大東亜戦争と朝日新聞 その3

憲法9条は、次のようないくつかのタイプの知識人によって支えられているといってよいだろう。

  • 日本自身の武力放棄が他国の攻撃性を和らげて、武力侵攻を思いとどまらせると本気で信じ込んでいる非常に純真無垢な世間知らずでそれでいて弁護士、医師などになるような知識人である人。あるいは国民に影響力を持つ芸術家、俳優、小説家、音楽家、映画監督、芸能人など。

吉永小百合、お笑い芸人の何人か、村本

  • 日本自身の武力放棄が他国の攻撃性を和らげて、武力侵攻を思いとどまらせるとまでは思わないが、とりあえず中国、北朝鮮、ロシア、韓国などが侵略を決行するほどに悪意のある政府とまでは思えない、あるいはそんな悪い政府であるはずがないから、実際上、軍備を持つことは、相手を不安にさせるというもので、これは共産主義国、民族ナショナリズム国への楽観性に立つ。
  • 共産党員、社会党員のような党派性旧左翼人士の多い
  • ひょっとして北朝鮮、中国あたりになると確かに危険な政府かもしれないという意見に傾くが、ほとんど意固地なまでの平和主義に固執して、占領されることを覚悟し、そのあとに融和的に話し合いを求めるというもの。
  • 何万人単位で殺され、収容所で死んでもよく、その後についにわかってもらえるというガンジー型抵抗。ただし、全体主義への強度な楽観主義の基づく。

太田光中沢新一、森本卓など党派に属さないタレント、知識人である程度知能が高い例。映画監督 井筒和幸

  • 以上のどれも本音では信じておらず、軍事力の希薄ゆえに近隣の侵略国家が侵攻して、日本政府が武力の薄弱性と法的な未整備ゆえに、対処に窮して大混乱に至る日本社会の秩序崩壊を待ち望む自暴自棄、アナーキズム型。
  • これは、新左翼に多く見られる心情。知の洪水に耐えかねてわけがわからなくなった、人生自体投げた状態か。実際、新左翼人士の自殺率は高い。

 

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大東亜戦争と朝日新聞 その2

昭和21年3月6日に憲法草案が発表されるとその翌日の社説で、米国人の憲法観では、「国民の憲法」「国民の権利」であるところを、強引に「人民」の総意と言い換えている。

「画期的な平和憲法

 狡知に長けた朝日新聞主筆は、米国および日本政府の資本主義連合が中国、ソ連、共産化した朝鮮と対立した場合にソ連にとって脅威にならないように、武力放棄の憲法をほめあげてみせる。

ソ連は本国を離れて朝鮮、中国に強い影響力を行使しており、日本兵シベリアに連行していた。すでに資本主義米国、蒋介石中国、中国共産党ソ連の対立の予感は当然あったにちがいない。

 「政府原案の最も重要な特徴は、日本の主権が人民にあることを認め、且つこの人民の総意に基づく天皇制を認めたことであろう」

 

 

 これは国民と言えば在日朝鮮人をのぞくことになるから、用意周到に米国式の「国民」を「人民」と言い換え、人民」が認めた「天皇制」は「人民」が「廃棄すると意思するならば」「制度」なのだから、廃棄できるのだという意味である。

 

 以後、進歩史観に立つ法曹人は営々として、皇室廃絶に向けて女系天皇容認など工夫を凝らすことになる。

 

 「人類の平和を至高の念願とする、平和的国民の心情を厳粛に世界に対して表現したものといえよう」と「戦争の悲惨な体験によってこりごりした日本国民読者を引き付けておいてから、そんな大切な「平和」は、ソ連方式がいいのだと国民を誘導するのである。

 

 「(平和の実現には、)経済恐慌のない世界、失業のない世界、生産力の無限の向上が社会の無限の向上に全く矛盾なしに照応する世界が必要」

 「この問題はソ連以外の国々において特に重大な意義を持つ。ソ連はすでにソ連方式によりこれを解決しているからである。」

 

 こうなれば、朝日新聞とほぼ基本的に同じ考えを共有する岩波文化人、進歩的文化人の進歩とは、ソ連を進歩の最先端とみなすという進歩的文化人なのだから、米英との単独講和を否定して、進歩の最先端たるソ連との講和を含む全面講和を主張してやまなかったのは、当然のことなのであった。

 

 そして、その後、ソ連中国共産党北朝鮮を、それぞれその非道、破綻が誰の目にも明らかになるその限度まで、日本の進歩主義学者、文学者、労働組合幹部たちは、擁護し続けていったのである。

 

