平壌に行って「金正恩委員長万歳!」と叫んだ2人の元大物国会議員
gendai.ismedia.jp週刊現代特別編集委員の近藤大介氏の取材によると、日本の元代議士、日森文尋・元社民党国対委員長(68歳)が、北朝鮮万寿台議事堂で次のように演説した。
「朝鮮人民は、金正恩委員長の卓越した指導によって一心団結し、核武力建設を発展させ、米国を対話の舞台に引きずり出す決定的な力を保持されたことに敬意を表します。また、ICBM『火星14型』の試射を成功させたことは、この力を益々確固たるものにしました……」
「白頭山偉人称賛国際祭典」に参加した元代議士は、野田佳彦民主党政権時代に法務大臣だった平岡秀夫(63歳)
北朝鮮当局が撮影した映像を見ると、「革命の聖地」白頭山でも、金正恩委員長の最大の趣味であるバスケットボール観戦でも、大はしゃぎしていると近藤大介氏は解説している。
北朝鮮の政治犯収容所、拷問、公開処刑などに何の憤激も感じず笑っていられるこの人間性とはなんなのだろう。
民進党はこういう人権感覚の消え失せた盗人猛々しい人物を閣僚にしていた時代を恥ずかしくないのだろうか。
日本と北朝鮮の政治関係小史 4
日本と北朝鮮の政治関係小史 4
1990年 自民党金丸信、社会党田辺誠訪朝団があった。
それぞれ、金丸信は貿易利権、田辺誠は労働組合総評の望む朝鮮への謝罪賠償の実行の準備である。
1995年3月28日には、渡辺美智雄訪朝団またの名を連立与党自民、さきがけ、社会党訪朝団。この時の政調会長が加藤紘一。
韓国は金泳三保守政権で、北朝鮮は韓国にコメ支援を依頼することができないので、日本にコメ支援させる必要があった。
4年前にソ連が崩壊して、援助が途絶えた北朝鮮は産業が乏しく外貨が不足、軍人費過大、農業技術の後れで天候不順に対応できず、飢餓にに直面していたが、韓国に頼るわけにもいかず、日本にコメ支援を依頼してきたのが、この会談。自民党の加藤紘一は常に北朝鮮の国交正常化の立役者となることを政治家としての檜舞台と考えている人物だったと見てよいだろう。
加藤紘一は日本中国友好協会会長、日朝国交正常化連盟所属でもあり、加藤紘一の側近中の側近であった白川勝彦は学生時代日本共産党の民主青年同盟の活動家であった。白川勝彦は、1993年に、元日本共産党員で、社会党左派の伊東秀子と協力して、自社さきがけ連立政権体制に奔走しているから、マルクス主義者で自民党に潜り込んでいたのは、ほぼ間違いあるまい。その白川勝彦と親和性があったのが、親中、親北朝鮮の加藤紘一であった。
加藤紘一は2007年2月には、民主党の仙谷由人、枝野幸男、公明党の東順治、社民党の辻元清美らと超党派勉強会「ビビンバの会」を立ち上げている。
仙谷由人は、マルクス主義の構造改革派、枝野幸男は革マル派系労働組合との関係が深く、辻元清美は連合赤軍の流れを汲む新左翼との関係が深い。
加藤絋一は日比谷高校の同窓である外交官の渡辺伸(松本清張の娘婿)に誘われ、東大水泳部に入部しているのだが、松本清張は日本共産党シンパの作家であり、ゼミの指導教官であった坂本義和は、北朝鮮による日本人拉致問題では、「『拉致疑惑』問題は、今や日本では完全に特定の政治勢力に利用されている。先日、横田めぐみさんの両親が外務省に行って、『まず、この事件の解決が先決で、それまでは食糧支援をすべきでない』と申し入れた。これには私は怒りを覚えた。自分の子どものことが気になるなら、食糧が不足している北朝鮮の子どもたちの苦境に心を痛め、援助を送るのが当然だ。それが人道的ということなのだ」と発言したことから、ごりごりの共産主義者である。
