日本と北朝鮮の関係 小史 1

日本・北朝鮮政治交渉 小史

 

1966年9月 「新潟県在日朝鮮人帰国協力会の帰国事業の帰国事業打ち切りに反対する声明」

※日本政府が閣議で帰国事業を打ち切る方針を決めたので、良心的な日本人たちが、北朝鮮に帰りたい人たちに支援して、もっと北朝鮮に帰りやすくしてあげろ、と日本政府に声をあげた。これには、かねて関東大震災朝鮮人虐殺6千人に謝罪したい心を持つ日本人は共感したにちがいない。

 こうして、彼ら朝鮮人へ謝罪を繰り返してやまない日本人は、北朝鮮へ送り出し続けたのである。

 

 この声明には、次のような文言がある。

在日朝鮮人の大部分は明治43年、日本が朝鮮を併合して以来、徴用・徴兵によって強制的に日本に連行され、40年も50年も日本で生活してきた人々であり」

 

 実際には、日本が併合したのは、「大韓帝国皇帝の国」であって、朝鮮ではない。

また、大部分は徴兵・徴用ではなく、単なる出稼ぎ・密航とその子息である。

 このような間違った歴史認識を主張した人々は、2017年現在、関東大震災朝鮮人虐殺6千人を強硬にし続ける人々の先輩にあたる、日本共産党員、旧社会党員たちであった。

 こうして彼らは、日本に出稼ぎに来て定着した朝鮮人を「醜女の深情け」で、北朝鮮に送り続けて、地獄を味合わせることになった。

 

 これに対する反省は一切なく、そんな罪悪を犯したことはなく、戦後一貫して在日朝鮮人とともに歩み続けたかのような顔をして、関東大震災朝鮮人虐殺6千人、これだけは本当だ、と言い続けているのである。

 

 敗戦直後の日本共産党の中央委員には、在日朝鮮人がいて、日本共産党反日本政府運動と「外国人となった在日朝鮮人」の反日本政府活動は一体のものとして継続された。

 戦前日本共産党がこの中央委員、金天海が共産主義者として大立て者になる機会を提供した源泉としての役割を果たし、そして、この金天海は日本共産党における地位を評価されて、北朝鮮の祖国統一民主主義戦線の最高幹部の一人となった。

 したがって、半島における北朝鮮という共産主義国家の権力確立に、日本共産党は重要な貢献をしたと言っていい。

 

 現在日本、米国に核攻撃、化学兵器攻撃の脅威をもたらしている北朝鮮の初期最高幹部は、青年期に日本で日本共産党の日本人と同士であり、中央委員だったのである。

 

 1959年5月号「婦人画報」に在日朝鮮民主女性中央常任委員長の金恩順が「平壌でお花見がしたい」という随筆を書いている。

この時点で在日朝鮮人は韓国・北朝鮮をどう見ていたか。

朝鮮民主主義人民共和国では、失業者はなく、学校教育も無料ということ」

「南の方は人民を圧迫するような法律が通って、人民の生活はかつての植民地以上に暗いことを知っています。」

「日本の生活保護を受けていることが苦しい」(日本人ではないのに、生活保護を申請していた)

「一日も早く祖国の平和的建設に参加したい」

「私たちは世界人権宣言に盛られた、国籍を選ぶ自由を実行する」

 

 1958年10月21日付けアカハタ

在日朝鮮人の帰国要求を全面的に支持する」

と題した論文を掲載。

 すなわち、この論文は、日本共産党北朝鮮在日朝鮮人を送り込んで北朝鮮の強制労働に従事させて、北朝鮮というならず者国家体制を在日朝鮮人の労働で作り上げた兆本人だという証拠である。

 また、在日朝鮮人を嘘の北朝鮮礼賛情報で、強制労働の地に行かせた、非人道的罪悪の犯罪行為の証拠である。

 

 さらにこの論文で、日本共産党は、「いま我が国に住んでいる朝鮮人の大部分は、かつて日本軍国主義者の手で強制的に徴兵・徴用され、侵略戦争遂行のために住み慣れた故国から無理矢理日本へ連れてこられた人々である」と書いた。

 つまり、戦後、朝鮮人は平気で嘘をつく、と日本の保守派の軽蔑された彼らの嘘歴史を教えたのは、日本共産党の日本人だったのである。

 

 アカハタの執筆者が書いたこの論文の「隆盛発展の一路をたどっている自分の祖国、朝鮮民主主義人民共和国に帰って、安定した生活を望むのは、極めて当然のことである。」という詐欺師の甘言にだまされて、帰国した朝鮮人の強制労働によって、北朝鮮政府はコストゼロで労働力を手にいれた。