 米国を中心とするGHQの占領政策は、戦前戦中日本の米国が見た「軍人偏重日本の解体」が基本政策であり、トルーマン政権の対ソ警戒意識が強まるにつれて、日本小国化意図は希少化していく。また、占領の年を追うごとに憲法は、米国にとって占領時限立法で、講和条約後は、ドイツのその後と同様、当然主権国家としての日本が修正していくことは、米国自身がその憲法を幾度も修正していることからもあまりにも当然なことであった。

 

 GHQ占領中からすでに米国の思惑を超えて(ソ連中国共産党を最先端とする)進歩史観に立つ日本の知識人、新聞メディアは、米国の「太平洋戦争史観」の国民への新聞、ラジオ、映画による普及を利用して、戦争を起こしたのは、あくまでも、日本ナショナリズム軍国主義、侵略思想だというように国民に思わせることによって、彼ら戦前共産主義者日本共産党とは別動の共産主義者)の敗戦革命企図を完全に隠蔽した。

 そして、日米安保条約という再軍備を唱える日本の保守政権と米国は戦争勢力、中国共産党北朝鮮は被害者としての平和勢力だと宣伝したのである。

 それは、日本の経済成長の果実をなんとかして、北朝鮮、中国に貢がせて、社会主義国家を米国に負けない国造りに向かわせる70年以上におよぶ必死の工作だった。

 

この進歩主義史観の弟子たちが、NHK、朝日、毎日に入り込んで流しつづけた日本兵の残虐行為の証明報道は、自虐史観と名づけられ、やがて米国が日本を弱体化するために仕組んだものと、江藤淳によって主張され、これが桜井よし子に引き継がれた。

 だが、本当は日本軍の非道、日本兵の不道徳性を米国があげつらったわけではなく、日本軍の非道、残虐、不道徳性をあげつらうことに戦略的に重点を置いたのは、中国国民党中華主義中国共産党、韓国小中華民族主義、日本共産党、旧社会党の「反動に随伴する民族の残虐性」論理である。

 米国が日本人に急速の理解させようと急いだのは、政府への盲従をやめること、権力分立、言論出版の自由を講和条約後に定着させることであり、9条条項は、周辺諸国の脅威を日本が認識するという政治情勢の変化は自明である以上、占領期間終了後は日本の主権下で修正されることはあまりに当然のことだったのである。

 9条を資本主義米国と資本主義日本の資本主義連合に対する反資本主義連合の結束のてことして利用するには、世界情勢に疎い日本国民大衆の「戦争の悲惨は二度とごめんだ」という意識あるゆえに、もっとも魔術的効果を果たして、9条を固定化し、中国、北朝鮮の脅威に不安を覚えた日本は、中国、北朝鮮、韓国に軍事的対抗を断念して、常に巨額の経済援助と技術援助を提供することをもってして、近隣国からの攻撃を緩和するしかなかったのである。

 これは、米国にとっては、日米両資本主義国間の競争という点ではある程度都合がよく、(社会主義が進歩の先端)進歩主義者にとって、中国、北朝鮮、韓国という後進国が資本主義の先頭ランナーの一国である日本に負けない発展を示すかもしれないという夢を追いかけ続けるのに都合のよい事態だった。

 9条はなによりも、日本を丸腰の不安にさせ、不安を解消させるためにロシア、中国、北朝鮮、韓国に富を移転させる絶大な効果を持ち続けているのである。

 

 憲法9条と日本残虐行為告発の果たす政治的機能

  • 後進資本主義国韓国に対して、罪障感によって、技術供与、経済援助が推進されて、世界最先進資本主義国の発展が阻害されて、元来「資本主義がいいものであるはずがない、必ずいずれ崩壊する矛盾に満ちた非人間的な制度」だと確信するものには、心情的に気分のいい結果が持続する。
  • 後進資本主義、なおかつ軍事的に強大なロシアに対して日本は9条によって国防が手薄にならざるを得ず、抑止による平和が望めず、不安に駆られて経済援助をせざるをえない。これは、日本の社会福祉、インフラ整備、次世代への教育費拡充予算をロシア援助に回すことになり、財政破綻と日本資本主義破綻の推進要因になる。
  • 同じように、半資本主義半社会主義の中国に対しても、ロシアに感じると同様の不安を感じて、軍事抑止が不可能な代わりに常に経済供与で攻撃的態度に出かねない中国をなだめ続けるしかない。

