人間の多様性と寛容について

人間の多様性とは、数学に没頭する者もいれば、スポーツ、旅、昆虫に没頭する者もいるという事であって、弱者・被侮蔑者が堂々と容認されるようになるという意味ではない。自由の擁護は格差を伴うのである。 何者にも干渉しないことが「寛容」なので、「融和・友愛・擁護」は「寛容」とは別物である。

ルソーの「人間不平等起源論」と「反自由」

結果平等を目指すルソー以来の左翼思想(北一輝の純正社会主義もそれ)は「反自由」に帰着する。 なぜなら、結果平等を達成するには、権力によって、遺伝・脂質・努力好き・趣味嗜好・親から与えられる恩恵などを剥奪することなしに、実現することは不可能だからである。

慰安婦問題 何がどう影響を与えたか。

1970年8月14日付ソウル新聞に「1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓日二つの国の女性は全部で20万人。そのうち、韓国女性は5万人から7万人」(慰安婦とは書いておらず、工場動員のつもりだったのか、慰安婦のつもりだったのか、それ自体が不明)という記事があるのを金英達が発見。

 その3年後に、千田夏光が「従軍慰安婦」声なき女8万人の告発」「従軍慰安婦正編」を発表。

 千田は「挺身隊の名のもとに集められたのである。総計20万人が集められたうち、慰安婦にされたのは、5万人ないし、7万人」とあるから、千田は挺身隊20万人が別個にあり、慰安婦は5万人から7万人だという認識を持っていたことがわかる。

 が、この時点ですでに、ソウル新聞の「半島女性5万人から7万人が工場動員された可能性がある」という見方が、千田の「半島女性5万人から7万人の慰安婦」に変化している。

 そして、千田の言う「半島女性5万人から7万人の慰安婦」がクマラスワミ報告および韓国挺身隊協議会の主張では、「半島女性20万人慰安婦説」に増大している。

高崎宗司によると、ソウル新聞の記事は慰安婦を意味するのではなく、工場労働を指し、実際は5万人以上ということはなく、4千人ほどだという。

 また、千田は「従軍慰安婦正編というが、あたかも、「従軍慰安婦」という呼称が当時から存在したかのような表現をして、印象操作を意図したもであった。

吉田清治の「朝鮮人慰安婦と日本人」(人物往来社)は、1977年刊行であるから、千田夏光本1973年よりも4年後ということになる。

 平凡社朝鮮を知る事典も、吉田清治本よりも千田本を踏襲しており、まず、千田本があり、これを吉田清治が「当事者裏付け証言版」の意図で書いたと思われる。

1984年には韓国で東亜日報編集局長、宋建鎬が「日帝支配下の韓国現代史」で、千田夏光の著書内容を踏襲している。

(本人は1969年の新聞記事からと記述しているが、実際は千田本の踏襲だろう)

吉田は「朝鮮人慰安婦と日本人」1977の時点では、「強制連行」に言及しておらず、82年講演で初めて「強制連行」と慰安婦を結びつける。

吉田は1963年週刊朝日「私の8月15日」では、労務調達しか意識しておらず、後に、千田夏光や週刊誌の扇情的記事を読むにおよび、慰安婦と強制連行を結びつけるのがセンセーショナルだと判断したらしい。

吉田の82年講演、83年「私の戦争犯罪」に影響されたか、翌年、松井やよりがさらに誇張記事を書く。

1984年11月2日、朝日新聞夕刊紙上に松井やよりが、「8万人とも10万人とも言われる従軍慰安婦の多くは生きて帰れなかった。」と、千田夏光の「5ないし7万人説」が10万人に増加し、「生きて帰れなかった」と、「死亡誇張」が始まっている。

1986年には、日本の平凡社「韓国を知る事典」に「43年から女子挺身隊の名のもとに約20万人の朝鮮人女性たちが、労務動員され、そのうち、若く未婚の5万から7万人が慰安婦にされた。」と記載。