加藤紘一のマルクス主義者との親和性はこのように非常に高い。
1997年 11月11日、森嘉朗、野中広務、中山正暉、元TBSディレクターで環境左翼のさきがけの堂本暁子が訪朝
※環境左翼とは、マルクス主義の環境問題主張に特化したマルクス主義の変態
拉致問題報道、大きくなる。コメ支援反対圧力強くなる。
この時、中山正暉が拉致問題を問うが、北朝鮮は「行方不明者」と答えたのは有名。3年後、この会談は、実は、森嘉朗が北朝鮮に対して、「拉致された日本人を行方不明者がバンコクで発見されたということで解決しようと打診していたことが、イギリスのブレア首相の口からもれて明るみになる。(森がブレア首相にもらした)
このころから、保守派ともくされていた中山正暉は、国交正常化してから、拉致問題を解決するべきだと発言するようになった。
1998年8月 北朝鮮のミサイル実験がはじまる。日本本土を越えて太平洋に落下。
1998年7月の参議院選挙の自民党敗北の責任をとって辞任した橋本の後継首相が小渕恵三だったが、橋本と同派閥の小渕の登板に当初は各方面から批判を浴び、低支持率(毎日新聞調査は25%)からのスタートとなった。
いまでは、想像しにくいが、自民党の小渕にとって、低支持率打開のひとつに、北朝鮮との国交正常化がプラスに働くと考えるほど、当時、北朝鮮への日本国民の意識は2017年のそれほど嫌悪に充ちたものではなかった。
(国交正常化とは、北朝鮮にとっては、うまく行けば巨額謝罪賠償、最低でも友好協力金。日本に巨額の支援をさせる最大のイベント)
小渕恵三は北朝鮮との国交正常化の首相となることを目指して、北朝鮮との交渉なれしている野中広務を幹事長代理に起用。
野中広務は、NHK出身の社会主義者の上田哲を仲介役にして、北朝鮮に親書を送った上で、村山元首相を北朝鮮に訪朝させて、「経済支援するから、国交正常化の首相交渉しよう」と打診。
つまり、1998年から2000年にかけて日本国民の意識は、おおむね北朝鮮との国交正常化は喜ばしいことというイメージであ受け取られており、日本人には、国交正常化にともなう、「謝罪・賠償」は絶対受け入れられないという警戒感はないという正常な感覚ののない痴呆国民になっていたといえよう。
2000年10月、拉致問題による北朝鮮コメ支援反対を押し切って、コメ支援決定。外相は河野洋平。コメ支援の理由は「南北首脳会談の融和志向」を後押しするというもので、2000年6月に金大中は財閥の現代グループを通じて、独裁政権の経済破綻に対して5億ドルを秘密援助。
こうして、日本政府と韓国政府は北朝鮮に巨額の支援をして、独裁体制の立て直しに貢献していた。
韓国最大の財閥グループ現代財閥の後継者だった、現代グループは、2003年半ばまでに北朝鮮に対して5億ドルを上回る投資を行った。その上に南北首脳会談の直前、現代グループは銀行から不透明な巨額融資を受けた上に、総額5億ドルもの秘密支援を北朝鮮側に行っており、現代グループは約5年間に10億ドル以上の資金を北朝鮮につぎ込んだ。
2003年2月には5億ドルの対北朝鮮秘密支援を金大中大統領の南北首脳会談実現の袖の下として渡したことが明らかになり、特別検事による捜査が行われることになった。左翼大統領の盧武鉉が、妨害して、特別検事の捜査は途中で中断するが、秘密送金の当事者である鄭夢憲への検察の事情聴取は続き、そのような中の2003年8月4日、飛び降り自殺した。
ところで、自民党の幹部国会議員自身が北朝鮮との国交回復が手柄であり、謝罪賠償しても、国民は反発するどころか、むしろ、大歓迎で支持率があがると信じた理由はなんだろうか。