これまた、日本の財政破綻の要因になり、日本資本主義、世界資本主義システムの崩壊の要因にはなっても、資本主義の持続要因にはならない。

  • 特に、中国、北朝鮮、には罪障意識の強調によって、軍事的不安とダブルで日本の富を中国、北朝鮮に移転することができる。
  • 日本の不安は、時に日本自身が軍事整備を9条に阻まれてできない代わりに韓国に対北朝鮮軍事抑止を肩代わりさせる必要にせまられて、韓国にとって棚からぼたもち式に延々と日本から技術供与、外交的譲歩がなされる。
  • こうして、後進資本国のキャッチアップと共産主義国の日本からの貢ぎ資本による持続成長の中で、日本資本主義が資本主義特有の崩壊に至ることを夢想し、半永久に資本主義国家群の倒壊を待ち続けるのが、アナーキストポストモダンの反資本主義思想。
  • 日本の保守政権としては、9条に手をつけることは、日本の一般大衆にとって、「二度と戦争はごめんだ。戦争を回避するには、憲法9条維持がまずもって最大の効果を発揮する」という共産党社会党、および文化人のプロパガンダが深く浸透しているために、日本人にとってもっとも大事ななにごともなく、安定した世の中が続けばいいという願望を破壊する政権というイメージを持たれて、選挙で大敗北する恐怖があり、到底、手をつけられない。

 

したがって憲法9条は、次のようないくつかのタイプの知識人によって支えられているといってよいだろう。

  • 日本自身の武力放棄が他国の攻撃性を和らげて、武力侵攻を思いとどまらせると本気で信じ込んでいる非常に純真無垢な世間知らずでそれでいて弁護士、医師などになるような知識人である人。あるいは国民に影響力を持つ芸術家、俳優、小説家、音楽家、映画監督、芸能人など。
  • 続く

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大東亜戦争と朝日新聞 その1

1945年まで毎日新聞編集主幹であった高田元三郎は、「奥村信太朗ー日本近代新聞の先駆者」の中で、次のように述べている。

「ひとたび戦争になった以上戦争に協力することが国民の義務であって、責任を問われるべきことだとは思わなかったが」

 こうした戦時中第一線の記者の言い分は、「会社」と従業員の生活を優先して国家の運命、国民の犠牲を軽んじるものだった、と1943年生まれの元毎日新聞記者、前坂俊之記者に評された。だが、ここで隠蔽されているのは、当時の新聞記者が、英米資本主義、英米植民地主義を憎悪し、ソ連に親しみを感じていたのか、そうでなかったのかという事が不問に付されていることである。

 

 当時、新聞紙法第23条は、「内務大臣は新聞紙掲載の事項にして、安寧の秩序をみだし、又は風俗を害するものと認めた時はその発売を禁止し、必要な場合はこれを差し押さえることができる」と規定していた。

 掲載禁止事項には、ロシア革命を意識して、「政体を変改し朝憲を紊乱する事項」という項目があり、「共産主義、無政府主義の戦術戦略を宣伝し、その運動の実行を扇動すること」という項目もあった。

 

 東大新人会でマルクス・レーニン主義に共鳴した者は、英米資本主義、英米植民地主義を憎悪するとともに、日本の政財界一体の特権と社会悪を憎み、ソ連にひそかな憧憬を覚えながら、新聞記者になった者が多数あった。

 

 彼らは、自らの身を守るために、日本共産党とは周到に距離をおきながらも、心情的にはソ連を憧憬していた。こうした共産主義新聞人と当時の共産主義シンパの知識人が取った巧妙な迂回作戦は大枠として、次なようなもであった。

 1.陸軍内部の反ソ連派と反英米・植民地解放派のうち、世論を反英米派に誘導して、陸軍を反英米派優勢にして、社会主義の祖国ソ連を守る。

 2.在米華僑財閥と組む中国の新興資本主義軍閥蒋介石政権を打倒して、中国の毛沢東共産党を支援する。

 3.そのために、東南アジアの資源を確保して、英米の支援する蒋介石国民党との対決の実力をつける。

 4.上記の戦術に平行して、英国、フランス植民地下の東南アジア諸国南洋諸島を植民地から独立させて、日本との友好関係を結び、あわよくばともに英米に対抗し、中国共産党ソ連との広大なアジア社会主義ブロックを形成する。

 5.この戦略に対して米国が強い抵抗を示した場合は、米国との国力差は強大であるから、日本は人的、経済的に大きな損害を被る恐れがある。しかし、その場合には、かえって、大日本帝国天皇制下の帝国主義金融資本体制を転覆させる千載一遇のチャンスでもある。

 さらには、大日本帝国軍人の捨て身の戦いと国民の献身によって、帝国主義米国も大きな痛手を被ることになる。

 その後、相対的に力をつけて漁夫の利を得たソ連に日本の旧領土を献上して、ソ連軍を進駐させて、ソ連とともに、日本の共産主義者政権を誕生させて、疲弊した米国を排除して、日ソ・中国。東南アジアの広大な共産主義共栄圏を確立する。

