左翼といわれると、怒るけれど若い頃は左翼「党派」だった人たち
日本には、次のようなマルクス主義者がいる。
- かつてはソ連に指導されていたが、現在は、断固たるソ連の歴史批判派で、中国、キューバ、ベトナム共産党に仲閒意識を持つ日本共産党
- 北朝鮮ともっとも融和的であり続けた社会党出身の左翼
- 日本共産党の血のメーデー事件、吹田事件以来、暴力革命を放棄した日本共産党に愛想をつかして、共産主義思想の活路を暴力を辞さない覚悟に見いだした「新左翼党派」
- 労働組合のある職場に属さないため、社会主義思想を「フェミニズム」「反差別市民運動」「護憲運動」「反原発」に共鳴してみせることに発露を見いだした人々。
- 吉本隆明に典型的な、「諸党派」の付和雷同性を嫌悪する自称「真性左翼」
この吉本氏の思想は、死後、見向きもされなくなったし、ますます見向きもされなくなるだろう。
この吉本氏よりわずか一歳年少の黒田寛一が29歳の時、日本共産党を否定し、なおかつソ連のトロツキーを教祖とする共産主義組織、オウム真理教のような結社、を作った。
この黒田寛一、何のことはない、父親が府中市の医師会会長で資産家だったから、病気で大学を中退してもなんら困らず、働く必要もなく、ただ読書三昧のおぼっちゃんだったが、なぜか、マルクス、トロツキーに凝って、後に日本の青年、そして、長じれば中年、高年になる者たちを反日本共産党系革命運動に誘うのである。
いわば、1956年頃から、ソ連のスターリン批判を知って、スターリンはダメだが、マルクス、トロツキーはいいと言う理屈を考え出したぼっちゃんのひまつぶしに大勢の優秀な秀才がひきずりこまれたのである。
その時、黒田寛一は日本共産党のことを「腐敗しきったスターリン主義者党」と盛んに批判したが、日本共産党もまた、「ソ連のスターリンを偽物の社会主義者」と批判した。
この時、反スターリンで、日本共産党を見限って、なおかつマルクスは死なずという発想で盟友関係になったのが、太田竜と黒田寛一。
この二人が分かれて、太田竜はアイヌ解放運動に力をいれ、このアイヌ解放運動の基礎があって、これが辛淑玉の興味をひいたのではあるまいか。
そして、辛淑玉は、朝鮮民族、アイヌ民族が少数民族なら、沖縄の琉球も少数民族とみなせばよいのではないか、と発想したのだろう。
一方で太田竜は日本共産党を口先だけの反スターリンで、本物の革命を実行する気はないものと見て、社会党乗っ取り計画を立てるが、これはしりつぼみになる。
1955年に日本共産党が武装闘争方針を放棄すると、その直後に入ってきた学生たちは、社会主義の運動を日本共産党に指導されて、そんなものかなとばかりに、歌声運動で、ロシア民謡を歌ったりして、盛んにソ連との融和を醸成していたのである。
韓国との協調を盛んに公明党がやりたがるみたいに。
話はそれるが、韓国との協調運動や日本の素直、従順な謝罪姿勢は、韓国の左翼にとっては都合がわるい。日本の資本が韓国の資本と良好な関係になるからである。
そこで、韓国の左翼としては、できる限りあくどく、日本に謝罪要求をして、日本側に反発させたいのである。そして、日本の公明党、自民党リベラルは韓国の保守が、韓国左翼に扇動された国民に指弾されないように、に気をつかって、慰安婦問題に譲歩しようとするわけだ。
2017年現在、日本共産党狂信者の考え方は、はっきりと「反米愛国」を自覚したものである。
まず、社会主義革命の前に、日米安保を廃棄して、日本のアメリカに対する従属を解決してから、社会主義に向かう、というのである。
そのため、盛んに、アメリカの拝金性、好戦性を非難するが、従属を脱するという妄念にとりつかれているために、中国の軍事主義には一切関心がない。
この日本共産党の基本路線の起源において、島成朗らブントの創始者は、60年安保条約は米国の日本防衛義務を課したものだから、日本はすでに独立している、もはや従属していると言えない。日本の国家権力そのものに対抗するべきだ、とかなんとか、そういったようなことを考えて反日本共産党系共産主義団体をたちあげた。西部邁がその時、そこまでわかってブントに入ったかは不明。
※島成朗なりおは、日本共産党の東京都委員で、武装闘争の責任者でもあったが、日本共産党と袂をわかつ。
「思想の科学」を鶴見俊輔、丸山真男、都留重人、武谷三男、武田清子、渡辺慧、鶴見和子、久野収ら共産主義者が文化運動を始めて、ここから、佐高信、上野千鶴子が育っていくことになる。
だから、現在の「反核」「反原発」「反差別」「護憲」は、かつて1946年から1960年にかけて、日本共産党、日本社会党、ブント、中核派、革マル派、革労協などそれぞれに敵対関係にあった左翼諸党派がかつての先輩達の血で血を洗う抗争をすっかり忘れたか、あるいは知らずに、一路、自民党政権を倒すことに心を合わせて闘っている状態なのである。
テロ等準備罪と左翼思想の残虐性と暴力性
1968年から1969年にかけて台頭した大学卒業生出身の共産主義思想党派に属する暴力行動を伴う活動家は1969年時点で5万3千5百人いたとされる。
当時20代だった彼ら5万人の暴力を辞さない共産主義者は当時北朝鮮への共鳴者でもあった。そして2017年には、彼らは70歳前後になっているはずだが、今頃、なにを思うのだろうか。反原発集会に出ているおじいさん、おばあさんなのだろうか。
1975年3月
