ロシア系米国人ユダヤ大富豪アーマンド・ハマー

 レーニンはロシアの製造業生産力が未発達だったため、フォード車、トラクター組み立て工場の建設プラント、アメリカ製医薬品を輸入する必要があった。

 ロシア革命当時19歳で、1924年にコロンビア大学医学部を卒業した青年の父親はアメリカの共産主義者だったので、レーニンの知人だった。青年はレーニンに会いに行き、私が、アメリカ製品をあなた方ソ連に売りますから、と話をつけ、ソ連ばかりか東側共産圏諸国とカナダ・アメリカ製品貿易を独占的に引き受け、莫大な利益を受けた。

  化学製品の処理を行っていたオキシデンタル・ペトロリアムを、「1945年以後に」「経営権」を握り、イラン・リビアの石油開発に乗り出し、大富豪になる。これがアーマンド・ハマーである。

 つまり、以上記述した経緯をよく見ればわかるように、ユダヤ大富豪アーマンド・ハマーが革命を支援したのではなく、革命後のソ連との貿易によって、大富豪になったのである。ディープステイトがロシア革命を支援したというのは、このアーマンド・ハマーの父親がレーニンの知人で共産主義者だったことと、アーマンド・ハマーが1945年以降に大富豪になったことを時系列上、混同しているのである。

 結局、ユダヤ大富豪アーマンド・ハマーの死後、その企業はフランスのカルバン派を先祖とするウォーレン・バフェットに乗っ取られてしまい、ディープステイト?と思われた大富豪一族の活動は終わった。