 日本共産党ならず者国家北朝鮮の発展の基礎に貢献したまぎれもない証拠である。

 しかも、詐欺、甘言による奴隷労働の提供によって。

 

 ※このアカハタの原文引用を自分の目で確認したい人は、文春文庫「帰国船」(1997年)に掲載されているので、確認されたい

 

 1958年11月17日 在日朝鮮人帰国協力会が超党派の政治家、文化人が参加を表明した。この北朝鮮帰国事業は、事実上、北朝鮮にとって、共産主義一党独裁政権の強制労働労働者を安価に調達して、北朝鮮の権力基盤を固めることに役立った。

 おだてられて行った朝鮮人は彼らの善意によって地獄を見たのである。

 主な賛同者の中で特に注目されるのは、次の人物たちだ。

 1.社会党国際局長 岡田宗司 非日本共産党系のマルクス主義者で、戦前にソ連共産党が日本の共産主義者に呼びかけた「日本共産党日本共産党以外のマルクス主義者は協力して日本政府を倒せ」という呼びかけに応じて、「私有財産制否定の運動」に関与して逮捕された。

 つまり、この時、社会党共産党は日本での社会主義政権確立の前段階として、北朝鮮に労働力を送り込んで隣国に確固とした共産主義国を作る工作をしたのである。

 2.浅沼稲次郎社会党委員長 現在の民進党の大部分をなす旧社会党勢力社民党の原点である。

 3.鳩山一郎

 4.宮本顕治

 5.風見章 この人物は日中戦争推し進めた近衛文麿の第一次内閣の書記官長であり、現在の官房長官にあたる。そして、風見章は、近衛文麿の側近になる前は、信濃毎日新聞の記者で、新聞にマルクス主義の解説を書くほどの、反米・日本資本主義批判者であった。そして、近衛文麿もまた、京都大学資本論翻訳者で、日本共産党に対する多額寄付者の河上肇の家に通って社会主義書物をもらうほどの社会主義で、資本主義の米国を憎悪する人物であった。

 近衛文麿も風見章も、2017年現在の朝鮮人差別に反対することをメインテーマとする辻元清美福島瑞穂有田芳生と同室の反米反資本主義者であった。

 近衛は一党独裁を目指して、大政翼賛会を作ったが、常任総務東亜局長を務めた永井柳太郎は、現在の反差別主義者とまったく同じように、朝鮮人に同情的で、強欲な米国資本主義を憎悪した。1923年12月の帝国議会衆議院議員・永井柳太郎は朝鮮人殺害に関して政府の責任を追及した。

 NHKはユニテリアンクリスチャンであった永井柳太郎が「内閣の出した流言飛語によって朝鮮人が虐殺された」と発言したことをもって、事実であるかのように、作為するが、実際には永井柳太郎の事実誤認である。

 実際は、「朝鮮人による暴動が起きるという噂があり、そして、実際に、多数の朝鮮人暴徒の騒乱もあった。どちらもあった。」これが事実であるのは、大杉栄殺害事件裁判の判決文に「噂があり、そして事実、騒乱もあった」と事実認定しているのである。

 ちなみに、日本人でも、朝鮮人でもなく、共産主義者でもない、米国人記者ノエル・F・ブッシュは生き残った数百名の人々とのインタビューと広汎な調査にもとづいて、執筆したが、民族的偏見の犠牲となった数百人の朝鮮人の悲惨。」と、「朝鮮人のうち、民族的偏見に関わる死者は数百人」と推定している。

ノエル・F・ブッシュは朝鮮と日本の関係を次のように考えていた。

http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/senkan/sinsai6.htm

受益者たる朝鮮側は、感謝してそれを受けるどころか、無愛想かつ強情な態度でそれに報い、ついには公然と敵意を示しはじめたのであった。

 「朝鮮統治は、日本にとって初めから頭痛の種であったが、第一次大戦のあといよいよ困難になっていった。
 問題は、国民性の相違によって、政治的な敵対性が強められていったことにあった

一九一九年の九月二日に、ときの総督と政務総監の水野練太郎なるものが、ソウルの“独立党”の党員によって爆弾を投げつけられる事件が起るに及んで、頂点に達した。
 総督は無事だったが、新聞記者二名が死に、水野錬太郎はかなりの重傷を負った。
」と、ノエル・ブッシュは公平にも関東大震災もののドキュメンタリーには、非情に珍しく、朝鮮人によるテロリズムによって、日本人が被害を受けていた背景を紹介している。