中核派の書記長、本多延嘉が埼玉県東川口のアパートで待ち伏せされ、(工業用ハンマーで後頭部を馬乗りになって、滅多打ちにする場合が多かった。)殺害される。
前川全学連委員長、まさかりで頭を強打されるが、一命はとりとめる。
7,8人が集団になって、目星をつけた他の政治党派の幹部がひとりになったところを狙って、パンストで覆面をして、鉄パイプ、ナタ、手斧、包丁で襲撃するのである。
このテロは殺害を目標としたのではなく、瀕死の重傷を負わせて、相手に政治活動から手をひく気にさせることが目標だったこともあって、中核派と革マル派の抗争は、1973年に全国各地で北海道から九州まで千件を超えた。
山口組などの暴力団抗争は時に流れ弾が市民にあたって無辜の市民を犠牲にすることがあるが、左翼共産主義者の暴力性は、市民に被害を及ぼす事が滅多になく、よそ事として人々の記憶に残らない仕儀となった。
だが、共産主義思想にのめりこんだ者には、この種の残虐性がつねに爆発する危険性があることは、私たちは肝に命じておかねばならない。
2016年から2017年5月に現れたCRACやら、男組やらの入れ墨集団がいかに紳士的でおとなしい暴力威嚇集団にすぎないか、わかろう。だが、いつまた、かれら共産主義に駆られた政治党派が壮絶な暴力、暴走をはじめるか何の保証もない。
社会党の青年層→社会主義青年同盟→社会主義青年同盟解放派→1969年革命的労働者協会。その学生部が「反帝国主義学生評議会」
日本共産党の学生部にあたる「民主主義青年同盟」が革マル派を1名殺害している。
こうした凶悪な殺害は、ほとんどが逮捕起訴されることなく、容疑者不明のままに終わっている。
彼らが大学を卒業して入り込んだ就職先は、小中高教師、鉄道員、郵便局員、自治体職員であった。
現在の民進党支持者の中核は、彼ら極左共産主義運動体出身の上記職業人であろう。
1975年の時点で川崎市職員には、20名の中核派、6名の革マル派、10数名のセクトがおり、東京都では1600人の非日本共産党系の暴力革命集団に属する者たちがいるありさまだった。
「革命的共産主義者同盟全国委員会」が「おとな部」で、この「こども部」が「マルクス主義学生同盟・中核派」である。
「革命的共産主義者同盟全国委員会・革命的マルクス主義派」というのが、まったく、別組織で、血で血を洗う抗争をしているなど、左翼に興味のない生活者に理解できようはずもない。ところが、「ひだりまき」と言ってすませていると、実は「ひだりまき」なるものには、「「日本共産党」「旧社会党」「マルクス主義系フェミニズム」「革命的共産主義者同盟全国委員会」「革命的共産主義者同盟全国委員会・革命的マルクス主義派」がそれぞれちがうものとして自己主張しているのである。
中核派全学連、革マル派全学連とそれぞれに対立する「全学連」があって、「全学連」というひとつの組織があるわけでもないようだ。
破壊活動防止法案は、まさに日本共産党の武装闘争に対処するためにもうけられた。
1951年から、1955年にかけて日本共産党は破壊活動をしていたのである。
戦後民主主義は、「殺しもせず殺されもせず」民主的な善良な人々が現れたような「市民主義者」の主張は真っ赤なウソである。
日本共産党員が主体となって、このような暴力デモが行われたのである。
広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった[2]。
以下の「吹田事件」も、当時の過激な在日朝鮮人活動家と日本共産党の暴力デモの典型的な例である。
現在のデモも、あわよくば大衆の暴発を期待して、彼ら共産主義者はデモを呼びかけているといって、間違いない。
デモ隊の行動について、「うさぎ狩りのようでした」などという証言もなされたものの[2]、検察は「暴徒そのものだ」と形容した。実際にデモ隊は暴徒化し、京都方面に向かっていた在大津南西司令官カーター・W・クラーク(英語版)陸軍准将の車に石や硫酸ビンを投げ、クラーク准将は顔に全治2週間の傷を負った。また午前7時ごろ茨木市警察のウィーポン車にむかって、7・8名のデモ参加者が石や火炎瓶を投げて、転げ落ちた警官が火傷や打撲傷を負った。この後、デモ隊は道路沿いにある駐在所や派出所に投石などした[3]。
その後デモ隊は西口改札から吹田駅に入り、同駅で流れ解散となった。吹田駅の助役は裁判時に「デモ隊が順調に乗ってくれたので、『うまいこといきましたな』と駅長とも話していた」[4]と証言している。解散したデモ参加者らは大阪行き8時7分発の列車に乗車しようとした。そこに約30人の警察官が追いつき、デモ隊はこれと衝突した。これによりホームは大混乱となり、デモ参加者や一般乗客に負傷者が出た。事件では200人を超える大量逮捕が行われ、111人が騒擾罪で起訴された(被告人の1人が裁判中に死去、1人は韓国に強制送還され「行方不明」となったため最終的に109人)。
反米保守、反国際金融資本思想は、必然的に反米左翼と合体する
アメリカの建国は1776年の独立宣言ではなく、1787年9月の憲法制定
1788年11邦憲法批准
1789年「米国」統一国家誕生
独立の思想と憲法の思想はまったく違うもの。
憲法の思想、意図に着目しなければ米国の深層は理解できない。
アレグザンダ・ハミルトンという一人の天才政治思想家が書いた米国憲法
過去の相続を根幹とする「国体」設計