 

 このような底意を持って、世論を誘導した共産主義者は少なからずいたはずである。

 彼らは次のように思惑がはずれた。

  • ソ連北朝鮮制圧、満州侵攻に続いて北海道本州へのソ連侵攻を期待し、それまで本土決戦を決行して時間稼ぎをしようとしたが、親ソ連ルーズベルト死後、米国の対ソ警戒の巻き返しが急激にはじまり、ソ連に対する核示威とソ連の日本侵攻前に日本全土を米国単独で制圧するために急いだ広島、長崎への核攻撃によって陸軍参謀本部の親ソ派の本土決戦方針は敗北した。
  • ソ連侵攻がかなわなくなり、日ソ連合対米国という構図での講和が不可能になった日本の社会主義者たちは次のように転換せざるをえなくなった。
  • 米国の多党制自由主義重視政策と米国の日本に対する誤解(反資本主義親ソ連の思惑を持った植民地解放を、天皇制軍国ファシズムと誤解)を利用する。
  • 満州・朝鮮・樺太からの引き上げ時にソ連軍から受けた残虐な仕打ち、シベリア強制連行に対する日本人の反感、戦前からの日本国民大衆の共産主義への懐疑心に配慮して、社会主義およびソ連との協調を正面から打ち出すことを当面避ける。
  • 「戦争は二度とごめんだ」という日本大衆の平和への切なる願いを利用し、戦前戦中の日本の過ちは、「軍国主義ファシズム」だったと(米国の対日誤解を利用して)国民に宣伝。戦時中の陸軍参謀本部の親ソ派、近衛、書記官長風見章、昭和研究会朝日新聞記者らの敗戦革命の意図を隠蔽して、共産主義は平和の思想というイメージへ国民を誘導。
  • 米国の民主化政策を利用して、ゼネラルストライキから一気に人民の支持による社会主義政権の樹立を企図するが、GHQに中止を命じられて断念。
  • 風見章は日中友好協会会長に就任。近衛文麿GHQの尋問によって、敗戦革命の意図を自白する恐れがあるから、その前に自殺に誘導。
  • サンフランシスコ講和後は、延々と、ソ連、中国・北朝鮮を礼賛、米国の暗黒面を喧伝して、日米安保を廃棄することに努め、その間、ソ連、中国の社会主義体制が発展して、米国、日本の国力を上回り、日本国民が米国・英国よりもソ連、共産中国・北朝鮮に対して愛着と強い共感を持つようになり、日本もまた共産政権になることを願った。
  • だが、現実はこの期待を裏切り続け、ソ連の経済は崩壊し、経済的な失敗ばかりか、政治犯収容所、言論弾圧、他国への軍事侵略、軍備増強、その裏で起こった何百万人という餓死など、あらゆる点でソ連への信頼感は消え失せ、中国、北朝鮮ベトナムカンボジアと次々に礼賛の矛先を変えたが、時が経過するにつれて共産国の極悪非道な結末が明るみになってきた。
  • その間、朝日新聞記者たちは、必死に、日本軍国主義天皇制狂信ファシズムの犯した反動国家に随伴する非道な行為を言い立て、ウソと誇張で国民に宣伝してきた。

 しかし、これら朝日新聞岩波書店のウソ宣伝は、2000年頃から全面的に新しい世代の保守層から激しい抵抗を受けて真相をあばかれつつある。

 

 ただし、現状では、この保守層の青年たちは、ともすれば、林房雄の「大東亜戦争肯定論」式の、欧米植民地主義批判、GHQ(米国)の対日属国化戦略批判に重点がおかれ、自由と全体主義の関係に対する考察が乏しいという弱点がある。

 

 そして、彼ら保守層の新世代の日本人も、まさか戦前戦中が陸軍高級軍人、共産主義シンパ知識人、新聞記者の中の共産主義シンパがソ連との協調を目指して戦争を主導したとまでは思い及ばず、欧米の植民地体制を打破して、植民地支配に苦しむアジアの人々を解放する正義の戦争だったというところに認識が止まっている者が多い。

 

 共産党、旧社会党もまた、日本国民に「共産党は平和の党」「旧社会党」は「共産党のように一党独裁は目指さないが、平和と福祉の党」という主張をするにとどまっている。

 

 そこには、日本国民に世界史に連動する共産主義席巻によって起こされた戦争の真相を開示する思想の力を政治は持ち得ていないと言ってよい。

 

