北朝鮮の女性兵士たちに性的虐待が横行
勤労挺身隊損害賠償訴訟で原告勝訴
韓国の裁判所の裁判官というのは、大学の法学部卒業生なのだろうか。
到底、法律を知っている人の言うこととは思えない事を平気で言うのが、韓国の裁判官だ。新聞記者もそう、何の学部出て、記者になっているのか。
まず、「戦犯企業」というのが、世の中に存在しない。
犯罪者というのは、被告が裁かれるので、具体的に「企業」が戦犯の被告になったことはない。
韓国の裁判所が、勝手に「戦犯」と言っているだけで、そんな判決を受けた企業などどこにもない。
「日本は日中戦争や太平洋戦争など不法な侵略戦争を遂行しながら軍需産業に必要な人員を強制的に動員し、不二越はこの政策に積極的に便乗した」と判決の背景を説明した。というのだが、「不当」というなら、まだしも、「不法」とは何法に抵触しているのか、せめて「パリ不戦条約」違反、とでも言えばああそのつもりね、となるが、侵略戦争に「不法」もあるまい。
講和条約締結国がこの種の言いぐさをするはずもないが、韓国は、日本との交戦国でもないのに、何様のつもりで、戦争非当事国の分際で、勝手に「侵略国呼ばわり」するのか、貴国は喧嘩売ってるのか・・・・と反論したいところだが、なんと、これ、韓国政府の主張ではないのだ。
つまり、韓国の新聞、韓国の裁判所が法律常識、国際常識に無知だから、バカ言い放題なのである。
勝手に「勝訴」「勝訴」と言ってろ。何の効果もないから。自己満足。
差し押さえを始めたら、国際司法裁判所に提訴されて、韓国のバカな司法水準が世界にさらされて、恥をかくだけだ。
立花隆批判 「天皇と東大」を読む 14
立花隆 「天皇と東大」文春文庫版 第4巻「大日本帝国の死と再生」は、基本的に戦争直前の東京大学経済学部の内部状況に光をあてて、どの学閥グループが戦争体制に迎合してどの学閥グループが戦争に反対し、学内の地位が低下したり、あるいは教授の地位を追われたかを記述している。
この見方には、大きな欠点がある。
戦争体制そのものは、正義の戦争をする場合には、否定するほうが間違いなのであるから、戦争体制に迎合は、見方によっては、戦争体制に果敢に協力、とも言えるからである。
こういうと、戦争に正義の戦争なんてない、という人もいるだろう。
ならば、イラクに本当に、大量破壊兵器があった場合はどうなのか。
また、あっても、アメリカのイラク戦争は侵略なのか。
これでも、ピンと来ないならば、もっと簡単明瞭な事例をあげよう。
北朝鮮の侵攻を受けた韓国は、戦争を否定して、平和を維持するために、抵抗せず、すぐさま、白旗をあげて、降伏して、半島全体が金日成一党独裁政権になればよかったのだろうか。
ソ連から見たアメリカ憎悪、アメリカをつぶしてやりたい意思を日本に代行させる狙いを代行する林房雄の「大東亜戦争肯定論」は、けっして日本の侵略ではなく、英米の東亜侵略に対する抵抗なのだ、という戦争の正当性、理由を表明したものである。
これに対しても、戦争にどんな理由もいらない、すべての戦争は悪で、戦争で被害を被るのは庶民だ、というなら、北朝鮮に対する韓国の抵抗も、黙って降伏すればよかったという論理にならざるをえない。
この絶対平和の論理では、武力侵攻したほうを常に平和勢力は応援せざるを得なくなるのである。なぜなら、先に侵攻したほうが悪だからといって、反撃すれば、戦闘は激化するから、結局は絶対平和の論理は先に侵攻した側を非難したとたんに、口先だけの批判か、それとも、武力反抗するしかなくなるからだ。
こういった考察を抜きにして、立花隆は、「リベラルな理想主義者の集まりであったはずの河合派があっというまに、空中分解して戦争体制支援者の集まりになってしまったのである。」と書く。
「天皇と東大」 文春文庫 第4巻 89ページ
しかし、「リベラルな理想主義者」は絶対、戦争に反対すると決まったものだろうか。
