに、朝日新聞松井やよりもいた。中国からは、共産党直属の全国婦女連合会。こうして北京女性会議が開かれた。

1943年時点で18歳だった李効再が梨花女子大のすべての左翼運動の原点となった。挺隊協の初代代表はこの李効再の一歳年下。1999年、李効再が日本政府に効果的圧力を加えるために、国連人権委員会を使えと考え出した。
米国帰りの李効再門下の申惠秀が李効再を国連の広報委員長に会わせた。

1996年のクマラスワミの「軍事的性奴隷制報告」は、朝鮮労働党の協力によって北朝鮮に訪問して行われた。クマラスワミは強制収容所における女性虐待について何の関心も示さなかったことになる。この報告書は国連人権委員会で鵜呑みにされ、全会一致で採択され、出席者の良心を大いに満足させた。

 国連人権委員会は報告者の報告をいちいち疑ったり、検証しないのが慣例といえるだろう。この特性にのっとって、戸塚悦郎は挺隊協にスリランカの弁護士クマラスワミを紹介し、性奴隷が規定事実であるかに誘導していった。
これを挺隊協幹部のイ・ナヨンは、トランスナショナル運動だと自画自賛する。

挺隊協活動は梨花女子大出身の政治活動家たちにとって、国会議員、女性家族省長官から高級スタッフに就任し、やがては教授、学長にまでなりうる登竜門になった。  梨花女子大、ソウル大学の女性活動家達は保守政権を倒し、また、保守政権を復活させないために死力を尽くすようになった。

挺隊協のイ・ナヨンは言う。「米軍基地村」「性売買」の順で、研究し次に「慰安婦問題に出会った」と。最初は、北朝鮮が統一の最大の障害としてきた、米軍批判が絡んでいる運動だったが次に朝鮮総連への風当たりが強くなって来たとき、矛先を慰安婦に転換したのである。オリンピック阻止として始まった

挺隊協の理論家フェミニズム理論家イ・ナヨンは、挺隊協運動の親北朝鮮的性格を次のように語っている。「東アジアの冷戦体制下でフェミニストの視点で境界を越える」と。つまり、北朝鮮と韓国の対立関係を、両国および全世界の女性の敵として、日本を標的にして共闘する、と。 

日本共産党の戦術は、国民が自衛隊は必要と認めている世論に逆らうのを控えて、9条2項で自衛隊を縛って置くこと。

当時、韓国は国民に知らせなかったのではなく、賠償をとったどーと嘘を言った。当時の左翼野党と学生は、その程度の賠償で済むかーと大騒ぎして政府を批判した。
日本からぶんどった金を開発に使ったという意識を韓国人は持った。
韓国政府はこのとき、個人補償をそこから出すべき事を、当時、隠した。

岩波書店「世界」2017年10月号で挺隊協の理論的指導者イ・ナヨンは、在日の梁澄子の日本語訳によって、次のように書いている。「慰安所」内での強姦、暴力、遺棄殺害等の犯罪を行った軍人たちと天皇ら主要人物」と。日本市民は政治的責任を負うと。これをぬけぬけとアーレントを引用して語る。

 挺隊協のイ・ナヨンは「世界」2017年10月号で、「日本と韓国のアイヒマン親日派)はまだ捕らえられていない」と書いている。非常に危険な考え方で、挺隊協がカンボジアポルポトと同様の親日派と日本人の大量殺戮を願望していることは間違いない。

挺隊協のイ・ナヨンらは、病的な視野狭窄に陥って、両班支配の過酷さも、北朝鮮の開戦責任も保導連盟事件も、済州島4.3事件もすべて忘却して、ただこの世界のあらゆる罪という罪を「慰安婦」が「強姦」「遺棄殺害」されたのだという架空の妄念に執着して、戦いの決意をしている。

挺隊協の指導者イ・ナヨンは、「具体的な犯罪事実を摘示し、過ちを犯した者達を自身の行為に体面させる」と言っている。
吐いた唾を呑まないようにしてもらおう。「具体的な犯罪事実を摘示」できるものかどうか。それは半島の遊郭と同じものなのだから。

 一般に慰安婦問題は賠償ではなく、謝罪だという表現がある。ところが、挺隊協の指導者イ・ナヨンは明確に、「国家が過去に働いた不正義に対する責任および賠償を提供する責任を持たずに、植民地支配の恩恵を受けてはならない」と書いている。賠償は全地球的な正義を具現するに必須だと。

挺隊協のイ・ナヨンは「全地球的な平和と正義を志向する日本の市民は」とありもしない妄想を抱いている。賠償することによって、東アジアの水平的な連帯が得られる、と。まったく、あり得ない。全地球的平和も水平的連帯も金輪際拒絶したい。

