2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

麗羅著「体験的朝鮮戦争論」2

1947年の7月19日、呂運享が拳銃で狙撃され、暗殺された。 南朝鮮労働党の慶尚南道委員会の秘密会議にその知らせが入ると、道委員会の委員は、党員に「同士諸君、素晴らしいニュースがもたらされた。あの呂運亨のやつが、今日の昼間、ソウルの路上でく…

麗羅著「体験的朝鮮戦争論」1

麗羅(ペンネーム)著「体験的朝鮮戦争論」36ページには、「父は私が4歳の時、単身日本へわたり、その二年後に長兄を呼び寄せ」とある。 アイリスオーヤマの社長も祖父が両班出身の朝鮮人医師で、強制連行とはえんもゆかりもない。 いったい、在日韓国・…

姜尚中の思想

姜尚中は2015年10月13日の「プレジデントオンラインスペシャル」のインタビューで、「個人的なことで言えば、60歳半ばにして初めて、わたしは「悪人というものは、実際に存在するのだ」と思い知る経験をした。と語っている。 極めておかしな考えで…

無法松の一生

小林信彦は週刊文春連載「本音を申せば」883回で次のように書いている。「みにくい「戦後という時代」をなんとか生きのびて、もう一度、「みにくい時代」に入っているのは残念であり、口惜しくもある。 「仕方がない。若い人に協力して、平和がつづく時代…

韓国の泣き所、汚辱の朝鮮史

韓国人の泣きどころ。 韓半島には、ひとりの福沢諭吉、勝海舟、西郷隆盛のような人物も生まれなかった。 また、岩崎弥太郎、渋沢栄一のような人物も、榎本武揚、島津斉彬、坂本龍馬に匹敵する人物も現れなかった。 さらにいえば、韓国では、安重根のような日…

韓国大統領雑感

日本の敗戦とともに、棚からぼた餅式にもたらされた朝鮮半島の自立は、だがしかし、「汚辱」と「暗愚」の時代の出発でもあった。 「汚辱」とは、李承晩時代の反共大虐殺事件の数々であり、「暗愚」とは、李承晩政権崩壊以後にはじまった1992年までの軍人…

反嫌韓流の論理

大阪市立大学教員(2006年当時)朴一氏は、「マンガ嫌韓流のここがデタラメ」の58ページに、「戦後の混乱の中で、解放された朝鮮人や台湾人が民族団体を結成する一方、闇市での利権をめぐって日本人と衝突するようになった」と書いている。 興味深いの…

北朝鮮と韓国、中国についての断想

金正恩は朝鮮労働党第一書記、国防委員会委員長だ。ふたつの役職は、常に兼務であり、国防委員会委員長が、統帥権を持つ。 「1998年憲法上、北朝鮮の国家元首格は最高人民会議常任委員長であったが、1998年9月5日の最高人民会議第10期第1回会議において、北…

李承晩大統領

李承晩 韓国は上海臨時政府の法灯を継ぐと称している。 李承晩は、22歳の時、高宗退位要求をしている。 現在の韓国では、高宗は日本からの併合に抵抗した人物として英雄視されているので、高宗の現役時代に若き李承晩は、高宗に批判的だった。 李承晩は、…

朝鮮総連と朝鮮戦争

朝鮮戦争の通説は次のとおり。 「1945年2月、ヤルタ会談で米英中ソ四国が、「四国による共同統治」を密約していた。」 (この場合の中国とは、蒋介石国民党) ※朝鮮総連元副議長の白宗元は、1943年のカイロ宣言の「適切な時期に朝鮮を自由独立させ…