なぜなら、中国、ソ連、アメリカは、日本とドイツに対する戦争を、「反ファシズム戦争」という正義だと主張している。これは、リベラルな理想主義がファシズムにあらがったという意味だろう。
それとも、戦後の日本の平和主義者は、中国共産党の反ファシズム戦争、勝利記念の主張に少しでも、「いや、戦争に正義の戦争なんてないから、祝ってもらっては困る」とちょっとでも思ったろうか。
日本人が戦争やむなしという理由を述べれば、戦争に正義の戦争はないと言って、効く耳をもたず、他国が日本と戦争をした理由には、もっともな理由だ、悪い日本をつぶしてくれてありがとう、というのはおかしくないか。
日本の場合には、まともな理由などあるはずがない、と考えて非難し、蒋介石の軍閥との戦争、国民党と共産党の戦闘はなんとも思わないのが、日本の平和主義者である。
姜尚中は、日本の高度成長の出発は朝鮮戦争特需からだったというのだが、韓国の抵抗戦争に参加した国連軍に対して、日本の企業が物資を売ることによって、提供するのを日本政府が禁じたならば、韓国民衆はめでたく、北側の勢力に完全支配されて、南側中心に餓死の多発する国柄になっていただろう。
姜尚中は、餓死と政治犯収容所と公開処刑に国になってもいいから統一してほしかったらしい。
もちろん、戦争に正義は一切ないから、どんな全体主義体制国家を構築する党集団が、解放と称して、侵攻してきても、「戦争をエスカレートさせない」ために、すぐさま降伏するという選択はありうる。
その場合、まさに憲法9条2項はこの抵抗なき服従にピタリと整合しており、抵抗しないのだから、武器は一切いらないことになる。
しかし、中国はけっしてそうは考えないからこそ、「反ファシズム戦争の対日勝利」を祝うのではないか。中国が絶対平和主義者なら、戦勝なるものを祝う事はしないだろう。
ましてや、日本と戦争したことのないのに、勝ったと祝っているくらいなのだ。
そしてアメリカはアメリカで、戦争突入に際してプロパガンダ映画を作っては戦争に消極的な国民のやる気を起こさせ、日系人を収容所に入れて閉じ込めるという戦時の不正義を行使していた。おそらく、何の不正もなさずに、正義の戦争を貫く国家もおそらくあるまい。ソ連もドイツとのファシズム戦争との過程で、ポーランドの半分を占領して、ポーランドの将来の発展を抑制するために、ポーランド人将校を計画的に大量殺害した。
このように、どの国も、戦争では不正をしているというなら、やはり戦争はいけない、というわけで、侵略者には、抵抗するな、ということになるのだろうか。
このような問題を解きほぐす面倒な作業をはぶいて、簡単に「積極的平和主義」と言ってしまうのは、キセル(区間と区間の真ん中を抜いて乗車切符を不正に安くあげる)だろう。
立花隆は「天皇と東大」文春文庫版 第4巻104ページに次のように書いている。
「昭和12年に日華事変が開始されると、日本の社会全体が戦時体制に入っていった。
開戦と同時に開始された国民精神総動員運動と翌昭和13年の国家総動員法の成立によって、日本の社会はすみずみまで戦時体制そのものになっていった。」
だが、これ自体、なんの異常な事態とも言えない。というのは、第一次大戦の欧州の戦争が国家総力戦の始まりであり、中国国民党を支援しているのが、時にソ連、時にドイツ、最終的には、満州への領有意欲を持つ漢民族の国民党に英米が支援しての広大な領土を持つ中国との戦争が容易にかたずきそうにないのだから、総動員体制を取るのは何の異常性もあるまい。
問題は総動員体制でhなく、そもそも、シナとの抗戦を泥沼化すべきでないのに、泥沼化させた事が問われねばならないのに、立花隆は、国家総動員体制が問題だという。