 ノエル・ブッシュは当事者ではないためか、殺されたのは、むしろ日本人が多く、そして、朝鮮人に間違われたのだという、非常に以外な説を成している。 

 殺された人たちの多くは、朝鮮人よりもむしろ日本人で、急に尋問されるためにびっくりしてしまって、舌が思うように廻らず、自警団員の思うつぼにはまったわけだ――自警団員たちは、獲物を見つけよう、見つけようとしていたのだから。 もっといい加減な理由で、朝鮮人ときめられてしまった者もいた。

 「大ざっぱに言って、朝鮮人の被害者は五百人と千人のあいだだと思われるが、しかし重要なのは、そうした数字よりも、そうした事態をひき起したことによる結果であろう。

 というノエル・ブッシュの見解は6千人説に立つ者には到底納得いくまい。

 「地震から三日目になると、朝鮮人騒ぎはおさまったが、この間に警察では市外にバラックを設けて、約一万人ほどの朝鮮人をここに収容し、救済と同時に、保護をしてやっていたのである。

朝鮮人に対するぞっとするようなヒステリー的行動は、その期間も短かく、範囲も二、三の地区に限られており、主としてごく少数の青年団員によってとられたものであった。

 非常に興味深いことに、ノエル・ブッシュは、日本人が朝鮮人に関する噂によって過剰反応を起こして悲劇が起きたのは事実だが、しかし、それはあくまでも、一部の極端な例なのだ、と言っている。

そして、注目を要するのは、市民の大部分がどういう態度をとったかということであって、それには、殆んどが震災で痛手を受けた人たちの、各種各様の行為が含まれていたのである。
 この大地震を体験した西欧の人たちは口を揃えて、災害に当面した一般日本人の模範的な勇気と沈着な行為を賞讃した。
 あわてふためいた場合は、極めてまれであった。

略奪行為は、非常に少なかった


 東京や横浜の公園で恐ろしい火災の最初の夜を過した大群衆の大部分は目立って規律ただしかった。 そうした極度の累張状態におかれながら、常には見られないような勇気を示し、常識を守った例は、枚挙するにいとまないほどであった。 公共機関のなかで、とくに目ざましかったのは東京市の病院で、その看護婦と医師たちは、殆んど不可能としか思えない状況のもとで、何千人という患者たちを救ったのである。」と書いている。

 いかに、戦後の日本人の書いた「朝鮮人虐殺本」が誇張と興奮に充ちたものであるかが思いやられる目の配りかたではないか。

最初の晩は、火事が心配であった。
 次の夜は、暴徒の侵入が恐ろしかった。
 道ひとつへだてた日比谷公園には、何千人という避難民がいたからだ。
 彼らは、食うものが手にはいらない場合、何をするだろうか? 
 また、もし雨が降ってきたら、どういうことになるだろう? 
 数日間、雨は降らなかった。まだ暑くて、そとで寝ることはできたのだが。
 ところで、地震の翌日には、市内でけんかや侵入事件があり、避難民が大挙して侵入してくるというこわい噂も流布されていたのであった。
 ある日本人の官吏が私にささやいたところによると、そうした暴徒たちは、わがホテル――いまや、経済と政治の中心となっていた――を目がけていた上に、東京駅を襲撃して交通をまひさせようとしているということであった。
 中には信ずべき報道もあった。
 私の友人の一人に、いわば日本のロビン・フッド(イギリスの12世紀ごろの伝説的英雄で義賊)がいて、ホテルを守るために配下のものをよこしてくれた。
 わがホテルには、数名の大使を含む多くの外国人がいたので、とくべつに警戒する必要があった。
 ホテルの使用人たちはめいめいに、あり合わせのもので武装して、その晩はひと晩じゅう警戒に当ったのであった。
 その晩、私は近衛部隊の隊員に手紙を書いて、ホテルに兵隊を派遣してくれるように要請した。 ところが、その返事は、軍隊は個人の要請によって出動するものではなくて、命令がなければ出動できない、軍当局がそれを必要と認めれば派遣するだろう、ということであった。
 そこで私は、自分で出かけていって、こういった。
 「では、必要であるという時期を当局はいったいどうしてきめるのです? 
 当局で認めたころには、もう手おくれですよ。
 国内問題だけなら、なんとかかくしておくこともできるでしょう、しかしことが外国関係となると、電信ですぐに伝わってしまいます。
 いまはその国際的な問題であるのに、どうしてあなたは兵隊を出さないのですか?