 以上のような大枠の敗戦革命の企図にとって、中国国民党軍閥馬賊の起こした通州事件済南事件などの残虐事件は、日本をして、英米および中国国民党に衝突して、ソ連を守る方向に突き進むに好都合な事件でもあった。また、朝鮮人の手前勝手な嘘つき癖も日支関係悪化に油をそそいだ。

 現地の「朝鮮日報」が「中国人が朝鮮人農民を襲撃し、多数の死傷者が出た」と誤報し、これをきっかけに朝鮮人(当時は日本人)が中国人に報復して、127人を殺害、日支の関係が悪化した。

 

 満州国独立論のころは、朝日新聞主筆緒方竹虎は大いに日本の言論の自由が存在する社会の中で、軍部批判をおおっぴらにやっていた。つまりはファシズムでも軍国主義でもない。そして、緒方竹虎のような進歩派が満州国独立構想を嫌うのは当然のことで、それは、ソ連の南下を日本陸軍のプレゼンスが障害物になるからである。

 

 1931年昭和6年、中村大尉殺害事件が起きると、8月18日大阪朝日新聞は、「わが将校殺害事件ー暴虐の罪をただせ」と見出しにして、「今回のシナ側には一点の容赦すべきところはない。わが当局が断固として、シナ側暴虐の罪を正さんこと、これ吾人衷心よりの願望である。」と書いて、読者国民を感奮させ、関東軍司令官本庄繁は、快哉を日記に記した。

 

 これはけっして、新聞紙法を恐れて書いたわけでもなく、軍部の圧力に迎合したわけでもない。新聞記者自身が、政府、陸軍、国民の意識を対シナ強硬路線に言論で論理を与え、誘導したのである。

 

 朝日新聞の戦中の主筆で戦後に国会議員となった緒方竹虎は、敗戦後10年経って、1955年電通出版の「五十人の言論人」の中で、

「軍のほうからいうと、新聞が一緒になって抵抗しないかということが終始大きな脅威であった。今から多少残念に思うし、責任を感ぜざるを得ない」と書いて、その当時、新聞人たち自身が英米・在米財閥を背景とする蒋介石政権に同情したのか憎悪していたのか、またソ連に好感を持っていたか嫌悪していたかは、避けて話している。

 

 そして、この時、緒方竹虎の回想(伝記緒方竹虎)に登場するGHQのインボーデン中佐(新聞課長)は、ナイーブにも当時の日本の実態を強権軍人のファシズムと誤解したうえで、緒方に対して「なぜ日本の新聞はこうもやすやすと政府、軍に屈服したのか」「新聞が政府を正したならば」「米国は日本を挑発してもいないのだから」「東條を新聞が諫めていれば、東條は卑怯な手で米国を攻撃することはなかったはず」と言った、というエピソードがある。

 

1952年中央公論一月号に「言論逼塞(ひっそく)時代の回想」で緒方竹虎は「(新聞は)一回の発売禁止によって数万円の損をかもす。米国とちがって(日本の新聞人は軍人の)暴力に弱い。狡猾な暴力団(軍人)は、朝日新聞から広告をボイコットさせようとした。重役会はここにたっては無条件降伏である。」

 この緒方竹虎の言いぐさが馬鹿げているのは、記者自身が満州国ソ連社会主義、米英フランス植民地、米英資本主義についてどういう考えを持っていたか、ということがまったく関係ないかのように語っていることである。

 

 インボーデン中佐は、ハルノートと日本の関係を知る由もない立場にあった。

 また、当時パールハーバー奇襲は、通告のない卑劣な奇襲と考えられていた。

 そして、インボーデンの知る限りでは、戦争突入に向けて引くに引けない状態に誘導したのは、石原莞爾でも東條英機でもなく、昭和研究会近衛文麿、書記官長の風見章、朝日新聞共産主義シンパらがお膳建てしたことを知る由もなかったのである。

 

 実際は、以下記すような朝日新聞の親ソ連思想が、敗戦後に突然脳裡に浮かぶはずもなく、戦前から腹蔵されていたものだった。

 それを示す明らかな証拠となる戦後朝日新聞社説が三つ存在する。

 その前に昭和20年8月15日朝日新聞社説の一節に興味深いことばがある。

「被抑圧民族の解放、搾取なく隷従なき民族国家の再建を目指した大東亜宣言」

「搾取なく」とは、マルクス主義の資本主義批判から由来したものだろう。

 朝日新聞の本音が現れ始めるのが9月22日である。

「遂に国民を大戦争の渦中に投じた我が国指導者の責任こそ、この際、十分に糾明されてしかるべきだろう」

 本当は我が国指導層の一翼を担っていたのは、まさに近衛文麿の執務室のすぐそばに部屋を持っていた朝日新聞記者尾崎秀美をはじめ共産主義シンパの風見章書記官長、近衛文麿自身、そして昭和研究会の面々なのだが、あたかも陸海軍部と政府を指して、新聞記者は糾弾側に立ち、戦後の役割を自ら任じたかのように書いた。

