左翼といわれると、怒るけれど若い頃は左翼「党派」だった人たち
日本には、次のようなマルクス主義者がいる。
- かつてはソ連に指導されていたが、現在は、断固たるソ連の歴史批判派で、中国、キューバ、ベトナム共産党に仲閒意識を持つ日本共産党
- 北朝鮮ともっとも融和的であり続けた社会党出身の左翼
- 日本共産党の血のメーデー事件、吹田事件以来、暴力革命を放棄した日本共産党に愛想をつかして、共産主義思想の活路を暴力を辞さない覚悟に見いだした「新左翼党派」
- 労働組合のある職場に属さないため、社会主義思想を「フェミニズム」「反差別市民運動」「護憲運動」「反原発」に共鳴してみせることに発露を見いだした人々。
- 吉本隆明に典型的な、「諸党派」の付和雷同性を嫌悪する自称「真性左翼」
この吉本氏の思想は、死後、見向きもされなくなったし、ますます見向きもされなくなるだろう。
この吉本氏よりわずか一歳年少の黒田寛一が29歳の時、日本共産党を否定し、なおかつソ連のトロツキーを教祖とする共産主義組織、オウム真理教のような結社、を作った。
この黒田寛一、何のことはない、父親が府中市の医師会会長で資産家だったから、病気で大学を中退してもなんら困らず、働く必要もなく、ただ読書三昧のおぼっちゃんだったが、なぜか、マルクス、トロツキーに凝って、後に日本の青年、そして、長じれば中年、高年になる者たちを反日本共産党系革命運動に誘うのである。
いわば、1956年頃から、ソ連のスターリン批判を知って、スターリンはダメだが、マルクス、トロツキーはいいと言う理屈を考え出したぼっちゃんのひまつぶしに大勢の優秀な秀才がひきずりこまれたのである。
その時、黒田寛一は日本共産党のことを「腐敗しきったスターリン主義者党」と盛んに批判したが、日本共産党もまた、「ソ連のスターリンを偽物の社会主義者」と批判した。
この時、反スターリンで、日本共産党を見限って、なおかつマルクスは死なずという発想で盟友関係になったのが、太田竜と黒田寛一。
この二人が分かれて、太田竜はアイヌ解放運動に力をいれ、このアイヌ解放運動の基礎があって、これが辛淑玉の興味をひいたのではあるまいか。
そして、辛淑玉は、朝鮮民族、アイヌ民族が少数民族なら、沖縄の琉球も少数民族とみなせばよいのではないか、と発想したのだろう。
一方で太田竜は日本共産党を口先だけの反スターリンで、本物の革命を実行する気はないものと見て、社会党乗っ取り計画を立てるが、これはしりつぼみになる。
1955年に日本共産党が武装闘争方針を放棄すると、その直後に入ってきた学生たちは、社会主義の運動を日本共産党に指導されて、そんなものかなとばかりに、歌声運動で、ロシア民謡を歌ったりして、盛んにソ連との融和を醸成していたのである。
韓国との協調を盛んに公明党がやりたがるみたいに。
話はそれるが、韓国との協調運動や日本の素直、従順な謝罪姿勢は、韓国の左翼にとっては都合がわるい。日本の資本が韓国の資本と良好な関係になるからである。
そこで、韓国の左翼としては、できる限りあくどく、日本に謝罪要求をして、日本側に反発させたいのである。そして、日本の公明党、自民党リベラルは韓国の保守が、韓国左翼に扇動された国民に指弾されないように、に気をつかって、慰安婦問題に譲歩しようとするわけだ。
2017年現在、日本共産党狂信者の考え方は、はっきりと「反米愛国」を自覚したものである。
まず、社会主義革命の前に、日米安保を廃棄して、日本のアメリカに対する従属を解決してから、社会主義に向かう、というのである。
そのため、盛んに、アメリカの拝金性、好戦性を非難するが、従属を脱するという妄念にとりつかれているために、中国の軍事主義には一切関心がない。
この日本共産党の基本路線の起源において、島成朗らブントの創始者は、60年安保条約は米国の日本防衛義務を課したものだから、日本はすでに独立している、もはや従属していると言えない。日本の国家権力そのものに対抗するべきだ、とかなんとか、そういったようなことを考えて反日本共産党系共産主義団体をたちあげた。西部邁がその時、そこまでわかってブントに入ったかは不明。
※島成朗なりおは、日本共産党の東京都委員で、武装闘争の責任者でもあったが、日本共産党と袂をわかつ。
「思想の科学」を鶴見俊輔、丸山真男、都留重人、武谷三男、武田清子、渡辺慧、鶴見和子、久野収ら共産主義者が文化運動を始めて、ここから、佐高信、上野千鶴子が育っていくことになる。
だから、現在の「反核」「反原発」「反差別」「護憲」は、かつて1946年から1960年にかけて、日本共産党、日本社会党、ブント、中核派、革マル派、革労協などそれぞれに敵対関係にあった左翼諸党派がかつての先輩達の血で血を洗う抗争をすっかり忘れたか、あるいは知らずに、一路、自民党政権を倒すことに心を合わせて闘っている状態なのである。