それが、一般国民が北朝鮮についての悪印象持っていない。北朝鮮の悪い部分を国民が知らなかったことの結果であり、 そのように、計らったのが、日本のテレビ局全体の報道方針だったからである。
なぜか。
1.朝鮮総連が、激しくFAXで抗議する。平穏に仕事を終えたい報道担当者は北朝鮮の暗部を放送できない。
2.朝鮮総連および朝鮮労働党と友党関係にある社会党の党員がメディアの労働組合の幹部でもあり、労働組合幹部出身の報道会社の経営陣も少なくない。
小渕首相の突然の病死を受けた後継首相森嘉朗もまた、北朝鮮との国交正常化、友好化は、国民の支持を得られると思い込んでいた。
こうした北朝鮮イメージの醸成は、どのように行われていたのだろうか。
1.毎年繰り返される「関東大震災朝鮮人大虐殺6千人」朝鮮人被害者イメージの定着化である。
2.拉致問題などをマスコミに取り上げさせない努力
※元国鉄労働組合幹部で、マルクス主義書籍の出版物を扱うウニタ書房の社長の遠藤忠夫は、北朝鮮が日本政府に経済支援の要請をする場合の仲介役をしていたが、1991年に有本恵子さんの北朝鮮からの手紙を入手した有本さんの父親が記者会見しようとすると、親北朝鮮系のテレビ局員が遠藤忠夫と相談して有本さんの父親を遠藤忠夫に会わせて、「有本恵子さんに危害がおよばないように、黙っているほうがいい」と説得。
このようにして、テレビ局の共産主義者と共謀して、日本国民に北朝鮮の悪いイメージが浸透しないように、努めている日本人の勢力が存在していた。
日本と北朝鮮の関係 小史 3
戦後日本ジャーナリスト・労働組合役員、共産党・社会党シンパ文化人の思考様式の虚妄、これこそが、そのまま戦後レジーム。
では、その思考様式の内実とはなにか。
- 旧陸海軍の行動は何事につけ「悪」と価値判断し、話を聞けば、なんでも実話と思い込んでしまう。
※ 1983年11月10日付け朝日新聞「ひと」欄で、吉田清治の経歴を紹介した朝日新聞記者は「吉田清治が説明した次のような矛盾きわまりない話を信じ込むまぬけぶりを発揮した。
「旧満州国吏員をした後、中華航空に入社して、業務中に身元チェックの甘さから、朝鮮人社会主義者を飛行機に乗せた責任を問われて、軍法会議で懲役2年。」これをまともに、「ひと」欄にそのまま紹介している。
これが新聞記者の中でも高学歴エリートの部類に入る朝日新聞記者の状態だった。
また、それを当時の日本人の多くは何も違和感なく、読み過ごしていたのだろう。
- 「マルクス主義革命による新体制」という基本認識にあてはまれば、なんとなく、どうしてもいいことだ、と少なくともその国自体が崩壊してしまうか、犯罪性が歴然とするまでは、長らく信じこんできた。
オレオレ詐欺にだまされる老人のような思考をしていたのである。
関東大震災朝鮮人虐殺6千人説もそうした思考のたまものと言っていいだろう。
少なくとも米国人のノエル・ブッシュの大震災生存者への聞き書き調査による判断「あったが、極例外的な事態で、被害は千人以内」という見方はまず紹介されない。
慰安婦問題について、日本の大手新聞社は実は極めて異常な行動をしている。
水俣病や労働問題をはじめ、多くの社会問題は、新聞記者が現地取材をして、特集記事を組むのが通例だが、慰安婦については、本人はもとより、現地の目撃者探しを含めた証言取材は、なぜかすべて、日本共産党、社会党ともともと関係の深いフリーのジャーナリストが聞き書き記録を岩波書店の雑誌に発表するという情報にまかされていたのである。
これについては、朝日のOB長谷川熙によると、「慰安婦問題執筆者北畠清泰の友人が、済州島なんか、すぐそこではないか、なんで取材しないんだ、聞いたところ、不機嫌になって絶交状態になった」というエピソードを紹介している。