- 分立した権力を積極的に相互に闘わせることによって、政府権力を強く安定させる。
- ハミルトンが学んだ先哲は、モンテスキュー、ヒューム、アダム・スミス、
- トマス・ジェファーソンの「デモクラシー派」(当時の共和党)を拒絶
- 無権力状況アナーキーとその反動としての全体主義を周到に回避する策
すなわち、自由の擁護
バークとハミルトンの共通点は「国民の美徳ある自由」の擁護
相違点
ハミルトンが中央政府によって抑制しようとしたものは、「内戦」「国内対立」「外国からの干渉」
「個人の生命、財産、自由の価値を重要視するゆえの国家秩序」
「フェデラリスト」
第16篇が言うのは、「内戦」を防止するためには、邦と邦の間の戦争への憂い
人々を法の枠内に抑えつけることなしに自由は保証できない。
過剰な権力でもいけないが、かといって権力が欠乏してもいけない。
イコール「共和主義」
デモクラシーとはなにか。
- 民衆参加
- 民衆主導
- いわゆる市民参加、市民主導
実際には、これは道徳の遺棄、道徳の無い自由につながる
自由社会とは、道徳ある自由の存続する社会のことであり、これが存続しているということは、統治機構が働いていることを意味する。
自由市場→産業の発展→デモクラシーの進展→民衆参加不可避→衆愚政治のリスク増大
そこで、議会(立法部)(民衆の代表)の暴走を阻止する防波堤を周到に用意した。
日本では、権力を制限する憲法を「政府の暴走を制限する」と理解され、激しく強調されているが、実は、(フェデラリスト福村出版378ページ)議会の立法権に対しての制限(事後法の禁止)は忘れられている。
司法の「違憲立法審査権」はまさに、議会に対する制限であって、政府に対する制限ではない。つまり、民衆の代表の権力を制限している。
けっして国民にすべての権力があるわけではなく、まさに、司法によって、監視、制限されている。
さらに、大統領に拒否権を与えることによって「国民の権利」に制限を加えている。ここで怪しまれ、制限されているものこそ、まさに「国民の主権の絶対性」なのである。
これと対蹠的なのがフランス革命憲法の「議会権力の肥大性、無制限性」
したがって、「国民主権」の語を言う者が、「国民の権利を制限しようという意志があるか否かは非常に重要。国民の権利を制限する措置なくして、道徳ある自由が存続できない。
なぜなら、「制限なき国民の権利」とは、犯罪者の自由、暴徒の自由を含むからである。
「違憲立法審査権」とは、米国憲法が皓歯であることは、非常に重要。
「違憲立法審査権」「大統領拒否権」こそ、米国建国の基本思想が「国民主権」{国民絶対権力)否定に貫かれている証拠。
なぜか。実は明治憲法もまた、「法主権」であって、「天皇主権」ではなかった。これを「天皇主権」を否定したいために、「国民主権」を強調するとき、忘れ去られるものは、「国民主権」の危険性と「国民主権」よりも大事な「法主権」なのである。
反米思想、反国際金融資本、アメリカ国家の侵略性を強調する視点の大きな陥穽は、この米国憲法の反全体主義、反「国民主権」の精緻さへの視覚が奪われてしまうところにある。
草の根民主主義なる言葉の流行が日本人の頭にしみついて離れなくなり、「国民主権」の思想への懐疑を雲散霧消させてしまった。
コモン・ローとは、英国の「制定法」の上位法としての慣習法
このコモン・ローと同じ機能を成文法である米国憲法にもたせようとした。
コモン・ロー化とそこからくる「違憲立法審査権」(司法優位)
ただし、司法が議会よりも優位と明文化しない。理由は、コモン・ローとして自明だから。
※したがって、国民主権だから、国民が自由に変えられる、というものではない。
「日本国民の総意による」とは、かねてより疑問視されているところではあるが、「総意」どころか、「過半数」とか「三分の二」の意志さえ確認されていない。ただし、これをウソとはいえない。「日本国民の総意による」「修飾語」なのである。
米国憲法もまた、「国民投票」など抜きに十一邦が合意したことだけを持って制定しているが、「we,the people」われら国民は、としている。
米国の男性普通選挙は1830年代。つまり、草の根民主主義を米国は建国理念として採用していない。
市民とは、「何々国市民」であって、日本のように、「世界市民」という含意を強調する「市民」は通用しない。
立憲的な貴族権力とデモクラシー権力・・・つまり、貴族院と選挙、憲法の存在が背景にあるという意味。
このような場合の君主制とそうでない君主制は、大きく相違しており、たとえば、オランダは、君主がいても、「共和国」に分類すべき、とマディソンは主張した。
この考え方からすると、当然、大日本国憲法も「共和国」ではないか、という考察もあってよさそうなものだが、いったんコミンテルンの32年テーゼの影響をかぶった日本人は、何がなんでも君主を無くする理念にのめりこんだ。
米国の「共和制」「共和党」とは、「反君主」「反封建君主」という意味ではなく、(そう信じられているが)「反絶対民主権力」という意味の「共和制」である。つまり、「大衆多数決を価値と見る考えに対抗する「少数エリートによる合議重視」の「共和制国体」である。「君主を排除した共和制」という意味ではない。だからこそ、オランダの「君主にいる国体」を「法と貴族が君主の権力を制限しているから」共和制だとマディソンは言ったのである。