警衛ということは、私の仕事ではないのです」
 それでも、兵隊をよこしてはくれなかったので、私は翌朝外務省にいって話したところ、三十名あまりを派遣してくれ、さらにあとで増強してくれた。それで、 私は、その晩は眠ることができたのであった。

流言飛語(関東大震災6)

 

 続く

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関東大震災で虐殺された朝鮮人の戦後の姿

8月28日

 ※以下のグラフのように、大震災の虐殺事件以後も、どんどん朝鮮人は日本に移民し続けています。ホロコーストのあとの欧州、ソ連ユダヤ人が逃げ出してアメリカに移民したのとは、まったく逆の行動をしたんですね。大虐殺のあった場所に向かっていったんです。

 

1920年の在日朝鮮人人口は4000人だったから3年後の関東大震災で6000人も殺される筈がない、という言い訳が都庁方面とおぼしき方角から聞こえてきたので、1923年の在日朝鮮人人口を見てみましょう。

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関東大震災とその時代 序説

テロリズムとは、政治思想上の動機によって行われる特定政府および特定国民に対する暴行、殺害、財産略取、強奪、財物破壊等の凶悪犯罪である。 

 一般に日本人は「革命」を良いものというイメージを持ちがちだが、共産革命とは、テロリストが権力掌握に勝利して政治権力を掌握して体制を確立した場合なのであり、当然、政治犯収容所の設置を必要とする。

 事実、共産主義革命がなされなかった国には、政治犯収容所はなく、共産主義政権には、かならず政治犯収容所がある。

 

 関東大震災の起こった時代は、日本における未曾有の共産主義者によるテロリズム横行の時代であった。そのテロリズムの主体は、日本人と朝鮮人の両共産主義者の共犯関係によって連綿と戦後に引き継がれた。

 

 たとえばこんな具合に。

また、戦後最初の日本共産党党大会の幹部序列は、徳田球一、志賀義雄、袴田里見、金天海、宮本顕治で、在日朝鮮人の金天海は、宮本顕治よりも上位だった。

第5回党大会当時の党員数はおよそ6000人。うち約1000人が朝鮮人だった

 この日本共産党の中央委員の最高幹部の一人、在日朝鮮人金天海は後に北朝鮮祖国統一民主主義戦線議長、最高人民会議常任委員を務めた。すなわち、日本共産党最高幹部と北朝鮮最高幹部は同一人物が務めたことになる。

 さらに、1949年当時に日本共産党の中に設置された「朝鮮支部」の委員だった韓徳銖が、後の朝鮮総連議長になるから、日本共産党朝鮮支部最高幹部と朝鮮総連最高幹部もまた、同一人物である。

 こうして、日本共産党が育てた人物が在日本朝鮮人連盟を組織し、彼ら戦後、非日本人となった在日朝鮮人は、自ら「朝鮮人」を名のり、外国人であるにも関わらず、大阪の扇町公園で、吉田内閣打倒人民大会を開催して、騒乱を起こした。そのため、16人の重軽傷者が出た。

 

 現在、朝鮮人は「朝鮮人」は差別語だと言うが、彼ら自らつけた名前が、(昭和26年)1月、在日朝鮮人統一民主戦線であり、在日朝鮮居留民団である。

 

 ここで重要な問題は、1951年2月の日本共産党4全協(第4回全国協議会)で決定された“武装闘争”の前面に立ったのが、朝鮮人だという史実である。

 

 つまり、武装闘争とは、比喩では無く文字通りの「テロリズム」なのである。山村工作隊活動や火炎ビン闘争がそれである。

 また、1952年(昭和27年)の5月1日、第23回メーデー皇居前広場で騒乱を起こしたのも主役は朝鮮人だった。5000人の朝鮮人が1万5千人の日本人労働者を革命騒乱にあおり立てようとして警官隊に鎮圧されたが、彼らはあわよくば、皇居に突入して、天皇陛下を暴徒と化した日本人が殺してしまうことを狙ったのである。

 その後、日本共産党内部の朝鮮人共産主義者は、日本共産党の指導から離脱して、朝鮮半島の北に成立した共産国朝鮮労働党の指令を受けるようになっていった。

 

 少しさかのぼること戦後まもなくの朝鮮人は、彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた。通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、 無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。

善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。

というありさまであった。これが、関東大震災で虐殺された朝鮮人の戦後の姿であった。

「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」

警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。

(略)

一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。

途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。

「どないしたんや」

「おかあちゃんが、おかあちゃんが」

少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。

この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。

「ここにいるんやで。ええな」

私は少女をその場において一目散に走った。

少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。

 

1948年4月23日9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には、在日朝鮮人日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で、大阪府府知事との交渉を行うことになった。

12時30分、大阪府庁知事室において、副知事(知事は当日不在だった)と朝鮮人代表者16人との交渉が始まった。交渉は合意には至らなかった。

15時、在日朝鮮人日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中から、シュプレヒコールが起こった。50人余の青年が、行動隊を編成し、スクラムを組んで、大阪府庁前の阻止線を突破した。