国家総動員体制は結果であって、問題は満州よりも、南へ南へ踏み込むことが、英米という当時の日本にとってあまりに巨大な敵との直接対決になぜ、踏み込んでいったのか、という批判的な検討だろう。戦時体制に入ったことが問題ではなく、この時のを先に、日本から、反ソの問題意識が遠のいて、反米一色になり、同時に、巨大な相手でも神国だから、なんとかなるというカルト信仰が普及されつつ、シナ大陸に歩を進めて行ったのということこそ、時代の実相なのである。
ここで改めてはっきりさせておきたいが、立花隆は15年戦争観、すなえち満州事変から日英米戦争敗戦までを一連の流れとみている。
つまり、満州事変はソ連向け、日華事変前半は満州を意識するが、次第に近衛がセッティングした平泉澄きよしのイデオロギー注入によって次第に英米戦決意へ変化していき、独ソ戦で、日本のソ連無視、英米戦決意が固まった、という様相がまったく見えていないと言っていい。
韓国経済新聞が、韓国の孤立を嘆いて泣き出した
「こういう重要な時期に韓国には米国大使も日本大使もない。トランプ政権が確固たる韓米同盟関係を再確認したが、韓国に送る大使はまだ指名していない。中国に対しては早期に北京に送る大使を指名し、それよりは遅かったが駐日大使も指名され、すでに日本政府のアグレマン(同意)手続きも終わった。空席にして2カ月以上も過ぎた駐韓日本大使がいつソウルに帰還するかも決まっていない。」
と書いている。新聞なのに、これではまるで中学生がぽつんと、勉強部屋でしょんぼり、日記を書いているような書き方ではないか。
映画 鬼郷ききょうとは何か
↑ 空想を実写化した映画の場面 ↑
しかし実際は三十名以上の元慰安婦の証言の中から、絵になりそうな部分だけを切り取って寄せ集めたり、証言にもないシーンを付け加えたりしているという反日映画である。
このウィキペディアの説明は的確とは言えない。
「この映画は、「姜日出(カン・イルチュル)さん(88)の実話を
モチーフに作られた映画だ。
姜日出さんは病気になったほかの少女たちと
一緒に生きたまま火の中に投げ込まれたが、
朝鮮独立軍により脱出、
絵で日本の蛮行を証言した。」という説明は間違い。
正解は、
この「絵」、実は心理カウンセリングの「思いのたけを吐き出す」主旨で怒りを絵に描いてみる、という心理療法で慰安婦のおばあさんが書いた、空想なのである。
この「空想」を映画化したから、当然、死後のえんま様の罰が現実化したみたいな地獄絵図になる。
ちなみに、
「その巨額の貯金や送金記録、ビルマなどでダイヤモンドを買った逸話からだ。彼女自身の証言集(『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』梨の木舎、九六年)には詳細が描かれている。しかし、映画ではその暮らしぶりは取り上げられず、彼女の証言で使われたのは、「軍人の軍票の使い方」のみだった。
また別のシーンでは、日本兵に集団暴行を受ける朝鮮人徴用兵と慰安婦となった妹が再会するところが描かれている。根拠は元慰安婦チェ・ミョンスンさんの証言だが、資料集によると彼女の兄は「広島の工場のような建物」で働いており、暴行を受けていたとの話は書かれていない。慰安婦が徴用工の兄と再会したという話に、兄が集団暴行を受けていたという話がいつの間にか加えられているのだ。
二つ目の質問の「二十万人説の根拠」については、再度広報担当者に催促したが回答を得られなかった。
映画では慰安所運営の証拠を無くすために、日本軍が何人もの少女たちを殺し、死体に火をつけるシーンとなるのだが、証言録では、日本軍は腸チフスに罹った女性たちを燃やすためにトラックに載せて運んでいたが、監視の目が緩んだ隙をついて慰安婦たちは皆逃げ出した、とある。衝撃のラストシーンは、証言録には存在していないのだ。また、映画では主人公ジョンミンは慰安所で共に過ごしていた朝鮮人の友達と二人で逃げ出すのだが、証言によると、一緒に逃げたのは日本人女性だった。