その点、明治憲法下の天皇もまた、貴族院、元老、憲法に権力を制限されていた。
大東亜戦争敗戦後、日本は米国が日本の国体を変更するのではないか、と恐れたがそこに「米国の建国の根本理念に君主否定思想が含まれているのではないか」という誤解があったことは間違いあるまい。
しかし、実際は、米国の知識層の(非マルクス主義者)にとって日本の欠陥は、憲法の不備と議会の暴走ではあっても、君主の存在悪ではなかった。
多くの日本人は、米国は民主主義の先進国だから、さぞかし、君主の存在を遅れた、廃止すべきあるまじき存在と考えているであろうと勘違いして恐れたのである。
だが、もともと、米国の国民はいざしらず、米国の憲法の精神を理解している知識層が問題にしているのは、君主の存在の危険性ではなく、むしろ、君主による拒否権の機能しない大権という矛盾した規定が通用する法支配の不全な国体というべきだったろう。
アメリカであれば、大統領が拒否権を行使すれば、(国民の代表者たる)議会の立法は無効化するが、なんと日本の天皇は「大権」「統帥権」と言いながら、実際には「拒否権」を遂行しえなかったのである。かといって、司法権が優位でもなかった。つまり、大東亜戦争とは、天皇の拒否も司法権の掣肘も発動しない議会(議会)と行政府の暴走だったということができる。
これが見落とされて、戦後共産党シンパの知識人のヘゲモニーのもと、「天皇の戦争責任」と検討違いな指摘が横行することになった
君主主権を否定した進歩の過程に現われた「人民主権」「国民主権」憲法が米国憲法・・・と言う理解は間違いである。
民衆が主人公。国民が主人公であるという理想に基づく憲法であるというのも、間違いである。
「人権」の尊重という理念に基づくというのは間違いである。
「平等」社会を理想としているというのは、間違いである。
「人民主権」「国民主権」の危険性を意識し、人民、国民の権力の暴走を抑える仕組みを施した憲法である。
「人権」ではなく、「国籍」重視を基本としている。
「平等」を否定している。
斉藤真の「アメリカ革命史研究」の「連邦憲法の下で、主権者が人民であることを前提としつつ」というのは、まったくの間違い。
「人民」ではなく、アメリカ国籍を前提とした国民であり、主権者はアメリカ憲法にはない。あるのは、対外的な国家主権のみ。
「国民の権利」はあるが、「国民の主権」はない。
保守主義には、「現状を肯定する」「現状の多数派を支持する」という意味で受けとめられている。
しかし、政治学上の保守主義という「政治思想」は、「美徳に満ちる自由社会」「道徳性を向上する自由社会」を創造するという意味である。美徳には、自分の運命の責任者になるということ、他者に迷惑をかけないということを含む。
「政策の倫理性・道徳的正しさ」が重要で、「政治家の倫理性」はさほど問題にならない。
したがって、宗教の自由は擁護される。宗教は道徳の源泉だからである。
「不平等はまさしく自由があるから、不可避的に発生する。」ハミルトン
努力する自由も、努力しない自由もあるのが、自由社会であり、全体主義社会に、何かを選んで努力する自由も、努力しない自由もないからだ。
ただしこの米国の「保守思想」の「連邦派」フェデラリッツ党は、デモクラシー派の当時の名称「共和党」に政権が移るや、1981年まで保守は政権から離れた。
「私有財産制が、財産を所有している人々のみでなく、財産を所有していない人々にも、自由に対して最も重要な保障を与えている。」
ハイエク「隷従への道」
制定した法律によって動く社会のこと。
法秩序が社会秩序を支えること。
正当な制定手続きによって定められた法を遵守する社会。
(ケルゼンの人定法主義。(正当な手続きによって定められた法は正当)
「法の支配」とは、
この場合の「法」とは、「制定法」のことではなく、「慣習法」のこと。
伊藤正美著1950年「英米法における法の支配」が、「法の支配」のまっとうな解説書。
「法の支配」のある「法治国家」と、「法の支配」なき、「法治国家」がある。
上位法に支配された下位法という法体系がある社会という意味ではなく、
「慣習法」に支配された制定法
あるいは「自然法」に支配制約された制定法 ×「自然法は間違い。
(正しくは、「祖先の叡智として発見される価値」に照らして判定される制定法)
主権者は「国民」でも「君主」でもなく、「法」であり、その場合の「法」とは、制定法のことではなくて、「慣習と道徳」の下位に憲法も、「国民」も「君主」もある、ということ。
憲法9条の基礎知識 憲法改正高市早苗試案
国防軍の組織および運用は、法律でこれを定める」
山谷えり子が、自民党議員として民主党政府時代に議員立法提案したが審議されなかった法案
「自衛隊法を改正して、北朝鮮に拉致された邦人の救出に自衛隊を派遣できるようにする。」
小沢一郎「普通の国とは、国際社会において当然とされている安全保障への貢献を自らの責任で行う国である。国際社会の圧力を理由にしかたなくやるような事はしない。」
読売新聞憲法改正試案 平成12年5月
「自衛隊を軍隊とする。軍隊は徴兵制としない。」
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1.なぜ、憲法改正という正面突破ではなく、悪く言えば、解釈改憲、良い言い方で言えば、現実の変化に合わせた解釈の変更をするのか?
