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中国とはなにか 1

1991年5月、ロンドン大学語学部教授のチャン・ユン教授は、英語題「ワイルドスワン中国の三姉妹」を上梓した。チャン・ユンは1952年、朝鮮戦争休戦の一年前。共産党の地方幹部の次女として生まれた。

 

 チャン・ユンは、1965年には、13歳の少女として、熱狂的な毛沢東信者だった。14歳には紅衛兵を経験。農村に下放されて、奉仕活動をしたのち、四川大学英文科の学生を経て、英語講師となり、1978年に英国ヨーク大学に留学。

 

 1982年に言語学の博士号を取得。やがて、チャン・ユンは中国共産党に批判的な考えを持つようになり、その上で、少女時代に母から聞いた祖母の若き日のこと、祖父の事をまじえつつ、若き日の父母の共産党時代を母から聞かされた事を思い出しつつ、共産党の実態を批判的に書き記したのが、「ワイルドスワン中国の三姉妹」である。

 日本語訳は、土屋京子氏によって成り、1993年に出版された。

 

 土屋京子氏は、不可解にも、張 戎 と表記して、チアン・ユンとわざわざ「チアン」と表記している。これは、いささか、不自然な振り仮名で、日本では、普通、中国人の張という苗字を「チャン」と言うし、英語名もCHANGだから、チャンなのである。だが、土屋京子氏はなぜか、かたくなに、「チアン」と表記している。その理由は不明である。

 

 日本語訳ワイルドスワンの訳者あとがきを読んでいると、いささか背筋が寒くなるような気になる。というのは、チャン・ユンの日本に関する記述には、かなりな事実誤認があるにもかかわらず、訳者の土屋京子は、そのことにいっさいの注釈も書いていないし、におわせてもいないからだ。

 

 土屋京子はこの作品について、パールバックの「大地」を超えた傑作だと賛辞を惜しまない。それにしては、いささか看過しがたい日本に対する通念に沿った国民党、共産党の側から見た日本観をそのまま踏襲しているのである。チャン・ユンの書いている日本の蛮行とは、チャン・ユンがものごころつく少女時代よりも20年以上前の時代であり、チャン・ユンは日本について、共産党の書いた現代史から、学ぶしかなかったが、チャン・ユンは事実日本軍の蛮行についての共産党の言い分をそのままあった事として記述している。

 

 そして、ワシントンポストニューズウィーク、タイム、ニューヨーカーなどは、「大傑作」と言い、ロサンゼルス・タイムスは「正確に記述された真実」と評している。

 

 チャン・ユンが批判するのは、1.日本軍国主義 2.アメリカ帝国主義3.ソ連共産主義 4.中国の前近代的時代 5.中国国民党の残虐性 6.中国共産党一党独裁制の矛盾などだ。

 わたしたちの日本では、1960年代に、日本共産党の「暴力革命放棄」を非難し、ソ連スターリニズムを批判、そして同時に、アメリカの資本主義(帝国主義)とそのミニチュア版の日本資本主義、帝国主義を批判する新左翼が現れたことがある。

 

 では、チャン・ユンは、新左翼なのだろうか?

 そうではない。アメリカおよび英国のリベラルな文化人、ジャーナリストは英国およびアメリカの行き過ぎた介入による世界の紛争を批判し、ソ連および中国の人権抑圧を非難してきたが、同時に、日本については、極東の軍国主義ファシズム国家を、アングロ・サクソンの英米が倒して、民主主義国家に教導してあげた、という観点から眺めている。

 

 つまり、彼ら英米フランスのリベラルなジャーナリストたちは、日々起こる自国の反民主主義的な事件や政府の失策や日本、韓国、中国、中東、アフリカなどの人権意識の送れた国々、地域の有様を批判しつつ、英国・アメリカ・そしてフランスこそ、世界文明の最先端を行く文明人だという尊大な自負心を持っているのである。

 そこで、チャン・ユンの言うアメリカの中国国民党への肩入れという(アメリカのおかした)多少の間違い、そして、日本、ソ連中国国民党中国共産党の残虐性の指摘は、リベラルなアメリカ、フランス、イギリスのジャーナリズムにとって、完全なる真実の歴史として受け取られるのは、当然なのである。

 

 チャン・ユンは、イギリス、フランスのアジアの植民地におけるあくどい所行については一切言及してはいない。ロンドン大学言語学の教授になり、すっかりロンドンに溶け込んで英国人として人生を確立したチャン・ユンはヨーロッパの最高の文明の成果を身につけて中国共産党を批判し、日本軍国主義の侵略性、残虐性を批判した。そして、その批判は、欧米社会から、絶賛され、瑕疵なき真実と受け取られたのである。

 

 いささかこっけいなことに、韓国人も日本人も、それぞれに、韓国人は西洋文明の一員で、西洋人とともに、日本人を批判していると思いこみ、日本人は日本人で西洋と価値観をともにして、韓国人のこっけいな言論を呆れてみていると思い込んでいる。

 

 だが、そうではない、英国・アメリカ・フランスの主要マス・メディアは一様に、「日本・韓国・中国」をヨーロッパ文明とは別物の遅れた野蛮なアジアの地域だと見ているのである。そのことは、このチャン・ユンの「ワイルド・スワン」を、なぜ英国・アメリカ・フランスのメディアが絶賛するかを考えてみればわかる。

 もし、日本人がこの「ワイルド・スワン」を(訳者の土屋京子のように)絶賛するなら、満州時代の日本軍がありえない方法で拷問をしていたことをそのまま信じるという意味で、いささか精神に異常をきたしているというしかない。

 たとえば、この本で、日本軍は、唐辛子の汁を無理やり、中国人に飲ませて拷問したことになっている。日本人なら、唐辛子の汁を飲ませるなどという奇妙な拷問を日本軍がするはすがないとすぐにわかるが、日本で暮らした事のないチャン・ユンも、読者のロサンセルスタイムスやルモンドの書評家も、日本人と唐辛子の汁の拷問がチグハグな事であると感じなかったらしい。