1950年、朝鮮戦争中に米国に留学して帰国後、53年梨花女子大英文科講師に就任。この時代にこのような学費が可能だったとすれば、親日のかなり裕福な家の娘だった。尹 貞玉は、嘘をついて「裕福な独立運動家の牧師の娘」と言っている。

 

尹 貞玉は1945年、始めて慰安婦が存在した事に気付き、二年前、17歳だった時に「看護婦になりなさい」と奨められたことが、慰安婦にさせられそうだったのだと思ったと妄想を語っている。極めて裕福な家庭の娘、 貞玉は、この時点で半島に遊郭があることさえ知らない箱入り娘だったと考えられる。

 1980年55歳、朝鮮総連の仲介で沖縄在住の元慰安婦に会いに行く。

 「人が人に対してこんな仕打ちができるのか」と尹 貞玉は思ったと2013年に語るが、1980年、55歳の時点で尹 貞玉は、ソウルのはずれに遊郭があることを知らなかったのではないかと思われるふしがある。

 

 挺隊協には、創始者の尹 貞玉よりももっと大物がいる。

尹 貞玉より一歳年上の梨花女子大社会学科(講師後教授)の李効再(女)である。1945年梨花女子専門学校で出会い、先に李効再が米国に留学。1947年に米国で再会。二人とも梨花女子大に戻っている。李効再がマルクス主義フェミニズムのオーガナイザーになる。

 

 朴正熙政権、全斗煥政権と続いて米国、日本双方から強力な援助を取り付けて経済成長を続ける韓国に危機感を持った北朝鮮親北勢力は李効再が女性を糾合して反米基地闘争、基地村批判、政府運営のキーセン観光を批判するが、84年から徐々に朝鮮総連との連携を強めて、慰安婦問題に軸足を移して行った

1924年生まれの李効再(女)の弟子から、現在の反日女性政治家が多数輩出している。盧武鉉政権の女性家族省長官も、李効再(女)の生徒だった。

 盟友の金恵媛は尹 貞玉について「世間知らずの温室育ちに見えた」と言っている。貞玉をソウルオリンピック前に済州島YMCAで慰安婦研究を発表させる。

 

 現在、山口二郎が盛んに言っている「慰安婦の存在を否定する人がいる」説の起源は、挺隊協のイ・ナヨンが言う「1990年1月に駐韓大使館の小野参事官が、慰安婦動員の証拠はない」と回答したことを持って、「慰安婦の存在を否定した」と強弁している事を山口が鵜呑みにしたのではないか。

 

 1991年7月に挺身隊協議会、当時研究会は金学順を探し出すのだが、8月15日の解放記念日に合わせて、14日に記者会見する。

 このとき、金学順は「国民が日本にしがみつくのを見ていたら我慢ならない」という興味深い事を言っている。人権問題ではなく、(北朝鮮と対立する)韓国が日本に援助受けて成長するのが、ダメだ、と言っているのだ。

挺身隊問題協議会の第一世代が

1924年生まれ

李効再 (女)

1943年18歳

1925年生まれ

尹 貞玉(ユン・ジョンオク)

1943年17歳

金大中は1926年生まれなので、李効再 (女)尹 貞玉(ユン・ジョンオク)とほぼ同世代である。

 

 

二人とも、1943年には梨花女子専門学校に在学しており、ともに米国に留学しているので、親はかなり裕福な親日派資産家であったと思われる。

※本人は親は裕福な独立運動家と言っているが。

参考までに、

在日韓国人親北朝鮮派)の徐勝(ソ・スン)は、1945年生まれ

その兄弟徐俊植は、1948年生まれ

徐 京植(ソ・キョンシク)は1951年生まれ。

徐 京植が20歳、1971年は、金日成、朴正熙時代。

1972年米国ニクソン、訪中。

盧武鉉は1946年生まれで、ほぼ同世代である。

文在寅(ムン・ジェイン)は1953年生まれなので、親北朝鮮派在日韓国人

徐 京植とほぼ同世代である。

第二世代は、

1953年生まれ

鄭鎭星(チョン・ジンソン)

ソウル大学社会科学大学社会学科卒業、シカゴ大学にてPh‐D取得。徳成女子大学教授を経て、現在ソウル大学教授・同大学社会発展研究 所長。また国|連人権小委員会委員を経て、2008年8月より国連人権理事会諮問委員会委員(副議長)