答え。 日本国憲法は占領下に施行された影響で、現在の世界のあらゆる憲法の中でも特に改憲・修正が困難な改正条項を持っている。なぜ困難なのか。左翼勢力が多すぎるからである。緊急情勢というのは、二ヶ月後、半年後に起こってもおかしいとはいえないものであり、現に、毎日、安穏な娯楽の享受と飢餓の無い日本の生活から推測して、20年先、40年先にゆっくり改憲しようというのは、平和ボケがもたらす思考の産物。
憲法改正が、そのあまりの高いハードルのために、改正出来ない以上、現実に合わせて解釈を変更するしかない。
2.日本の平和運動の底流には、非武装中立論が存在し続けてきた。
これが妄想や「昔の事」ではなく、現在でも、そうである証拠。
非武装、すなわち自衛隊否定論。そして、他国からの侵略の蓋然性は認めるものの、自衛隊による抵抗ではなく、市民が逃げることを理想とする意見の例。
A.「爆笑問題」という芸人と大学教授中沢新一の「憲法9条を世界遺産に」
「そうです。犠牲が出る可能性がある。覚悟のないところで平和論を唱えてもダメだし、軍隊を持つべきだという現実論にのみこまれて行きます。
多少の犠牲は覚悟しても、この憲法を守る価値はあるということを、どうみんなが納得するか」
※テレビで憲法の解釈変更を批判するキャスターたちは、まったくこのように、国民に犠牲の出る覚悟を言わない。
ちなみに、この犠牲の出る覚悟という考えは、東京大学総長の南原繁が、吉田茂政権時代に同じ事を主張していた。
「どんな国も、自分を守るために軍隊を持つことができる。けれども、わたしたちは、人間としての勇気をふるい起こして、その立場を捨てることにした。」
※どうだろう。昨今の安保法制報道で、批判する人々は、憲法を守る事は人間としての勇気をふるい起こすことを伴うものだと言っているだろうか。
実際には、日本国憲法を守るとは、解釈に反対するだけではなく、犠牲を覚悟する、そして、勇気をふるい起こして、自分を守る軍隊を放棄する事だと、井上ひさしは言っている。
※この考えをチベットやウィグル、シリアやパレスチナの人々に聞かせたらどうだろう。
掲載 中村哲医師
「武器を持ってしまったら、かならず傷つけあうことになるのですよ。」
※まぎれもない自衛隊否定論だ。実際には、シリア、イラクの住民が身を守るたあめに、武器を持っている。
E. 井上ひさし
「うちは全部オープンだ、無防備地域だと言っておくのが早いと思います。」
まぎれもない自衛隊否定である。
F. 森永卓郎
「私は善意を信じるので、どこかの国が日本を侵略してきた場合、他国は一緒にたちあがってくれると思う。自衛隊は縮小しながら、国際援助隊にすればいい。」
「まったく丸腰で「僕は平和主義です」と言ったって通用しない事はわかっているけれども、強い意思を持って、だからこそ、戦うのを(侵略に対する抵抗も)放棄するんだ。」
G. 漫画家の辛酸なめ子
「憲法改変によって、日本人の残虐性や攻撃性が呼び覚まされないか」
H. 吉永小百合
「武器ではなく、憲法9条こそが私たちを守ってくれます。」
※実際は、日本の武力は、通常兵器で世界2位。最新鋭レベル戦闘機200機を保有している。
「北朝鮮のミサイルの恐怖をあおるべきではありません。
百歩譲って、仮にそのような事態が動いたとしても、世界各国が外交によって、北朝鮮の攻撃を放置しないでしょう。」
J. 井筒和幸
「どこの国がなにをしようが、手をあげて、ウチはなにもしませんと、そういう姿勢をつらぬくのが一番やけどね」
「友達がコンビニでわけのわからん奴に襲われたらかばうでしょう。かまいにいったら、逆にあかんねんって。争いが大きくなるから。」
(以下は「みんなの9条」より)
「北朝鮮の拉致や侵入に対しては、大阪のおばちゃんを海岸線に並べて置くのがいい」
「海外で自衛隊が国際援助するなら、「○○の仲間」みたいに、弱そうな名前にするといい。大阪のおばちゃんは、自分たちが損な事は絶対しない。北朝鮮の工作員でも、相手を口で説得する。」
「自衛隊は国民を守るものじゃない。実際には、軍隊はそのときどきの権力を守り、国民を弾圧する。守るのは権力であって、国民じゃない。自衛隊は、政府の命令で国民に銃を向ける可能性がある。」
※これなどは、堂々とテレ朝報道ステーションでこう言ってもらいたいものだ。
-
大江健三郎 昭和33年発言
「ぼくは、防衛大学生を日本の若い世代のひとつの弱み、恥辱だと思っている」
では、このような日本の多くの平和主義の考えは、どこからはじまったのだろうか。
(戦争はいやだ、コリゴリだ、という庶民の感情ではなく、知識人のこのような発想はどこから、どのようにはじまったのだろうか。)
1.朝日新聞昭和25年5月20日社説「講和に対する態度」
「日本には武装せずという文字通りの平和国家の立場がある。」
「非武装国の安全を規定する新しい国際規約を制定することを望みたい」
※実際には、国際連合にまかせるのは、不可能なのである。なぜならば、国際連合の常任理事国は、中国、ロシアであり、彼らが日本の安全を保障するなんの義務もない。
続く5月21日付け社説でも、朝日新聞は、
「永世中立は、武器を持って、自らを防衛する義務と権利を持つが、日本の場合は、非武装無防備というまったく新しい土台の上に成立する」とした。
※考えてもみればいい。テレ朝ニュースステーションは、政府見解の推移を並べてこう変わった、と非難するが、朝日新聞は、非武装中立論をいつのまに、どこをどう、どういうふうに変えて、どう変わった立場から、安保法制を批判しているのだろうか。
1994年7月21日参議院本会議になると、社会党党首で首相の村山富市は、
「国際的に冷戦構造の崩壊した今日、非武装中立論はその政策的役割を終えたと認識しております。」
※1984年の社会党委員長石橋政嗣83年刊行「非武装中立論」の末尾
「思い切って、降伏したほうがいい場合だって、あるのじゃないか」
なんとも、虫のいい話で、非武装中立論は「政策」なのだ、と社会党は言った。
ところが、この記事の最初に戻ってほしい。護憲派にとって非武装は政策ではない。
