立花隆批判 「天皇と東大」を読む 16
立花隆批判 「天皇と東大」 16
-
以下立花隆の戦前観のおかしなところをピックアップしてみる。
※すべて文春文庫版4巻
-
299ページに、東大法学部教授矢部貞治が、昭和13年8月25日の日記に「文部省側と東大総長が会見するらしいが、その中に箕田胸喜の名があったのは不愉快至極」という部分を立花隆は共感をこめて引用している。
しかし、この立花隆の著述が戦後まもなくの著述ならば、そういう箕田胸喜嫌悪の文章を引用することも仕方が無かろう。
立花隆がこの著作を執筆したのは、2003年前後であって、ソ連、中国、北朝鮮、東ドイツ、ルーマニアなどの社会主義国家の馬脚がすっかりあらわれてしまったあとなのである。
戦前戦中の東京大学のマルクス主義経済学者、法学者たちが、いかにとんちんかんな洞察力の持ち主で、箕田胸喜の反共産主義こそ、むしろ完全にとはいえないまでも、全体主義の危険性の真実を察していたかもしれないという疑いが生じてもよさそうなものだ。
立花隆は、当時の東大教授の半分を占めていたマルクス主義者を箕田胸喜が強烈に排撃し、また社会民主主義者の河合栄治郎がマルクス主義者を排撃した事について、共産主義者を言論弾圧の被害者とばかり見て、知識人としてロシアマルクス主義にすっかりかぶれて疑問を持たなかった事、知識人としてのレーニン、スターリンへの盲従ぶりを批判していないのである。
どうも立花といい、立花に師事する学生たちといい、反共産主義といえば、言論弾圧だから、どんな思想であれ、弾圧はよろしく無いと思いたいらしいが、その後ソ連は、ソルジェニーツィンなどによって暴露されたように、北朝鮮に酷似した、政敵粛清、暗殺、政治犯強制収容、職業、移動の自由のない社会、頻発する餓死などに帰結した。
そうした社会主義国のたどる結末について善意の目でしか見ることのできなかった戦前のマルクス主義者たちの浅薄性はなんの批判もされないでいいのだろうか。
2.福田歓一と丸山真男の「聞き書き南原繁回顧録」という対談の引用も同じ事が言える。
「日本のマルキストの最大の過誤は、自由主義者と戦ってしまったことです。自由主義者と戦って、ファシスト(国家社会主義者)と戦わなかったんです。」300ページ
※丸山の言葉はしゃべり言葉でわかりにくいが、主旨は上記の通りの発言である。
しかし、日本のマルキストの最大の弱点はファシストと戦わなかった点にあるのではない。
マルキシズムなどという間違った学説を学生に教えて、まるで世界最先端のインテリです、みたいな態度をしていたことだろう。
3.「8月15日以前、天皇はただ一人だけが絶対的な自由意志を持つ「上ご一人」の世界だった。あとはすべての国民が絶対的に服従する臣民だった。」
こういう言葉を立花隆が書き付けているのを確認すると、韓国の知識人の言論の愚劣や韓国の政治活動家の愚行を見てあきれ果てる時の、人間ってこんなに馬鹿なのか、と不愉快になるときと同じ不快感を覚える。
立花隆の言うことが本当なら、日本文学史に夏名漱石も坂口安吾、太宰治、織田作之助も、川端康成、谷崎潤一郎、芥川龍之介、中島敦、小林秀雄も、皆日本にいるはずがないではないか。彼らが皆、臣民としての心しかなくて、あれらの文学作品を書けたはずがない。
4.立花隆も左翼だろうが、右翼だろうが、学生でもわかりそうな馬鹿げた天皇理解を書き付けている。305ページ
「1868年、王政復古によって疑似古代王朝的天皇親政の時代がはじまった。
1889年明治22年から近代的立憲主義国家になった」という。
これはおかしいだろう。この見方では、大久保利通らは、いちいち天皇に指図されて動いていたことになる。
また、明治22年からが近代的立憲主義国家だと教科書的正解を書いているが、ならば、近代的立憲主義国家であるのに、「8月15日以前、天皇はただ一人だけが絶対的な自由意志を持つ「上ご一人」という戦前理解とまるで矛盾するではないか。
5.308ページに立花隆はある程度史実に近い記述をしている部分がある。