(韓国「慰安婦映画」大ヒットの病理 崔碩栄(ジャーナリスト) | 特集 - 文藝春秋WEBより )
カン・イルチュル元慰安婦は、国内外の各種慰安婦の行事や記者会見などに、ほぼもれなく登場しており、大衆によく知られている。
一言でいうと、カン・イルチュル元慰安婦は、「脱出を試みた慰安婦たちが、銃殺されて火で焼かれる事件」は目撃したことがないということだ。
併せて、近年のカン・イルチュル元慰安婦の証言は、18年前に比べると、最近は下記のように多少変わっているが、それでも「脱出しようとした慰安婦が銃殺された後、火で燃やされた」とは全くつながりがない。
2016年3月のプレスリリース
そして連れて行かれたのが中国東北地方牡丹江。そこでの出来事を慰安婦被害者の具体証言に基づいて映画はリアルに描かれている。途中からシクシクの声が増えて来て、終盤ではほとんどの人が泣いていたのではないか? お涙チョウダイのフィクションではなく、事実だからなおの事、感動的である一方、見るのもつらく、たいていの事は耐えれる私でも何度も目をつぶった。これから見る人のために、内容紹介はこれにとどめる。
極右たちは「反日映画」とか「事実ではない」などと騒ぎ立てるが、黙れ! この歴史的事実は国際的にも認定され、日本の天皇、首相ですら認めている事だ。
実は私の父は戦前、その牡丹江に日本人植民者として妻を連れて行って住んでいた。何度か「日本軍は中国でそれはひどい事をした。わしは見た」と言っていた。具体に言えないようなむごい事だったらしい。
こういうつらい現実を率直に認め、公式に謝罪し、再発を防ぐ努力をしていく事が戦後日本の真の繁栄につながるのだ。今後の上映日程はまだ不明だが、今回見逃した人は必ず行ってほしい。その際は大きめのハンカチが絶対いると思うので申し上げておこう。
なお、連れて行った若妻は、亡父がシベリア抑留されているうちに松花江という美しい川の近くにある日本人村で亡くなった。敗戦3年半後にシベリヤから引き上げた亡父が遅い結婚をして生まれたのが私だが、もし先妻のほうに生まれていたら、同じく中国の土になっているか、残留孤児として中国語を話す人になっていたかも知れない。
侵略・植民地支配したほうの民族も必ず大きな不幸に見舞われるのだ。
こういう本気で慰安婦、花のような乙女説,心理療法の空想絵画の実写版の映画をそのまんま信じる人もいるんですね、世の中には。
最後に、重大な事実。↓
「日本による植民地時代に日本軍に連行された韓国の慰安婦の物語を描いた映画「鬼郷」が、24日に公開されました。
映画「鬼郷」は、元慰安婦被害者のカン・イルチュル氏が美術心理治療のときに描いた「燃やされる処女たち」をモチーフに被害者らの証言や実話をもとに制作されたもので、1943年強制連行された14歳の少女、チョンミンの目からみた慰安婦被害者らの話を描いています。」KBSラジオ日本語版2016年2月24日
同作は慰安婦被害者の姜日出(カン・イルチュル)さんが心理療法を受けた際に描いた絵をモチーフに、被害者からの証言を基に製作された。
連合ニュース 2016.7.22
2002年、「ナヌムの家」でボランティア活動をしていたチョ・ジョンレ監督は、カン・イルチュルさんが心理療法の過程で描いた絵「焼かれる女の子たち」を見て、映画を作る決心をしたという。
映画『鬼郷』は、旧日本軍による慰安婦被害者カン・イルチュル(88)さんが美術心理治療中に描いた『燃やされる娘たち』をモチーフにし、被害者の証言を元に作られた映画。
驚くのは、「美術心理療法による治療の中で書いたもの」と明かしているにもかかわらず、観客は事実として受け取っていることだ。
「美術心理治療中に描く絵」が「リアルな記憶を描くもの」だと思っているのだろうか?無教養もはなはだしい。!