多少の犠牲は覚悟しても守るべきもの、と考えられており、問題は、彼らは、テレビではこれをけっして言わないということなのだ。
なぜ、常識なのか。大学の法学部の学生、司法試験の受験者がもっともよく読む憲法学の本に自衛隊違憲と書いてあるからだ。
芦部信喜「憲法」樋口陽一「憲法学」などが、日本の憲法学でもっともよく読まれている。
その芦部信喜「憲法」に、はっきりと、「現在の自衛隊は、その人員整備編成等の実態に則して判断すると、9条2項の「戦力」に該当する。」と書いてある。
そして、樋口陽一は、平成3年8月号「世界」で、「侵略の責任があいまいにされてきた根底には、天皇の戦争責任という問題があります。」と言っている。
だから、テレ朝報道ステーションやTBSNEWS23が、「憲法学者の多くが安保法制に反対」というのは、カマトト報道以外のなにものでもない。
彼らは、テレビで言うべきなのだ、これら憲法学者は、自衛隊も否定していますし、天皇の戦争責任も追及しております、と
「表現の自由を脅かすもの」著者ジョナサン・ローチ書評 2
「言論の自由の原理」は、女性、黒人、は知的世界、科学の世界に近づくことを長らく拒否されてきた。が、いまや、そういう事はない。
真相を暴こうと名乗り出る人たちを「レイシスト」「差別主義者」と罵倒することは、科学を政治的圧力に置き換えようとすることにほかならない。
スカリア判事の見解は次のようなものだった。
「レイシストの信念は苦痛を生じさせる。感情を傷つける。反ユダヤ主義、性差別・性的態度(同性愛・ゲイ・未婚・同棲)による差別、民族優越の表明・(黄色人種差別)・・・こうしたものは、苦痛が生じるのを許すな、という基準によって、価値ある信念から除外すべきである」
ジョナサン・ローチはこれは思いやり深いようで、大きな危険をはらむ考え方だという。
「傷つけよう、脅かそうというただそれだけの目的のために、苦痛を与えてはならない」のであって、結果としての「苦痛を生じさせてはならない」というのは、基準にするべきではない。
なぜなら、誰にも一切害を加えないようにする社会体制は、人間存在の衝動、欲望、抗争、敗者と勝者の帰結は不可避だという事に照らして不可能であって、これを無理に無くそうとすれば、結局、全体主義になるしかないからである。
※たとえば、2017年4月末に韓国のタレントが京都の飲食店を訪問して飲食店の先客にファッキンコリアと発言したことが話題になったが、これを二度とおこさせまいとすれば、結局、告発と監視と警察による検挙を強化するか、それともさらに長い時間をかけて良識を浸透させていくしかないだろう。だが実際には、自治体、警察が取り締まれ、店をネットにさらしてつぶしてしまえ、発言者を特定して謝罪させろ、つるしあげろという声がわき起こったのである。
自由主義社会が維持されるかぎりは、いつかは、検証に耐えた見解が優位になるのである。その時間に耐えることなくして自由社会は生き残る事ができず、原理主義、全体主義に道を譲ることになる。
実際には反レイシスト運動も宗教裁判の異端審問も、警察的であり、同時に極めて人道主義的動機に発する。
審問された異端者とは、「信仰者たちの信仰を危うくし、他人の考えに悪影響を与えることによって、永遠の地獄の苦しみに引きずり込もうとした」と者たちだったのである。社会のためを思い、隣人・友人のためを思って、審問官たちは、異端者を裁いた。
これは反レイシスト、カウンターと呼ばれる人たちの心情とまったく同じものと言ってよい。
しかし、この人道主義には、次のような危険が潜む。
レイシストという烙印を押してしまえば、何を言おうとすべては間違っていると断定してしまい、それは糾弾する側がすべての真理の産出者だと宣言しているに等しいからである。
事実、2017年2月から4月にかけて、盛んに行われた事は、「レイシストなるもの達の集団が一般に人に向けて公開講義をすることを妨害する行動であったが、これは彼ら「レイシスト」が何を発言してもすべて間違いだという決めつけであり、それを指弾する側は何を発言してもけっして間違わないと言っているようなものである。
気に障る事の中に参考になるかもしれない指摘があるかもしれないという態度はそこで消失している。まずは耳を傾け、批判的に検討してみようという社会の成員の態度に対して「反レイシスト」は人道主義の元に妨害しているのである。
「実際およそ大切な知識の多くは、誰かの気に障る言明として出発した。地球が宇宙の中心ではないという考えは、神への侮辱、ヘイトだったのである。」ジョナサン・ローチ
白人が他の人種に比べて優秀な知能の人種ではないと聞かされた時、最初は白人の多くは不愉快だった。
「私が傷つけられた」と言って自己の尊厳のために主張する個人が出てきた。
※これは、まさに政治活動家の辛淑玉氏が、2017年2月「ニュース女子」とおうテレビ番組で批判されて、「睡眠障害になった・吐き気に襲われた」と主張したが、公開討論には応じなかった事実にあてはまるだろう。
我々は誰しもが自己の信念に対する批判的検討者たちによって、信念を縦横から批判されることを甘受し、無礼、非道に耐えなければならないものなのである。
人を傷つけるのは良くない。しかし、傷つけ合いなしの社会は知識なしの社会である。金正恩に皆が忠誠を誓えば、その時、相互に論争することからくる傷つけ合いはなくなる。金正恩が判定してくれるからだ。
ジョナサン・ローチによれば、日本人が1901年から1980年の間、ノーベル賞受賞者が、ドイツの10分の一、アメリカの28分の一にとどまったのは、日本人の悪習、「公開討論ができない」ということにある、という。
批判されることは傷つく。しかし、傷つけ合いのない社会は、知的創意を生まなくなるという代償を払うことになる。
※宮沢首相の「近隣国条項」もそのひとつで、これは議論、論争よりも相手国の気持ちを優先したのであり、これによって、日本人はいよいよ、歴史を考える気力が失せていまった。