 

 11月7日「国民とともに立たん」宣言で、その後延々と続く日本のNHK、民放のすべて、反日ジャーナリスト青木理などを貫く反日思想のスタンスの一端がここで垣間見える。

「国民とは、(いま現に支配された境遇にいるのであり)支配者層と判然区別せられたる国民でなければならない。それは一言にして言えば、工場に、職場に、農山村に働く国民のいい(意味)である。」

 

 「新聞のになうべき究極の使命は、働く国民の間から生まれるべき日本民主主義戦線の機関たることでなければならない」(これは戦前コミンテルンの指令による共産党と非共産党社会主義労働組合共闘を意味する人民戦線の言い換えである)

 

 この論説の筆者は、毛沢東礼賛の森恭三にほかならない。

 

 こうしたまだそれでもソフトな共産主義思想の形跡が、さらに明白な戦後メディアの基本スタンスのモデルとも言える思想の型が表明されるのが、次の三つの社説である。

 昭和21年4月29日、東京裁判の起訴状が事前回付され、その翌日30日の社説で、朝日新聞は「反動主義者への鉄槌」という社説を掲げた。

 「起訴状には侵略戦争というコトバのみが用いられているが、世界史的な意義においては、日本、ドイツ、イタリアの三枢軸が行った戦争は「反動戦争」であると定義すべきである。」

 

 この朝日新聞の解釈は、米国の考えをはるかに超えて、完全に「マルクス主義」の進歩史観に立っている。

 米国思想には、「多党制」「市場重視」「言論の自由」「権力分立」「法の支配」はあっても、「歴史の法則」における「進歩」と「反動」の観念はない。

 朝日新聞は早くも米国思想から自立して、ロシア・マルクス主義に立って、「歴史の法則」における「進歩」と「反動」の観念を最高の価値基準にしているのである。

 この「進歩」と「反動」には、もっとも「進歩」している社会が「ソ連」で、やや進歩しているのが「米国」もっとも遅れているのが、天皇という古い歴史存在を克服できない日本という妄念があった。(英国の事を忘れたか、英国と日本がともに遅れていると考えたのだろう)

「反動戦争が本質であり、侵略はその最も不吉な現象形体であったのである。(と、勝手に解釈している。当時の米国の解釈は、軍国強権の過剰な膨張)」

「そしてかかる侵略戦争にともなって惹起されたあらゆる非人道的行為は、反動戦争が常に随伴する罪悪の現れなのである。」

 この思想を礎として、その後朝日新聞NHK民間放送局は戦後70年以上、営々と大東亜戦争を含む明治以後の日本人、日本政府を「反動政府」とそれを支える「反動国民」の為す残虐性としてこれを証明するために、あきることなく、スクープを続けた。

 それが、関東大震災朝鮮人虐殺6千人であり、南京大虐殺30万人、従軍慰安婦20万人強制連行、性奴隷説、毒ガス遺棄、731生体実験、三光作戦である。

 

 おそそらくここには、大東亜戦争中、米英を憎悪し、敗戦革命を企図して失敗した朝日新聞幹部の憎き米国に対する意地が秘められている。米国の民主主義理念にとどまらず、米国をも発展途上と相対化するマルクス主義に立って語ってみせたのである。

 

 

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戦後左翼の思想の原点 朝日新聞敗戦直後三大社説

戦中戦後の(早合点バカ)

昭和20年8月15日弁護士正木ひろしは、ガリ版個人誌「近きより」に「中世以後において日本ほど愚昧にしてかつ悪徳の国があったろうか」と書いた。韓国、北朝鮮、ナチドイツ、蔣介石国民党、毛沢東共産党ソ連、米国、英国、フランスの狡知残虐も知らない無知蒙昧の手前勝手なアホの夜郎自大

 

戦後左翼の原点 朝日新聞三大社説その1

昭和20年11月7日、「政府批判を怠った戦時中を謝罪、反省」と称して、戦後延々と続く保守政権批判の正当化。実は、東大新人会出身の朝日新聞記者こそが、「反英米資本主義」「反植民主義」を抱いて英米を憎悪し、ソ連保護の南進を政府、陸軍にけしかけた事を巧妙に隠し、戦後のソ連、中国、北朝鮮友好誘導の企図を隠す。