15時30分、行動隊に続いて、在日朝鮮人日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も、大阪府庁に突入し、3階までの廊下を占拠した。副知事は警察官の誘導により、戦時中に作られていた地下道を通って、脱出した。

17時ごろ、群集は知事室になだれ込んだ。それから、群集はドアや調度品を破壊した。

日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は、川上貫一衆議院議員とともに、知事室に駆けつけたが、どうにもできなかった。

夜、大阪城周辺の各所で、在日朝鮮人日本共産党関西地方委員会の日本人は、篝火を焚いた。朝連は、川上貫一を代表として交渉の場を作ろうとしたが、アメリカ軍が到着した。さらに、武装警官も到着した。その後、在日朝鮮人日本共産党関西地方委員会の日本人らは、武装警官隊と乱闘となった。在日朝鮮人1人が死亡し、在日朝鮮人20人が負傷した。警官31人が負傷した。179人が騒擾罪で検挙された。

4月25日、朝連や日本人約300人が、大阪南警察署に押しかけ、逮捕者の釈放を要求した。警官隊は、約300人に向けて威嚇射撃を行い、追い返した。

4月26日、朝連は、大阪東成区や旭区などで、朝鮮人学校弾圧反対人民大会を開催した。

午後、朝鮮人代表者と大阪府知事との間で再度交渉が行われた。

15時40分、別室に待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と、大手前公園に集結して在日朝鮮人1600人のデモ隊が、再び大阪府庁に向かった。デモ隊は、武装警官隊の阻止線で、投石を開始した。武装警官隊は、消防車に放水をさせ、デモ隊に突入した。警官隊はデモ隊に向けて拳銃で発砲した。在日朝鮮人金太一が死亡した。

検挙者は軍事裁判にかけられた。日本人9人と在日朝鮮人8人が、重労働4年以下の判決を受けた。

阪神教育闘争の指導者の一人であった朴柱範は、逮捕・投獄され、釈放された直後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。いた在日朝鮮人2万人の解散を指示した。

 1950年 長田区役所襲撃事件

長田区役所襲撃事件(ながたくやくしょしゅうげきじけん)とは、1950年(昭和25年)11月20日から11月27日にかけて、兵庫県神戸市長田区で発生した公安事件。

第一神戸事件(阪神教育事件)に続く、神戸で起きた第二の騒乱事件という意味から第二神戸事件ともいう。1950年11月20日午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。

11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、長田区にある西神戸朝鮮人学校に千数百人の朝鮮人が集結、神戸市警察は全警察官を総動員して対処した。朝鮮人は投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された。

以上のような姿が、関東大震災で虐殺されたという善良な被害者とされる朝鮮人の戦後日本における姿である。

 

 この在日朝鮮人のテロ、日本国内における暴力、暴動、殺害、強奪、の凶悪犯罪は戦前にさかのぼる。

 それこそ、まさに、関東大震災の時代の朝鮮人活動家の凶悪なテロリストとしての姿であった。

53秒前

 
 

関東大震災で虐殺被害を被った朝鮮人の皆様に同情した日本人がやったこと。 地獄送りの「北朝鮮帰国事業」ありがた迷惑だったろうにのう。 うちのパヨクがなんちゅうことを・・・ごめんね、朝鮮人様。

 

60秒前

 
 

大韓帝国皇帝高宗の臣民であったことを恥じた大韓帝国臣民たちは、あわてて、朝鮮人民共和国を作り、日本では、「在日本朝鮮人連盟」を名乗り、 在日朝鮮居留民団を名のった。韓国人は、高宗の血筋がいるのに米国にかぶれて、王制に戻さなかった。

 
 
 
 
 
 
 

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関東大震災朝鮮人虐殺と日本の文化人

関東大震災朝鮮人虐殺には、数多くの文学者、知識人の証言が存在している。

しかも、共産主義とは、無縁な知識人もかなりの数いるのである。

これがまた、問題を複雑にし、朝鮮人虐殺があった説の根拠になっている。

 

 これはどういう事なのだだろうか。

 実は、日本の行った韓国併合は間違っていたからである。

 しかも、当時の日本人は、間違っている理由を明確に意識できなかった。

 当然である。

 当時は、世界中の人間が、韓国併合を正しいと思っていたのだから、日本は韓国併合した。が、しかし、併合してから矛盾が出てきた。

 1.日本は欧米のアジアに対する植民地支配に反感を持っていた。

 しかし、朝鮮を併合してみると、どうすれば、正々堂々と欧米の植民地支配と違うと言い切れるか、迷いが生じた。

 その迷いを否定するために、人々は誠心誠意、朝鮮の発展に尽くそうと考えた日本人もいたし、政府は朝鮮発展にのめり込んで東北、九州の開発を置いてきぼりにして、日本よりも朝鮮に多額の予算を投入した。