正しいか正しくないかよりも、相手の気に入るかどうかが重要ならば、およそ検証する意味がない。
ジョナサン・ローチ
「ホロコーストを否定する大学教師を、「ユダヤ人を傷つけた」という理由で解雇するのは間違いである。どんな少数者も冒涜を受けないで済ます権利はなく、時に史実によって不愉快になる場合もある。
ただ学問の水準からしてあまりに明白な誤りを主張しているという教師不適格者としてなら、解雇もありうる。」
傷つけられたと言う人には、くじけずに生きていってほしいというしかない。それ以上の何も得をさせてはならない。
「人を傷つけること」はやめなければいけないという考えはまったく間違っている。言葉は言葉であり、銃弾は銃弾、拳は拳なのだ。
「人を傷つける言葉は銃弾である。拳と同じである」となれば、人は罵倒されれば、ナイフで返していいことになる。
サルマン・ラシュディは死刑を宣告され、日本の翻訳者は44歳で実際に暗殺された。だが、サルマン・ラシュディも日本の翻訳者も、確かにイスラム教徒をひどく不愉快にし、傷つけたろうが、それは言葉であって、テロではなかったが、殺された日本の学者を暗殺したのは、ナイフだった。
もし言葉は暴力だというなら、科学上の学説を批判されると味わう苦痛は暴力だということになり、気の毒だから批判を控えようということになる。
それを罰して人が傷つくのを防止するには、結局「審問官」が設定されるほかない。
しかしながらこの自由社会の重要な原則、「言葉によって傷つくことを恐れてはならない」がいまや、危機に陥っている。
1989年頃から、次の大学で続々と「ヘイトスピーチ」を防止する規則が懲戒されるようになってきた。
ウィスコンシン大学、ペンシルバニア大学、タフツ大学、コネチカット大学、ラトガス大学、ハーバード大学、UCLA、スタンフォード等々。
誰かが、「頑迷な・迷妄な・非人道的な・差別主義な・人を傷つける・意見は禁止されるべきだ」と言うとき、彼は自分自身が、社会の幸福の守護人だと宣言しているに等しい。つまり、プラトンの「国家」における賢明な哲学者の支配する社会における哲学者は自分だと言っているのである。
ある発言が、「嫌な」「耳障りな」「イライラする」のは、受け取る側の心が広かったり、別な問題で関心がいっぱいだとすると、問題にならないが、常に待ち構えていると、大問題になることになる。
生物の先生が進化論を講義して、敬虔なクリスチャンがわっと泣いて立ち去ったら「それはずたずたに傷つけれたということのなのか」
人道主義者たちは「ヘイトスピーチかそうでないか。言葉で人を傷つけるかそうでないか」に注意を傾けるべきではなく、「気に障る言葉か、警棒、ナイフ、刑務所か」と言うように区別するべきなのである。
ここで忘れられているのは、「気を動転させるような批判を人々が免れている環境があってこそ、人は学問をなしうると考えていることである。
実際には、人を動転させるような言論、思想を圧殺すればするほど、皆「自由」になる。とすると、「自由」な体制とは、他者への批判をしない、させない機構を持つ社会ということになる。
「差別撤廃委員会」というものは、右翼がのしあがれば、右翼にとって不愉快な言辞はヘイトになり、左翼がのし上がれば左翼にとって不愉快な言辞がヘイトとして注目される。実際には嫌がらせの言語の取り締まりの当局者が中立ということはありえない。
- 作者: ジョナサンローチ,Jonathan Rauch,飯坂良明
- 出版社/メーカー: 角川書店
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「表現の自由を脅かすもの」著者ジョナサン・ローチ書評 2
「言論の自由の原理」は、女性、黒人、は知的世界、科学の世界に近づくことを長らく拒否されてきた。が、いまや、そういう事はない。
真相を暴こうと名乗り出る人たちを「レイシスト」「差別主義者」と罵倒することは、科学を政治的圧力に置き換えようとすることにほかならない。
スカリア判事の見解は次のようなものだった。
「レイシストの信念は苦痛を生じさせる。感情を傷つける。反ユダヤ主義、性差別・性的態度(同性愛・ゲイ・未婚・同棲)による差別、民族優越の表明・(黄色人種差別)・・・こうしたものは、苦痛が生じるのを許すな、という基準によって、価値ある信念から除外すべきである」
ジョナサン・ローチはこれは思いやり深いようで、大きな危険をはらむ考え方だという。
「傷つけよう、脅かそうというただそれだけの目的のために、苦痛を与えてはならない」のであって、結果としての「苦痛を生じさせてはならない」というのは、基準にするべきではない。
なぜなら、誰にも一切害を加えないようにする社会体制は、人間存在の衝動、欲望、抗争、敗者と勝者の帰結は不可避だという事に照らして不可能であって、これを無理に無くそうとすれば、結局、全体主義になるしかないからである。
※たとえば、2017年4月末に韓国のタレントが京都の飲食店を訪問して飲食店の先客にファッキンコリアと発言したことが話題になったが、これを二度とおこさせまいとすれば、結局、告発と監視と警察による検挙を強化するか、それともさらに長い時間をかけて良識を浸透させていくしかないだろう。だが実際には、自治体、警察が取り締まれ、店をネットにさらしてつぶしてしまえ、発言者を特定して謝罪させろ、つるしあげろという声がわき起こったのである。
自由主義社会が維持されるかぎりは、いつかは、検証に耐えた見解が優位になるのである。その時間に耐えることなくして自由社会は生き残る事ができず、原理主義、全体主義に道を譲ることになる。
実際には反レイシスト運動も宗教裁判の異端審問も、警察的であり、同時に極めて人道主義的動機に発する。
審問された異端者とは、「信仰者たちの信仰を危うくし、他人の考えに悪影響を与えることによって、永遠の地獄の苦しみに引きずり込もうとした」と者たちだったのである。社会のためを思い、隣人・友人のためを思って、審問官たちは、異端者を裁いた。
これは反レイシスト、カウンターと呼ばれる人たちの心情とまったく同じものと言ってよい。