- 非マルクス主義者だということが歴然としている人物は「右翼」と言いたくなる傾向。
- 日本が身をただして、攻撃的態度、相手への懐疑、防衛力の整備を放棄すれば、「マルクス主義国」は、かならず「わかってくれるはずだ」という信念。
- 1992年1月23日付け夕刊朝日新聞「窓」欄で北畠清泰記者は、「女性達は下関の軍に集められて軍の営廷で軍属の手に渡り」と書いた。これなどは、植村隆記者よりもよほどひどい痴呆ぶりではないか。
一方、自民党の国会議員、および自民党国会議員と近い関係の民間団体のトップにも、自己の政治勢力的・社会的利益を獲得するために、北朝鮮に対して大きな金銭供与おこなってきた人物たちは、少なからず存在する。
そうした人物は、明るみになっていない者も多いだろう。
この事実などは、朝鮮人大虐殺事件を思い起こす事などよりも遙かに重要な史実ではないか。日本の自民党国会議員がいかに阿呆であるかという紛れもない証拠を示す史実として。※社会党の田辺誠も共同宣言に参加
これは、今日にいたるも続く北朝鮮の本音、日本に金を貢いでもらいたいという願望に力を添えをする行動にほかならない。
金丸信がなぜこのような行動を取ったのか、実は謎なのである。
ともに行動した田辺誠の動機なら明瞭で、当時、社会党の支持基盤である総評をはじめとする日本の労働組合は、北朝鮮を社会主義の良い国だと思い込んでいたから、友好関係を強化確立するために、国交交渉を進めたいという動機は、バカはバカなりにスジが通る。
だが、北朝鮮に特に共感している国民を支持基盤に持たない金丸がなぜ北朝鮮との友好関係を結ぼうとしたのか。
推測されるのは、北朝鮮の独裁体制、非人権性に対する無知、鈍感であったということ。
表向き、日本の国民の無党派層から見れば、自民党の重鎮が北朝鮮と融和的態度を取れば、みんな仲良く、和気藹々、平和が大事という、自民党は平和を大事にする国で、過去のの過ちを率直に認めて、謝罪し賠償する良心を持っていますよ、とでもいいたかったのか。もちろん、噂では、後に押収された金の延べ棒が刻印の無いもので、北朝鮮からの賄賂だったという説があるが、少なくとも表向き、通りの良い理由がなければ訪朝はできない。
つまり、問題は、世間向けに通りのよい政治パフォーマンスを追求して、日本の国益、日本国民にとって本当に利益になる外交をいっさい考えようとしないところに、「政治家の不道徳性」があるのであって、問題は大企業から金をもらうか、どうかの話ではない。
そして金丸信には、どう猛なばかりの巨額利権の邁進する異様な政治家の顔があった。
建設資材のコンクリートには、塩分を含む海砂利は適さないが、川砂利砕いて作る砂は貴重である。この川砂利が北朝鮮には豊富にあることが知られていた。それから、北朝鮮のスケトウダラは日本ではかもぼこの原料に使える。この貿易利権を独占しようとしたのが、金丸と金丸の息子である。当然、この動きに便乗するゼネコンは金丸の政治資金の献金をすることにもなる。こうした、金丸の北朝鮮貿易利権の仲介役は、在日朝鮮人から帰化した吉田猛が経営する新日本産業や在米韓国人でその実、北朝鮮上層部とも関係の深いマダム朴がアプローチして、金丸信は北朝鮮との関係を深めていった。
金丸の死後は、この北朝鮮利権は、野中広務が引き継ぐことになったのである。そこで、野中広務は、全日空チャーター便で、ゼネコン各社の幹部とともに北朝鮮に乗り込むことになる。