14年の出発点は、一枚の絵だった。大学時代(中央大演劇映画科)に国楽同好会でも活動していたチョ監督は、創作パンソリ唄者「パダクソリ」の専属鼓手(太鼓をたたく伴奏者)だった。パダクソリの一員として慰安婦被害ハルモニが住んでいる「ナヌムの家」を訪れ、公演と奉仕活動をした。そして、姜日出ハルモニが美術心理治療の過程で描いた「燃やされる乙女たち」という絵を2002年に見た。慰安婦として連れて行かれた少女たちが山中に掘られた穴で燃やされる様子を目撃した記憶、そこで死ぬ直前に突然戦闘が始まり、辛うじて脱出して、恐怖で真っ青になった表情で隠れている自分の姿を描いた絵だった。
ハンギョレ21
east-asian-peace.hatenablog.com
「絵を見て衝撃を受けました。慰安婦被害者の方たちがどこかで生きていると漠然と考えていたのが、たくさんの人々があのように虐殺されたということを知ったのです。消耗品のように、物品のように扱われ、簡単に殺されてしまったことに驚愕しました。」
なんと、「鬼郷」とは、心理治療で描く絵が、心理治療であるゆえに、誇張であると気がつかず、記憶の通りのものだと信じ込んだ間抜けな発想から、うまれたのである。
韓国映画 鬼郷を見て、日本人が泣いて謝罪したと、韓国紙が報道した
japanese.joins.com3月16日付け韓国中央日報電子版日本語 によると、韓国の「慰安婦告発映画」の「鬼郷」
映画を見た後、慰安婦問題がナチによって強行されたホロコースト並みの戦争犯罪とし、憤りを覚える方々が多い。毎度、映画館で涙を流す方が多い。昨年末、大阪・神戸上映会では多くの日本人観客が『本当に申し訳ない』と話した。『少女像を撤去しろ』との日本政府の態度に腹が立つ』という反応もあった」
どんなアホ日本人が涙をながしたのだろうか。
相当なものである。
なぜならば、「ハングルノート」という、基本的に韓国に好意的なブロガーさんが、書いた鬼郷の鑑賞結果の感想を読んでみると、かなり、映画に疑問を呈しているのである。普段、韓国好きの人も、映画に懐疑的な評価を与えているわけで、そんな映画に涙するというのは、かなり、「考えなしの情緒過多」ではないか。
www.hangul-note.infoこの韓国仲良しブロガーさんは、余計な怒りと恨みが先に出て「だから日本は・・・」となってしまうようなら、残念に思います。
と書いている。そうだよねえ。
私が思うに、敵を作ることで、自分の国を想う気持ちを愛国心とすることをやめた方がいいです。
他国のこういうところが嫌いで、そうじゃない自分の国が好き。みたいな敵を作って同じ意見の仲間と固まるような陰湿なイジメのような考えを、国単位でやってしまうと争いが始まってしまうのでは?と思ってしまいます。
と、かなりもっともな事を書いている。
あそこまで煽って更に感情を高ぶらせてしまうことに、韓国の方の怒りや恨みという思いが伝わりますが、映画を見た方にフィクションの部分までを事実かのように受け取らせてしまい、余計な怒りや恨みを増幅させてしまっている終わり方だと思いました。
まぁそれが映画というものなのかもしれませんが。
いや、「映画」がそういうものなのではなく、韓国のドラマや映画はこういうバカな誇張をやるのが、常套なのである。特に、韓国の場合、図抜けて誇張が多い。
また、これを韓国人は信じてしまっているらしいから、驚く。
なぜ、信じているとわかるかって?この映画はそもそも、証言にもない、架空の場面で、再現ドラマ、実録でさえないのに、感動して泣いているからですよ。
よくここまでありえん誇張を信じて、泣けますね。知能大丈夫ですか。
ちなみに、この映画、なにをもとに、作ったかというと、慰安婦のおばあさんの、腹立ちまぎれのイメージ絵画を、実際にあった事として映画化したとんでもないゲテモノ映画です。
もーほんとにー、腹立つー。崖から落とされたくらい腹立つーっ、とたとえ話を言って、それを絵に描いたら、その絵を本当にあった事にしちゃったんですね。