「天皇以上に」ラディカルな天皇主義者たちが、国体明徴運動に名を借りて国政と社会体制と国民感情をほしいままに動かしていく体制が作られてしまった」
これなら、まあまあ、史実に近い説明といえよう。
が、この説明とあとがきの420ページ「統帥権という天皇大権によってあの戦争の全局面を仕切った天皇なのだ」という記述は矛盾しているという他あるまい。
あたかも天皇が独裁して采配したかのように、左翼にねじまげられた解釈、「統帥権という天皇大権によってあの戦争の全局面を仕切った天皇と指弾されることになった」というのなら、まだしも事実に近い。
が、立花隆は自分自身で論理の矛盾する事を言っている。
6.309ページには、「軍隊は、天皇にはアンコントロ-ラブルな組織に変わっていった」とまともな認識を語りながら、あとがきでは、「統帥権という天皇大権によってあの戦争の全局面を仕切った天皇」と平気で書く。
なんと、立花隆は、陸軍の暴走開始は満州事変からで、14年間は陸軍の武断統治だった、という。ならば、この14年間、天皇の戦争責任は非常に軽くなり、大江健三郎や高橋哲哉とまったく異なる立場になるではないか。
7.311ページには、立花隆は「日本は過激右翼と軍部に支配された国になってしまったのである」と書いている。
少なくとも、自分の言っていることと矛盾する説明だけはしないほうがよかったのではないか。これも、「天皇大権によってあの戦争の全局面を仕切った天皇」とまるで矛盾するだろう。
8.7年間かけて戦前の日本現代史の解明に取り組むファイトと知力のある立花隆にして、この矛盾きわまる脱線、言いっ放し、誇張の論述である。
立花隆はたぶん、まだいいほうなのだ。これでは、後代の青年も、論理矛盾の歴史観を読まされて、頭がおかしくなるような思いをしよう。
8.327ページ
「私にわかってきたことは、あの時代は後世のわれわれが考える以上に国粋的だったということである。」
わたしも、立花隆のこの労作を読んでそう思った。しかし、立花隆は気づいていないようだが、同時に「私たちが考える以上に、マルクス主義の東大教授が多すぎるほど多かった。そして、もしかすると、あまりにもマルクス主義系の学者が蔓延した前史があったからこそ、対抗的に、国家社会主義が力をつけ、社会変革の主人公たらんとする志のお株を奪う心理として、英米本位の平和、すなわち、植民地主義を破壊するのは、マルクス主義日本ではなく、皇国日本だという異様な発想が生まれたのではないかという疑いも出てくる。
330ページに看過できない部分がある。
「明らかにあの時代、日本は戦争を起こすという過ちを犯した」という部部である。
立花は、侵略という過ちを犯したと言っていない。「戦争という過ち」と言っている。
これが問題なのである。
では、日清戦争も、日露戦争も不要なのか、「戦争が過ち」なら、韓国人の朝鮮戦争は過ちなのか、過ちでないのか。ベトナム人のベトナム戦争はしないほうが良かったのか。
こういう難しい問題が出てくるのは、「戦争という過ち」という認識がおかしいからである。
はっきり言えば、「戦争を起こす」とは、過ちではない場合もある。
もし、過ちだというなら、ヒトラードイツに宣戦布告した英国は過ちで、ヒトラーにヨーロッパを占領させていいことになり、北朝鮮にミサイルを撃ち込まれたら、すぐに降伏を通告することがいいことになる。少なくともこうした事を考えないで、「絶対平和」を唱えるのが、日本の病なのである。
立花隆批判 「天皇と東大」を読む 15
立花隆「天皇と東大」第4巻<大日本帝国の死と再生>には、文庫版のためのあとがきがあり、そこに非常に興味深いことが書かれている。
いまの若い世代は驚くほど歴史を知らない。特に近現代史を知らないと立花隆は言うのだが、たしかに事実その通りだろうが、歴史本が現にあるのに、読まないから知らないのではなくて、日本知識人の力量として、近現代史の通史を書けないで来たから、知らないのである。
はばかりながら、かく言う私も書けないし、おまえも書けないよな、と思う君も書けまい。