 だが、なにか引け目があった、なぜなら、日本人の中には、朝鮮半島を利権として利用する日本人もいたから、そういう日本人にお存在を見れば、どこか申し訳ないと言う心情がふつふつと湧いてきたからである。

 第一、朝鮮王朝の高宗の地位を廃して良かったのか、という疑問は大きい。日本人自身、天皇を尊ぶだけに、朝鮮人自身の気持ちを踏みにじったような気がしてくる。

 正解は、現在の米国が日本に取った方法。

 基地を置いて、口出しをしつつ、大韓帝国皇帝は存続させる、というのが正しかったのであるが、それは後知恵であって、この方法、当時の米国でさえ、盲点であった。

 だから、米国自身、ハワイの王室を廃止し、フィリピンでは、フィリピンゲリラを掃討する過程で、フィリピンの現地人を20万人犠牲にしてしまった。

 

 この日本の良心的な文化人で共産主義者ではない人々までもが、関東大震災における朝鮮人のうちの不逞な者の暴力性には目を向けず、同じ朝鮮人でも、朝鮮半島において、朝鮮人大地主から差別と虐待を受けて、惨苦を忍んで日本に出稼ぎに来た苦労人の朝鮮人への同情が意識の全面に出てきたのである。

 

 これと同じ類いの心情は、現在の日本人にも多く見られる。

 たとえば、次のような日本人の奇妙な態度。

  • 韓国の若者の自殺の多さについて取材して番組を作ったものの、放送まで一ヶ月というところまで来て、韓国に対する遠慮が働いてお蔵入りさせたNHK
  • どうしても、朝鮮呑みで口を覆ってコップの水を飲むのが、正しい飲み方のような気になってしまう、国会議員たち。
  • 韓国では、キーセンしかやらないキーセンおじぎを、韓国の礼儀正しい女性なら、庶民もセレブも皆やる品のいいお辞儀だとどうしてもそう思えて仕方が無いので、改まった礼儀作法の講習やドラマの中の丁寧なあいさつをする設定になると、コンスおじぎをしてしまう日本人。
  • 朝鮮学校の友達が出来ると、在日朝鮮人の友達が実際には日本語が自在なのに、朝鮮語を勉強する義務があるのは、日本人の自分のほうで、それが誠意を示す態度のような気がする日本人。
  • 実は日本の文学やアニメが好きな韓国人に、韓国ドラマの事を聞いて、お友達アピールする日本人。
  • 韓国では、デモやストライキが多いが、企業や政府の不正が悪質だからだと考えず、韓国人は自浄能力があり、日本人のように体勢に流されない自立心があるんだよ、となんとなく韓国人を立派に思ってしまう。
  • 韓国人はハンサムで背が高く、日本人よりもスター性があると思ってしまう。

だから、韓国の芸能人も在日の芸能人も輝いている、と思うが、貧民街の韓国人を見たことがない。

  • こうした韓国・朝鮮人がどうしても美しく見えてしまう心の病にかかっている例は、映画監督にも見られる。井筒和幸の「パッチギ!」である。

パッチギ!」では、朝鮮学校の校内風景が再現されるが、現実の朝鮮学校内部に掲げられている金日成の額が目に入らないか、映画で再現しないほうがいいように判断されて、そこはカットされる、あるいは、何度も見せないようにする。

 また、現実の在日朝鮮人の間では、北朝鮮帰国事業に応じた親戚が、だまされた、おまえらは来るな、と言っているということで、行かないほうがいい、行けば大変なことになる、という話題がるにも関わらず、映画では、「1968年の京都」で、親戚が北朝鮮に行くと言うと、登場人物の在日朝鮮人が、「(北朝鮮に)ついていくやん、わたしらも。当たり前やろ」というセリフなり、日本の観客は、ああ、北朝鮮はふるさとなんだなあ、愛する国なんだなあ、と思うように描かれる。

そして、「決心したんや。俺、祖国に帰るんや」と感動的に描かれるが、見ている実際の在日朝鮮人たちは、親戚同胞同士で、あそこの息子が北に帰ってえらい苦労しているらしい」と言い合っている状態で違和感満載なのは、もちろん、日本人観客には知るよしもない。

 9.現実の朝鮮学校では、学芸会で金正恩首領さまー。と異様な抑揚をつけて叫ぶところが、映画的には、印象的な場面になりそうだが、絶対そんな場面は、遠慮が働いて映画に描けない。