ちなみに、中国産の川砂利利権は古賀誠が独占していた。すなわち、関係ゼネコンは古賀誠に利権目的で献金していた。道路公団によって、恒常的に道路投資を続ければつづけるほど、川砂利の重要性は高まり、金丸、古賀誠、野中広務の自民党内の地位も盤石になっていったのである。
2.その3年後、1993年に日本はコメの不作で外国米を緊急輸入したが、84万トンあまってその倉庫代維持費だけでも年間50億円かかっていた。
古米のだぶつきは、新米の値段を低下させて、当然、農協は幹部たちは自民党農林族に陳情攻勢をかけたろう。
当時の農林族に加藤絋一、野中広務もいた。
同じ時期、北朝鮮は農業技術の発展が停滞して、天候不順に対して極度に脆弱でなおかつ近隣国からコメを輸入する外貨もない。それは飢餓に直結する。共産主義の脆弱性である。北朝鮮は加藤紘一、野中広務に対して外国米84万トン、全部ただでくれと求めてきた。
こうして、日本はコメ50万トンをただ同然でくれてやり、これは北朝鮮の支配体制を温存させ、北朝鮮の自助努力、改革解放、自由化を怠らせることになり、結果的には、北朝鮮の庶民をさらなる地獄に落とすことになった。
北朝鮮は自国の経済苦境を日本からの支援でしのぎ、それをてこにして、韓国との外交交渉を強硬化することが可能になったのである。
米国としては北朝鮮の核開発に手を焼いて、韓国の金泳三に対して北朝鮮共同攻撃を打診する場面もあったが、金泳三は、北朝鮮の反撃によってソウル市民に死傷者がでれば、政権が持たないのが本音で、米国の提案を拒否した。
そこで、以後、米国は北朝鮮を軟化させるための経済支援をすべて日本が持つよう仕向けたのであるが、こうした圧力に抵抗する論理を持たないのが自民党の実態だった。
1995年、加藤絋一は、元在日朝鮮人で、北朝鮮利権のフィクサーとなる意図で故意に帰化して日本人となった人物、吉田猛を仲介人にして、北朝鮮と交渉を重ねてコメ支援を重ねるようになって行った。
この間、拉致疑惑がちらほらと出ていたのだが、これが世間におおっぴらに報道されれば、日本の世論が北朝鮮へのコメ支援を容認するはずがない。
野中広務、加藤絋一ら、自民党の有力者たちは、拉致疑惑が全面化するのを嫌う理由は十分にあった。また、親北朝鮮のイメージを持つ日本人および朝鮮総連系の読者を大きな購読層とする朝日新聞は、北朝鮮の非人道的犯罪をにおわすような記事は書けない。
こうして、時は過ぎ、1998年8月31日には、北朝鮮の長距離弾道ミサイル「テポドン」が本州を越えて、太平洋上の落下して、以後、北朝鮮はミサイル実験、発射訓練を延々と重ね続けているのである。おそらく東京オリンピックの前後には、いよいよ、実戦能力を完全に、ものにするだろう。2017年9月3日には、核実験が行われている。
日本と北朝鮮の関係 小史 2
※「共産主義による内戦統一」というロシア革命以来世界に広まった妄想が、北朝鮮と米国の対立、韓国と北朝鮮の戦争の原因であって、日本とは何の関係もない。
日本が半島を放棄したあと、半島に共産主義がなければ、分裂していない。
日本が朝鮮戦争の際に物資を売らなければ、韓国人は今頃、北朝鮮に差別され、貧乏していただけ。
承前
旧社会党、日本共産党、朝鮮総連による「北朝鮮は社会主義の楽園」という嘘宣伝によって北朝鮮に帰国した在日朝鮮人は、どうなったかというと、
- 日本からの帰還者は「動揺分子」であり、「監視対象」である。
要するに、北朝鮮とは、現代日本の良心的知識人が声高に言いつのってやまない差別主義糾弾の、まさに世界でももっとも極端な出身成分によって国家が個人を監視し続ける全体主義国家であり、究極の「差別主義」国家なのである。