しかし、この人道主義には、次のような危険が潜む。
レイシストという烙印を押してしまえば、何を言おうとすべては間違っていると断定してしまい、それは糾弾する側がすべての真理の産出者だと宣言しているに等しいからである。
事実、2017年2月から4月にかけて、盛んに行われた事は、「レイシストなるもの達の集団が一般に人に向けて公開講義をすることを妨害する行動であったが、これは彼ら「レイシスト」が何を発言してもすべて間違いだという決めつけであり、それを指弾する側は何を発言してもけっして間違わないと言っているようなものである。
気に障る事の中に参考になるかもしれない指摘があるかもしれないという態度はそこで消失している。まずは耳を傾け、批判的に検討してみようという社会の成員の態度に対して「反レイシスト」は人道主義の元に妨害しているのである。
「実際およそ大切な知識の多くは、誰かの気に障る言明として出発した。地球が宇宙の中心ではないという考えは、神への侮辱、ヘイトだったのである。」ジョナサン・ローチ
白人が他の人種に比べて優秀な知能の人種ではないと聞かされた時、最初は白人の多くは不愉快だった。
「私が傷つけれた」と言って自己の尊厳のために主張する個人が出てきた。
※これは、まさに政治活動家の辛淑玉氏が、2017年2月「ニュース女子」とおうテレビ番組で批判されて、「睡眠障害になった・吐き気に襲われた」と主張したが、公開討論には応じなかった事実にあてはまるだろう。
我々は誰しもが自己の信念に対する批判的検討者たちによって、信念を縦横から批判されることを甘受し、無礼、非道に耐えなければならないものなのである。
人を傷つけるのは良くない。しかし、傷つけ合いなしの社会は知識なしの社会である。金正恩に皆が忠誠を誓えば、その時、相互に論争することからくる傷つけ合いはなくなる。金正恩が判定してくれるからだ。
ジョナサン・ローチによれば、日本人が1901年から1980年の間、ノーベル賞受賞者が、ドイツの10分の一、アメリカの28分の一にとどまったのは、日本人の悪習、「公開討論ができない」ということにある、という。
批判されることは傷つく。しかし、傷つけ合いのない社会は、知的創意を生まなくなるという代償を払うことになる。
※宮沢首相の「近隣国条項」もそのひとつで、これは議論、論争よりも相手国の気持ちを優先したのであり、これによって、日本人はいよいよ、歴史を考える気力が失せていまった。
正しいか正しくないかよりも、相手の気に入るかどうかが重要ならば、およそ検証する意味がない。
ジョナサン・ローチ
「ホロコーストを否定する大学教師を、「ユダヤ人を傷つけた」という理由で解雇するのは間違いである。どんな少数者も冒涜を受けないで済ます権利はなく、時に史実によって不愉快になる場合もある。
ただ学問の水準からしてあまりに明白な誤りを主張しているという教師不適格者としてなら、解雇もありうる。」
傷つけられたと言う人には、くじけずに生きていってほしいというしかない。それ以上の何も得にをさせてはならない。
「人を傷つけること」はやめなければいけないという考えはまったく間違っている。言葉は言葉であり、銃弾は銃弾、拳は拳なのだ。
「人を傷つける言葉は銃弾である。拳と同じである」となれば、人は罵倒されれば、ナイフで返していいことになる。
サルマン・ラシュディは死刑を宣告され、日本の翻訳者は44歳で実際に暗殺された。だが、サルマン・ラシュディも日本の翻訳者も、確かにイスラム教徒をひどく不愉快にし、傷つけたろうが、それは言葉であって、テロではなかったが、殺された日本の学者を暗殺したのは、ナイフだった。
もし言葉は暴力だというなら、科学上の学説を批判されると味わう苦痛は暴力だということになり、気の毒だから批判を控えようということになる。
それを罰して人が傷つくのを防止するには、結局「審問官」が設定されるほかない。
しかしながらこの自由社会の重要な原則、「言葉によって傷つくことを恐れてはならない」がいまや、危機に陥っている。
1989年頃から、次の大学で続々と「ヘイトスピーチ」を防止する規則が懲戒されるようになってきた。
ウィスコンシン大学、ペンシルバニア大学、タフツ大学、コネチカット大学、ラトガス大学、ハーバード大学、UCLA、スタンフォード等々。
誰かが、「頑迷な・迷妄な・非人道的な・差別主義な・人を傷つける・違憲は禁止されるべきだ」と言うとき、彼は自分自身が社会の幸福の守護人だと宣言しているに等しい。つまり、プラトンの「国家」における賢明な哲学者の支配する社会における哲学者は自分だと言っているのである。
「嫌な」「耳障りな」「イライラする」となると、受け取る側の心が広かったり、別な問題で関心がいっぱいだとすると、問題にならないが、常に待ち構えていると、大問題になることになる。
生物の先生が進化論を講義して、敬虔なクリスチャンがわっと泣いて立ち去ったら「それはずたずたに傷つけれたということのなのか」
人道主義者たちは「ヘイトスピーチかそうでないか。言葉で人を傷つけるかそうでないか」に注意を傾けるべきではなく、「気に障る言葉か、警棒、ナイフ、刑務所か」と言うように区別するべきなのである。
ここで忘れられているのは、「気を動転させるような批判を人々が免れている環境があってこそ、人は学問をなしうると考えていることである。
実際には、人を動転させるような言論、思想を圧殺すればするほど、皆「自由」になる。とすると、「自由」な体制とは、他者への批判をしない、させない機構を持つ社会ということになる。
「差別撤廃委員会」というものは、右翼がのしあがれば、右翼にとって不愉快な言辞はヘイトになり、左翼がのし上がれば左翼にとって不愉快な言辞がヘイトとして注目される。実際には嫌がらせの言語の取り締まりの当局者が中立ということはありえない。
- 作者: ジョナサンローチ,Jonathan Rauch,飯坂良明
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