ただ、大事なのは、日本には、次の異なる史観が併走しており、併走するがゆえに、常に新しい世代を強度の混乱に陥れているということだけは整理する必要はあろう。
※ その最後の爆発態としての「満州事変から敗戦までの15年戦争区分」
また、近年の15年戦争新バージョンの「アジア太平洋戦争呼称」
②共産党系裏現代史観(明治以来皆英米・白人のアジア侵略に対抗してきた)
④非共産党系(旧社会党。民進党系) 絶対的な「話し合い」「友好」「武力放棄」を善として、明治維新以来「武断国家」だったとするもの
⑤保守民族派の自存自衛戦争とアメリカ民主党政権とチャーチルによる戦争謀略ひきこみ論
⑦保守自由主義派の満州事変までのロシア警戒の正当性と反英米という失策という戦中政権批判
※立花隆は強いていえば、④の認識に近い。
これだけ、根本的に異なる立場が並立しているようでは、仏教諸派でもあるまいし、頭がおかしくもなろう。
近現代史の通史がないから、大手テレビ局のディレクター、プロデューサーが参照すべき通史がない。通史がなければ彼らテレビ局の担当者は実際にどうするかというと、半藤一利、保坂正康のような通俗歴史家の解説、著述に頼る。
市民平和運動なるものはそれはそれで、共産党員、社民党員の歴史家に頼るから、馬鹿げた歴史解釈が大手をふってまかり通る。
立花隆はそうした状況の末の若者の近現代史無知に対して決定版的な近現代史通史をかなり広範な資料を提示しながら、無知から理解と得心に向けて若者を誘おうと企図したようなのだ。
しかし、立花のこのある意味、日本近現代史の通史とも言っていい試みは、これまた、かなりデタラメな近現代史把握を初心の読者にもたらす。
いったい立花の披瀝する見方のどこが、とんでもなくおかしいのか、摘出して見せよう。
「昭和天皇は、あの狂気の大戦争をその名のもとに行った天皇であり」
これがまず、おかしな言いぐさだろう。
なんともはや、小狡くこそくな表現である。相も変わらず、保坂正康、半藤一利はじめ多くの親日本共産党系の学者、姜尚中などの繰り返してきた「天皇の戦争責任」主張の言い換えなのである。
「昭和天皇はあの戦争の全局面を仕切った天皇なのだ」と言うにいたっては、阿呆なのか?と疑いたくなるではないか。立花隆自身が「天皇と東大」という
四分冊もの大著で、どこに天皇が全局面を仕切っていると理解できる記述があるのか。
実際に立花隆がこの本で提示している史実は、非常に多くの戦前戦中知識人が社会の多様な方面でカルト宗教と政治運動が癒着していった様相であり、ちっとも、昭和天皇が采配仕切ってなどいない。
立花隆の言い分が通るなら、立花隆の提示した戦前の奇矯な学者たち、平泉澄きよしや箕田胸喜、大川周明、北一輝たち自身が天皇であった場合である。
が、もちろん事実はそうではない。
主役は天皇であるよりもむしろ、立花隆が提示した知識人たちの絡み合いにあるのは明らかなのであるが、自分でそういう本を書いておいて、ケロっとすべてはしょって、結局「昭和天皇はあの戦争の全局面を仕切った天皇なのだ」と、ありもしない結論を書いてしまうのが、立花隆のおかしなところだ。
敵味方を含め、数百万の人を死に追いやったのは、立花隆は、「天皇」だと言うが、立花隆がこの本で提示した内容を理解した者がそういう理解にいたるとは、思えない。近衛、平泉澄きよし、東條英機が元凶であろう。少なくともこの本が提示している史実から、理解できる敵味方を含め、数百万の人を死に追いやった者がいるとすれば、この三人が筆頭でなければならない。
おそらく立花隆がふとこっている理想とは、暴力内乱無しに、皇室を廃止し、その上ですぐかさらに長い将来かはともかく、大企業を公有化する社会主義に近づけて行くということを理想にしているのではなかろうか。
立花隆はできるだけ公平に書いたつもりだ、とあとがきで書いているが、そういう事を言う資格は無い。「小泉首相の靖国参拝にぶつけて南原繁を語る会を開いた」と完全に党派性を丸出しにしている。