 10.「朝鮮のほうが太ってましたね。韓国のほうが痩せてた。太ろうとしてる国には、帰って行く人もいる。」 井筒和幸自作を語る、での発言。2005年

 なんと、井筒和幸は2005年になっても、北朝鮮の太っている人とは、朝鮮労働党に近い支配階級のみで、地方の庶民は餓死に直面している者さえいることに気づかなかったのである。

11. 2時間前

 
 

新潟県妙高市作成の韓国人向け観光パンフレット。その中の地図に韓国語で「東海」となんと!単記表記!されているとの情報を受け、早速取り寄せ確認した。妙高市の担当者は気づかなかったんだろうが、ちゃっかり「東海」表記を潜り込ませている。即刻削除すべき。他の地域の韓国人向けパンフも要注意。

と、こんな例もある。

 

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北朝鮮日本攻撃、いつ、どこが本当に危機か。

まず、左翼の良心的平和主義者は、「北朝鮮は次の二つを標的にする」と盛んに言っているが、どちらも、検討ちがいである。絶対に無い。

すなわち、米軍基地、自衛隊基地という基地を狙う。原発を狙う。

というのだが、これは次の理由により、まったくあり得ない。

1.基地にしても、原発建屋にしても、実際には半島の発射台から、ピンポイントで狙わなければならず、少しでも外れれば、まったく無意味である。

2.北朝鮮の場合、通常兵器は極めて劣悪で、継戦能力は無く、ただミサイル一本に頼る戦闘能力であるから、戦争突入は敗北覚悟での開戦であることを意味する。

 この場合、基地などを狙っている余裕はなく、はじめから韓国、日本の人口密集地帯をアバウトに目標とする。

 事実、日本の場合、人口密集地帯にミサイルを直撃されればそれが日本全国のどこであろうと、精神的に凍り付き、反撃の余力を失う恐れがある。

 ましてや、自衛隊国防軍としての法整備をしていない時点では、左翼メディアに抗する力は保守派にない。

 

 北朝鮮の長期戦略は、自力で北朝鮮国内に構築することの不可能と悟った資産を韓国から居抜き(そのままそっくり)奪うことである。

 さもなければ、「この野郎、経済支援をしやがれ」とばかりに、米国、日本からコメとエネルギー供給を獲得することである。

 米韓合同軍事訓練の中止、体制存続の保証は副次的な問題で、真の要求は、中国同様、体制を保証しつつすべての制裁を解いて、韓国の企業を誘致することが要求で、これができなければ韓国を武力統一する以外に、北朝鮮はじり貧になるという自覚がある。

 後者は、米国との話し合いが可能となった場合の要求内容となる。

 話し合いが実現しない場合には、

1.決して、戦争に突入しないように、用意周到に方向を定めて、常に日本を迷わせるようにしながら、実践訓練を兼ねたミサイル発射をくり返す。

2.以上を繰り返しつつ核実験と弾頭搭載実験、化学兵器搭載実験を繰り返す。

3.最終的には、東京オリンピック前後一年をめどに出来るだけ、ミサイル発射と命中精度を高め、もしその間、日本、米国が話合いを求めてきたら、居丈高な態度で長期経済支援を要求する。

4.話し合いがセッティングされない場合。

日本の都市部、およびグアムに撃ち込む。これにより、一気に日本の株式、為替、国債が暴落し、世界に金融パニックが拡大し、米国はグアムの被害救済と金融パニックによって、大混乱を来す。

 日本、米国グアムには、核攻撃も化学兵器も使わず、通常兵器を使う可能性が高い。

核や化学兵器だと米国による報復がすさまじいものになることは確実だが、通常兵器であれば、ロシア、中国が擁護しやすくなる。

 しかし、日本、米国ともに、政権が大きなダメージを受けるのは、通常兵器でも十分。特に日本のメディアは政府がどんな選択をしようとも、日本共産党民進党連合政権樹立まで、批判の手を緩めないからである。

5.アメリカは国連制裁を求めるが、中国、ロシアが戦争拡大反対を理由にして、拒否権行使。

6.北朝鮮は、金融パニックとグアム、日本都市部の被害によって、茫然自失、政府機能の不全に陥った日米の隙をついて、ソウルに降伏要求。降伏しなければ、核を使用すると脅す。その際、醸成した反日思想をもとに、北朝鮮こそが、いま、帝国主義日本に大打撃を与えたと主張して、韓国国内の左派を籠絡して、統一政府を樹立。

7.次に、韓国の左派を一斉に粛清処刑、100万人単位で殺害。

韓国の中規模都市の資産をすべて接収して、戒厳令を敷き、抵抗するものは容赦なく殺害、投獄する。

 最終的には、北朝鮮出身者を特権階級にして、韓国出身者はすべて財産を剥奪し、強制労働させられることになる。

8.欧州、米国、日本の自由主義諸国が体勢を立て直して、日米、欧州、カナダ、オーストラリア連合と中国、統一朝鮮の連合軍が核兵器によって対峙する新冷戦体制に突入。貿易は遮断されるが、中国、朝鮮はなしくずしに崩壊過程をたどる。