しかも、その基準は常に北朝鮮の「社会安全部」と「国家政治保衛部」によってどのようにでも変化するので、個人は対処不能のまま、いつどのような理由で、突然、強制収容所に収容されるか、予想がつかない。
以上の説明は、脱北者によって告発された北朝鮮全体主義の実態である。
あらためて、「関東大震災で朝鮮人虐殺は6千人あった」だの「いや、なかった」「6千人は誇張だ」と言うレベルで正当性を主張している人々の多いのには、驚きとともに、その愚劣さに唖然とする。
朝鮮人虐殺6千人だと強く主張する態度は、ちょうど北朝鮮帰国事業を日本共産党、社会党、朝日新聞が、その帰国事業を進めるにあたって、大きな理由として主張した、在日朝鮮人のほとんどすべては、強制連行だったという誇張と嘘がもたらす動機、効果の点でまったく同じなのであり、「われわれ日本人が朝鮮人に申し訳ない加害行為をしたから、おわびに、積極的に北朝鮮帰国事業に協力すべきものだ」というものなのであるが、現代にいたって、「強制連行の神話」が崩れて、さらに北朝鮮に帰国して永住したいという人がもはやいなくなっても、今度は、「ただそれが、歴史の動かしがたい事実だから。歴史の事実を隠蔽するな」と、真実の守護者が目的そのものになってしまっているのである。
あたかも、最初から、北朝鮮の正当化と歴史認識が結びついていたことなんかまるでなく、ただ歴史論争をし続けているかのように。
何よりも、かつて朝鮮人の被害者性を声高に主張することによって、在日朝鮮人を北朝鮮の送り出した事への罪の意識、躊躇、内省がまったくないのが、奇異でさえある。
これには、ひとつ理由が考えられる。
一義的にこの北朝鮮帰国事業時にあらゆる被害者性を強調した当人がしらばくれてそんな過ちはなかったかのようにして、ただ、在日朝鮮人の強制連行説ははじめから言ってなかったことにする。そして、慰安婦強制連行も、話題にしないことにする。
そして、嘘と誇張がバレそうにない、嘘の証拠がみつかりそうにない関東大震災大虐殺については、「否定派と認めて反省する者の対立が続いてきた」という構図にする。
だが、本当は過去にあったことが、嘘か本当か、非人道的行為を反省するために、過去の事実を認める、そういう問題ではない。
朝鮮人の被害者性が日本人に信じられれば信じられほど、あるかもしれない隣国に賠償金が支払われるという理由とまったく無関係ではありえない。
また、関東大震災当時、なぜ上海独立臨時政府派が、6千人虐殺されたと主張したかと言えば、それを世界の人道的道徳を持つ有力者たちが、朝鮮民族の独立に同情して、資金を供与したり、無関心な半島人が憤って独立運動に立ち上がるという動機なのであって、日本人の道徳性の回復や将来の過ちを繰り返さないことが目的なのではない。
このことがなぜ解決が難しいかというと、日本は英米とはちがって、社会制度こそ、資本主義を維持してきたものの、戦前戦後を通じて旧帝国大学の主流はマルクス主義がおおってきたために、最高レベルの知識人から、あらゆる職業の大学卒業者から独学の読書人まで、英米保守主義の「自由の哲学」にほとんど無縁の思考をしながら、歴史を考えるパラダイムの罠に日本人ははまりこんでいる。
そこで、国家権力の暴走の極端でわかりやすい形の政治現象をやり玉にあげることに何年でも固執するのではないかと思われる。
それは、軍国主義批判であり、ナチズムの史実をよく知っているか、それとも知らないから安易に肯定してしまう人間に対して、一斉に攻撃、嘲笑を加えることが、知性ある者の義務であるとでも言わんばかりに高揚する。
だが、これこそ教科書的知識と結びついた人道主義にしがみついてよしとする知性の衰退の兆候である。