公平になるつもりなら、靖国などという宗教施設について何も言うべきではないし、靖国について明確に反対するなら、公平に書いたなどと嘘を言うべきでは無い。だいいち、 「昭和天皇はあの戦争の全局面を仕切った天皇なのだ」などとどうして公平を期する者が書けようか。
特筆大書しておかねばならないのは、つぎの事実である。
立花隆は、彼本人の意向によって、「8月15日と南原繁を語る会」に次の人物を招待して、一席ぶつ事を依頼した。
大江健三郎、佐々木毅、姜尚中、辻井喬、高橋哲哉、などの面々である。なんのことはない、全員、反米反市場主義、親共産主義者、親北朝鮮人士たちである。
911同時多発テロは、アメリカの陰謀と主張する極左戸田清と右翼馬淵睦夫
NBC長崎放送に出演した戸田清教授 ↓の動画は保守チャンネル桜キャスターの馬淵睦夫
戸田清と西牟田祐二氏はふたりで、911はアメリカの自作自演ではないのか、と言っている「911の真実を求める日本の科学者の会」を主催。
下部がそのリンク
http://js911truth.org/sub6.html
西牟田 祐二(にしむた ゆうじ)氏の京都大学教員一覧の紹介を見ると、
西村祐二氏が学生に推薦している書籍は、丸山真男「現代政治の思想と行動」
マルクス主義、反米親ロシア丸出しである。
戸田清のフェイスブックを見ると、
下の声明に賛同している。
赤字は特に著名な反米親ロシア知識人
戦前、北一輝、大川周明は、小さな声では、マルクス・レーニン・スターリンに敬意を抱いている、ともらしていた、右翼思想家で、反アメリカの右翼革命家だった。
当時、戦争指導をし、大政翼賛会を作ったのは、近衛文麿首相のブレーン「昭和研究会」だったが、その中身は、朝日新聞記者、ソ連スパイの尾崎秀実や元日本共産党の三木清だった。
つめり、戦前も、現在の右翼、保守も、「反米」で共通して、「アメリカの陰謀」911は、自作自演と言い立てているのである。
https://www.facebook.com/kiyosi.toda.3
沖縄の人権・自治・環境・平和を侵害する不法な強権発動を直ちに中止せよ!
私たちは、沖縄の辺野古米軍基地建設をめぐる問題に重大な関心を寄せ、昨年(2015年)4月1日付けで「<緊急声明>辺野古米軍基地建設に向けた埋立工事の即時中止を要請する!」を公表し、全国から寄せられた8000名を超える賛同署名と併せて、同年4月27日、内閣府に直接提出した。以来、1年以上が経過しているが、その後も安倍政権は、私たちの要請を完全に無視したまま、辺野古米軍基地建設に向けた強権的な対応を取り続けている。
に、賛同していることがわかる。
2016年9月9日
<有識者共同声明>への賛同呼びかけ人(連名)(50音順)
青木克明(広島医療生協副理事長),青井未帆(学習院大学教授),姉歯曉(駒澤大学教授),東幹夫(長崎大学名誉教授),阿部治(立教大学教授),有本信昭(岐阜大学名誉教授),淡路剛久(立教大学名誉教授),碇山洋(金沢大学教授),池享(一橋大学名誉教授),池内了(名古屋大学名誉教授),池田清(神戸松蔭女子学院大学教授),石川康宏(神戸女学院大学教授),礒野弥生(東京経済大学教授),伊藤武彦(和光大学教授),稲村充則(埼玉協同病院医師),井上隆義(岩手大学名誉教授),井上博夫(岩手大学名誉教授),井上真(東京大学教授・早稲田大学教授),井原聰(東北大学名誉教授),今井晋哉(徳島大学准教授),今岡良子(大阪大学准教授),五十子満大(元東京都立大学教員),岩井浩英(鹿児島国際大学教授),岩佐和幸(高知大学教授),岩橋法雄(琉球大学名誉教授),上園昌武(島根大学教授),上間陽子(琉球大学教授),宇民正(元和歌山大学教授),内橋克人(評論家),内山昭(成美短大学長),浦田賢治(早稲田大学名誉教授),遠藤誠治(成蹊大学教授),大江健三郎(作家),大田直史(龍谷大学教授),大矢正人(長崎総合科学大学名誉教授),岡田健一郎(高知大学准教授),岡田知弘(京都大学教授),岡田正則(早稲田大学教授),岡田洋一(鹿児島国際大学准教授),岡本茂樹(医療法人おかもと小児科クリニック院長