 

戦後左翼の原点 朝日新聞三大社説その2

東京裁判起訴状回付の翌日 4月30日付け

「日独は反動」「英米ソ連は進歩」陸軍内部の対立、海軍陸軍の対立。参謀本部関東軍のかい離を隠し、ドイツと同じファシズム、ナチと同類とする詐術。「非人道行為は反動に随伴する罪悪の現れ」

 

戦後左翼の原点 朝日新聞三大社説その3

昭和21年3月7日付(憲法改正草案公表の翌日)

「日本の主権は人民にある」「人民の総意に基づく天皇制」(つまり、人民の意思が放棄を意思すれば、その時は「制度」だから、消滅させるという意味)

「失業の無い世界無くして平和なし」露骨な社会主義礼賛。「ソ連は達成」「米国はまだ」という価値づけ。

 具体的引用はまた次回 

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韓国のライダイハン 徴用工

ライダイハン 徴用工

2017年9月12日、英国の民間団体「ライダイハンのための正義」が設立された。

主な参加者は労働党重鎮、フリージャーナリストなど。

彼らはベトナム女性の告発と謝罪要求に呼応して、ベトナム女性は一切賠償請求など求めてはいない、韓国政府は謝罪せよ、と要求している。

そして、韓国の慰安婦騒ぎを意識してか、ライダイハンにちなむ銅像を在ベトナム韓国領事館の前に置くことを予告している。

 これは、韓国、中国の画策するジャパンディスカウント運動の効果を相対的に低減する機能を果たすことになりそうだ。

 

 英国発の運動を拡充して、国際社会が韓国軍の南ベトナムにおける非人道行為の実態調査に立ち上がる事を主張している。

 英国の正義運動の継続性が問われることになる。

 

 強姦、愛人遺棄などによる韓国兵、韓国軍属が残した子供はライダイハンと呼ばれ、ベトナム社会でさげすまれることになった。これを韓国政府は、日本に対して慰安婦問題で抗議しつつ、完全無視を決め込んできたのである。

 いま、ようやく、ベトナム、英国と韓国への糾弾がひろまりつつある。

 が、これまた、在日韓国人が日本のテレビメディアを牛耳っているためか、日本のお茶の間には、大きく取り上げられないニュースである。

 

 山尾志桜里は、検事出身が売りの議員であったが、実際には、平成16年任官平成19年退官であるから、たいして検事としての職務経験を熟達したうえで退官したわけではない。

 

 韓国民主労総は、釜山の日本総領事館前に「徴用工」像を置く予定を表明した。

韓国の労組の幹部には、「親北朝鮮の容共民族主義」「修正マルクス主義新左翼」がいると強く推定できる。かねがね、日本の左翼労組、沖縄反米左翼と連携しているからである。

 

 徴用工とは、ごく少数であることもさりながら、本質的には、当時朝鮮半島に在住の日本人に対する徴用令によって、徴用したのであるから、合法というほかない。

 韓国人の思い込みでは、連合国は日本の戦争を侵略と認定しているから、侵略戦争下の徴用は、不法だという解釈をしているのだろうが、そういう解釈が成り立つなら、併合後の日本が朝鮮半島に導入したものすべてが侵略の賜物ということになり、ソウル大学に残る日本の図書から、刑事訴訟法、民放、刑法、ハングル文字まで、すべて韓国は返上しなければならないことになる。

 当時の連合国が侵略とみなそうとも、日本の内部では、大東亜の解放でもあり、英米資本主義大国にぶつかって自爆して、その果てにソ連の日本上陸を許し、共産主義革命にいいたる自爆戦争でもあった。そうした日本の上層部の思惑を蔵した中での立法行為は国家内部では、手続き上合法だったのである。

 

 当時、朝鮮半島で暮らす人々が日本人となるにあたって大韓帝国閣僚と日本政府閣僚が交わした併合条約は、当時の列強各国の容認するところのものであり、当時併合を侵略と非難した国はなかった。

 

 したがって、責任は、大韓帝国政府にもあり、日本政府にも、世界にもあるということは、責任を負うべきものは無いに等しい。

 

 併合条約が合法であることは、社会党村山富市首相も認めた。

 

 1991年以前は韓国に在韓米軍の戦術核が配備されていた。

これを放棄したのは、保守の盧泰愚政権である。盧泰愚全斗煥の側近から、大統領になった人物で、金大中らの左翼活動家がどうやら、次期大統領になりそうなのを察して、大統領任期終了後に左翼につるし上げをくらうのを恐れて、米国の戦術核を放棄してみせて、国内の左派に話のわかるところを見せたかったらしい。

