China史ノート 1 列伝 3 趙 奢(ちょう しゃ)

 参政党顧問の小名木氏は秦の始皇帝

法治主義項羽自由主義劉邦が人治主義で、以後Chinaは人治主義だという。

中国共産党一党独裁、そして中国人の国民性に低劣な点がある事実はともかく、

以上のような見方は間違いである。

 史記列伝に言う、趙 奢(ちょう しゃ)は、

 紀元前280年の趙に法意識があったことを示す。

 趙 奢(ちょう しゃ)の逸話は、徴税官であった趙 奢(ちょう しゃ)が、税金を払わなかった(恵文王の弟)平原君の配下の者を裁判所に訴え、訴えられた者は死罪になった。

 平原君が王族であることを笠に着て、趙 奢(ちょう しゃ)に向かって激怒し、殺そうとすると、

 「私は法に則っただけです。法が守られなくては国は繁栄せず、法を軽んじれば国は衰退します。そして王族であるあなたが法を守らなくては、一体誰が守るものでしょうか」

 と答えて平原君をうならせた。

 また、明の朱元璋は法に則り、数万人を粛清している。

 つまり、法によって殺すことが共産主義的な絶対権力・法治主義の表れ。