),岡本祥浩(中京大学教授),小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授),大島堅一(立命館大学教授),大西智和(鹿児島国際大学教授),賀数清孝(琉球大学名誉教授),片山和希(名古屋経済大学准教授),勝俣誠(明治学院大学名誉教授),加藤節(成蹊大学名誉教授),紙野健二(名古屋大学教授),亀山統一(琉球大学助教),加茂利男(大阪市立大学名誉教授),香山リカ(立教大学教授),河上茂(日本科学者会議東京支部幹事),川瀬憲子(静岡大学教授),川瀬光義(京都府立大学教授),川原紀美雄(長崎県立大学名誉教授),菊地裕幸(鹿児島国際大学教授),君島東彦(立命館大学教授),草刈英榮(千葉大学名誉教授),栗田禎子(千葉大学教授),河野仁(兵庫県立大学名誉教授),古関彰一(独協大学名誉教授),小原隆治(早稲田大学教授),小林武(沖縄大学客員教授),小林芳正(京都大学名誉教授),小淵港(愛媛大学名誉教授),小堀勝充(医療生協さいたま熊谷生協病院院長),小森陽一(東京大学教授),齋藤純一(早稲田大学教授),斉藤隆仁(徳島大学教授),斎藤正美(北見工業大学教授),榊原秀訓(南山大学教授),坂本恵(福島大学教授),桜井国俊(沖縄大学名誉教授),桜田照雄(阪南大学教授),佐々木寛(新潟国際情報大学教授),佐々木雅幸(大阪市立大学名誉教授),佐藤保彦(日本科学者会議埼玉支部幹事),塩崎賢明(立命館大学教授・神戸大学名誉教授),重松公司(岩手大学教授),重森曉(大阪経済大学元学長),白藤博行(専修大学教授),菅野礼司(大阪市立大学名誉教授),鈴木勝久(横浜国立大学名誉教授),関耕平(島根大学准教授),宗川吉汪(京都工芸繊維大学名誉教授),高石光雄(埼玉協同病院院長補佐),醍醐聰(東京大学名誉教授),高作正博(関西大学教授),高塚龍之(岩手大学名誉教授),高橋哲哉(東京大学教授),高原孝生(明治学院大学教授),高山新(大阪教育大学教授),高山進(三重大学名誉教授),武井隆明(岩手大学教授),武田晃二(岩手大学名誉教授),武田真一郎(成蹊大学教授),立花敏(筑波大学准教授),田中稔(岩手大学名誉教授),谷口正厚(沖縄大学名誉教授),種倉紀昭(岩手大学名誉教授),千葉眞(国際基督教大学教授),辻忠男(埼玉協同病院部長),蔦川正義(佐賀大学名誉教授),槌田洋(元日本福祉大学教授),鶴田廣巳(関西大学教授),寺西俊一(帝京大学教授・一橋大学名誉教授),土井妙子(金沢大学教授),徳田博人(琉球大学教授),鳥畑与一(静岡大学教授),豊島耕一(佐賀大学名誉教授),長尾演雄(横浜市立大学名誉教授),中川武夫(中京大学名誉教授),中川直哉(電気通信大学名誉教授),中杉喜代司(弁護士),中西新太郎(横浜市立大学名誉教授),中野晃一(上智大学教授),中道一心(同志社大学准教授),中村寿子(阪南大学非常勤講師),中本正一朗(元地球科学技術総合推進(機構主任研究員),中山智香子(東京外国語大学教授),名嶋義直(琉球大学教授),西川潤(早稲田大学名誉教授),西谷修(立教大学教授),西山勝夫(滋賀医科大学名誉教授),野底武浩(琉球大学教授),長谷川公一(東北大学教授),原科幸彦(千葉商科大学教授・東京工業大学名誉教授),樋浦順(岩手大学名誉教授),土方直史(中央大学名誉教授),人見剛(早稲田大学教授),藤井伸生(京都華頂大学教授),保母武彦(島根大学名誉教授),本多滝夫(龍谷大学教授),前田耕治(京都工芸繊維大学教授),前田定孝(三重大学准教授),前田哲男(評論家),増澤誠一(日本科学者会議東京支部幹事),増田剛(埼玉協同病院院長),増田善信(日本科学者会議会員),松田正久(愛知教育大学前学長・名誉教授),松野周治(立命館大学名誉教授),松本滋(兵庫県立大学名誉教授),間宮陽介(京都大学名誉教授),丸山重威(ジャーナリスト・元関東学院大学教授),宮入興一(愛知大学名誉教授),三宅明正(千葉大学教授),宮﨑礼二(明海大学准教授),宮田惟史(駒澤大学准教授),宮本憲一(大