にほんブログ村 「少女はまるでモデルのように美しく描かれ、女神のような存在としてあがめられつつあります。そこに新しい物語が生まれ、韓国の世論は燃えに燃えていく。韓国社会は情緒社会です。日本人がいくら理性で話そうとしても通用しません」と、櫻井よし子氏は言っている。
立花隆批判 「天皇と東大」を読む 13
立花隆は労農派検挙人民戦線事件を共産主義の平和運動が弾圧されたものだと解釈している。
だが、これは実態は、ソ連が日本の労農派コミュニストを反ソ連向け戦争の抑止勢力として使った思惑が、もうひとつの日本コミュニストラインである近衛、木戸、尾崎らの蒋介石、英米自爆戦争戦略の邪魔になったため、近衛、木戸の子飼いの公安畑の官僚に一斉検挙させて、対蒋介石戦争の邪魔になる勢力を除去しようとした動きである。
つまり、のんきな平和主義の共産主義者を構想力のある冷血な自爆戦争戦術の共産主義者が排除したという構図が、人民戦線事件である。
この時、検挙を指揮したのが、安部源基内務省警補局長。安部源基は、京都大学時代にマルキストの大御所河上肇に心酔した木戸幸一の昵懇の中級官僚であり、警保局保安課長富田健治は、後に第二次近衛内閣、第三次近衛内閣と連続して、内閣書記官長に就任している。実質、官房長官である。
そして、この富田健治は、平泉澄きよしの高弟でもあった。
立花隆はこの人民戦線検挙事件を「巨大な国家意思」と言うのだが、巨大な国家意思ではなく、近衛・平泉澄きよし・昭和研究会ら反英米派(英米戦争辞さず派)にして親ソ派の意思なのである。
このあたりの人物配置を見れば、近衛上奏文が、真相隠しの意図を持つ故意の告白文だったことがわかろう。
近衛は第一次内閣風見章、第二次第三次に富田健治と、びっしりと英米憎悪派を意識的に配置していたのであり、内務官僚や陸軍内部のコミュニストにだまされたのではない。陸軍将校をのきなみ反英米に凝り固まらせたのは、近衛が平泉澄きよしを使って、わざとそうしたのである。
一枚上だったのは、陸軍将校たちではなく、近衛・木戸・風見・富田・平泉ら、非軍人の首相官邸、宮中側近たちのほうである。
そして、立花によって労農派は国家権力によって弾圧された良心的知識人のようなイメージに形作られるが、なんのことはない。ソ連に踊らされ、しまいには、日本政府中枢のコミュニストたちに邪魔者扱いされただけの小者たちである。
その小者たちが、戦後日本の社会党を主導し、その弟子たちが、民主党、民進党の主役たちなのだから、解体に瀕しているのも当然である。
立花隆は、故意か勘違いかのどちらか不明だが、「巨大な国家の意思」と労農派との対決の構図を描くことによって、日本の推進勢力が軍部よりもむしろ、首相官邸だったこと、労農派という後の進歩派・革新派で合法的社会革新派の社会党の源流を良心的な被害者に仕立てあげているのである。
東大経済学部の大森義太郎、向坂逸郎、大内兵衛、有沢広巳、脇村義太郎、山田盛太郎、法政大学の阿部勇、美濃部亮吉らは、人民戦線事件では結局不起訴になったものの、戦争時代の異端の学者として扱われ、辞職に追い込まれた。
だが、彼らが辞職したのは、もう、誰の目にも敗戦が明らかになっての事だったのである。しかも、敗戦は戦争期に大学に残った側と辞職した側の立場の逆転を意味した。
戦後、マルクス主義者たちは、東大の主流に返り咲いた。ごく例外的に、数人の、戦時残留組で、そのまま戦後も東大の教授であり続けたグループもいた。
しかし、なんとばかばかしいことよ。
この東大のマルクス主義学者とは、マルクス主義者とは言っても、自己保身から、非合法共産党活動から距離を置いた上で、さりとてソ連への尊崇も捨てる事も出来ずに、日本は暴力革命には、時期尚早だから、まず、合法無産政党を議会に出してから、とかなんとかというような虫のいい社民党系のマルクス主義者なのである。