 

 つまり、日本が本当に危機を迎えるのは、オリンピック前後一年の時期。

 北朝鮮が実戦訓練を一通り終えた時期であり、危険な場所は、日本全国のどこであれ、任意の都市部である。

 日本に出来ることは何だろうか。

迎撃能力には重点をおかず、敵基地攻撃能力に予算を配分して早急に戦力を整備すると同時に国防軍と軍制の法整備をする以外にない。

 いくら、迎撃能力を整備しても、日本各地の都市部に連日分散攻撃されれば、かならず被弾し、共産国とちがって、自由主義国の人間の命は極めて重い。したがって、迎撃態勢ではなく、本土攻撃を察知したら、すぐに米国とともに、日本軍もまた、北朝鮮空爆をして、短期間に北朝鮮の政権中枢を破壊してしまうという選択肢以外はない。

 これをのがし、躊躇すれば、上記のシナリオ通り、中国、統一朝鮮の軍事同盟との冷戦がはじまるだけである。

ただし、これはかなり難しい。公明党が足を引っ張るからだ。

自民党内も、野田、石破をはじめ、共産党のモグラが実は予想以上に多い。

 

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関東大震災 朝鮮人大虐殺追悼の日を迎えるにあたって。

 
 

あやまちを繰り返すことなく、暴力革命には、従順に頭を下げて、そして日本を今度こそ共産主義国家にしよう。資本主義を継続するという過ちはやめて、日本を朝鮮の人々におまかせする正しい道を歩もう。

 
46分前
 
 

われわれ、偉大なる大韓帝国皇帝の臣民じゃった。当時の両班が国の財政を私物化して経済破綻するは、農民一揆があると清国に鎮圧してもらったものだから、世界中の笑いものになって、遂に日本に国を奪われた。腹立って、ロシア革命の真似したんだが、虐殺されてしもうた。

 
 

そんでもって、日本人を恨む同胞が増えるように願って、6千人殺されたとちょっぴりおおげさに言わせてもらったんだが、効き目なくて、どんどん、日本への出稼ぎが増えた。 しかし、ようやく、アホな日本人が6千人を信用するようになったんよ。

 
 
 
 
 
 
 

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帝国主義国家日本、米国、フランス、英国、ドイツと中国・韓国・北朝鮮

ざっくり言えば、日本、ドイツ、米国、英国、フランス五カ国の共通点は、かつて植民地を持っていた。そして、もうひとつの共通点は、この五カ国は、第二次大戦以後、人類に益する発見発明の業績を芸術あらゆる分野、大衆文化、科学技術の業績を上げ続け、さらに、今後の人類史に貢献し続けることは間違いない。

中国、北朝鮮韓国はそれらの成果をいただいているだけである。寄生虫だよ。

 なぜそうなるのか、

日本、ドイツ、米国、英国、フランス五カ国の共通点はもうひとつある。

 反対者を収容所に入れることはなく、言論の自由があり、韓国のように、共産主義者保導連盟事件のように、虐殺することもない。

 そして、刑事訴訟法を整備して、国民の自由を保証しつつ、犯罪者を取り締まる国だ。韓国は、日本が常に更新し、改正し続ける民法行政法でさえ、日本の真似をし続ける本物の寄生国家である。

 この言論の自由が今後もいよいよますます日本、ドイツ、米国、英国、フランスから、学問・芸術・スポーツの各分野から人類に貢献する人々が生まれ続ける理由だ。

 さらに、欧米の輝かしい学問業績に貢献した者の多くはユダヤ民族の以上の自由主義国における業績が含まれるが、朝鮮人・韓国人に世界が尊敬する業績は探してもないのが、事実だ。

 
 

はっきり言って、迎撃能力なんぞいらない。 報復能力があれば、抑止になるが、迎撃能力を持っても、都市部に毎日、雨あられと撃たれれば大災厄。

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北朝鮮のミサイルが日本上空を通過した。

 
 

残念だが、日本政府よりも、韓国政府の対応のほうが、適切。 日本人は高高度過ぎて、領空外だとか、あたらない高度だとか言っているバカがいる。しかし、デモンストレーションと実践訓練がやがて本格攻撃通告の準備につながるのであり、韓国の爆弾投下訓練とは、ミサイル恫喝に屈しないという表明だ。

 

爆弾投下訓練で対抗… 韓国は“対話路線”を封印へ

news.tv-asahi.co.jp