阪市立大学名誉教授・滋賀大学名誉教授),三村和則(沖縄国際大学教授),三好永作(九州大学名誉教授),村上博(広島修道大学教授),村上祐(岩手大学名誉教授),森明香(高知大学助教),森原康仁(三重大学准教授),森裕之(立命館大学教授),諸富徹(京都大学教授),矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉教授),八幡一秀(中央大学教授),山川充夫(帝京大学教授・福島大学名誉教授),山口裕之(徳島大学准教授),山崎健(新潟大学名誉教授),山下英俊(一橋大学准教授),山下竜一(北海道大学教授),山田昌樹(秩父生協病院院長),雪田慎二(埼玉協同病院副院長),除本理史(大阪市立大学教授),吉尾寛(高知大学教授),横田茂(関西大学名誉教授),横山英信(岩手大学教授),和田春樹(東京大学名誉教授),渡邉知行(成蹊大学教授)(計171名,2016年9月8日現在)
大西巨人 小説 「縹富士」
「縹富士」はなだふじ
これはといった言葉つかい
旧年極月きゅうねんごくげつ
去年の12月・・・の事をそう書いている。
この作者は、報道された、と書きがちのところを報道せられた、と書く。
担当をあてがわれたは、充て行われた、と表記している。
一昨昨年さきおととし
旧臘きゅうろう
とは、享年の12月という意味である。
大西巨人という作家はちょっと不思議な発想がある人で、筆者本人に近い登場人物を出しておいて、編集者という設定の青年が、担当の作家と話していて、「目から鱗が落ちる思ちた」ように啓発されて、と書く。
これは非常に変わっている。通常は筆者に近い人物の話を聞いた青年が、「目から鱗が落ちた」ように、とは書かない。なんだか、自画自賛しているみたいだからだ。
大西本人と目される作中の作家は、現代の主要な文芸小説について、「なんでこんなものを書くのか、わからない」と思っているが、黒澤明「夢」を見た感想は、「なんでこんなものを作るのか、わかりすぎてつまらない」だった。
それとは別に作中の作家が、黒澤明「夢」の第4話「トンネル」の「軍隊敬礼の場面」の敬礼が実際の敬礼とは違う、というのである。
江戸時代の武士が土下座をして大名行列を見送る場面があれば、滑稽だというのと同じくらい滑稽だという。
脚本家・演出家の無知ないし・粗雑
作中作家は、郵便物の署名中の名前の誤記、たとえば大西巨人の巨を「臣」と間違える類の間違いに、特に不愉快を覚える。
この作家は広野という中学生に廣野さんへと返事を書いたところ、広野君は、僕は廣野じゃない、広野だと腹をたてる。なんだ、人の誤字を指摘して、自分もまちがっているじゃないか、と。
富士山のひときわ高くぬきんでた は、抽んでた、と表記され、ぬきんでたと読む。
日本のある世代、特に大西の世代は、「空襲でか戦場でかさだかではないが、毎日毎日死をひかえて生きていたのだったことを、その作家は、小川洋子の「完璧な病室」冒頭「そして弟が信じられないくらいの若さで、死んでしまったからだと思う。誰だって、二十一の青年の死を容易に想像することなんてできないだろう。二十一といえば、人間が一番死と無関係でいられる時だ」という一節を読んで、ある感慨にふける。
八十歳近くになって、この老作家は、死亡時二十代半ばのある女性の死を知った時の心境を思い出したのである。
この作家は、マルクスの思想にある種の価値を見いだしているのだが、ソ連崩壊の新聞記事を読んでも何の感慨も起きなかったことになっている。
そして、この誤字脱字だの礼儀だの、粗雑を排したりが、案外、左翼だの右翼だの以前に大事なのじゃないかという事を言いたいのだろうな、とうかがわれる事を時々漏らしている
ところで、大西巨人は、ソ連に何の信頼、希望も置かなかったが、和田春樹は、ソ連崩壊後も、未練たらしく、ソ連はそれでも、いくつかの大事なことを成し遂げた、と発言している。大西はだいぶ早くからソ連に信をおかない、マルクス主義の「陣営」からも離れてなお、マルクスの言葉のはしばしを覚えてかみしめている人だった。