 これもまた、ソウル新聞が「韓日女性合わせて、20万人」と記述しているにもかかわらず、 「韓国女性20万人、そのうち7万人が慰安婦」に変化している。

改めて高崎宗司説では、工場動員は4千人前後である。

それが工場動員13万人、慰安婦7万人と平凡社は記述していることになる。

平凡社の当時の 編集部、宮田節子によると、(2014年8月5日朝日新聞発言)千田本を踏襲したという。確かに、平凡社「朝鮮を知る事典」記述は千田本そのままである。

一方で吉田は、1983年12月23日、奇妙なことに、すでに「私の戦争犯罪」を出版して「慰安婦強制連行」強調にカジを切った後にかかわらず、韓国天安市の謝罪碑には、「慰安婦強制連行のことではなく、男性の労務動員の強制性に加担したことについての」謝罪訪問を行っている。

これは一つの謎であって、もしかすると、83年の時点では、朝鮮総連をはじめとする親北工作者は、「慰安婦強制連行」に的を絞るべきか、朝鮮人労務動員を強制連行として言い立てるのが効果的か、測りかねていた可能性がある。

 これは後に、吉田清治の天安市謝罪碑がてっきり慰安婦強制連行への謝罪だと誤解され混乱した受け止め方を引き起こした。

 韓国では、1990年に韓国挺身隊問題協議会が結成され、初代代表は梨花女子大学の尹貞玉。(ユン・ジョンオク)

 尹貞玉は1925年生まれの朝鮮半島の裕福な牧師の娘で、1950年、朝鮮戦争が勃発すると、米国に留学する形で逃れ、米国でマルクス主義フェミニズムを学び、これに北朝鮮共産主義を合体させ、民族共産主義フェミニズムをこしらえたのではないか。

1980年、韓国で全斗煥政権と親北左翼運動の対立が激化する中、尹貞玉は73年の千田本、77年の吉田清治本、83年の吉田清治本、84年の松井やより記事、東亜日報編集局長の本などを元に慰安婦の大枠を固めて行ったと思われる。ちょうど北朝鮮全斗煥政権が中曽根政権と関係を強め、中国と国交を結び、北朝鮮大韓航空機爆破、ビルマラングーン爆殺テロを行う中での研究であった。

尹貞玉のマルクス主義フェミニスムと民族共産主義の融合は次の主張に現れている。

2003年「平和を希求して」

「女性の性に対する観念を徹底的に変える社会的な変革が先行しなければならない。挺身隊の女性こそ、民族史の主人公であらねばならない」

尹貞玉はハンギョレ新聞で「慰安婦強制連行があった」という立場から連載記事を書き、韓国左翼に大きな影響を与えた。また、クマラスワミに対しても、強制連行があったという立場から示唆を与えている。

 日本の左翼が謝罪=和解をしようとするのに対して尹貞玉らは、日本を帝国主義国家権力とみなして、徹底した国家謝罪、国会の予算措置による日本公務員に対する徹底的な謝罪教育を求めている。 

大英帝国のロイド・ジョージと河上肇

日本の共産主義者の祖と言ってもいい河上肇は、大英帝国ロイド・ジョージを称賛してやまなかった。

 苦学力行、不撓不屈であり、」貧困庶民の味方であった所以を河上肇は「貧乏物語」の中で縷々説明している。

 しかし、奇妙なことにわれわれは気づく。

 日本に左翼は、なぜ、韓国、北朝鮮、中国の中に苦学力行、不撓不屈にして、道義的な政治家をただのひとりも紹介できないのか。

河上肇「貧乏物語」の内容とは

 貧乏の存在とその痛苦は、個人の側の克己と工夫、そして国富。この二つながらそろわなければ達成できぬ事柄である。

 河上肇は、この個人の側の克己、工夫、勉励をまったく無視する論を主張していた。

 国家による給食を奨励するなら、ギャンブルを禁止すべきであろう。

 特に貧乏人のギャンブルを禁止するように仕向けるべきであろう。

 河上は親に働け、働いて子供に十分食べさせろとは言わず、子供への食事給与を奨励する。それもよかろう、失業なり、低所得の親の子にとって、給食は子供の救いだろう。

 ならば、低所得なのに、ギャンブルをしてさらに窮境に陥り、痛苦を味わう人間を救うために、ギャンブル、特に街中のギャンブルを禁じてはどうか。

 風俗を禁じてはいかがか。

 河上はギャンブルを放置し、風俗を放置し、一方では、子供の給食を熱心に説いた。

 「給食」「養老年金」・・・これらは現今資本主義国家日本にすべて実現されている。

 北朝鮮、中国、韓国には不十分なものである。

 年金法があっても、ギャンブル(※パチンコのこと)で使い果たせば何にもなるまい。

 