しかしこの問題の解決のために積極的に活動して国民基金に反対する一番進歩的な日本人の多くが、結局は日本をより良い社会にするためだという同じ動機と理由で活動しているという点に注目する必要がある。軍慰安婦問題で一番進歩的な目標を持った一人であり、韓国の運動にも非常に親密なある知識人は「どうして日本の恥部に触れるこの問題にこれほど深く関与するのか」を問うた著者に対し、「日本を倫理的に一段高い社会にするため」という返事をすぐにしたことがある。

日本軍の性奴隷制度 鄭 鎭星 P.253

 

李効再、尹貞玉、そして約10歳年下の鄭 鎭星が会って、挺身隊問題研究会の責任者は鄭 鎭星が就任して、研究会責任者だった尹貞玉が韓国挺身隊問題対策協議会を立ち上げることになった。

韓国・挺身隊問題対策協議会、Korean council for women drafted for military sexual slavery by Japan

 

2000年、共同代表は、尹貞玉(ユン・ジョンオク)、金允玉(キム・ユノク)、池銀姫(チ・ウニ)

 

 

 

池銀姫

1947年生まれ

ソウルの徳成女子大学の学長

韓国の女性大臣(ジェンダー平等省)2003年~2005年盧武鉉政権

池銀姫は李効再の薫陶を受けた。

1999年に挺身隊問題対策協議会の共同代表として名を売った池銀姫は

2003年に盧武鉉政権でジェンダー平等省の長官に就任。

2006年には、ジェンダー平等省の長官で名を売って徳成女子大学の学長となって、法政大学と学術一般協定を締結した。

2006年に後の代表、尹美香が事務総長に就任している。

2006年5月、韓国左翼政権盧武鉉政権において女性省長官が陸海空軍大佐級以上の将校300名に男女平等教育を行っている。

 

1987年2月に結成した韓国女性団体連合の共同代表経験者、または政策委員経験者が、女性省の一代から三代までを占める。

韓明淑ハンミョンスク1944

池銀姫 1947

張夏真チャンハジン1951

 

第三世代は、

1964年生まれ

尹 美香(ユン・ミヒャン)

1984年に20歳。この時代、1980年には光州事件が起きている。

1983年、大韓航空機爆破事件、ラングーンテロ。1984年は、88年のソウルオリンピックが開催決定してから3年経過している。

1993年に夫とその妹がスパイ事件で摘発され有罪となった。

 

初代挺身隊問題対策協議会の代表の一年先輩で1924年生まれ、朝鮮戦争時に米国留学し終戦時に梨花女子大に戻ってきた韓国戦後フェミニズムの指導者李効再の生徒だった池銀姫が水曜デモを主導し、後に盧武鉉政権の女性家族省長官に就任。盧武鉉政権の最側近が文在寅。両親は脱北者北朝鮮人。

 

1992年10月に始まった水曜デモは、「韓国保守政権」が日本と本格対立すれば、経済破綻に陥ることを見越しての「日本と戦えない保守政権」を国民運動で倒閣しよう、(北朝鮮の言いなりになる政権を作ろう)という運動だった。親北金大中政権成立の6年前に始まった。もちろん、朝鮮総連も協力。

 

現代先進国の社会には、様々な差別が残存し、これをどんな左翼政権も保守政権も解決する方途を実は持たない。だが、少なくとも、保守政権が存続する限り、保守政権だから、差別があるのだと、批判する強力な武器にはなるのである。

たとえば中国も北朝鮮も実際には、激しい女性差別と身分差別が存在する。しかし、これを不問に伏して、複数政党国家の保守政権に、女性差別の未解消責任を激しく突きつけて、政権交代を迫る事は、女性票が大きい以上、十分な力を持つのである。

挺隊協の主張によると、慰安婦像のかかとが地面についていないのは、「韓国政府の無責任さ」を表している。無責任でない韓国政府とは、日本と全面対決して、経済破綻しても、日本に助けを求めるな、北朝鮮よりも発展するなどまかりならぬ、韓国も北朝鮮と同じ程度にまずしくなれという意味である。

野中広務小泉純一郎小沢一郎はそれぞれ犬猿の仲。加藤の乱野中広務は抑えた。だが、これらの人物、皆、9条護憲、親北朝鮮派ではないか。これで自民党改憲できたはずもない。改憲できない、国防軍のない日本が半島を敵に回すのは危険極まりないから、韓国を助けなければならない。アホな日本。

日本は韓国、北朝鮮を突きはなして、つまり貧乏にさせて、半島まるごと、貧困軍事国家として対峙するために、日本の国防軍創設が急務である。
そうしない限り、寄生され、世界にプロパガンダを広められても北朝鮮危機を気にして韓国を支援せざるを得なくなる。国防軍を持って韓国を日本から離すべき。