 以後、韓国は金大中、廬武鉉と左翼政権が続き、表向きにも秘密裏にも、徹底して北朝鮮に巨額の資金を供給し続けて、その結果、2017年に至って、韓国の非核。北朝鮮の核保有という非常なアンバランス状態を現出させることになった。

 

 日本もまた、三木武夫という愚昧な首相あったがために、いまだに非核三原則に拘束されている。

 

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戦後の朝日新聞はどのように出発したのか

戦後の朝日新聞は、「新聞はいかなる国民を代弁し指導するのか。支配者層ではない、工場、職場、農山村に働く国民だ」と日本は国民が支配される者として存在する、と規定。その上で、毛沢東文化大革命を賞賛したのである。これは、日本の多党制、言論の自由を破壊しようという思想を意味した。

 

 昭和20年8月15日朝日新聞は「君国の直面する新事態について同胞相哭し、大君と天地神明とに対する申し訳なさで一ぱいである。」と書いたが、その後、南京大虐殺従軍慰安婦、日本軍毒ガス兵器、731、三光作戦などなどと狂い騒ぎだしたのである。

 

 変貌は9月22日に、ケロリとはじまった。

 朝日新聞の詐術は、戦時中、朝日新聞こそ、もっとも激しく南進方針を国民および政府、軍部に対して扇動し、ソ連を保護した下手人なのだが、これにはホッカムリして、「戦前のファッショ的空気から始まった大戦を米国が阻止せんとしたのだ」という意味のことを書いた。

 朝日新聞は米国の逆鱗に触れないように、「社会主義人民戦線」という言葉は避けて、11月7日、「新聞は民主主義戦線の機関になる」と宣言したのである。ここに朝日の政治プロパガンダ機関としての出発がある。

 

 驚き呆れるのは、東京裁判の朝日社説は、日本、ドイツ、イタリアは、「反動国家」英米ソ連は「進歩国家」だと規定したのである。進歩陣営の防衛戦争だったと、朝日の社説は言っている。8月15日社説では、「被抑圧民族の解放のための戦争だった」と書きながら。

 

 朝日の戦後70年、延々と続く日本軍兵士残虐非道告発記事は、昭和20年12月8日、GHQが掲載させた太平洋戦争史の「南京における悪逆」の項目に毛沢東礼讃の朝日主筆が感奮して、反動国家の為す侵略戦争は非人道的行為を伴う」という米国も発想しない奇天烈を言い始めたことから始まる。

 

 昭和21年3月6日、憲法改正について、朝日は主権が人民にあることを認め、かつこの人民の総意に基づく天皇制を認めた、と解説。「国民」ではなく、「人民」意識を読者に植え付け、天皇制は制度だから人民次第でほっぽりだす将来もあることを示唆した。

 

 憲法草案解説の社説において、経済恐慌のない世界、失業のない世界を作らねばならない、とし「米国はこの課題に迫られているが、ソ連はすでに「ソ連方式によって解決している。」と書いた。この時、GHQは連合国総司令部だから、これはそのまま通った。

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北朝鮮動向 2017年9月までのまとめ

2017年4月から6月 中距離弾道ミサイルムスダン 6回

 

2月12日 中距離弾道ミサイルMRBM北極星2型発射

 

9月4日 韓国F15K戦闘機による空対地精密誘導ミサイル米韓合同訓練

※ 9月3日核実験への翌日対応

 

2017年9月6日

自民党の一部から北朝鮮のミサイルが発射された後に撃墜することは困難なので、ミサイル発射台を先制攻撃する敵基地攻撃能力を持たなければならないと見解が現れてきた。特に米国のトマホークのような巡航ミサイルを導入しようという意見が多い。

 

 この動きにあわせるタイミングで、石破茂が核保有検討論を出したのは、石破茂がトマホーク導入論に同調すれば、トマホーク導入は推進力を持つのだから、あえてトマホーク導入論を言わずに「核保有論」を言うのは、世論にトマホーク導入論が浮上するのを防ぐ意図的な戦術であって、核保有など本気ではないし、本気なのは、トマホーク導入が本格議論になるのが嫌だという意志なのである。

 

8月29日  9月と同型ミサイルを距離2700に抑えて、距離制御試験に成功。日本に攻撃する能力を確認。

※日本に被害を与えず、本格攻撃可能な距離制御技術を試験

9月15日  グアム射程に入る中距離弾道ミサイル

※ グアムおよび、日本両方への攻撃能力確認。韓国ソウルへは短距離弾道ミサイル完成済みになった。

 

 

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