 河上肇という人は「富者は肥え、貧者は痩せる」ものだと思い込んでいた。

そして、肥えることは不健康で、痩せることはむしろ健康である場合もあると言った。

 しかし、実際には富者は適度にスポーツをし、美食を楽しみ、労働者はジャンクフードを過剰摂取して運藤などせず、寿命を縮めるというのが、現実であろう。

 

 「奢侈の廃止」を力説して、貧者のギャンブル禁止、過度の飲酒禁止を説かぬのが河上肇であった。

 

 「奢侈を禁止し、需要が少なくなれば、生産力は貧困者への支給に充てられるはず」というのが河上肇の論理である。

 河上肇は国家が生産者になれば「適切な生産を為すはずだ」と考えた。

 金儲けにさえばればなんでもするるというのが、悪だというのだが、公務員が金儲けのためなら、なんでもするということにならない保証は実はどこにもない。

 

 河上肇は経営者が「金もうけ」目的の経営をする気がないのであれば、「奢侈、一身一家のぜいたくのために消費しないはずだ」と言う。が、実際には、高級公務員が金儲けをし、一身一家のために高給を決め、奢侈をしない保証などどこにもない。

 河上肇は国家占有経済であろうと、私有経済であろうと、奢侈がなくなることは無いと洞察することができない人物であった。

 「富者の奢侈廃止」と河上は言うのだが、現在のありがとうございます。あらゆる「上級」国家公務員は奢侈でないことはない。

 国家が経営しようと私人が経営しようと、その長は奢侈を目指す。

 あまつさえ、河上肇は酒を無用の長物視する。

 ささやかな憩いさえ、非必需品無用、非必需品など万人のための生産の阻害要因だとする。

 「富者は自動車に乗るな。自動車は救急車のために作れば足りる」

「酒は造るな。酒など造るから、飢える人にコメが回らない」というのが、河上肇の発想であった。

 貧困者に「労せずして」十分な富を支給すれば、中産階級の贅沢は阻止されるであろう。また、企業の設備投資は抑制されるだろう。そうなれば、中産階級の相当多数は失業者の、群れに転落し、「労せずして十分な富を要求する人間の数はいよいよ増加するであろう。

 

 もっとも、だからこそ、河上肇は、そうした事態に耐えうるためには、富者が奢侈を止めればよいというのであるが、問題は「奢侈の無い富者と多数の労せずして公的扶助を要求し続ける民衆によって成り立つ社会は必ずや競争社会の獲得した技術の世話になる運命を甘受せねばならないという事である。

 河上肇は「修身斉家平天下」が現実に為しうるものだと平気で主張する浅慮な人物であった。

 「修身斉家平天下」が現実に為しうるものであるなら、中国、北朝鮮ソ連キューバはもとよりあらゆる先進国の高級公務員は清く貧しく自分のことより民の事を先に考えたろうが、実際には、個人的な奇人的ふるまいの他にはそんな例も方策もない。

日本左翼の元祖、河上肇の発想

現代日本左翼の元祖にあたる京都大学河上肇マルクス本訳者で日本共産党員)は、「富者は自動車に乗るな。自動車は救急車のために作れば足りる」 「酒は造るな。酒など造るから、飢える人にコメが回らない」と当時のベストセラー「貧乏物語」に書いた。

 
 
 

譲位と退位  マスコミの態度

皇后陛下のお言葉には「譲位」という文字は何度も使われているが、政府公式文書にはまったく記載されていない。また、菅官房長官は、「担当国務大臣」なのだが、「譲位」ではなく、「退位」という、と明言している。産経新聞は勝手に「譲位」と言う前に、政府の言葉使いを批判するべきである。